目次
2 サンタ
特別な日
「じゃあ、そろそろ見回りに行こうか」
サンタはそう言って立ち上がった。
「はい」
呼びかけに応えるように一人の金髪の青年も立ち上がった。
「渋谷もどんどん広がってる――シュウジ、あんた、どこかの地区を受け持たない?」
シュウジと呼ばれた金髪の青年は頬を赤らめながら答えた。
「いえ、自分なんか全然だめっす。サンタさんのサポートしかできませんよ」
「ふーん、今時の子にしちゃ珍しく控え目だね。ずいぶん腕が立つだろうに」
「買い被りっすよ」
「そうかしら。あんた、すばしっこいだけじゃなくて凄腕だと踏んでるけどね」
サンタは数か月前に『サンタ・クロス』に入会したこの金髪の青年を気に入っていた。
本人の言う通り、身のこなしが素早く、逃げ出そうとする不審者を誰よりも早く捕まえる事に長けていたが、むしろサンタが注目したのはその際の目配りだった。
(こいつの目は……美木村さんと同じ。人斬りの目だ)
シュウジの人となりが気になったサンタが色々と調べた所、シュウジは一年ほど前に六本木に流れてきたらしかった。
かつての六本木と言えば、ドリーム・フラワーがはびこる無秩序な街だったが、美木村と警視庁の蒲田チームの努力により、健全さを取り戻しつつあった。
シュウジは六本木でバーの使い走りなどをした後、数か月前に渋谷に現れてサンタの下を訪れたようだった。六本木に来る前の経歴ははっきりしなかった。
渋谷の街を一通り巡回し、センター街の入口に戻るとサンタが言った。
「今夜はもう一か所回りたいんだけど、あんたも一緒に行く?」
「まだどこか行くんですか?」
「そう。六本木」
「えっ、でも」
「何かまずいの?」
「いえ、でもあそこは美木村さんのシマじゃないすか。勝手に上り込んでいいんすか?」
「別に暴れる訳じゃないわよ――行くの行かないの?」
「行かせてもらいやす」
「ここは?」
シュウジが尋ねた。
「まだここの工事をしていた時に尊敬する先輩が亡くなったの。今日はその人の命日」
サンタは華やかな商業施設の前で立ち止まり、黙祷を捧げ、シュウジもそれに倣った。いつまでもその場を立ち去りがたそうにしているサンタを見て、シュウジが言った。
「サンタさん。おれ、飲み物買ってきます」
走り去るシュウジの後姿を、サンタは「優しい子だわ」と思いながら見送った。
気がつけば三十分以上そこに佇んでいただろうか、ビル風に吹きつけられ、サンタは突然、我に返った。
「あの子、どうしたのかしら。遅すぎるわ」
サンタは商業施設の中に入った。施設内を地下から上階までくまなく探したが、シュウジの姿はなかった。
サンタの足は商業施設を抜けた所にある公園に向かった。夜中の公園は人影もまばらで、無人のベンチが灯りに照らされていた。
ふと見ると、ベンチの上に石を重しにして書置きらしき紙の切れ端が乗っていた。
サンタは慎重にベンチに近付き、石の下の紙を手に取った。
「……シュウジ。美木村さんに迷惑はかけられないから、何とかしなくちゃ」
サンタは「シュウジを預かった」と書き殴られた紙に記された住所を目指して公園を乃木坂方面に抜けた。
古ぼけた雑居ビルがあった。
華やかな最先端のビルのある場所から少し離れただけなのに、この一角はエアポケットのように寂れていた。
サンタは人気のない雑居ビルに入って、暗闇の中、慎重に地下に続く階段を降りた。
地階の一つの部屋から灯りが漏れていた。
ゆっくりとドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなかった。
サンタは呼吸を整えてから、ドアノブを捻り、部屋に入った。
部屋に入った瞬間、部屋の電気が消え、何者かが外からドアを閉め、施錠した。
「しまった――シュウジ、無事かい?」
施錠されたドアの向こうから「しゅーっ」というガスのようなものが注入される音が聞こえた。
「《歌の星》の戦士をなめちゃいけない。毒耐性くらいは……」
突然に体の痺れを感じた。思うように体が動かなくなった。
「……シュウジ」
サンタは体の自由を失い、その場に倒れ込んだ。
目が覚めると、さっきとは違う真っ暗な部屋で椅子に縛られて座っているようだった。足先の感覚がなくなっていた。
「……腱を切られたか。『足波』は撃てないな」
部屋に誰かいる気配がした。
外からぼんやりと灯りが差し込み、部屋にいるのがシュウジとわかった。
「……シュウジ。無事だったんだね」
シュウジが立ち上がり、サンタに近づいた。その顔は青ざめ、引きつっていた。
「……おれは……シュウジじゃないっす」
「……そうなの。別にそんなのどうでもいいよ。無事だったんだから」
「あんた、まだ状況がわかってないみたいだ。おれの本当の名は刀二。あんたを仕留めるために近づいたんだよ」
「……そう。早くしなよ」
刀二は部屋の隅に立てかけていた日本刀を手に、サンタの下に戻った。
「……だったらお望み通り、膾切りにしてやるよ」
「……あんた、泣いてるの。やっぱりいい子だ」
「……黙れ!」
刀二の刃がサンタの胸を貫いた。
「……ぐっ」
「どうした……呪いの言葉でも吐いてみろよ」
「……無事で……よかったよ」
「黙れ、黙れ、黙れ……黙れぇ!」
刀二はサンタを滅茶苦茶に突いた。
勢い余って椅子が倒れた。刀二はのろのろと縛られていたサンタの縄をほどき、その体を二、三度揺さぶって、サンタが何も言わなくなったのに気付いた。
刀二は意味を為さない叫び声を上げて、部屋から駆け去った。
悲劇の予兆
久我山にいたデズモンドに知らない人物からヴィジョンが入った。
「デズモンドさんですか?」
「誰だ、あんた?」
「『パンクス』の者です。渋谷のサンタの――」
「おお、サンタか。で、何だ?」
「うちの兄貴がそっちに行ってませんか?」
「来てないが――何かあったか?」
「それが昨夜からうちのシュウジっていう若いもんと一緒に出てったっきり、姿が見えないんで」
「昨夜か……」
「心当たりでも?」
「いや、あんた、パンクスに入ってどのくらい経つ?」
「まだ二年目です」
「じゃあわからねえはずだ――まあ、心当たりを探してみるよ」
デズモンドはヴィジョンを切った。
昨夜はティオータの命日だった。
ジウランと二人で東京の郊外に墓参りに出かけ、浅草の洋食屋でティオータの好物だったオムライスを食べた。
あの日も同じようにうすら寒かった。
デズモンドはジウランに留守を言い付け、外に出た。
都内のとある場所では死王が刀二を労っていた。
「刀二、よくやったな。これでお前も一人前だ」
「……」
青ざめた顔をして何も言わない刀二を前に死王は不思議そうな表情を見せたが、言葉を続けた。
「しかし蟇六の毒は大したものだ。ティオータやサンタのような毒耐性のある者にも効くのだからな」
背の低い陰気な男は小さく笑った。
「いよいよ、あちきの出番かしらね」
しなを作った男が言うと、死王は険しい表情になった。
「慌てるな、無面坊。デズモンド・ピアナは強いぞ」
「まったく兄貴は慎重だよな」
鷹を腕に留まらせた男が言い、皆がてんでに意見を言い合う中、刀二はそっと席を立ち、部屋を出ていった。
「どうした、あいつ。具合でも悪いのか?」
死王が言うと、それまで黙っていた和服姿の女がぽつりと口を開いた。
「――あの子、死相が出てるね」
二度目の殺人
デズモンドはティオータが亡くなった六本木に向かった。当然ながら工事はとっくに終わっていて、高層のオフィスタワー、ホテル、商業施設が林立していた。
デズモンドは少し悲しげな眼をしながら、商業施設をぶらぶらと歩き、その奥にある公園に着いた。
小さな池があり、その前にあるベンチに腰かけていると、一人の若者が現れた。若者は考え事をするデズモンドの座るベンチの前にやってきた。
「デズモンドさん……だね」
デズモンドは青年の存在に気付き、口を開いた。
「――おめえ、サンタの所の若いもんだな」
「シュウジです。よくわかりやしたね」
「ああ、血の匂いがぷんぷんすらあ。皆が心配してるぜ。帰らないでいいのかよ」
「それについては……一緒に来てくれやせんか」
デズモンドは青年と連れ立って公園を出て、青山霊園の近くにある雑居ビルに入った。
地下に続く階段を下り、物置のような部屋に入ると、シュウジが電気のスイッチを入れた。
すぐに目が慣れて、部屋の真ん中に横たわるサンタの姿を発見した。デズモンドはサンタに駆け寄り、脈を確かめてから、シュウジを振り返った。
「おい、こりゃあどういうこった?」
「『どういうこった』って、見た通りっす」
「なるほど」
デズモンドはサンタの亡骸を静かに横たえ、立ち上がり、シュウジと正対した。
「――そんだけ落ち着き払ってる所を見ると、おめえの仕業だな?」
「そうです」
「何でわしに知らせた?」
デズモンドが問いかけると、シュウジの目から涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「……自分は、あんなに優しかったサンタさんを……最後までサンタさんは自分を心配してくれたんす……『良かった。怪我はない』って」
「……」
デズモンドは黙ったまま、部屋を歩き回り、大きなため息を一つついてから言った。
「ティオータや能太郎を殺ったのも、おめえ、いや、おめえの仲間だな?」
シュウジは黙ってこくりと頷いた。
「死ぬ前にわしと腕試ししたいのか、ただ死にたいだけなのかはわからんが、わしはおめえをどうこうしないぜ」
「……えっ?」
「おめえ一人を殺ったって仕方ねえ。おめえの上にいる奴が本当の敵だってわかってるから無駄な殺生はしたくねえんだよ」
「憎い仇をみすみす逃がすんですかい?」
「わからねえ奴だな。ティオータもサンタもわしも何かを守るために戦ってるのさ。おめえの組織みたいに意味のねえ人殺しはしねえよ」
今度はシュウジが黙ったまま部屋を歩き回り、そして口を開いた。
「その優しさを自分にも発揮してくれやせんか?」
「今更、組織にも戻れないか」
「サンタさんが殺しの無意味さを教えてくれやした」
「わしに頼むなよ」
「自分はあんたに殺されるのが一番いい、そう思ってやす」
デズモンドは顎に手を当てて考え込み、やがて言った。
「ふぅ、決意は固いか――おめえ、本当の名は?」
「『刀』に『二』、刀二っていうけちな人間っす」
「よし、刀二。刀を抜けよ。万が一にもおめえに勝ち目はないが本気で来いよ」
「ありがとうございやす」
刀二は部屋の隅に置いてあった日本刀を手に取り、鞘から抜いた。
デズモンドはサンタと刀二、二つの死体の転がる部屋に立っていた。
「この星で人殺しは二度目か。いやんなっちまうなあ。わしは学者なのに」
ゆっくりと腕のポータバインドに手を触れ、空中にヴィジョンを開いた。
「さて、大吾が先に到着するか、それともこいつの仲間が先に来るか、わしはどっちでも構わんけどな」
デズモンドは蒲田大吾の名を呼んだ。
お七の力
しばらく地下の部屋で待っていると、ドアが開き、一人の人物が入ってきた。現れたのは若い女性だった。抜き衣紋の黒い和服から白い首筋が生々しく覗いた色っぽい女だった。
「おや、やっぱり間に合わなかった」
「あんた、この男の仲間かい?」
女はデズモンドに軽く目で会釈してから刀二の体を起こした。
「さすがはデズモンドさんだね。一発で仕留めてる。刀二も苦しまずに逝けただろうねえ」
デズモンドは腕を組んだまま、女が刀二の体を紐で自分の背中にくくりつける様子を見ていた。
「おいおい、女の細腕で運び切れるのかい。今、わしが攻撃すりゃあ、一たまりもないぞ」
女は刀二を背負い、髪のほつれ毛を直すと、にこりと笑った。
「心配ご無用」
「そりゃあ、まあ、わしは女に手は上げないのがモットーだからな」
「そうじゃなくたって大丈夫ですよ。あんたはあたしを殴れない」
「ん、そりゃあどういう意味――」
デズモンドが言いかけた所で蒲田大吾が部屋に駆け込んできた。
「デズモンドさん」
「よぉ、遅いからこの姉さんに持ってかれちまう」
「……これは一体?」
「後で説明してやるよ――なあ、大吾。銃は持ってるか?」
「ええ、携行してます」
「わしじゃあこの姉さんを止められないみたいなんだ。お前の銃ならどうかと思ってな」
「……ぼくには状況が理解できないんですが」
「デズモンドさんの言う通りだよ」
女は刀二の死体を背負ったまま、部屋を出ていこうとした。
「止められるもんなら止めてみなさいな」
「えっ、あっ、ちょっと待ちなさい」
蒲田は慌ててスーツの裏から拳銃を取り出し、女に向かって構えた。
女は再びにこりと笑い、「それじゃ」と言って、ドアノブに手をかけた。
「本当に止まりなさい。脅しじゃないぞ」
「大吾。いいからぶっ放せよ。ちゃんと頭か心臓を狙えよ」
デズモンドが言うと蒲田は顔を朱に染めた。
「そんな事できる訳ないじゃないですか」
「だったら足でいいや。ほら、早くしないと出てっちまうぜ」
蒲田は覚悟を決め、ドアを半分開けた女の足に向けて銃を発射した。
銃声が響いたが、女は倒れる風でもなくドアノブに手をかけ、デズモンドたちの方を平然と振り返ったままだった。
「空砲か?」
「いや、そんなはずは」
女は握りしめたもう片方の手をデズモンドたちの方に向かって突き出し、その拳を開いた。しなやかな指の間から蒲田の発射した弾丸が「ころん」と音を立てて床に落ちた。
「へえ、こいつはすげえや」
デズモンドが感心すると女は小さく頭を下げた。
「どうも」
「姉さん、名前を聞いてなかったな」
「お七。『矢取りのお七』って覚えておいて下さいな」
女は艶然とした笑みを浮かべながらドアの向こうに消えた。
呆然としていた蒲田が我に返った。
「デズモンドさん、今のは――それよりも一体何が起こったんですか?」
「渋谷のサンタがやられた。で、その犯人をわしがやって、そのお仲間が犯人を背負って逃げた」
「……つまりは通常の警察案件ではない。釉斎先生に検死をお願いしないといけませんね」
蒲田がヴィジョンで釉斎に状況を説明し終わると、デズモンドが再び口を開いた。
「サンタをやったのが他所の星の人間かどうかはわからねえ」
「はっ、もしかするとその人物が能太郎さんを……だったらどうしてみすみす逃がしたんですか?」
「大吾。前にも言ったろ。本当に倒すべき相手はとっくにわかってるんだ。今日の奴らなんて所詮は駒、いくら潰したって、又どっからか湧いてくる。キリがねえんだ」
「だからって殺人者をこのまま放置しておく訳にはいきませんよ」
「慌てんなよ。やる時には一網打尽だ」
「……これは大事だ」
「そうだよ。この星の最大の膿を摘出する――こいつは大事だぜ」