9.3. Story 2 サフィに代わる者

2 コロッセオ

二年の歳月

 くれないたちの尽力により、ホーケンスの中心部にコロッセオの建設が始まった。
 最初は半信半疑だった各種族も協力するようになり、建設に携わる者が増えていき、そのための宿舎ができ、食堂ができ、飲み屋ができ、やがて町らしきものが形成されていった。
 くれないたちは表には立たず、各種族の長の相談相手として日々を忙しく過ごした。

 
 こうしてあっという間に二年以上の時が過ぎ、いよいよ巨大なコロッセオが完成しようとしていた。
 コロッセオはくれないが視察で見た《獣の星》のものを参考にした。そこに各種族が趣向を凝らし、天井の数は少なく、陸に上がれない者のための水中に潜った観客席や日光に当たらないよう工夫された観客席などが設けられた。
 こけら落しの盛大なセレモニーの日程も決まり、世界の平和実現はすぐそこまで来ていた。

 
 くれないたちはホーケンスにできた酒場で落ち合った。
「どうした、くれない。何か気になる事でもあんのか?」
「うん。パパの言葉が引っかかって仕方ないんだ。『ランドスライドを呼びたかった』って言ってたじゃない?」
「言っていたな」とゼクトが答えた。「精霊の出番があるという意味か?」
「そうだよね。まだ出現してないけど、いつ出てくるんだろ」
「各自、注意しようや。精霊と結託して悪さをするような真似をする前にぶん殴って止める。まあ、その前にコロッセオを完成させちまえばいいんだ」

 
 コメッティーノは地底の王宮で地に潜る者の王、ネズィと会った。
 各種族の融和を目指す活動において、『地』は最大の問題だった。
 かつて持たざる者がホーケンスに攻め入った時に秘かに支援したのを咎められ、他の種族から爪弾きに遭って、著しく弱体化していた。

 コメッティーノが説得するというよりも、泣きついてきたというのが正しかった。
 王のネズィ自身は朴訥で温厚な人柄で、コメッティーノに尻を叩かれながらどうにかして種族の融和に乗り遅れまいと必死に努力をした。

 そのネズィが話しかけた。
「しかしこうして争いもなく四界が融和できるのもコメッティーノさんたちのおかげです」
「まだ油断しちゃいけねえや。精霊も出てこねえし――あんたの所には現れたか?」
「精霊……何の事でしょうか?」
「あんたが嘘をつかないのはよく知ってる。まだ出てきちゃいないようだな」

「今は何も起こらずにコロッセオが完成するのを待ち望むばかりです」
「そうだよな。最初、おれがここに来た時には驚いたよ。何しろ人がほとんどいやしねえ。歩いてんのは年寄りばっかりだ。こりゃあもう長くねえって思ったよ」
「そうですな。私が愚かだったために民を誤った道に導いてしまった。悔やんでも悔やみきれません」

「ホーケンスの戦いではあんたたちは後方支援だったんだろ?」
「ええ、ですからシャスリの所に比べれば被害は微々たるものでした」
「あっちは元々の数が多かったんだな」
「何千人も犠牲になりました。シャスリはその時に妻も子も失い、その哀しみは私の比ではなかったはずです」
「……ふーん、そんな事があったんだ」

 

落成式典

 数か月後のよく晴れた午後、コロッセオの落成式典が行われた。
 くれないが《獣の星》で仕入れてきた様々なアトラクションに満場の人々は大いに沸き、いよいよクライマックスが近付いた。

 くれないたちは観客席の後方でこの様子を眺めていた。
「精霊の件はくれないの思い過ごしだったのかしら」とジェニーが言った。
「うん、現れたけどこの様子を見て表には出てこなかったんだよ」
「そうだといいな」

「――少し風が出てきましたね」
 アナスタシアが空を見上げて言った。
「天気が持ってくれればいいな」
「あら、あそこの旗が風で飛びそう。あたくし、結び直してきますわ」
「自分も行こう」
 アナスタシアとゼクトが立ち上がると、くれないが言った。
「どうしたの。もうすぐ『四界の誓い』が始まるよ」
 アナスタシアがコロッセオを取り巻く何本もの融和の旗を指差しながら説明するとコメッティーノが言った。
「だったら皆でちゃっちゃっと片付けちまおうぜ。空中から観るのもおつなもんだ」

 
 誓いの儀式が始まった。
 コロッセオの四方の各出口からシャスリ、レパ、モスティ、ネズィがくれないたちが空で結び直している旗と同じ融和の旗を持って入場した。
 四人が中央に歩み寄り、立ち止まった。
 リハーサルの通りであれば、ここでシャスリが最初の一言を発するはずだったが、シャスリはちらっとだけ上空のくれないたちの方を見やり、満足そうに微笑んだ。
「どうしたんだろう。緊張してるのかな――

 
 くれないの言葉は一瞬にしてコロッセオを包んだ炎の音と吹き上げる熱風にかき消された。
 誕生日のケーキの上に蝋燭を立てすぎた時のように、四人の種族の代表と何万もの観衆を残したままのコロッセオは一つの塊となって燃え上がった。

「――いかん」
 水牙が剣を抜き、水流を発生させようとするのをコメッティーノが止めた。
「何故、止める?」
「人がこんな炎を作り出せると思うか。これは精霊の火に違いねえ。消す事なんてできない」
「……一体、誰が精霊を?」
「さあな」
「シャスリだ。きっとシャスリだ」
「くれない。そうと決まった訳じゃねえ。まずはこの業火が収まるのを待て」

 
 数時間続いた炎がようやく収まった。くれないたちが地上に降りると、測ったように雨がぽつりぽつりと降り出した。
 コロッセオは跡形もなく消え去っていた。コメッティーノの言った通り、特別な炎だったためか、何もかもがあまりにもきれいに焼け落ちていて、凄惨な雰囲気は伝わってこなかった。

「おい、見ろよ」とコメッティーノが声をかけた。「ここが火元だ」
 コロッセオがあった場所の中央付近だけは火勢が強くなかったのか、四人の指導者が折り重なるように横たわっていた。
「手をつないでいるな。皮肉なものだ」
 ゼクトの言葉が終わると、四人の人物が足音も立てず、くれないたちに近付いた。

 
「あんたたち、誰だ――いや、待てよ。精霊だな」
 コメッティーノはフードをすっぽりかぶり、顔形のはっきりしない人物たちに話しかけた。
「さすがは七武神、精霊とも付き合いが深いようだ。我らは風火地水の精霊。創造主ウムノイの力により、ウムナイの造り出した世界にきた」
「これは火の精霊の仕業か」
「言葉使いには気を付けてもらおう。我らは願いを叶えたまでだ」

「……シャスリなんだね」
 くれないが呻くような声で言った。
「他の者は何も欲さなかったが、あの男だけは全てを焼き尽くす業火を望んだ」
「そんなにも深い悲しみと恨みを抱いていたシャスリに、ボクは気付けなかった」
「くれない。自分を責めるのは止せ。誰がやっても同じだ。おれたちは所詮サフィにはなれねえって事さ」
「……」
 コメッティーノは空に向かって叫んだ。
「おい、リン。ご覧の通りだ。もう終わりだ――

 

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