9.8. Story 2 狂騒の夏

2 見えない敵

 翌朝の新幹線で新大阪に向かった。
 初めての父との旅行、初めての新幹線、リンは満席の自由席車両に座りながら、にやにや笑いを隠せなかった。
「どうした、リン。眠らなくていいのか?」
 隣の座席で読書をしていた源蔵が尋ねた。
「うん、大丈夫」
「しかし、こうやってお前と遠出するのは初めてだな」
「えっ、昔、どこかのお山から一緒に下りたよ」
「あれは引越しだ」
「なあんだ」

 
 源蔵親子の様子を車両の連結器部分に立って観察している二人の人物がいた。
「しかし本当に1970年に来るとは思わなかったぜ」
 長い黒髪を後ろで束ねたコクがぼそりと言った。
「しかも当時の紙幣や入場券まで持たせてくれるとは、念が入っているな」
 金髪を隠すように野球帽を目深にかぶったハクが答えた。
「今の所、怪しい人物が付きまとっている形跡はないな」
「ああ、俺たちが一番怪しい――それにしても親父の楽しそうな顔、見てみろよ」
「父さんにもあんな時代があったんだ。狙っている奴って誰だろう?」
「さあな。長い間、この国に巣食ってる例の奴らじゃねえか」
「将来、父さんや私たちが邪魔になると思い、1970年に遡ってその根を断つという訳か。そうなると創造主と結託しているという事にならないか?」
「わからねえ事だらけだよ。親父が死んじまったら、俺たちはどうなるのか、いや、銀河はどうなるのか――色々とぶっこみ過ぎだな」
「父さんが言うように、全ての勝負が予定調和の上に成り立っているのであれば、父さんは死にはしない。そして過去に起こった事の原因がはっきりする――リチャードの時のようにね」

「あっ」
「どうした、コク」
「いや、途中まで出かかったんだが、思い出せねえ。すまないな」
「まあ、もうしばらく様子を見ようよ」

 
 リン親子は新大阪で地下鉄に乗り換え、万国博中央口という長ったらしい名前の駅で降り、入場した。
「さて、リン。何を観たい?」
 源蔵が地図を片手に尋ねた。
「月の石!」
「アメリカ館か。きっと物凄く混んでいるぞ。まずはお祭り広場を見て、それからアメリカ館の方に行こう」

 
 ハクとコクはリンたちを見失わないように必死で後に付いた。
「すごい人だな」
「だってよ、大人800円だぞ。こんなに安くちゃあ、皆、来るって」
「おい、おい。1970年の800円と言えばきっとそこそこ高いぞ。さっき駅でタクシーの初乗りを見たら130円だったから、5倍程度の価値はあるんじゃないか」
「なるほどな――それより周りの人間の俺たちを見る目がおかしくないか?」
「誰かと勘違いしているようだな」
「『フォークグループの何とかじゃない?』とか言ってるぞ」
「仕方ないさ。コクがそんな長髪だから」
「だったら、いっそこうしちまおうぜ」
 コクは言うなり、ハクの野球帽を取り上げた。流れるような金髪が現れると、ちら見していた周囲の人間は一斉に感嘆の声を漏らした。
「なっ」
「ふざけている場合じゃないぞ。父さんを見失ったら一大事だ」
「大丈夫だよ」

 
「何だか行列の後の方がうるさいね」
「芸能人が来ているようだぞ。ああ、あの背の高い二人組だな」
 源蔵はなかなか動かない行列の中で背後を振り返り、必死に背伸びをした。伸びをするたびに源蔵の水筒が「からん」と音を立てた。
「今流行りのフォークシンガーだな。あんなに長髪で、一人なんか金髪に染めている。親御さんが見たら嘆かわしく思うだろうなあ」
「へえ、グループサウンズで金髪の人いたけど、フォークでもいるの?」
「さあ、私にはよくわからんな――リンは好きな芸能人はいるのか?」
「えー、別に」
「ピンキーとキラーズは?」
「もう流行ってないよ」
「ドリフターズは?」
「好きー。ゲバゲバも55号も」
「ははは、面白いもんな。うちの学生も好きみたいだよ。『何々の漫画が面白い』とか『ドラマはこれに限る』とか。日本は平和になった。『もはや戦後ではない』だな」
「父さんは戦争に行ったの?」
「いや、私の父さんは行ったが、私は今のリンくらいの年だったから、岩手の実家にいたよ」
「えっ、あの山の中?」
「山を下りた場所だが……リン、その頃の事を覚えているか?」
「ほとんど覚えてない」
「そうだよな――」
 源蔵は遠野での生活に至った奇妙な縁について改めて思いを巡らした――

 

【源蔵の回想:山に至る】

 『ネオポリス計画』の無残な蹉跌と盟友大都を失ったショックで、私は全てを捨てる決意をした。
 糸瀬が真由美さんと結婚するらしい事を静江さんから聞いた。
 静江さんを憎からず思っていたが、会ったのはそれっきりで、東京を去る事を一方的に告げて別れた。
 行くあてはなかった。ただ北の方であれば、自分の研究が少しは役に立つのではないかと思い、上野に向かった。
 駅の時刻表をぼんやり眺めながら、そう言えば故郷はどうなっているだろうと考えた。
 兄が文月の家を継いでいるはずだったが、十数年に渡って音信不通だった。
 まずは故郷に寄ってみよう、そう思い、盛岡までの切符を購入した。ちょうどダイアの大改正があった直後らしく、見知らぬ名前の急行や特急の名が幾つも並んでいたが、盛岡に早朝に着く「北斗」という名の寝台車を選んだ。

 
 まだ夜が明けきらぬ頃に盛岡に着き、実家のある遠野駅に着いたのは昼前だった。記憶を頼りにバスに乗り、実家に最寄りのバス停で降りた。
 驚いた事に実家と細々と耕していた家の前の田畑がなくなっていた。隣家の表札を調べると確かに覚えのある名字だった。
 源蔵は隣家の婦人を捕まえて尋ねた。婦人は年を取っていたが、源蔵が子供の頃に記憶していた特徴はそのままだった。
「ご無沙汰しております。私、文月源蔵ですが、あの、隣の兄夫婦はどこかに引っ越したのでしょうか?」
 その時の婦人の表情、不審者を見るような顔で、「あんたは誰だ?」と答えたのは今でも忘れられない。
 渋る婦人を引き止め、幾つか会話をした所、「文月という家は存在していない」、「隣はずいぶんと前から空き地だった」という答えが得られた。

 私は再び途方に暮れた。いよいよ戻るべき場所も失くしてしまったのだ。
 まだ日は高かった。私は急いで市街に引き返し、役場に駆け込んだ。
 戸籍謄本を取ろうとしたが、そこである事を思い出した。
 『ネオポリス計画』のためN区に缶詰にされた時に本籍地を移したと舎監が言っていたような気がする。
 つまり私はもうここにはいない。兄の事を調べようとするならば委任状やら何やらが必要となってくる。
 役場はあきらめ、警察に向かい、何食わぬ顔で「文月さんの家」の場所を訪ねた。
 半ば予想していたが、「文月という家は存在しない」という答えが返ってきた。

 一体何が起こったのか。自分はおかしくなってしまったのか。
 それにしては隣家の婦人の印象は子供の頃に見たままだった。
 その婦人も含め、この地域が、行政が、文月家の存在を無かった事にしているのか。
 何のために?

 ただ一つ確実なのは、東京都N区の独身男性、文月源蔵は天涯孤独という事だった。
 兄夫婦の行方を探す気にもなれなかった。どこかに行ったのではなく、存在全てが消えたのだから、探しようがなかったし……大都の時と同じ感覚だった。兄夫婦は最早この世にいないのではないか、そんな無力感に襲われた。

 北の方で農業をやるつもりだったが、どうでもよくなった。どうする事もできない大きな力、何故、自分の周りにばかり降りかかるのだろう。
 このまま自分が消えれば、もうそんな思いをしなくて済むのかもしれない。

 
 気が付けば、いつの間にか町中を離れ、山に入っていた。
 子供の頃、いやというほど遊び回った景色なのに、何故か全く違って見えた。
 確か、この先に分かれ道があって、左を行けば沢に着き、右を選べば更に深い山に入るはずだった。
 ところがいくら進んでも分かれ道には出ず、どんどん山奥に向かっていた。
 迷ったか――それならそれで構わない。死んだ所で誰が悲しむ訳でもない。

 突然に目の前の色が変わった。冬仕度の終わった木々の灰色が、咲き乱れる花の鮮やかな色へと変わり、眼前の空間を染めていた。
 我が目を疑った。自分は死ぬのか。こんな季節を無視した花々が咲き乱れる非現実な景色を見るのは、まともではない。
 覚悟を決めて、花々が一番美しく見える場所で座り込んだ。

 どれくらい経っただろう、声をかけてきたのがシメノだった。彼女はまるでどこかのドアを開けるように自然に現れた。
「あなたもこの近くで育ったのだから、『山の人』の話くらいは聞いた事あるでしょ?」
「……まさか」
「世界が大きく動こうとしているとモミチハは言い残したわ。何年も前からその兆候はあった。あの冒険者とあなたの友達がやってきたし――」
「……友達……それは大都ですか?」
「でも残念だった」
「どうしてそんな事まで?」
「あたしたちは主だった人々については常に観察を続けている。あの冒険家と青年、そして文月源蔵、あなたよ」
「何を言われているのかよくわかりませんが……もし私を観察しているのでしたら、私の兄、文月銑太郎の行方もご存じではありませんか?」
「麓に暮らしていたお兄さんご夫婦ね。帰ったわ」
「えっ?」
「あなたがここに来るとなれば、もうここにいる必要はないもの」
「意味がわかりません。で、どこに行きましたか?」
「故郷、とでもいうのかしらね」
「嘘を言わないで下さい。兄の故郷はこの山の麓だし、義姉さんの実家だってすぐ近くだ」
「誰もここだなんて言ってないわ――さ、このままここで野垂れ死ぬか、あたしと一緒に来るか」

 
 私はシメノに言われるまま、もちろん彼女の名前は後で知ったのだが、山に入った。
 不思議な場所だった。まるで季節というものを無視した自然は、幼い頃から植物にばかり接してきた私の好奇心を大いに刺激した。
 私はそこでシメノとの間にリンを儲け、山の掟に従ってリンが三歳になった時に山を下りた。
 結局、兄夫婦がどこに行ったかはわからずじまいだったが、あの山での生活を経験すると、何もおかしな点などなかったように思えてしまうのが不思議だった――

 

 ――父さん、ねえ、父さん、聞いてる?」
「ああ、すまん。考え事をしていたよ。もう一度言ってくれるかな」
「『月の石』、あきらめようよ。どこか他のパビリオンにしよう」
「そうするか。散々待たされた挙句、石を見るのは三十秒だ、とニュースで言っていたしな」
 源蔵はそう言って園内の地図を開いた。
「……うん、ここがいい。リン、行くぞ」

 源蔵はリンの手を引いて、「すみません」と謝りながら必死の思いで行列を離れ、北の方に向かった。
 人の数がぐっと少なくなり、歩きやすかった。源蔵の水筒がかたかた鳴る音がリンには心地よく聞こえた。
「ここだ」
 そこはある産業界が中心になって出展しているパビリオンの一つだった。
「何なの?」
「ここは父さんの……友だちが設計の監修をしたんだ」
「かんしゅう?」
「まあ、コーチみたいなものかな」
「へー」

 
 人がまばらな館内は冷房がよく効いていて快適だった。
 吹き抜けの高い天井からぶら下がるその産業を表現した巨大オブジェをリンは驚愕の面持ちで見上げた。
「どうだ、リン」
「すごいねー」
「そうだなあ。父さんの友達は糸瀬っていうんだがな。これは奴のアイデアかなあ」

 訪れた人は皆、吹き抜けの屋根から垂れ下がる意味不明の巨大オブジェに足を止めるような設計となっていた。
 リンはオブジェを見上げる人たちを面白そうに見回した。
「あ、父さん。さっきの人たちもこっちに来てるよ」
「ん、ああ、本当だ。あの人たちもアメリカ館をあきらめた口か」
 源蔵は入口付近にいる黒髪と金髪の二人組の青年に気付いて言った。

 更にオブジェを見上げる人たちを見渡していると一人の男性と目が合った。
 この暑い中、スーツをきっちりと着こなした中年男性で、子供なのだろうか、女の子と一緒にいた。
 源蔵は慌てて視線をはずそうとしたが、男性の方は源蔵をじっと見つめたままだった。仕方なく視線をそらさずにいると、やがて男性は目で会釈をしてきたので、源蔵も会釈を返した。
 源蔵が男性の事を思い出そうとしている間に、男性は女の子の手を引いて出ていった。

「父さん、知ってる人?」
「あ、ああ。どこかで会ったはずだが、どこだったかな――

 
 入口付近にいたハクはこの様子を見ていた。
「お祖父ちゃんが挨拶しているぞ」
「知り合いでもいたのか」
 不審者がうろついていないか外を見ていたコクが振り向いた。

 二人の前を男性と小さな女の子が通り過ぎていった。
「この二人だ」
 ハクがコクの耳元で囁き、コクは二人連れを観察した。
「……、……おい、ハク。気が付かなかったのかよ」
「何をだ?」
「今の女の子……お袋じゃねえか?」
「そんなバカな。いや、待てよ」
 ハクは急いで館内のコンパニオンに駆け寄り、何事かを確認し、戻った。
「この建物の設計に糸瀬優が携わっているらしい」
「なるほどな。父親のこしらえたもんをわざわざ見に大阪まで来た訳か」
「そうなるとあの男性は執事の中原さんという事になるな」
「だな。糸瀬とは年恰好が違うし、それに何よりあのクズ男は血のつながってない娘を愛してなかったんだろ?」
「さあ、そこまではわからないよ」
「泣かせる話じゃねえか。健気な娘だよ――それよりも恐ろしい偶然だな?」
「全部創造主の仕組んだ事だろう。母さんにも注意を払っておいた方がいいな」
「ああ、嫌な予感がぷんぷんする」

 

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