9.9. Story 2 嵐の前

4 依頼

 こんな朝っぱら早くに屋敷に呼び出してどういうつもりだろうか。
「ゴルフにでも行かれるおつもりですか」と嫌味の一つも言ってやろうかと、車を飛ばして山一つ越えて駆け付けてみれば、屋敷の主は不在だった。
 主どころか、あの危険極まりない遠刈という運転手の男や相変わらず正体の掴めない矢倉衆とかいう不気味な連中も皆出払っていた。

 専内は拍子抜けしたまま屋敷の中に通され、留守を預かる老人からメモを渡された。
 そこには藪小路がしたためた専内に対する指令が書いてあるはずだった。

 こうした依頼を受け続けてもう何十年になるだろう――

 

【専内の決断】

 地方の私立大学を卒業したいわゆる『ノンキャリ」の俺はとにかく警察組織の中で成り上がりたかった。
 射撃のセンスがあり国体やオリンピック強化選手にまで選ばれたが、それだけでは出世できない事がわかった。

 まともにやったのではだめだ、社会の一番腐った部分に接すれば何か一発逆転できるのではないかと思い、R班と呼ばれるアウトローを取り締まるアウトローに近い集団に身を置いたが、この判断は正解だった。

 あの日、糸瀬邸での修蛇会襲撃事件の調査中に顔見知りだった組長の唐河が俺に声をかけてきた。
「あんた、こっちの方」と言って唐河は指で鉄砲の形を作った。「達者なんだってな」
「いえ、大した事はありませんよ」
「謙遜するなって……実はいい話を持ってきてやったんだけどな。聞く気あるかい?」

 警察官としては失格だったが、俺はそれがたとえ悪人からの誘いであってもチャンスを掴みたかった。
 そうして連れていかれたのが東京の地下で、そこにいたのが藪小路だった。

 藪小路は近々行われる予定のシンポジウムである事をやってほしいと依頼をしてきた。
 糸瀬優の狙撃だった。

 逃走中にリチャード・センテニアに追われたが、藪小路の不思議な力でその場を切り抜けた。
 糸瀬を一撃で仕留めた腕前を買われ、藪小路の信頼を勝ち得る事ができ、そこからはとんとん拍子で出世していった。

 唯一のピンチ、R班の班長時代にドリーム・フラワーを巡って新宿が破壊された時には、その後の『蘇った魔』によって全てが有耶無耶になり、俺の経歴には一切傷が付かなかった。
 都内にある藪小路の本宅がある場所を管轄する警察署長に抜擢され、俺のキャリアはピークに達した。

 

 専内は屋敷の中に入り、留守番の老人から渡されたメモを読んで首を傾げた。
 そこには達筆でこうしたためてあった――

6月〇日

全員不在のため、貴殿に以下を願い申し奉る。
屋敷最奥部の警護。

尚、部屋に入る生体認証は予め切断してあるのでご安心されたし。

以上

 

 屋敷の最奥部か
 この屋敷には幾度となく出入りをしているが最奥部と言われる藪小路の私室の隣の部屋だけは入った事がなかった。
 メモに書いてあった通りの厳重な認証が施されていて、本人以外は誰も入れないようになっているという噂だった。

 その認証が作動していないとは……

 専内は不思議な気持ちのまま、屋敷の最奥部にたどり着き、部屋の扉を開けた。

 そこは板の間でがらんとした室内には高さ二メートルほどの円柱形の金属でできた筒が置いてあった。
 筒の上部には配線が複雑に絡み合い、部屋の隅の制御盤に続いていたが、筒自体には電源が入っていないようだった。

 制御盤に近付くと新たなメモが置いてあった。

午前8時

スイッチを付け、そのまま待機する事。
何も起こっていないようであっても、決してスイッチを切ってはならない。

 

 専内は腕時計で、まだ8時までは間がある事を確認した。

 この目の前にある筒、実物を見た事はなかったが二十年前の騒動の元となった『転移装置』に間違いないだろう。

 これまでの経緯を推理すると、今朝8時過ぎに藪小路が常々言っていた最終決戦が行われる。場所はおそらく元麻布に最近建てられた聖堂、決戦の相手は最近世間を騒がず新・帝国の覇王、あの自分が狙撃したマリスのはずだ。

 そこで勝利すれば問題ないが、負けた場合はこの転移装置を使ってここに逃げ込んでくる……だが何も起こっていないような状態とは何を意味するのか。

 ここで専内は地下の人間から聞いた藪小路の噂を思い出した。細胞の一かけらでも残っていれば再生し、復活する事ができる。そうやって平安時代から生き延びてきたのだと。

 つまりは細胞レベルまで粉砕されるような負けまで想定しているという事か。

 

 専内の頭の中を様々な思いが駆け巡ったが、まずやるべきは朝8時にスイッチを入れ、この場所で待機する事だった。

 
 

 

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 Story 3 頂上決戦

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