目次
3 企みの本質
「さて、俺たちも親父を部屋に戻そう」
沙耶香を抱えたシメノとコザサが去ったホテルの一室でコクが言った。
「どう決着するんだろうな」
「大騒ぎにはなるが、蒸発事件で片付けられるんじゃなかったか。まあ、成り行きに任せようぜ」
コクが眠るリンを運び出そうとした時、目の前にもう一人のリン、エニク、オシュガンナシュが姿を現した。
「……親父。いいのかよ。同じ人間が同時に二人存在しているぜ」
コクはベッドですやすや眠る少年のリンを指差して言った。
「問題ないよ。僕はすでに半分人間じゃないから、過去の人間だった自分を見ている分には何の影響もない」
「ふーん。で、この勝負、これで終わりかい?」
「ああ、そうだよ。ご苦労様」
「何もしちゃいねえよ。予定通りの事が予定通りに起こり、俺たちはそれを眺めてただけだ。親父の命を狙う奴らも出てこなかったし、拍子抜けだ」
「――その辺も含めてエニクとオシュから説明してもらおう」
「まずは結果を伝えるわ。あなたたちの勝ち。これであなたたちは勝ち越し。後一つ勝てば、完全勝利よ。頑張ってね」
「おいおい。言ったじゃないか。予定通りの歴史をなぞっただけで何もしちゃいねえよ。何で俺たちの勝ちなんだよ」
「理解してもらえるかしら。第三戦目でリンが反則を冒したように、今回はあたしたちが反則を冒した。だからこちらの反則負け」
「――もしかするとこれは予定通りの歴史ではない?」
「その通りよ、ハク。後はリンに聞いて――ああ、そうそう。今回の勝利を記念してこの星の各地に建てさせてもらうわ」
「えっ、それはもしかして?」
「そう。あなた方の言葉でディエムと呼ばれるもの。今からがあなたたちにとってのナインライブズを巡る長い戦いの始まり。ナインライブズが無事発現するまでは、この星が良くない方向に向かわないように『ウォッチ』しないと」
「私たちは創造主に観察されながら、ナインライブズまでの30年以上を過ごす訳か」
「悪くない話でしょ?」
「ええ、もう何が起こっても不思議には思いません」
エニクとオシュガンナシュは言葉少なに部屋から姿を消し、大人のリンだけが残った。
「何だよ、ありゃあ。親父、『予定通りじゃない』って、どういう事なんだ?」
「コク、手短に言うとね、最初は向こうも僕や沙耶香を襲わせたりしようとしてたみたいなんだ。でもそんなのよりもっと面白い事に気付いて作戦を変えた。それでこんな間の抜けた勝負になったんだよ」
「どこが反則なんだい?」
「さあ、そこまでは僕にもわからない。実際には僕、或いは沙耶香が命を落としていたのかもしれない」
「それはないよ。父さんはナインライブズなんだし、母さんは私たちを産んでいる」
「そうなんだよ、ハク。エニクがはっきりと言わないからここから先は推測でしかない。僕が死んでも、沙耶香が死んで僕が生命を分け与えたとしても、最初の時のナインライブズ出現の条件に含まれていたとしたら、今回の一件でその回数が一回減ってしまった事になるよね?」
「となるとナインライブズが発現しない?」
「いや、僕は自分の命を一回貯蓄できたって事さ。ふふふ」
「それが一体?」
「つまりナインライブズ出現の条件として僕の命が何回失われたかなんてちっとも関係なかったって事じゃないかと思うんだ」
「えっ、よくわからねえな。親父が命を一回セーブした事は、何を暗示してるんだ?」
「さあ、それはこの先のお楽しみだね。それよりも僕らを造りたまいし創造主は予想以上に賢いね。こうして新旧の創造主の勝負をしているけど、その実、新たな実験もちゃっかり同時に進めているという推測が成り立つ」
「それはどんな話だよ?」
「おそらくだけど、リチャードを過去に飛ばした時にエニクはとても本質的なある事に気付いたんじゃないかな」
「本質的?」
「そう。時間の輪の中でリチャードの鎧が過去に飛び、その鎧が魔王の鎧になって最終的には茶々に飲み込まれ、そして又龍退治をしたリチャードの鎧ができ……を延々と繰り返す。時間に干渉する事によってエネルギーが発生し、その営みが永遠に繰り返されるからエネルギーはどんどん蓄積する」
「何だかナインライブズと同じみたいだな?」
「そう、その通り。だけどリチャードの一件からはナインライブズは生まれなかった。どうしてだかわかる?」
「エネルギーの取り出し方がわからない?」
「さすがだね。時間の輪の中からエネルギーを取り出す準備をしないまま、鎧だけを過去に送り込んでしまった事に気付いたエニクは愕然としたろう。そうなると次にエニクが考えるのは?」
「次回はちゃんと準備をしてから時間の輪に刺激を与えるって事じゃねえの?」
「そう。ディエムと呼ばれるエネルギーを貯めて取り出す手助けをする装置によって、それは達成されたんだ」
「ちょっと待って、父さん。だとすると今回の一件で父さんも母さんも死なないという事で過去に干渉が行われた。そのエネルギーはディエムに蓄積していって最終的にどこに行くの?」
「僕の体に決まっているじゃないか。僕こそがナインライブズだったんだから」
「でも父さんの体にはアーナトスリが何回も蓄積させた膨大なエネルギーが――
「そんな事、誰も言ってないよ。確かにアーナトスリは何度もエネルギーを蓄積させていったけど、その取り出し方なんて誰にもわからないし、ましてや僕の中に発生するなんて何の脈絡もないさ。その点でアーナトスリは正しかった。『ナインライブズなんて発現しない。リンなどインチキだ』ってね」
「でも実際にナインライブズは発現した?」
「それこそがエニクの発見だよ。僕の過去に干渉して、時間の輪の中でディエムにエネルギーを溜め、ディエムから僕の体にエネルギーを移していくメカニズムを構築したんだ。つまりナインライブズは今回の一件とディエムの設置がなければ発生しないというのが僕の出した結論さ」
「でも本当に時間からエネルギーが発生するのかな?」
「僕たちでは時間を制御できないから何とも言えないけどね。でもこういう事じゃないかと予想してる。現代から過去にほんの少しだけ干渉する事によって、未来がどう変わるか。一見、何も変わらない毎日のようだけど、実は元通りじゃないんだ」
「親父、ちんぷんかんぷんだぜ」
「例えばファッション、ミニスカートが流行り、そこから何十年か毎に再びミニスカートブームが訪れるけど、その新たなブームは実は最初のものとは似ているようで似ていない。完全に同じものが現れるのではなく、螺旋状に進化したものが登場する。これが時間に干渉する事によって発生するエネルギーなんだ」
「螺旋状に繰り返される世界?」
「推測でしかないけどね。Spiral Worldと言えばいいのか、Helical Worldと言うべきなのか――」
「父さんの言っている事がわかる気がするよ。だってあの時、記念館にはなかった私とコクの写真が今私の手元にはある。この写真を記念館に納めたら、最早全ての出来事が変わってしまうんじゃないかな」
「ははは、ハク。それは又めんどくさい物を手に入れたね。エニク泣かせだ。さて、そろそろこっちのリンを部屋に戻そう」
「こいつが上手く状況を説明できるかな――あ、悪い。親父だった」
「……うん、中原さんに動いてもらおうか」
リンたち三人は子供のリンを部屋に寝かせ、ロビーに降りた。
ロビーの時計はすでに夕刻を示していて、安堵した表情の中原が、制服姿の警官やホテルの従業員の間を忙しく歩き回り、頭を下げていた。
「お袋の件は片付いたみたいだな」
「だといいね」
「含みのある言い方しやがって。で、どうするんだ?」
「お前たちじゃ、まっとうな人間には見えない。僕が行こう」
リンは礼を言って回る中原の一瞬の隙をついて近付いた。
「中原さん、お耳に入れておきたい事がありますので、こちらまで」
リンは中原をハクやコクのいるロビーの端に連れていった。
「実は私たちは今回の一件を秘密裏に調査している者です」
「私服警官の方ですか?」
「そんな所です。一つお伺いしますが、昨日万博会場で旧知の人間を見かけましたね?」
「……旧知ですか。確かにあれは文月様だったような気がいたします。あちらはお気付きにならなかったようですが」
「その文月源蔵氏のご子息、凛太郎君が沙耶香さんと同時刻に行方不明になったのです」
「えっ、真ですか?」
「幸いにして沙耶香さんが戻られたのと時を同じくして凛太郎君も無事戻りましたが――」
「が?」
「沙耶香さんと凛太郎君が助かった代わりに、文月源蔵氏が行方知れずとなっています」
「それは大変な事態です」
「この事はここにいる私たちしか知りません。凛太郎君はこのホテルの部屋で眠っていますが、やがて目覚め、父親がいない事に気付くでしょう。その時に彼が自分の事を上手く説明できればいいのですが、そうでない場合、中原さんにお手伝いして頂きたいのです」
「それは結構ですが、そのような大事でしたら直接、あなた方が然るべき筋にご報告なさった方がよろしいのではありませんか?」
「わかって下さい。私たちは表に顔が出す事ができないのです」
「……かしこまりました。文月様のご子息の件は私が責任を持ちましょう」
「助かります」
「それにしましても、文月様が行方不明になられたとはどういう状況でしょう?」
「沙耶香さんと凛太郎君は帰ってこられないほど遠くの場所に行ってしまわれた。彼らをこちらに連れ戻す代わりに、文月源蔵氏が自ら身代わりとなった、そんな所です」
「……何という事だ。大都様のみならず文月様までそのような目に」
「では、よろしくお願いいたします」
中原はホテルを出ていく不思議な三人の男を見送った。
自分にできる事、それは文月源蔵様の部屋番号を調べ、一刻も早く捜索依頼を出す事だった。
文月様の息子、これからは片時も忘れないようにしよう。
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