目次
2 文月の秘密
黒眼鏡の男は『宣憐楼』のソファに体を沈み込ませ、高級な酒を呷りながら、間もなく起こる一大スペクタクルについて想いを馳せた。
完成したフィルムを真っ先に見てもらう観客と考えていた人間に観てもらうまでに少し編集を加えるか。いやいや、下手な加工はかえって価値を落とす。ありのままを誰かに見てもらいたい、どうしたものか。
満席であっても静かなラウンジが珍しくざわついた。
黒眼鏡の男が顔を上げると一人の男性がラウンジに入ってくる所だった。
男性は客席を回り、挨拶を交わしていき、最後に男の席にやってきた。
「お珍しいですな」
男は黒眼鏡の縁を指で軽く持ち上げて会釈した。
「面白い話を私に聞いてもらいたくてうずうずしている、違うかね?」
黒いマオカラーのジャケットを着た体格の良い男性は笑顔で答え、黒眼鏡の男の対面に座った。
「――さすがは真の支配者、馬大人の情報網は侮れませんな」
「ふふふ」
目の前の馬大人を真の支配者と呼ぶのには理由があった。
悪人が跋扈するこの星が平穏を保てているのは、ライフラインを一手に握る大人の力に依る部分が大きかった。
大人は住人が他所の星で悪さをする分には寛容というよりも無関心だったが、《古城の星》内での狼藉行為については容赦なかった。
禁を犯した者は一切のライフラインの使用を禁止され、干上がる。結局、大人に許しを請い、心を入れ替えるか、かつて《エテルの都》の市長を務めたクアレスマのように星を逃げ出さざるを得なかったのだ。
「さて、面白い話を聞かせて頂きましょうか」
馬大人は穏やかな口調で話を促した。
「大人もお聞き及びかと思いますが、間もなく最後の戦いが始まります。私もキャメラを携え、そこに赴くつもりです」
「《青の星》、東京だな。良い映像を撮って下さい」
「おや、それだけですか?」
「あの転生を繰り返す男と銀河覇王がこの銀河をかけて戦うのでしょう。なかなか楽しいとは思っていますよ」
「いや、妙に醒めていらっしゃる。やはり、正統な文月の血筋が覇王ではないのがお気に召しませんか?」
「ん、どういう意味だろう。『正統な文月』とは。素晴らしいのはノカーノの血を引く者、『正当なノカーノの末裔』と言うべきではないかね」
「又、しらをお切りになって。ノカーノの血筋だけでこれほどの事が行えるなどとは思ってらっしゃらないくせに」
「君の言葉の意図が汲み取れないが」
「もちろんノカーノの血筋は優秀です。彼はこの銀河の住人ではなく『上の上の世界』、しかも星間火庁の人間だった、とびっきりのエリートですから、それも当然です。ですがノカーノの後、リン文月に至るまでは傑出した能力者は生まれなかった」
「時代の必然という奴だね」
「おやおや。どこまでも謙虚な。まあ、いいです。私が申し上げたいのはリン文月が誕生したのは時代の必然などではなく、十分に計算され尽くした作為的なものだという事です」
「……」
「私の調査では、文月の家系も又、この銀河の最高傑作と呼ばれる人物の血を引いておりました。優秀なノカーノの家系と優秀な文月の家系が合わされば、リン文月のような規格外の人間が誕生するのも頷けます」
「ほぉ」
「文月の家系とは、つまり大人、貴方の末裔ですよ――
「確かに面白そうな話だ。もう少し続くのかね」
「順を追って説明致しましょう。まず話は《武の星》に生まれた附馬金槍という人物から始まります。この者こそは星の歴史上、唯一の金の属性を持つ者、その将来が大いに期待されましたが、彼の選んだ道は手つかずの《将の星》に渡り、人が住める環境を整備する事でした」
「その話なら知っている。何も目新しい所はない」
「附馬金槍は驚異的なスピードで星の体制を構築し終えると、妻、公孫雪花と彼女との間にできた幼い少年に星の将来を託し、姿を消した」
「それも聞いた事がある」
「でしょうな。本題はここから先、私が苦労して仕入れた話をお聞き下さい――
【黒眼鏡の男の調査報告】
その日、山は珍客を迎えた。
応対に出た者は慌てて山の主のユウヅツを呼んだ。
「騒がしいわね――あら、タマユラ姉さん」
「久しぶりね。ユウヅツ。始宙摩で会って一緒に植樹したあの時以来かしら」
「良い所に来て下さいました」
「かか様の具合が悪いのね」
「ええ、気力だけで持っているような状態です。あたしが世継ぎを産むまでは死ねないんですって」
「欲張りね。ユウヅツがどう生きようと勝手じゃない。そうまでしてこの山を守りたいのかしら」
「立ち話も何ですから、中にどうぞ」
「何じゃ。お前か」
骨と皮ばかりになったサワラビが床の中から、体に似合わぬ張りのある声を上げた。
「ご挨拶ね。せっかくかか様の見舞いに来てあげたのに」
「おんしが来る時はロクなもんじゃない。ヌエの時も大変だったのだぞ」
「あれはあれで楽しかったわ――ね、ユウヅツ。都のいけすかない人間たちが慌てふためく姿は見物だった」
「で、今日は何用じゃ。まさか見舞いだけと言うのではあるまい」
「ええ、かか様を早く成仏させてあげようと思って」
「この罰当たりが」
「冗談よ。今もユウヅツから聞いたんだけど、まだ世継ぎができないんですって?」
「その事か。鎌倉武者とでも契らせておけば良かったのだが、安売りしてはいかんと手控え、このザマよ。今の世には傑物がおらん」
「ところがいるのよ。物凄いのが」
「山の張り巡らした網に引っ掛からんとは……ノカーノと同じく他所の星の者じゃな?」
「かか様、ユウヅツの前で他所の星の者とか言っちゃだめよ。気遣いがないんだから」
「うぅ、で、その男は今どこにおる?」
「砦の外で待ってるわ」
「それは妙じゃ。わしやユウヅツほどの人間になれば、ほんの些細な気配の変化でも感じ取れる。ましてや、おんしが言うほどの傑物であれば、この山の殆どの者が勘付くじゃろうに――ユウヅツ、おんしは何か感じたか?」
「いいえ」
「ふふふ、論より証拠よ。会ってみればわかるわ」
タマユラが連れて戻ってきた男は、体格が良く、どこか高貴な雰囲気を漂わせた青年だった。
「……おお、これは」
床に伏したままのサワラビは息を呑んだ。
「まさにノカーノに匹敵する逸材じゃ」
「でしょ」
タマユラは得意気に言った。
「この人ならユウヅツも文句はないでしょ」
「だが、ならぬわ」
もう起き上がる体力の残っていないはずのサワラビが体を起こして、荒い息を吐いた。
「この方だけは……いかん」
「何よ、かか様だってこの人の凄さはわかるでしょうに」
「わかるに決まっておる。いや、おんしなどよりよくわかっておるからこそ、いかんと言っておる。こちらの方は類稀なる気の持ち主。大きな使命を背負っておられるのじゃ。今は、今は……まだその時ではない」
「訳わからない事言わないでよ。ははぁん、わかったわ。かか様、嫉妬してるのね。ノカーノといい、この人といい、自分では見つける事ができなかったから」
「そんな狭い了見ではないわ。わしは千年先の未来を見据えて――
「あの」
それまで黙って砦の中の様子を眺めていた青年が口を開いた。
「たまたまお会いしたタマユラさんが『面白い場所があるから』と言って下さったので来ましたが、どうやら私の話を聞いてもらえる雰囲気ではなさそうですね」
「おお、それは失礼をした。おんし、生まれと名は?」
「《武の星》のキンソウと申します」
「ふむ、その星の名は真魚から聞いた事があるが、それにしてもわしらと似た顔付きよのぉ」
「そうですね。私もこの島の事を聞いておりましたが、実際に着いて驚きました」
「何をしに来んさった?」
「いえ、特に。気ままな旅の途中です」
「ほぉ、おんしほどの人間が要職に就いとらんとは。ノカーノと同じじゃな」
「先ほどから話に出てくるノカーノとは、七聖ノカーノですか?」
「そうじゃよ。ここにいるユウヅツはノカーノの子じゃ」
「――なるほど。合点がいきました。そこのお嬢さんと私を添い遂げさせようという訳ですね」
「添い遂げるなどとは考えておらん。一夜の契りで十分じゃが……」
「問題があるのですか?」
「おんしほどの人間であればわかるじゃろ。今はまだその時ではないのを」
「そうですか。七聖の血を引くお方と私の間にできる子には大変に興味ありますが」
「わしや真魚の見立てではその時はまだずっと先じゃ」
「確かに。これから数百年はかかる話でしょうな」
「今、傑作が生まれても数百年それを維持し続けるのは大変な事。その時にいる子がこの世界を救えなかったら、わしは口惜しくて成仏できん」
「なるほど。寿命ばかりは読めませぬか。ノカーノや私の血を引けば長命だとは思いますが」
「そんな危険は冒せん」
「ですが私にも都合があります。この星に腰を落ち着けるつもりもありませんので」
「そうよな――のぉ、こういうのはどうじゃ。ひとまずこの地に種を残してくれんか。然るべき時が来れば、わしの、いや、ユウヅツの子孫が上手く取り成し、最高の傑作を作るよって」
「ふむ、一考に値します。子ができたとわかるまでの数か月間だけ滞在すればよい訳ですな」
「そうじゃ。もちろん、こちらも優秀な女子を用意する」
「わかりましたよ。実はノカーノの名を聞いた時にこれは天命だと直感しました。この世界を救うお手伝い、是非、させて頂きたい」
「おお、納得して下さったか。そうと決まれば話は早い。この山の麓に家を用意するよって、そこで生活してもらえばよい」
「承知しました。色々とお伺いしたい事もありますので今宵はここに泊まらせて頂きます」
「もちろんじゃ――ユウヅツ、ククタチを呼んで参れ。ククタチであれば立派に血筋を守れるであろう」
ユウヅツが行ってしまい、サワラビは安心したように再び床に就いた。
「時に、おんしの性は何と言う。おんしの星では皆、姓を持っておるじゃろ?」
「はあ、フバ、フバキンソウです」
「……フバキ?妙な姓じゃの」
「かか様。フバキではなく――」
タマユラが訂正しようとしたがサワラビは構わず続けた。
「どうじゃ。どうせならこの地の習慣に合わせては。ちょうど今、暦の上では文月じゃ。フバキと文月、響きがよく似ておるからこれからは文月と名乗るがよい」
「はははは、文月ですか。よい姓です」
文月キンソウと名乗った青年はククタチとと山の麓で暮らし始めた。
およそ一年後、二人の間に子が誕生したのを機に、キンソウは再びサワラビを訪ねた。
「キンソウ。よくやってくれた」
「サワラビ殿。約束を忘れては困りますよ。この世界の運命がかかっているのです」
「大丈夫じゃ。わしはもう長くないが、ユウヅツの子か孫が上手くやる」
「タマユラさんもいますしね」
「あの子は実の娘じゃが、あまり当てにしてはいかん」
「手厳しいですね。では私は再び旅に出ますので。楽しみにしていますよ」
文月キンソウはいなくなり、ククタチは文月の家を守り続けた。
山の方でも、とうとうユウヅツが契りを終え、無事にモミチハという女児を授かった。
サワラビはこれに安心したのか、その波乱の生涯をようやく終えた。
そうして数百年の時が流れ、再びタマユラが山を訪ねた。
応対に出た若い女性は結界をやすやすと越えてきたこの美しい女性を疑わしげに見た。
「どちら様でしょう?」
「タマユラよ。サワラビの娘って言えばわかるかしら?」
「……これは失礼致しました。私はモミチハの娘、シメノです。今まで何をなさってらっしゃったのですか?」
「色々と面白おかしく生きてたのよ。年を取らないって案外に退屈よ」
「まあ、人が聞いたら嫌味だと思いますわ。で、本日のご用の向きは?」
「いよいよ、その時が来た……というより、本当のラストチャンス。文月源蔵がこの山に入ったの。下手すれば自殺するわね。源蔵が死んで文月の血が絶えれば、かか様が苦労して企てた計画も水の泡。きっとあなたなんでしょうけど覚悟を決める事ね」
「他にも文月の人間は残っていませんでしたっけ?」
「ああ、麓で暮らす源蔵の兄夫婦の事ね。知らないわ。神隠しにでも遭ったんじゃない」
「タマユラさん、もしかして」
「そんな事より早くしないと源蔵が死んじゃうわよ。さ、決断しなさい」
「わかりました。すぐに仕度致します――
黒眼鏡の男の長い話が終わった。
「よく調べたね。まあ、大体、誰が言ったのかは見当がつくが」
「大人、いえ、附馬金槍殿。最も大切な戦いに文月の者が不参加な事、その心中、お察し致します」
「かつての創造主たちにしてやられた。文月がいたのでは勝負にならない、ハンデのつもりだろう」
「リンが偽りのナインライブズとなり、暴走したいつぞやの時には、真の姿、光り輝く者となって助けに行かれた。そこまでしたのにこの仕打ちはやるせませんな」
「そんな所まで調べ上げたか――だがもっと他に知りたい事があるのだろう?」
「単刀直入にお聞きします――何故、右も左も悪人だらけのこんな星に留まっておられるのでしょう?」
「自分の故郷をそこまで卑下する事もないかと思うが――今度はこちらが説明する番だな――
――君も知っての通り、私は金の属性を持つ者だ。その能力は極めて稀有、一言で言えば『全てを見る力』、『パン・オプティコン』だ。
私の力を持ってすれば、人の住まない《将の星》を平定し、秩序をもたらす事など朝飯前だった。
あまりにもあっけなく星の基盤が構築され、秘かに失望した。
民が優秀で勤勉過ぎたのだ。
やりたいのはこんな生ぬるい事ではなかった。
後を若い者に託し、私の力を最大限に発揮できる場所を探した。
立ち寄った《青の星》も似たり寄ったりだった。
民は無邪気、無自覚だが勤勉、これでは第二の《将の星》を作るだけではないか。
もっとむき出しの欲望が溢れ出し、今にも破綻してしまいそうな悪条件の下でこそ、『パン・オプティコン』は力を発揮するのだ。
《青の星》を発った私が次に向かったのは《古城の星》だった。その星はノームバックという最大の実力者を失った混乱から抜け出せずにいた。残った実力者たちは三つの城に籠り、星の覇権を求めるだけで、民衆の暮らしは荒んでいた。いや、民衆自体もロクなものではなかった。
私は行動を開始した。
星では水やエネルギーが不足がちで、争いの大半も星の資源を巡って起きているのが見て取れた。
そこで地下深くに潜り、インフラを徹底的に支配した。
その結果、争いを続けていた実力者たちは揃って私の足元に平伏した――
「で、その実験は成功したと言えるのですか?」
「さあ、どうだろう。評価を下すのは私ではなく、住人である君たちではないかね」
「ごもっともで――さて、そろそろ行かないと最高のエンターテインメントを見逃してしまいますが、最後の質問を」
「何だね」
「もしも、この戦いで文月の姓を持つマリスが敗れた場合、金槍殿はどうされますか?」
「ふふふ、わからんよ。だが子供たちの危機とあらば、いの一番に駆け付ける」
「それを聞いて安心致しました。では又」