目次
2 アイシャの帰還
バスキアとの対話
マリスたち三人は砂漠からヴァニティポリスの街に戻った。
「思わぬ父子の対面で時間を食ってしまった。そろそろ戻らないと」
ハクが言った。
「ところであのエニクという人が言っていた件だが」
「アイシャの事?」
「ああ、私一人でどこまでできるかわからないがキルフの様子を見て――」
ハクの言葉の途中でマリスにヴィジョンが入った。見覚えのない名前だった。
「……バスキア?」
「アイシャの父さんだ。マリス、私もジョインしよう」
空間に顎髭をたくわえた精悍な男の姿が映った。
「おや、ハクもいたか。マリス君、私はアイシャの父、バスキア・ローンだ。君とは一度会っているな――おや、もう一人の青年も確かどこかで会っているな」
「デプイですよ」
「ああ、『聖なる台地』の。山を降りたのだね」
「マリスが現れたんで使命を終えたんだよ。もうこれからは普通の山になるんだって」
「そうか。時代は流れたな」
「バスキアさん」
マリスが声をかけた。
「もしかするとムシカで?」
「ああ、あの時、私はアイシャを連れてムシカに向かった。実はあの少し前にミネルバに呼ばれてね」
「覚えてますよ、バスキアさん」
ハクが口を挟んだ。
「ちょうど私がお会いした時ですよね」
「そうだ。ハク君に会った後で私はキルフに赴き、彼女から重要な話を聞いた――
【バスキアの回想:ミネルバの用件】
あの日、私は今と同じようにここ、グシュタインの屋敷の二階の書斎からミネルバの下に向かった。
以前はデズモンドが空間を見つけてくれたのだが、自力ですぐに見つけ出す事ができた。
空間に入り、昔と同じように誰もいない世界に着いた。ただ前回と違っていたのは町中の至る所にジェリー・ムーヴァーがいた事だった。
余談だが、かつて茶々たちが暗黒魔王を封じ込めたジェリー・ムーヴァーの話をしておこう。
何という生命力だろう、ジェリー・ムーヴァーは暗黒魔王を吐き出した後も全くピンピンしていた。
私はジャウビター山にジェリー・ムーヴァーを逃がしたが、彼らは順調に自己増殖を続け、今ではエリオレアルの観光の目玉となっているそうだ。
本題に戻ろう。私はアラリアの生き残りの婦人がいた教会に向かった。そこには予想通りミネルバがいた。彼女に会うのは成人してから初めての事だった。
「やあ、久しぶりだね」
私が声をかけると彼女はにこりと微笑んだ。
「バスキア、すっかり立派な大人になったわね」
「ようやくね。君が言った通り、アラリアの戦士は晩生で目覚めが遅いようだ」
「そんな事ないでしょ。デズモンド・ピアナの冒険に同行し、七武神ゼクト・ファンデザンデの道を切り開き、今はリン文月の子たちを助け、ナインライブズの発現に大きな尽力をしている。凄い事だわ」
「よく知ってるね。そういう君だって七武神ランドスライドの母じゃないか」
「……そうね。アラリアと精霊のハーフ。皮肉なものだわ」
「どういう意味だい?」
「あなたならわかるでしょ。アラリアの戦士は精霊を支配してその力を行使する」
「ああ、その通りだよ。彼は適任じゃないか。半分精霊の血が流れているのだから、いちいち行使の呪文手続きを踏む必要がない」
「あの子は今、悩んでいるはずだわ。強力な精霊と戦うためには自らの身を危険に晒さないといけないから」
「……もしや『ザカレ』の呪文を唱えるつもりか」
「そう。父なる大気、母なる大地に返さないと勝ち目のない相手。でも『ザカレ』を唱えれば自分の中の精霊の部分も消滅するのではないかと」
「彼の半分が失われ、私と同じ純粋なアラリアの戦士となるのか」
「GMMから引き継いだ力もあるし。それを失う可能性を考えると決心がつかないのでしょうね」
「いや、GMMは純粋な人間だったから心配ないだろう」
「――ねえ、お願いがあるんだけど」
「ん、何だい?」
「今の話、あなたや私のようにアラリアとして立派に生きていける事を息子に伝えてほしいの」
「……《虚栄の星》に行く予定はなかったんだが、わかった。どうにかして伝えよう」
「ありがとう、バスキア」
「私を呼び付けた用件はこれだったのかい?」
「ううん、ここからが本題よ。さっきGMMの話をしたけど、彼やあなた、それにデズモンドは次の世代の種を蒔く人たちだった。でもデズモンドとあなたはまだその役目を続けなければならない」
「どういう意味だい。さっき、文月の兄妹たちを助けていると言っていたが、その事かい?」
「ううん。さらに次の世代よ。文月は文月なんだけど、あの九人の兄妹の下にマリスっていう奇妙な運命を背負った子がいるの」
「マリス……聞いた事がないな」
「そうでしょうね。二十年前にリン文月が引き取ろうとした子だから」
「ミネルヴァ、おかしいぞ。二十年前なら子ではなくて立派な大人だ」
「ところがまだ子供なのよ。幼い時に一度、『死者の国』に行って、最近、戻ってきたの」
「極めて興味深いが。『死者の国』を越えたという文月のお嬢さんが関係しているのかな。だがその話には疑問が残る。『死者の国』に行った魂は浄化されるため、前世の記憶はなく、まっさらな記憶で転生されるのではなかったか」
「それが前世の記憶を持ったまま、最終的には石の力で蘇ったのよ」
「石か。何でもありだな――で、そのマリス君がどうしたんだ?」
「ちょうどあなたの所のアイシャちゃんと同い年くらいなの」
「つまり?」
「こういう特殊な場所にいるとわかるの。マリスはこの先、銀河を変える。アイシャちゃんには彼のパートナーになってほしい、ううん、ならなきゃいけないの」
「それはまた唐突な話だが、君は今までに間違った事を言った試しはないからな。どこにいるんだろう、その少年は」
「普段は《青の星》で生活しているわ」
「セキ君のいる所だな。ここからも《魔王の星》からも遠いな」
「大丈夫よ。間もなく起こる銀河最大のイベント――」
「ナインライブズか?」
「私の勘に間違いなければマリスはムシカに来るわ。そこにアイシャちゃんを連れていって。それが私の用件よ」
「わざわざそのために……」
「言ったでしょ。ナインライブズ後の銀河の方向性を決める大切な事なのよ」
「次世代の種か――だがマリス君は本当にムシカに来るだろうか?」
「頼りになるあなたの師匠がいるじゃない」
「デズモンドか。確かに彼なら何も伝えなくてもやってくれそうだ――わかった。来たるべき日にはアイシャを連れてムシカに行こう――
そうして私はアイシャと共にムシカに行き、同じようにデズモンドに手を引かれた君の姿を発見した。
私は娘にこう言った。
「アイシャ、よく見ておくんだぞ。あの少年こそがお前の運命の人になるマリスだ――さあ、あっちに行って、ミズチたちと遊んでおいで――
「あの時にそんな事があったんですね」
マリスが感慨深げに言うと空間の向こう側のバスキアが頷いた。
「君はデズモンドに何と言われたんだい?」
「『耐性持ちで暇なのがお前だけだから来い』と」
「あははは。デズモンドらしいな」
「デズモンドもわかっていたのでしょうか?」
「さあ、ただ長年、サフィの下にいた人間だ。大概の事は理解しているだろう」
「僕がこうやって銀河の覇王を目指すのを昔からわかっていた人たちがいた……何だか複雑な気分です」
「ミネルヴァの言葉通り、デズモンドや私は次世代の種を蒔く役目なんだよ」
「でもおかしくありませんか。その壮大な意志は誰のものですか。あの時、リンはまだ創造主ではなかったし、かつての創造主たちのものとも思えない。一体何に突き動かされたのでしょうか?」
「推測でしかないが、今やこの銀河を覆うサフィの構築した意識のネットワークではないかな。被創造物たる我々が自らの意志でこの銀河を動かそうとしているのだよ。そしてその先頭に立つ象徴が君だ」
「さっきまでかつての創造主、それからその指導者のような方に会っていたんです。彼らはどう考えているのでしょうね」
「ふむ。まだ何か色々とあるのかもしれないね。これからの君の戦いとは別の次元で、という意味だが」
「リン対創造主ですか?」
「私たちが案じてもどうなるものでもない。それよりも娘、アイシャをよろしく頼むよ。とんだじゃじゃ馬だが優しい所もある」
「わかっています――バスキアさんを義父さんと呼んでもいいですか?」
「ん、ああ。もちろんだよ。私も息子ができて嬉しい。では――」
「バスキアさん」
ヴィジョンを切ろうとしたバスキアにハクが声をかけた。
「いつインプリントしたのですか?」
「今回の一件で出発する前にエリオ・レアルでね」
「出発……とすると今いる場所は?」
バスキアの背後は本が積み重なる書斎のようだった。
「ああ、キルフの白い家ですね」
「その通り。グシュタインの屋敷からヴィジョンを送っている――マリス君、娘は間もなくそちらに着く」
「はい」
「もう一つ」
ハクが改めて質問をした。
「ではそちらの状況もご存じですね?」
「うむ。虫の知らせという奴かな。エリオ・レアルからここに駆け付け、ランドスライド君に出くわし、事情を聞いた。ランドスライド君はミネルバの世話をしながらあちらで暮らすそうだ」
「ミネルバさんはご無事だったのですか?」
「一命は取り留めた。ランドスライド君の力により空間も維持できているので、娘はお役御免になったという訳だよ」
偽りの記憶
「それにしては浮かない顔ですね」
「私もあちらに行き、話を聞いた。何が起きたかを訊ねた時に彼女は妙な事を口走ったんだ」
「妙な事?」
「彼女が言うには彼女を襲撃したのはグシュタインだったそうだ」
「えっ、でもグシュタインという人は?」
「ああ、死んだ。だが実際は私たちに死んだという偽りの記憶を植え付けただけで、まだ生きているらしい」
「何でそんな真似を?」
「さあ、わからないな。アラリアの人間たちが帰ると決まった時に、グシュタインだけでなく私とミネルバも残ると言ったのが誤算だったのかもしれない。それで死んだ事にして私たちの前から姿をくらました。私たちが真に覚醒し、彼を止めるのを警戒したのだろうね」
「ではグシュタインは今もどこかで?」
「なのでその手がかりを探しにこの屋敷にいるのだよ」
バスキアは背後にある無数の本が並ぶ書斎を振り返った。
「バスキアさん」
再びハクが尋ねた。
「その書斎の本の内容は全てご存じですか?」
「子供の頃にミネルバと嫌になるほど来たからね。もっとも図版ではなく活字のものは彼女が読み聞かせてくれたのがほとんどだったが」
「その中にミネルバさんにも内容が理解できなかったものがありませんでしたか?」
「ん、何を言い出すんだい――ああ、例えばこれがそうだ」
バスキアはそう言って背後の本棚から一冊のぶ厚い白い金属質の表紙をした本を取り出した。
「『ニーブの盟約』、今であれば私もアラリアの文字が読めるが、何が書いてあるかはちんぷんかんぷんだな――
真の宇宙の謎に迫るには、ニーブの盟約、すなわち評議会の最深部の先に進まないといけない――
「他にもありませんか?」
ハクに促され、バスキアは再び書斎の前に立ち、今度は青い表紙の本を手に戻った。
「これはどうかな。『二つの澱』、こんな内容だ――
ナインライブズ、銀河創造に伴う謂わば光の澱のみが注目を浴びているが、もう一つの闇の澱、生命の流転から零れ落ちたバクヘーリアも観察されるべきであろう――
「……バスキアさん」
ハクがしゃがれた声を出し、バスキアは驚いたような表情を見せた。
「何だい?」
「それですよ。同じ事を言う人間に会った事があります」
「本当かい?」
「私たちの前ではチオニの錬金学研究家、ム・バレロと名乗っていました」
「君が嘘を言う人間でないのは承知している。グシュタインはム・バレロと名を変えて生き延びているという事なのだな」
「バクヘーリアの研究のために?」
「うむ。研究を続けるために障害となる、まだ覚醒していなかったミネルバの知性と私の力を警戒した。そのために回りくどいやり方で私たちに死んだと思わせた」
「ム・バレロはチオニでケイジに斬られて死んだのですが」
「そう簡単には死なんだろう。だが何故、今になって彼女の前に姿を現したのだ」
「それはまさしく、娘さんがマリスと行動を共にしている事に関係しているのではありませんか?」
「そう考えるのが妥当だね。マリス君がこれから行おうとしている事を好しとしない勢力と結託しているのかもしれない」
「連邦ですか?」
「いや、それだけはない――ところでハク君、君の星では『根源たる混沌』運動なるものが起こっていないかい?」
「『根源たる混沌』……それはまさか」
「私のいるエリオ・レアルではずいぶんと勢力を伸ばしている。連邦だけではなくあらゆる秩序に与さないという思想の集団だ」
「ロアランドでもエル・ディエラ・コンヴァダでも聞いた事がありません」
「おそらく、この辺りに布教に訪れ、そのついでにミネルバの下に立ち寄ったのだろう」
「……マリスたち、それにランドスライドや私が走り回っているのを目撃したのか」
「そんな所だね。ただ本気ではなく、いたずらだ。ミネルバにとどめを刺そうと思えばできたのにそうはしなかった」
「……面倒くさい人間がマリスの前に立ちはだかりますね。連邦の頭の固い連中だけであれば、扱いは簡単だったのに」
「連邦を過小評価してはだめだよ。むしろマリスの勢力が一番脆弱だと思わないと」
「そうですね」
「もう一つの勢力とも折り合いをつけないといけないのがわかったのは収穫だ――マリス、心してかかるんだね」
「はい」
「では娘をよろしく頼むよ」
バスキアのヴィジョンは消えた。
「じゃあマリス、デプイ。私は行くよ」
ヴィジョンが消えるとハクが言った。
「ハク。今度はパブロにもゆっくりと会いたいな」
「是非そうしてくれ。なかなか面白い子供だよ」
「へえ、どんな風に?」
「時折、妙に達観というのか、何千年という時間のスパンで物事を考えている事があるんだ」
「将来が楽しみだね」
「そういう見方もあるが、親としては普通に育ってくれればいいんだ――まあ、無理な相談か」
「さあ、デプイ。僕たちもヴァニティポリスに戻ろう。アイシャも帰ってきている頃さ」
「いよいよ連邦と決着を付けるんだな」
「さあ、そうとんとん拍子に物事が進むかな?」
「そりゃあどういう意味だい。例の『根源たる混沌』の存在かい?」
「その前にリンと創造主の間で何かありそうな雰囲気だったじゃないか」
「そういえばそうだな」
「きっとそちらの決着が先だよ」
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