目次
2 疫病と血
先に山道を進んだコウ親子は怪物の集団に遭遇した。その数は百匹近く、大きさは三十センチから一メートルほどだったが、目付きが悪く、不吉な雰囲気を漂わせていた。
「ゾゾ・ン・ジアの放った疫病を振りまく子龍です」
順天がコウに言った。
「よし、いっちょ暴れるか。順天、ムータンと安全な場所に退避してろ」
コウは棒を振るいながら、怪物の群れに向かった。怪物たちは噛み付こうと牙を向いたが、竜王棒を見た瞬間に態度を変え、たちまちにして逃げ腰になった。
コウはお構いなしに棒を振り回し、怪物たちを血祭に上げていった。
数を半分ほどに減らした所で子龍たちは山道を逃げ帰り出した。
「いよいよ、親玉のお出ましだな」
きーきー声でわめく子龍たちに囲まれながら一匹の異形の生き物が山を降りてきた。およそ龍という名には似つかわしくない、風船のようにまるまると太り、頭の付近からはうねうねと何本もの触覚が伸びたゾゾ・ン・ジアだった。
「可愛い子供をいじめたのはあんたね」
ゾゾ・ン・ジアは体と同じように気色の悪い声を発した。
「だったらどうした」
コウはゾゾ・ン・ジアの正面に立ち、棒を構えた。
「……コウ、待て」
背後からあえぐような声が響いた。
「リチャード……大丈夫か」
よろよろと山道を登ってくるリチャードは全身が装甲に包まれていたが、その色は赤く変色していた。
「そいつの相手は私だ」
「ふん、グリュンカも口ほどにもない。人間ごときに負けるとは――お望み通り、殺してやるわ」
ゾゾ・ン・ジアの号令に従い、先ほどコウを襲った子龍たちが一斉にリチャードに向かった。
「おっと、お前らの相手はおれだ」
コウはリチャードの前に立ち、再び棒を振るい始めた。
「リチャード、あの風船お化けは任せるぜ」
「ああ」
リチャードは肩で息をしながら、ゾゾ・ン・ジアに向き合った。鎧を通して全身に痛みが伝わり、叫び声を上げそうになるのを堪えるのに必死だった。
「ほほほ、そんな状態であたくしに勝てると思ってるの。容赦しないわよ」
ゾゾ・ン・ジアの頭の触手がリチャードを襲った。リチャードは剣と盾で攻撃を防いだが、反撃には移れなかった。
「ふん、いつまで避けられるものだか」
触手の一本が盾を持つ左手に巻き付いた。リチャードは右手の剣を振り上げようとしたが、呪いから来る痛みのせいで手を上げる事ができなかった。
その一瞬の隙を逃さず、他の触手もリチャードの体や足に巻き付いた。
「ぐっ……」
体に巻き付いた一本を除いて、他の触手がゾゾ・ン・ジアの頭にするすると戻っていった。
「おほほほ」
触手は信じられない力でリチャードの体を宙に持ち上げ、そのまま地面に叩きつけた。何度かその動作を繰り返してから、ぐったりしたリチャードを地面に放り出した。
「さあ、可愛い子たち。こいつを食べておしまい」
ゾゾ・ン・ジアの合図で、二十匹ほどにその数を減らしていた子龍たちが一斉にコウから離れた。
「あっ、この野郎。逃げるか」
振り向いたコウは動きを止めた。目の前ではハゲワシが屍肉をあさるように、倒れたリチャードの上に子龍たちが群がっていた。
「てめえら」
コウが頭の上で棒を振り回しながらリチャードに近付くと、微かな声が聞こえた。
「……コウ……来るな……呪いと疫病に冒されるぞ」
コウが途方に暮れていると、リチャードの体がもぞもぞと動いた。
次の瞬間、子龍たちが壮絶な叫び声を上げ、肉塊となり四方八方に飛び散った。
リチャードが立っていた。さっきまで赤褐色だった鎧兜が今度は濃い灰色に変色していた。
「……リチャード」
「大丈夫だ――さあ、ゾゾ・ン・ジア。決着を付けるぞ」
空中に漂っていたゾゾ・ン・ジアは呆然とした表情を見せ、やがて我に返った。
「……お望み通り、殺してやるわよ」
触手がリチャードに迫り、今度は左足に巻き付いた。
「ほほほ。今度は叩きつけないわ。こうしてやる」
触手は再びリチャードの体を持ち上げたが、今度はゾゾ・ン・ジア自身の体の方に近付けていった。
その風船のような体にほぼ体の半分はありそうな巨大な口がぱっくりと開き、鋭い牙が見えた。
「ほぉら、食べられたくないでしょ」
リチャードを宙吊りにしたまま、ゾゾ・ン・ジアは触手を振り子のようにスイングさせた。最初の数回はゾゾ・ン・ジアの巨大な口ぎりぎりまで近付いて留まっていたが、とうとう大きなスイングが始まった。
「おほほほほ」
勝ち誇ったゾゾ・ン・ジアの口にリチャードが飛び込みそうになる寸前、リチャードが動いた。
左手の盾を思い切りゾゾ・ン・ジアの口に叩き付け、頭の中心にある一際太い触手目がけて切り上げた。
「これがお前の逆鱗だろ?」
ゾゾ・ン・ジアは地面にぼとりと落ち、断末魔の痙攣を繰り返した。
「……どこに……そんな力が……残って」
ゾゾ・ン・ジアが息絶えたのを確認したリチャードにコウが遠目から声をかけた。
「おい、リチャード。こいつの言ってた通りだ。あんなにへろへろだったのにどうしたんだよ」
「さあな、自分にもわからん。だがグリュンカの呪いの血、ゾゾ・ン・ジアの疫病の血をしこたま浴びた事により、鎧兜が自分の意志を持ち始めたようだ」
「えっ?」
「さあ、行くぞ。お前は十分戦ってくれた。後は家族を守りつつ、安全第一で付いて来い」