9.5. Story 2 守護者

2 蘇る大樹

 ヴィゴーは大樹に張り付いたまま、父とランドスライドが去ったのを背中越しに確信した。
 代わりに父と話していた男が、何を言うでもなく見守ってくれているのがわかった。
 心細いが一人ではない、そう考えると少し気が楽になった。

 
 大樹を登る作業は苦行の連続だった。
 出っ張りや窪みを探りながらのろのろと進んだが、樹齢何千年も経った大樹の根元の方は横枝もなく、瘤も磨いたようにつるつるだったため、何度か滑り落ちそうになった。
 もう少し上までいけば横枝が伸びているのに、ヴィゴーは滑り落ちそうになる度に必死に体を支えながら思った。
 どこからか心地好い風が吹いてきた。
 きっと大樹が喜んでるんだ、ヴィゴーは元気を回復して樹の幹に取り組んだ。

 
 もう少しで手が届きそうな所に最初の横枝が見えた。
 がんばれ、ヴィゴーは必死に手を伸ばした。
 その時、体を支えていた足が滑り、ヴィゴーは危うく地上に落下しそうになった。
「危ない!」
 下で見守っていたキザリタバンが叫んだ。
「……少年よ。君も文月の人間であればこの苦境を乗り切れるはずだ」
 ヴィゴーは歯を食いしばって耐え、ついに横枝を掴んだ。
 よし、待ってておくれ。大樹。

 
 王宮に潜入した茶々とランドスライドは玉座の間を目指した。
 途中の廊下で兵士を引き連れた大男と小男が現れた。
「こっから先は――」
「進ませねえんだろ。邪魔だ」
「ドノス様の配下、ヌガロゴブとレグリ様を知らねえのか。死ねや!」
「荒っぽい奴らだ。ランドスライド、ここはオレに任せて先に行けよ」
「茶々、水臭い事を言うな――『ギズボアナ・ダームベーダ』!」
 ランドスライドの杖から光の帯が流れ出し、大男のヌガロゴブはもろくも消え去った。
「『大樹の杖』の力、思い知れ」
「すっげえな。じゃあオレも」
 茶々は兵士たちに囲まれているレグリに向かって突っ込んだ。たちまちに兵士たちは折り重なるように倒れ、茶々は一人残ったレグリの喉元に短刀を押し当てた。
「暗黒魔王であり、起源武王の末裔のオレを相手にしたのが悪かったな」
 茶々はためらいなく短刀を横に引き、レグリは言葉を発する間もなく、倒れた。

「あっけねえなあ」
「確かに私たちはここでの戦いに適しているかもしれないな」
「その分ドノスも手強いぜ」
「きっとそうだな。行こう」

 
 玉座の間に入った二人をドノスが待っていた。
「貴様……武王の血を継ぐ者だったな」
「戻ってくる事ねえのによ。次元の狭間でのんびり暮らしてりゃいいものを」
「ほざけ。かつて帝国の大帝は次元を漂流する間に力を増幅させたそうではないか。私も次元の狭間に追いやられた事によりパワーアップしたのだ」
「けっ、てめえなんぞに大都じいちゃんを引き合いに出して欲しかねえ――けど言われてみりゃあ、お前、太ったな」
「太ったのではないわ。最早、ミューテーションなどという石の力など使わなくても最強の身体を手に入れた――食らえ、デス・バウンス!」

 茶々とランドスライドの目の前の景色が逆さまになった。次の瞬間、二人は磨き上げた石の床に叩きつけられた。
「なるほど、これは強い」
 ランドスライドがのろのろと起き上がりながら言った。
「言ったろ」
 茶々も遅れて立ち上がった。

 
 横枝の伸びた部分に到達してからは、順調に上へ上へと登っていった。
 気が付けば王宮ははるか下に豆粒ほどの大きさで見えた。
 父さんもあそこで戦っている、早く樹を生き返らせないと。

 
 それは不思議な樹だった。《流浪の星》の『聖なる台地』と同様に空からは決して近付く事ができず、そのてっぺんを拝むためには、ただひたすらに樹を登っていくしかなかったが、そもそも三百メートル近くを登りおおせる人間など存在しなかった。
 そのため、樹の先端を見た者は今までおらず、そこがどのような様子なのかも知られていなかった。

 
 今、その先端にヴィゴーが到達しようとしていた。
 最後の横枝に足を置き、目一杯背伸びをして、先端部の縁を掴んだ。そのまま一気に力を込めて体を引き上げ、転がるようにして先端部に登りつめた。
 先端部は直径約二メートルの円形で、平らになっていた。

 
「さて、どこに植えればいいんだろう」
 その場で座り込んだヴィゴーはそこにいた先客に気が付かなかった。
(……ここに来た二人目の人間よ)
「わぁっ」
(怖がらなくてもよい。余はお主の先祖だ)
 ヴィゴーは男の声に我を取り戻した。
(余はカムナビ。お主の父はかつてドノスを倒したが、彼奴めは舞い戻り、再びお主の父が戦っている)
「父さんは強いから負けません」
(果たしてそうかな。今のドノスは強いぞ)
「でも――」
(お主はお主の為すべき事を為せ。さすれば勝機は自ずと開ける)

 
 茶々とランドスライドはドノスの攻撃に圧倒された。
「『ザカレ』の呪文で全精霊の防御を施しているので、ダメージを最小限に留めているが、いつまでも続かない。茶々、瘴気を使えないのか?」
「さっきから試してるけど、力を弱めらんねえんだよ。瘴気の塊みたいな奴なのにな」
「ははは、どうした」
 ドノスは勝ち誇ったように笑った。
「もっとも前回も私が勝っていた。夜叉王などという邪魔者さえ現れなければな。その夜叉王もいない。貴様らはここでなぶり殺しにあうんだよぉ」

 
「どこに若苗を植えればいいの?」
(今、道を示す)
 カムナビがそう言うと、平らな先端部の中心にぽっかりと穴が開いた。
(ここから飛び降り、再び地上にてその苗を植えるのだ。さすれば……)
「どうなるの?」
(新しき樹がこの都を再び照らす)
「じゃあ、この大樹は?」
(……早く行け。父親を救いたいだろう)
「あ、はい」

 
 ヴィゴーは覚悟を決めて開いた穴から飛び降りた。
 一通りの重力制御は心得ていたが、そんな事をしなくてもゆっくりと降りていくのがわかった。
 これは――樹の見守ってきた歴史。ぼくは今、その歴史を遡っている。色々な事があり、その度に樹は喜んだり、悲しんだりしてきた。
 そして地上に降りた時、その時が新たな歴史の始まりなんだ――

 
 足がゆっくりと地面を捉えるのがわかった。
 そこは樹の内部とは思えない広い野原だった。
 でも何かがおかしい。まるで生命の気配が感じられなかった。

(お主の思う場所に植えるのだ)
 ためらうヴィゴーの耳に、はるか上空からカムナビの声が響いた。
「はい」
 ヴィゴーは周囲を見回し、ここぞと思う場所に行き、手で土を掘り返した。ある程度掘り進んだ所で、背負っていた若苗の袋の紐をほどき、そっと地上に植え、土をかけた。
「さあ、これからお前は生まれ変わるんだよ」

 
 ヴィゴーが声をかけると、辺りは目を開けていられないほどのまばゆい光に包まれ、再び目を開けた時には、出発地点だった大樹の根元に立っていた。
「……これは何という……」
 キザリタバンが近寄ってきて感嘆の声を漏らした。
「まだです。ドノスが残ってます」
 ヴィゴーがそう言って空を見上げると、そこには甲冑を身に纏ったカムナビの姿があった。
(よくやった。では余は参るぞ。かつての大樹と共に全てを終わらせよう)

 
 王宮の中では茶々とランドスライドが追い込まれていた。
「おい、ランドスライド。今回ばかりはヤバイかもしれないな」
「ああ、ここまで強いとは思わなかった」
「けどよ。ただやられるんじゃ面白くねえ。リチャードみてえに見せ場を作らなきゃな」
「……茶々。早まるな」
「何をぶつぶつと言っておる。貴様らの命は最早、風前の灯。あがいたとて――

 
 王宮の中に突然、霧が立ち込め、ドノスは言葉を飲み込んだ。
「――何だ」
 霧の中から声が返ってきた。
「ドノス、創造主の失敗作よ。今度こそ全てを終わらせにきたぞ」
「……貴様は、カムナビ。そして、そして、大樹だな」
「長い間、恐れ続けたものがこうしてお主の前に姿を現した。年貢の納め時だ」
「ふはは、バカめ。大樹がこうして出てくる、それはつまり、この都が滅びる事を意味している。そんな根本的な事も忘れたか」
「残念だったな。すでに引継ぎは済ませた――フォグ・ツリーから生まれなかった哀れな男、せめて死ぬ時くらいはフォグ・ツリーに戻してやろう」
「な、嘘だ。長年に渡り、呪詛をかけ続け、貴様はすでに枯れかかっていた。今更、再生するはずがない」
「こちらも又、長年に渡り、葉を様々な場所に持っていき、新たな樹の成長の可能性を探っていたのだ。そして、こちらの準備が整ったその時に、お前が再び姿を現した。全てを終わらせるためにな」

「さては文月だな」
 ドノスは深い霧の中で叫んだ。
「《青の星》の樹を持ち込んだか。だが成長には何千年という時が必要なはずだ。わからん。わからんぞ」
「さあ、ドノス。共に旅立とうではないか」
「いやだ。いやだ……いやだぁ」

 ドノスの最期の叫び声が小さくなり、あれほど深かった霧が晴れていった。
 王宮にドノスの姿はなくなり、一陣の風が残った霧を完全に取り払った。

 
「茶々。ヴィゴーがやりおおせたようだな」
「ああ、自慢の息子だよ」

 

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