8.7. Story 2 休日

3 坂の上の店

「ねえ、セキ」
 ビーチハウスでのパーティから数週間が経ったある日、もえが声をかけた。
「お願いがあるんだけど」
「ん、何?」
 ヌエのブラッシングをしていたセキが顔を上げた。
「今度の日曜日、高校時代の友達とランチに行くんだけど、一緒に行かない?」
「えっ、でも僕が付いてったら向こうの人に迷惑だよ」
「えー、久しぶりにデートしたかったのに」
「途中まで一緒に行くよ。それでどこかで時間を潰してるから一緒に帰ろう」
「ぼくたちも行くぅ」
 いつからそこにいたのか、アウラとヒナが巨大なヌエの背中から顔を出して言った。
「わかったよ。ヌエも一緒に皆で行こう。で、場所は?」
「えーとね、神楽坂」
(……セキ、おれは行かないぞ。お前らだけで行ってこい)
「どうしたの、ヌエ。じゃあ留守番、頼むよ」

 
 もえと神楽坂の中程で別れ、セキは子供二人の手を引いて坂を上った。二人とも坂の下で買い与えた洋菓子屋のケーキが効いたのか、文句を言わずにセキにくっついてきていた。
 坂の上の交差点で信号を待っている時に、セキの視界の端に何かが映った。
「あれ、今の?」
「父さん、信号変わったよ」
「そうだ。アウラ、ヒナ。久しぶりに肩車してあげようか?」
「うん」
「ええ、あたしは恥ずかしいなあ」
「いいから、いいから」

 セキは有無を言わさず、二人の子に重力制御をかけると両肩にひょいと担ぎ上げ、そのまま走って交差点を横断した。
「父さん、速いよ」
「もうちょっとだから」
 子供たちを両肩に乗せたまま、一本目の路地を左に折れた。両側に小料理屋やスナックが並ぶ細い道は、どの店も営業前のようだった。
 セキは慎重に両側の店を一軒ずつ調べて回り、一軒の小料理屋の前で足を止めた。
「――きっとここだ」

 
 セキは店の扉をがらっと開け、中を覗いた。L字型の白木のカウンタにテーブル席が四席、それに小上がり風の個室があるまだ新しい店だった。
「すみませーん」
 セキは二人の子供の手を引いて中に入り、カウンタ越しに声をかけた。三回目に声をかける途中でばたばたという足音が聞こえた。
「はーい。ちょっと待って……あら、セキ?」
 現れたのは二十代後半に見える若い女性だった。髪をアップにし、化粧っ気がなかったが可愛らしい顔立ちをしていた。
「やっぱり……ばあちゃんだ」

 
「まあ、そこに座りなさいよ。子供たちはジュースでいいかしら」
 セキにばあちゃんと言われた若い女性はきびきびとした動きで冷蔵庫からジュースの瓶を二本取り出し、栓を抜いてコップに移した。
「はい、どうぞ。この子たちはあんたの子?」
「そうだよ。男の子がアウラで女の子がヒナ。もう小学三年になるよ」
「まあ、そうなの。あたしはシメノ。よろしくね」
 アウラとヒナは挨拶を返したが、アウラがセキの肘を突いた。

「ねえ、父さん。ばあちゃんって言ってなかった?」
「ああ、そうか。二人とも初めて会うんだよね。この人は僕の父さん、リンのお母さんだ。だから源蔵じいちゃんの奥さんだった人で、お前たちはひ孫って訳だよ」
「ええー、父さんの嘘つき」
 ヒナがムキになって言った。
「こんな若い人がひいおばあちゃんのはずないじゃない。だって見た目が母さんとほとんど変わらないよ」
「うーん、僕も最初は信じられなかったけど本当なんだよ。最初に会った時はもっと若く見えたんだから」
 セキは半分困ったような声を上げた。
「ほっほっほ。そう言われて悪い気はしないもんだね。アウラ、ヒナ。あたしがひいばあちゃんだって事、嘘だと思うんならヌエに聞いてごらん」
「ヌエは知ってたから、ここに来なかったのかな」
「誰にも教えちゃいないけどあの子は勘がいいからね」

 
「それより、ばあちゃん、ここで何してんの?」とセキが尋ねた。
「見ての通り。姉さんとこの店、小料理『遠野』をやってるのよ」
「えっ、コザサおばさんも一緒なの?」
「そうよ。今出かけてるけど」

 ちょうどタイミングよく扉ががらりと開き、コザサが帰ってきた。コザサはベージュのワンピースを着て、サングラスをかけていたが、三十路前にしか見えなかった。
「ただいま……あら、セキ……シメノ、連絡したの?」
「姉さん、違うのよ。たまたま見つかっちゃって」
「すごい嗅覚ね。この大都会であたしたちを探し出すなんて――ねえ、セキ、それより似合う?」
 コザサは自分のファッションをセキに見せつけるようにくるりと一回りした。
「……山で会った時とイメージ違うよね」
「洋服と和服と半々なんだけどね。今日は常連さんがオペラに招待して下さったから洋装なのよ」
「あのぉ――」
「東京は凄い所よね。刺激だらけで。シメノにももっと外に出ろって言ってるのよ」
「えーと――」
「でもおかげさまで店の方も看板娘が二人もいるせいか、流行っちゃってね。あたしたちの本当の年齢知ったら卒倒する――」
「ちょっと待って。ばあちゃんもコザサおばさんも。どうして山を下りたのか説明を聞いてないよ」
「あら、シメノ。何も言ってないの?」
 シメノは黙って頷き、コザサは店のカウンタをくぐった。
「着替えてから話してあげるわ」
 コザサはそう言ってから二階に続く階段をとんとんと駆け上がった。

 
 あらためて和服に着替えたコザサとシメノがカウンタに腰掛け、セキ、アウラとヒナがテーブルに着席した。
「見ての通りよ。あたしたちは山を下りて、ここで小料理屋をやってるの」
「うん、それはわかるけど、どうしてかを知りたいんだ」
「何言ってるの。あんたたちのせいじゃない。あんたたちが成し遂げた事を見て、自分たちに課せられた役割が終わりを告げたと悟ったの。もうこのまま山にいても何もない。だったら残りの人生は好きなように過ごそうって」
「何もない?」
「だってそうでしょ。あの外界から隔絶された山奥で千年以上に渡って目ぼしい男と契りながら血統を繋いできた。最初の頃は朝廷に弓を引く者だったけど、その性質はいつの間にかこの国を見守る者へと変容していったわ。そしてリンやあんたたちが現れて、この国だけじゃなくて、この宇宙を救う人間を輩出するために山を守り続けていたんだってのがはっきりしたの。これ以上、何があるっていうの?」
「うーん、同じような話、どこかで聞いた気がするなあ」
「和歌山の始宙摩でしょ。あそこももう役割を終えたって聞いたわ」

「全国の他の『奉ろわぬ者』も?」
「さあ、それぞれじゃない。あたしたちはあんたをこの世に遣わした。始宙摩はあんたたちのために道を示した。他の人間はそんな体験してないんだから」
「ここで面白おかしく生活するの?」
「いいじゃないの。東京には何でもある。あんたたち孫やひ孫にだって会えるんだし」
「怪しいな。だったら、もっと前に僕らに連絡するんじゃないの?」
「あんた。ぼーっとしてるようで鋭いね。でも深い意味はないんだよ。あたしたちはシャイでね。現にこの子たちはあたしたちみたいな異形の者をひいばあちゃんだって理解できてないだろ。そういうのが嫌なの」
「そんな事ないって。だって、むらさきの所のフォルメンテーラなんて生まれた次の日にしゃべったんだ。皆、そういうのには慣れっこだよ」
「そうかい。気を回し過ぎだったかねえ」
「そうだよ。皆で楽しくやろうよ。もえやコウや順天も喜ぶよ」
「ふぅ、あんたにゃ勝てないね。でも言ったようにあたしたちはシャイなんだ。この場所の存在を話すのは、今ここにいるあんたと子供たち、後はあんたの奥さんくらいまでにしといてくれると助かるんだけどね」
「えー、皆、喜ぶのに」
「ごめんよ。何しろ田舎者でね」

 
 その後しばらく世間話をし、セキはもえとの約束の時間が迫ったため、席を立った。
「セキ」とコザサが声をかけた。「デズモンドはこっちに帰ってきてるんだろ?」
「うん、この間もバーベキューをやった」
「特にあの男には何も言わないでおくれよ」
「どうして?」
「ほら、あの男は物書きだから」
「ああ、そういう事。わかった。もえ以外には誰にも言わないよ」
「そうしておくれ――アウラ、ヒナ。また父さんや母さんと一緒にババアの下に遊びに来ておくれよ」
「はーい」
「今度はヌエも一緒に来まーす」
「ああ、ヌエかい。懐かしいねえ。楽しみにしてるよ」

「ところでばあちゃん、僕が返した『鎮山の剣』は?」
「ああ、山に置いてあるよ。あそこがあの剣のあるべき場所だからね」
「ふーん。夏休みになったら皆で山に行ってみようかな」
「結界は残ってるけど誰も暮らしちゃあいないよ」
「ちょっと淋しいね」
「これも時代の宿命さ」

 
 セキたちが帰った後で、コザサとシメノが顔を見合わせた。
「どうもあの子は掴み所がないね」
「ええ、鋭いのか鈍いのかよくわからないわ」
「まあいいさ。いずれはばれる覚悟でやっていこう」
「そうね」

 

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 Chapter 8 台地の民

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