目次
3 時空を断つ
むらさきは《魚の星》にいた。
先に到着したウルトマや王先生、黄龍たちが広大な海を探し回っているのが見えた。青龍、赤龍、白龍が何度も海に潜っては水面に姿を現すのを繰り返していた。
「王先生、見つかりましたか?」
むらさきが空中に漂う黄龍に問いかけた。
「んにゃ。まだじゃ」
「でしたら、これを」
むらさきは『聖なる槍』と『聖なる盾』を携えていた。
「それがないとだめかもしれんの。どれ、むらさき。声をかけてくれんか」
「ミズチ、出てきて下さい。リチャードが龍たちに立ち向かっております。あなたの力が必要なのです」
訴えに応えるように、むらさきの前方の海が渦巻き、そこから白銀に輝く青年の龍が顔を出した。
「やあ、むらさき」
「ミズチ、ご無沙汰ですね。元気そうで何よりです」
「おいらさあ、怖くなっちゃったんだよ。《祈りの星》で皆がナインライブズになった時に物凄く体が熱くなった。このまんまじゃあ、おいら、化け物になっちまう、そう思ってここに逃げ帰ってたんだ」
「ミズチらしいです。けれどもそんな呑気な事も言ってられません。あなたの背後をご覧なさい」
蛟は言われるままに振り返った。そこには龍の祖ウルトマ、黄龍、青龍、赤龍、白龍が神妙な表情で控えていた。
「ミズチ、わかるわね。龍の祖ウルトマを筆頭に黄龍、青龍、赤龍、白龍。完全なる龍の秩序には誰が欠けているかを」
「……ああ、呪いの龍グリュンカ、疫病の龍ゾゾ・ン・ジア、破壊の龍バトンデーグ、それに死の龍、黒龍」
「まだいるはずです」
「あ、ああ……完全なる龍」
「その通りです。それはあなた。今こそ、この槍と盾を携え、自らの名を高らかに名乗るのです」
むらさきは槍と盾を手渡した。蛟は器用に前脚でそれらを受け取るとしばらくの間、じっと考え込んだ。
「ああ……思い出したよ。おいらは《古の世界》で皆を救おうとした。そしてここで長い眠りについたんだ……おいらは、おいらの名は……」
蛟がゆっくりと槍と盾を空に向かってかざすと、その体はまばゆい光に包まれた。
光が収まると、そこには龍の顔をした戦士が立っていた。
「――余はディヴァイン。龍の秩序の頂点、完全なる龍だ」
ウルトマたちがディヴァインの下に集まり、ディヴァインは続けた。
「これより『龍の王国』に向かう」
前を行くリチャードの背中をコウは信じられない面持ちで見つめた。
おかしい。グリュンカとの戦いを終えて山を登ってきた時は歩くのもやっとだった、しかもゾゾ・ン・ジアから更に痛めつけられたはずなのに、あのしっかりとした足取りはどうしたんだ。
リチャードの言葉通りなら、実際のリチャードは瀕死の状態で、意志を持った鎧に操られているに過ぎないという事になる。
どこかで聞いたような話だった。馬鹿げている――
「どうなさいました?」
黙り込んだコウを見て順天が話しかけた。
「いや、何でもねえよ――それより、ムータン。初めての実戦の場はどうだ。父の姿を見て尊敬し直したか?」
「……怖い……」
「あぁん、怖いってか。そりゃあそうさ。おれは今でも戦う前には――」
「リチャードおじさんが。ねえ、リチャードおじさん、死なないよね?」
「あの人はおれたちの辿り着けない場所に行こうとしてる。もうどうこうする事はできないさ。だがそれがわかるなら、ムータン、お前は見込みありだ」
細い山道を塞ぐように黒っぽい塊が横たわっていた。
リチャードの姿を認めると、塊はゆっくりと動き出した。
全身が固い鱗で覆われ、サイのように大きな湾曲した角を持ったバトンデーグだった。
「ここまで来るとはな。誉めてやる」
「そんな事より、お前の血を浴びたいと鎧が言っている」
「ふん、浴びるのは貴様自身の血――これ以上の御託は無用だ。行くぞ」
バトンデーグは猛烈な勢いで山道を突進した。リチャードはひらりと避け、バトンデーグは後を歩いていたコウたちの手前で止まった。
バトンデーグはコウたちには見向きもせずに山道をまっすぐに登っていった。登りのせいか先ほどよりもスピードが若干落ちていたため、リチャードは空中に避け、バトンデーグの背中を剣で突き刺そうとした。
剣は鈍い音とともに弾かれ、リチャードは空中でバランスを崩しそうになった。
「この剣で貫けないものがあるとは驚いた。肉を切らせて骨を断つしかないか」
再びバトンデーグが下りの山道を突進してきた。リチャードは剣と盾を投げ捨て、湾曲した巨大な角を両手で正面から受け止めた。
「……弱き者にしてはなかなかやるな」
力比べとなった。バトンデーグは上からぐいぐいと角で押し、リチャードは両手で押し返した。
「妙だな。力が上手く入らぬ……だがこれならどうだ」
バトンデーグが頭を下げようとした。リチャードは角を持ったまま、相手の体を持ち上げようと試みたが、磨き上げられた角はつるりと滑り、力が入らなかった。
バトンデーグは顎が地面に着きそうになった瞬間、頭を思い切り突き上げた。
「ぐっ……」
ゆっくりと後を歩いていたコウたちがようやく追い付き、その場で立ちすくんだ。
順天がムータンを抱き寄せ、コウは大きく口を開けたまま、ぱくぱくと声にならない言葉を発した。
仁王立ちをするバトンデーグ、その角の先には胸を貫かれたリチャードが力なくぶら下がっていた。
「強い男だったがこのざまだ。次はお前たちか」
バトンデーグが頭を一振りするとリチャードの体は角から離れ、地面にどさりと落ちた。
バトンデーグは地面に落ちたリチャードを満足そうに眺めた後、視線を一瞬だけコウたちに移したが、又、すぐにリチャードを見た。
「何だと?」
リチャードがのろのろと動き出し、やがて立ち上がった。
「――お前の言った通りだ。自らの血で鎧を染めるとは思わなかった」
鎧はリチャードの鮮血で先ほどまでの灰褐色から深紅へと変わり、貫かれたはずの胸の穴は埋まろうとしていた。まるで鎧が呼吸しているようだった。
「貴様、何者だ?」
「さあな。それより言ったろう。お前の血がないと完成しないのだ」
「よかろう。今度こそ破壊する」
再びバトンデーグが突進した。リチャードは正面ではなく脇に回り、両腕でバトンデーグの角を抱え込んだ。
「……やはり力が入らぬ」
「この角がお前の逆鱗。そうだろ?」
リチャードはバトンデーグの角を捻じ切ろうと力をかけていった。
「ムータン、目を閉じていなさい」
順天がムータンを抱き寄せた。
「……が……あ……お」
リチャードはとうとうバトンデーグの角をもぎ取った。
角があった場所からはおびただしい量の黒い血が吹き出し、リチャードの体を染めていった。
「リチャード」
コウはリチャードに近寄る事ができず、小さく声をかけた。
「王先生との約束通り、三匹の龍を倒したぞ。これでおしまいか」
リチャードは空に向かって叫んだ。
周囲が一瞬にして闇に包まれ、気が付くと一人の戦士が立っていた。
リチャードの鎧は様々な血に染まり、赤黒く変色していたが、その男の鎧は漆黒だった。
「弱き者が龍を倒したか。だがやり過ぎたな。『ドラゴンキラー』の名誉と共に送ってやろう」
「順天、こいつは誰だ?」とコウが尋ねた。
「死の黒龍。黄龍とは異なるもう一つの秩序の頂点ですわ」
黒龍はそう答えた順天を見た。
「ウルトマの娘ではないか。面白い趣向だな」
「時代は動いているのです」
「確かに。久々に目覚めてみれば、持たざる者が栄華を極め、創造主になった者までいると聞く。妙な時代になったものだ。ドラゴンキラーが出現してもおかしくはない」
「で、リハビリは終わったのか?」
リチャードが茶化すと黒龍はリチャードに向き直った。
「貴殿は今や龍の力を身に付けようとしている。そのような分不相応な力を持った者はこの世界から消し去るのが道理。理解できるな」
「ああ、わかるよ。だが生きてこの世界をかき回す手もあるぞ」
「それにはこの黒龍を倒さないといけないが不可能だ。さて、永遠に次元の狭間を漂う漂流者となるがよい」
黒龍が剣を抜いたがリチャードは地面に落ちた剣も盾も拾う事なく、立っていた。
「無抵抗か。力の差をわきまえているな」
剣を振り上げるとその周囲に暗い闇が顔を覗かせた。
黒龍が剣を振り下ろすより一瞬早く白銀の光がリチャードを包み、黒い闇と交錯した。周囲の空気が激しく波打ち、立っている事ができなくなったコウたちは地面に伏せた。
剣を振り下ろした黒龍は剣を納め、叫んだ。
「ディヴァイン。何をする?」
黒龍の言葉に応じるかのように龍の顔の戦士、ディヴァインが姿を現した。
「お主の考える事と同じだ。あの男を飛ばした」
「相変わらず甘いな。あれがどれだけ危険か、わからぬでもあるまい」
「無論だ。だがあの男の命まで奪う必要はない。ここではない別の場所に飛ばし、鎧兜は別の時空に持っていった」
「別の時空だと?」
「今よりはるか過去」
「それに何の意味がある?」
「知らぬ。ただそれが歴史の必然であるという気がした――お主の眠っている間に世界は動いている」
「ふん、ここで生まれた鎧兜が過去に飛び、そして現在に至る歴史を紡ぐ訳だな。つまらぬ話ではないな」
「そうだ。そしてその歴史を紡いだ鎧兜はつい先日、ある者の体内に納まったばかりだ。つまり複製が幾つも生み出される事はないのだ」
「そんな事はどうでもいい。夢物語に過ぎぬと思っていた龍の血を啜り、生命を宿した鎧を見る事ができただけでも蘇った意味があった」
「――なかなか興味深い世界であろう」
「そうだぞ。黒龍」
いつの間にか人間の姿に変わった黄龍、青龍、赤龍、白龍も姿を現していた。
「のぉ、黒龍。わしらは《煙の星》と呼ばれる星で暮らしておる。お前も一緒に来んか?」
「せっかくの誘いだが断る。死んだ三龍の魂を弔いながら暮らしていこうと思う」
「残念じゃな」
「余も同じだ。これ以上、創造主の戯れには付き合いきれぬ」
ディヴァインが言った。
「そこにおるのはウルトマの娘だな。お主が弱き者に寄り添って生きているのであれば何の心配もあるまい――新たな龍の戦士も育っているようだしな」
ディヴァインに名指しされたムータンは頬を真っ赤にして頷いた。
別ウインドウが開きます |