9.8. Story 2 狂騒の夏

3 失踪

 結局、コクが一足先にパビリオンを後にした沙耶香と中原に付いていった。
 ハクはリンと源蔵から距離を置いて、二人がパビリオンを出るのを見守った。
 出口の所で、係員が何か話しかけ、二人は出口の所に飾られた写真に見入っていたが、やがて源蔵が財布から札を取り出し、写真を買い取ってから出ていった。

 少し間を置いてからは苦が出口に向かうと、やはり係員が話しかけてきた。
「記念写真撮れてますよ。一枚たったの500円」
 ハクが出口に飾られた数枚の写真を見ると確かにそこにはハクとコクが並んで入場する瞬間の写真があった。
「じゃあ頂きます」
 ハクはパビリオンの名前の入った封筒から四つ切の写真を取り出し、まじまじと眺めた。

 自分たちの写真もあったとは。これも記念館に行くのだろうか。妙な話だ。 

 
 沙耶香と中原はその後、幾つかのパビリオンを見た後、帰路に着き、梅田で電車を降りて、駅前のHホテルに入っていった。
 ロビーで何食わぬ顔で新聞を読むコクの前をチェックインを済ませた二人が通り過ぎた。どうやらホテル内のレストランで夕食を取るようだった。
 親父たちはどこに宿泊するんだろう、きっと同じこのホテルに違いない、そして間違いなく事件が起こる。コクはそう確信し、ハクに音声だけのヴィジョンを入れた。

 
 ハクは少し距離を置いてリンと源蔵を見守っていた。
 沙耶香たちはすでに梅田のHホテルにチェックインしたとの連絡がコクからあった。
 この親子も同じホテルだろうが、一体いつになれば帰るのだろう。
 リンのテンションは凄まじく、「ガスパビリオン」や「日本館」といった人気パビリオンだけでなく、「アブダビ館」や「ケベック館」といった子供があまり行かないようなパビリオンまで見て回った。
 さすがに源蔵が疲れた表情を見せ、リンに腕時計を示しながら何かを伝えているのが見えた。
 やっと帰るようだ、ハクは少し安心して、駅に向かう二人を距離を取りながら追った。

 二人が降りたのは梅田だったが、夕食を外で食べるようだった。ハクは気付かれぬよう会話が聞こえる距離まで近寄った。
「せっかく大阪に来たんだ。本場のお好み焼きを食べてからホテルに行こう」
「やったー」

 
 ハクは近所のお好み焼き屋まで付いていき、周囲に怪しい人物がいないのを確認してから自分も店に入った。
 自分が空腹なのもあったし、コクにおみやげを買っていくつもりだった。
 店内に入ってぎょっとした。テーブル席かと思ったが、コの字型のカウンタに並んで座る形式で、しかも空いている席がリンたちの隣しかなかった。
 ままよ、ハクは親子の右隣に座り、焼きそばとおみやげ用のスジコンのネギ焼きを注文した。

 右隣のリンがこちらをちらちらと見ているのがわかった。やがてリンは源蔵に耳打ちをした。
 どうにも居心地が悪かった。ハクは思い切って相手の懐に飛び込む事にした。
「ねえ、坊や。私の顔に何か付いているかい?」
 いきなり話しかけられたリンはびっくりした表情になり、源蔵の顔を窺ったが、源蔵が咎める素振りを見せなかったので、安心してにこにこと笑った。
「うん、お兄さん。万博にいたでしょ?」
 しまった、ばれていたか。ハクは一瞬ためらったが開き直る事にした。
「ああ、よくわかったね」
「だって目立つもん。父さんはフォーク歌手じゃないかって言ってたよ」
「いや、よく間違えられるけど違うんだ」
「何だ、そうなの――ねえ、今日は何館に行った?」
 まさか、ずっと後を付けていたとは言えなかった。
「えーと、日本館とEC館とOECD館と……」

「リン。いい加減にしなさい」
 源蔵がリンの頭越しに声をかけてきた。
「どうもすみません。この子はすっかり興奮してしまったようで」
「いえ、お気になさらないで下さい。そうだよな、坊や、お父さんとお出かけできて嬉しいよな」
 源蔵が何かを言おうとしたが、二人の前に熱々のお好み焼きが運ばれ、会話はそれきりとなった。
 ハクも少し遅れて出てきた自分の焼きそばを急いで頬張り、おみやげを受け取ると挨拶もそこそこに店を後にした。

 急いで食べたせいで口の中をやけどしたようだ、ハクが店から少し離れた場所で待っていると、リン親子が店から出てきた。
 これ以上、ヘタな真似をするとぶち壊しだった。子供とはいえ相手はケイジの下で修業しているリンだ。ハクは慎重に親子の後を付けた。

 
 梅田に戻った親子はまっすぐにHホテルに向かった。
 やはりそうか。父だけでなく母も何かに巻き込まれる可能性が高くなった。
 ハクはロビーで居眠りをしているコクの下に急いだ。

「コク、やはり父さんもこのホテルだ」
「ずいぶん遅かったじゃねえか」
「うん、二人の夕食に付き合っててね。はい、おみやげ」
「おっ、嬉しいねえ――って、お前、まさか同じ店に行ったのか?」
 ハクはリンに話しかけられた事をコクに告げた。
「間抜けだなあ。茶々が聞いたら大笑いするぞ」
「ああ、肝を冷やしたよ。だが母さんも同じホテルという事は見守る側にとっては都合がいいな」
「まあな、お袋はおしとやかだからそんなに出歩かないだろうが、親父はな――ほら、見ろよ」
 コクが示す先にはホテルの寝巻のままでエレベータを降りてロビーをふらふらとうろつくリンの姿があった。

「しょうがない人、いや子供か。自分よりも年下の父さんと話すのは変な感じだったよ」
「お前もしょうがないって――それよりよ、俺たちもいつまでもここにいちゃ怪しまれる。どうする?」
「……私に考えがある。コクは腹ごしらえしていてくれ」
 ハクはそう言ってフロントに向かい、しばらくして戻ってきた。
「チェックインした。これでこちらもゲストだ。無下には扱われないさ」
「オーケー。親父の部屋とお袋の部屋の番号はわかってる。交替で見回ろうぜ」

 
 翌朝、ハクとコクは早起きしてロビーでリン親子、沙耶香と中原が現れるのを待った。
「さて、どっちが先に姿を現すかな」
「それは母さんさ。中原さんは几帳面そうだし」

 ハクの予想通り、エレベータの扉が開いて姿を現したのは中原だった。中原は髪も撫で付けず、慌てた様子でフロントに駆け寄った。
「何かあったのかな」
「お袋はガキの頃、病弱だったらしいから、熱中症にでもなったんじゃねえか」
「――ちょっと聞いてくる」

 ハクはチェックアウトの振りをしてフロントで絶望的な表情を見せる中原の背後に立ち、様子を窺った。
「ただ今、館内をお調べ致しますので、もうしばらくお待ち下さい」とフロント係が丁寧な口調で中原に言った。
「お願いします。お嬢様は勝手に外に出ていくような方ではございませんし、昨夜から少し熱を出されております。必ず館内のどこかにいるはずですので――私はロビーで待機致します」
 用件を終え、振り向いた中原とハクの目が合った。中原は目礼をして、静かにフロントを離れた。

 
「今の方、何かあったんですか。大分慌ててらしたけど」とハクはフロント係に尋ねた。
「いえ、お連れ様が館内で迷子になられたようで。何しろ、このホテルは駅と直結しておりますので、慣れないお客様ですと誤って外に出てしまうケースが稀にございます」
「それは大変ですねえ」
「――お客様のご用件は?」
「あ、連泊は可能でしょうか?」

 
 ハクはコクの下に戻った。
「母さんがいなくなったらしい。ほら、中原さんがあそこで連絡を待ってる」
 ハクの示す先にはぴんと背を伸ばしてロビーの椅子に腰かける中原の姿があったが、焦燥の様子は隠せなかった。
「お袋はぽーっとしてる所があるからなあ。でも俺たちゃ早朝からここにいて、お袋が出てったのは見ちゃいない。館内のどっかにいるだろ」
「ならいいが」
「まあ、これで親父も迷子、とかの事態になれば、話は別だけどな」

 客室を繋ぐエレベータが降りてきて、チンと音が鳴り、スーツ姿に水筒を肩からぶら下げた源蔵が現れた。

 

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 Story 3 終わりのない坂道

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