目次
3 石を売る少女
マリスはフォルメンテーラの勧めに従って《虚栄の星》、チオニに向かった。
連邦の支援の下、北の都を除いて崩壊したチオニの街の復興は順調に進んでいた。
王宮を覆っていた結界は消え、それぞれの都から聖なる大樹の傍を通って王宮に直接行けるようになっていた。
西の都のポートから中心部に向かったマリスは大樹の姿に息を呑んだ。
一度だけ、コウが始宙摩を訪れ、チベットの若々しい樹に連れていってくれた事があった。樹は生命の息吹に満ち溢れ、瑞々しい緑の葉を目いっぱいに伸ばしていた。
ところがここの大樹はどうだろう、樹自体は《青の星》のものとは比べ物にならないくらい大きかったが、活気が感じられなかった。
死にゆく大樹、ワイオリカたちの話は真実だったと実感した。
マリスは老樹の前で呆然と佇んだ。多くの観光客たちが楽しそうに話しながら通り過ぎる中、少し離れた場所にマリスと同じように樹を見上げて佇む女性がいるのに気がついた。
まだ若いその女性は、編み込んだ栗色の髪の首に白いストールを巻いていた。オリーブ色のシャツとカーキ色の迷彩パンツにブーツを履いたその姿はまるで兵士のようだった。
視線に気付いたのか、顔をこちらに向けたその女性はマリスをじっと見つめていたが、やがてにこりと微笑み、背中を向けて去っていった。
マリスはたとえようのない不思議な感覚に襲われて、その場に立ちすくんだ。声をかけようか、ためらう内に女性の姿は雑踏の中に消えた。
どこかで会った事があるような気がした。
いや、そんなはずがない。復活してからは《青の星》で暮らしてきた。あの星の人間でここまで観光で来る人間は滅多にいない。となると連邦関係か、あの服装を見ると連邦軍の人間かもしれない。
今のがフォルメンテーラの言った『運命の出会い』なのか。だとしたら、きっと又会うはずだ、そう考えたマリスはゆっくりと樹の前を離れた。
都の中心から南の大路を下った。右手はかつてスラム街だったそうだが、今ではすっかりきれいに整備されていた。
大路の突端は広場になっていて、ポートに続く道とは別に細いまっすぐな道がどこまでも伸びていた。道ははるか南にぽつりと見える黒い森に向かって続いていた。
マリスはさっき会った女性の姿を探したがここにはいないようだった。仕方なく広場に出ている案内板を読んだ。
「忌避者の村。そこに暮らす彼らも又、私たちと同じチオニの住人です。姿を見かけた場合には恐れず、普段通りに接して下さい」
チオニの管理者、キザリタバンという署名が印されていた。
ドノスがいなくなり、この星は民主制に移行したようだった。圧倒的なカリスマ性を発揮していたドノスを失い、銀河連邦という緩やかな枠組みの中で今まで通りの発展を遂げる事ができるのか、復興が一段落したこれからが本当の勝負なのだろう。
続いてマリスは東の都に向かった。
歩いていて気になったのは、西の都にも、南の都にも、そしてここにも、決して目立つ訳ではなかったが、『根源たる混沌』という奇妙な看板を出した家が数軒あった事だった。
『根源たる混沌』、新しい宗教か――八年前の戦いではここ東の都が最も甚大な被害を受け、ほぼ壊滅状態だったと言う。今、目の前に広がるのは連邦の援助により昔通りに復興した街並みだったが、人々の心まで回復したとは言い切れない。
……かつて爆弾魔として東京の街を破壊した自分を思い返し、胸が痛くなった。あの時、自分は建物だけでなく、人の心も破壊したのだ。
荒廃した人々の魂が求めるのは救済ばかりではない。むしろ人間が生まれた時の状態、原初の混沌を求める者がいても不思議ではないのだ。
考え事をしている内に東の都の突端、復興された『ノカーノ広場』に着いた。
ここにも女性の姿はなかったので、あきらめて広場の突端から広大な砂漠を見た。案内板にはサンドチューブが見られるかもしれないと書いてあった。
マリスは人の切れ目を狙って、見晴らしのいい展望台の上に立った。
はるか遠くまで砂漠が見渡せた。運が良ければ、蜃気楼のようなサンドチューブの姿が拝めるという事だったが、八年前の大惨事以降、出現していないらしかった。
マリスが一息ついて展望台を降りかけた時、異変が起こった。まさしく蜃気楼のようにゆらゆらと立ち昇る十数本の柱が見えた。
以前、明海に教えてもらったチンアナゴという面白い魚のようにゆらゆらと揺れる柱はこちらに向かってくるようだった。
周りの観光客は気付いていないようだった。マリスは急いで隣で望遠鏡を覗き込んでいた老人に尋ねた。
「あれはサンドチューブじゃありませんか?」
「そんなバカな……やや」
望遠鏡を覗き込んだ老人の大声で辺りは大騒ぎになった。
すぐに警備隊がやってきて、手に持った双眼鏡で確認を行った。
「どうやらサンドチューブが頭を出した状態でこちらに向かってくるようです」
警備隊の隊長らしき男が説明をすると観光客が大声で言葉を返した。
「また都を襲うんじゃないのか。避難しなくていいのか?」
「――八年前は深く砂の中に潜ってまるで山が迫ってくるようでしたが、今回はご覧なさい。頭だけを出してゆっくりとこちらに向かっている。危害を加えるつもりがないのを示しているのだと思われます。避難するには及ばないと判断します」
警備隊の隊長は尚も不安げな表情の観光客たちを見回してから、一人だけ冷静なマリスに目を留めた。
「あなたが第一発見者ですか?」
「――はい。こんな事を言っていいのかどうかわかりませんが、彼らは僕に用があるのかもしれません」
「ほぉ、それは又、どういう理由からですかな?」
「僕は文月の人間です」
「……これは失礼致しました。なるほど、ありえない話ではないですな。ではあなただけ展望台の所に残って頂いて、後の方々は少し下がった場所に待機して下さい。物凄い光景に遭遇できる皆さんは幸運かもしれませんよ」
マリス一人が展望台に立ち、サンドチューブを待ち受けた。サンドチューブはゆらゆらと揺れながら一キロほどの距離まで近付いた。地上に出ている頭部だけで五十メートルはありそうだ。全長だとどのくらいの大きさになるのか見当もつかなかった。
十数本のサンドチューブは二百メートルほど手前の砂漠で一斉に動きを止め、マリスに向かって伸び上がるような仕草を見せた。目も口もわからない管のような身体でマリスをじっと見つめてから、まるでお辞儀をするように地面に頭を下げ、静かに元の砂漠の奥に戻っていった。
「あなたに挨拶をしたかのようですな」
大騒ぎの観光客をかき分け、警備隊の隊長がマリスの下にやってきて言った。
「ええ、まったく敵意は感じられませんでした」
「さすがはこの都を救った英雄です。サンドチューブも一目置いているようだ」
「いえ、僕はまだ何も成し遂げてませんから」
マリスは展望台を降り、静かにその場を去った。
次に向かったのは唯一破壊を免れた北の都だった。崩壊こそしなかったが、ここでも大きな変化が起こっていた。北の都のはずれにあった『夜闇の回廊』は消滅していた。
マリスはかつての回廊があった場所に向かい、そして再び樹の下に戻った。
探し求めていた女性の姿があった。
今度は女性がマリスに近付いて声をかけた。
「東の都で一騒動あったみたいね。あなたでしょ?」
「いや、僕は何もしていない。それよりも君は僕が誰か知っているのかい?」
「あら、覚えてないの。もっともあたしもはっきりした記憶がある訳じゃないけど」
「一体、何の事だい?」
「八年前、あたしは父に連れられてムシカに行った。あなたは――デズモンド・ピアナと一緒だった」
「……そう言えば、子供たちは離れていろと言われ、僕はヌエと遊んでいた」
「あたしはミズチと」
「……雷獣が言っていた。『あれがバスキアの娘か』と」
「そう。あたしはアイシャ・ローン。バスキアの娘よ」
「――僕はマリス文月」
「知ってるわ。だからこんな話をしたんじゃない」
「ああ、そうか。君はどうしてここに?」
アイシャは死にゆく大樹を見上げた。
「……かわいそう。こんなに傷ついて。このままでは死んでしまうわ。わかる?」
「ああ、僕の家族が言っていたよ。《青の星》の大樹をこちらに植えたらどうだろうかとね」
「――本当?」
「多分。《密林の星》に住む僕の家族だからすぐに確認できる――あ、ヴィジョンを使えばわざわざ行く必要はないか」
「いいわよ。行ってみましょうよ」
「えっ?」
「何、ギークの問題?」
「いや、ギークは唸るほど持ってるさ」
「じゃあ問題ないわね」
「そうじゃなくて……君も一緒に行くつもり?」
「そうよ」
「さっきの質問に答えてないけど」
「一緒にいればその内にわかるわよ」
マリスとアイシャは西の都のポートに向かうため、大路を急いだ。
「あたしのシップはどうしようかしら?」
「僕のシップで行くつもりかい?」
「当然よ」
「……君はどこから来たんだい?」
「生まれたのは《魔王の星》、エリオ・レアル。三か月前に旅に出たの。おじいちゃんのお墓参りで《森の星》に行って、母の育った《巨大な星》に寄った。その後、《祈りの星》に行って、ここに来たの」
「ずいぶんとギークに余裕があるんだね」
「あたしもギークは唸るほど持ってるの。たんまりと遺産を残してくれたおじいちゃんはベストセラー作家、ソントン・シャウ。デズモンドのお友達」
「――『リーバルンとナラシャナ』の作者だね」
「そうよ。シップは連邦に預かっておいてもらえばいいんじゃない」
急ぎ足で歩いていたマリスたちは突然背後から呼び止められた。
振り向くと、そこには目を除いて顔をすっぽりと覆う灰色のマントをまとった少女が立っていた。
「何かご用ですか?」
「私はこのチオニで石を売るラダといいます。実はお二人にお願いがあるのですが」
「石を……生憎、石を買う予定はありませんよ」
「買わないで結構です」
ラダはそう言うと懐から真っ赤な石を取り出した。
「これは創造主ジュカの力、『血涙の石』、かつては” Mutation ”という名でドノスの力の源となっていた石です。現在はそのような力は失われていますが、八年の時を経て、再びこの地に舞い戻ってきました」
「――なるほど。ナインライブズの後に十八個の石が一斉にどこかに飛び去ったという話は聞きました。で、この石が何か?」
「この石を差し上げます」
「……えっ、商売道具でしょ。ただですか?」
「お願いします」
「うーん、しかしなあ」
「マリス、もらっときなさいよ」
アイシャが横から口を出した。
「だってラダさんは――」
「ああ、わかってるさ。きっと僕らが《密林の星》に大樹の話を訊きに行くのも知ってるんだ」
「その通りです」とラダは言った。「あの方たち、ワイオリカとオデッタがこの星のために色々として下さっているのには感謝しています。でも樹を複数の星で成長させるのは難しいんです。《青の星》で十年以上成長させてから、ようやく《密林の星》に植える事ができた。時間が経たなければこの星にも持ってこられない」
「そうなのか。という事はあと数年、持ちこたえないといけない訳だね?」
「ええ、できるかどうか」
「僕たちで何か力になれるのかい?」
「――その石を持つ、これは参加表明です」
「参加表明?」
「間もなくわかります。ユグドラジルはあなたに賭けた――では失礼します」
ラダの姿は雑踏に紛れて消えた。
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