目次
2 フォルメンテーラ
《祈りの星》を発ったマリスが向かったのは、かつての《大歓楽星団》だった。あまりギークに余裕のある旅ではなかったが、《蠱惑の星》でむらさきにだけは会っておこうと思った。
ステーションでの観光シップへの乗り換えは廃止され、代わりにシップはドライブスルーの要領でステーションに立ち寄り、ポータバインドのチェックを行う方式に変更されていた。
マリスはステーションでチェックを済ませ、ダダマスに直行するのではなく、ポートにシップを停め、ステーション内部に入っていった。
ステーションのカフェで一息ついていると珍しいものが目に飛び込んだ。
カフェの一角が区切られていて、そこには『アド・バイ・ウィロ2』という札が天井からかかっていた。見ていると、空間にくれないの姿が浮かび上がった。
くれないは行き交う人にインプリントの重要性を説いていた。
三次元のホログラムかな、それにしては投影されている感じではない。《青の星》に暮らしているとこういう最新テクノロジーからも取り残される、マリスはそう思った。
後でわかった事だが、十年ほど前に《巨大な星》で開発されたウィロノグラフの最新型で、周りの景色と全く違和感なく三次元映像を動かす事ができるものだそうだ。
連邦はこれを『四次元の映像技術』と自画自賛しているようだったが、本当の所はわからなかった。
ただ一つ面白かったのは、くれないが相変わらずミニスカートを履いている点だった。
くれないと言えば、そうだ、出発前に《ネオ・アース》に寄った時の事だ。源蔵と静江、沙耶香、それにコクが旅立ちを祝ってくれた席で、くれないの話になった。
「コク、そう言えば『上の世界』から戻って以来、九人揃って会った事は?」
マリスの何気ない質問がきっかけだった。
「皆、忙しいんだよ。特にくれないは連邦議長だ。ヴィジョンで話す事はあるがまだ会ってない」
「この間、僕にもヴィジョンがきたけど文句を言ってましたよ。『こんなに大変なのに手伝ってくれるのはハクだけだ』って」
「まあな、家庭持ちが五人、俺は農場から出るつもりはないし、ヘキは放浪してる――そうだ、マリス。お前、連邦で働いたらどうだ?」
「止して下さいよ。僕なんかが表舞台に立てる訳ない」
「まあ、そう言うなよ。俺たちとお前はあんまり年が変わらないんだぞ。俺たちは二年間、年を取らなかったからな」
「確かに。僕は生まれたのはずいぶん前だから、順調に成長していたならば皆さんよりも年上になるんですよね」
「訳がわからないよな。くれないはあの一件でセキよりも年上になっちまった。そういう変な感覚のずれもあってか、くれないには会ってない」
「また冗談を。本当の理由は九人集まるのが怖いんでしょ?」
「ああ、集まった所で二度とナインライブズは発現しない、もう何も起こらないってのはわかってるんだけどな」
「とにかく、くれないを孤立させちゃだめですよ。皆さんのいない二年間、ひどく落ち込んでたらしいですから」
「孤立って。そんな大それた話じゃないだろ――」
くれないの映像はまるで生きているかのように動き回り、インプリントについて説明を続けていた。
マリスはくすりと笑ってステーションを後にした。
ダダマスの都が見えた。マリスが初めて見る風景だった。山の頂上にあるのがバンブロス城だろうが、その上空にはもう一つの城が浮かんでいた。
むらさきたちはそちらの城に住んでいるのだろうが、どうやって行けばいいのか見当もつかなかった。
ダダマスの市街に入ると、背中から灰色の翼が生えている者、獣のような風体の者、サングラスをかけて陽の光を防ぐ人、普通の人間に混じって様々な種族の人間が歩いていた。
マリスは道行く人を呼び止め、尋ねた。
「ああ、『むらさき城』ね」
「むらさき城と言うんですか?」
「そうだよ。ルパート公とむらさき様が治める城さ。天女のようなむらさき様の名を取って皆、そう呼んでるんだ」
「こちらにはよく降りてくるんですか?」
「さあ、どうかなあ。知りたかったらこの街路の先のティールの家に行ってみなよ。ティールなら予定を知ってるかもしれない」
マリスがティールという表札のかかった家に入っていくと、翼の生えた男が顔を出した。男は片腕がなかった。
「ティールにご用ですか。生憎、外出中ですが」
「むらさきに会いたいんです。僕はマリス文月と言います」
「マリス。あのロックの……いえ、マリスは死んだはずですね」
「あの、僕をご存じなんですか?」
「ええ、私は元リチャードの部下、トーラという者です」
「じゃあ、リンの?」
「ええ、あなたがマリスであればあなたが死んだ時にも《青の星》におりました。なのにあなたはマリスだという。これはどういう事でしょうか」
「コクが僕を復活させてくれたんです」
「――石ですか?」
「そうです。僕は再び、《青の星》で復活して、始宙摩に預けられていました」
「そうでしたか――中にお入りなさい。《青の星》の話を聞かせて下さいよ」
「ほぉ、そんな事がありましたか。連邦に加盟していない星の情報はあまり伝わってこないのですよ」
マリスにお茶を出してからトーラが口を開いた。
「ティオータさんの件は驚きました」
「――それは事故ではなく事件でしょうねえ」
「やっぱりトーラさんもそう思いますか。デズモンドが必死になって調べているみたいですが」
「調べなくても相手は見当がつきます。ケイジがいなくなったのがわかれば、あちらが攻勢に出るというのは有り得る事態です。ですがティオータほどの手練れを倒すとは。デズモンドもそれが気になるのでしょう」
「……それもありますけど、デズモンドの息子さんの能太郎さんもその半年後に事故で」
「ますますもって決まりですね。何か大きな力が働いている」
「心配です」
「ところで、マリスさん、こちらに来られたご用件はむらさきさんの城に行きたいからですよね。私とした事が勝手に話に花を咲かせてしまい、申し訳ありません」
「気になさらないで下さい。楽しかったです――で、このまま空を飛んでいけばいいのですか?」
「ご心配しなくても、間もなくあちらからいらっしゃるはずです」
トーラは扉の方に歩いていった。
「ほら、来られましたよ」
扉を開けて入ってきたのはむらさきとフォルメンテーラの手を引いたルパートだった。三人とも真っ白な服を着ていた。
「マリス、久しぶり」
「やあ、むらさき、それにルパート、フォルメンテーラ」
「東京でお会いして以来ですわね」
「そう。フォルメンテーラの誕生会」
「フォルメンテーラ」
むらさきは娘に話しかけた。
「この人がマリスよ。あなたは覚えてないでしょうけれど」
フォルメンテーラはマリスを不思議そうに見つめていた。
「マリス君」
ルパートが口を開いた。
「城に来たまえ。君を歓迎する」
次の瞬間、マリスたちは城の広間にいた。
「ここは……ルパートは不思議な術を使いますね」
「いや、不思議でも何でもないよ。君たちには見えないものが見えるだけの話さ」
「いとも簡単に空間を越えるなんて想像もつかないです」
ルパートはマリスの言葉に意味ありげな笑みを浮かべた。
「マリスがついに行動を開始したとあらば、会わない訳にはいかないからね」
「もうルパート様はこればっかり。マリスがきょとんとしているじゃありませんか」
むらさきも静かに笑った。
「フォルメンテーラに訊きたい事があるのでしょ?」
「え、ええ」
マリスは目線をフォルメンテーラの高さに落としてゆっくりと言った。
「ねえ、フォルメンテーラ。二年前に会った時、僕に言った言葉、覚えてる?」
フォルメンテーラは透明な海の底のような瞳でマリスを見つめた。
「覚えてるわよ」
「あの後でむらさきに訊いたら、『バクヘーリア』というのは悪い人が生まれ変わる場所らしいね。やっぱり僕はそっちがふさわしいのかな?」
「ううん、マリスにはそんなの関係ない――でも気を付けて。バクヘーリアはマリスをねらってるから」
「バクヘーリアが僕を――狙われるような覚えはないよ」
「あたしにはそれ以上わからない」
「ああ、もう一つだけ。フォルメンテーラ、君なら知ってるんじゃないかな。どうして僕が『死者の国』で漂っていられたのか」
「それについては私がお答えしよう」
ルパートがよく通る声で言った。
「死んだ者は初め『混沌の渦』という場所に放り込まれる。ここは恐ろしく広い空間だが、広さというのは絶対的なものではないので気にしないでいい。この渦の中を漂う間に前世への執着やら悪しき心やらがきれいに洗い流され、次の空間である『茫洋の奔流』に向かうのだが、中には執着が消えずに渦の中を長い間漂い続ける魂もある。そうして最後には漂う事に疲れ果て底へ底へと墜ちていく。その墜ちた先が『バクヘーリア』だ」
「では僕は『バクヘーリア』に墜ちる所だったんですね?」
「いや、あちらからお迎えが来る場合もある。とびっきりの素材の場合にはね」
「……僕のしでかした罪は消えませんから、そっちが本来の道でしょう」
「不思議な光景だった。『バクヘーリア』からお迎えが来るような逸材は例外なく喜んで底へと墜ちていくのだが、君は必死で抗った。だが抵抗も虚しく力尽きようとしていたので、少しだけ手を差し伸べた。『サカイビト』を使って君を『茫洋の奔流』まで運んだのだ」
「サカイビト?」
「うむ。その名の通り『混沌の渦』と『バクヘーリア』の境に位置する者たちだ。何らかの理由で転生できなくなった哀しい集団だが、私の手足となって働いてくれる。彼らは君の魂をそっと奔流へと流した」
「でも僕は流れなかった?」
「あれも実に不思議だった。君は澱みのような場所に引っ掛かって動かなくなってしまったのだ。私の経験の中であのように引っ掛かる者を見た事はなかった」
「それで僕は前世の記憶を持ったままあの場所にいたんですね?」
「非常に興味が湧いてね。どうせなら君に縁の深い人間にきっかけを作ってもらおうと思い、むらさきが君を見つけた」
「ねえ、マリス。お話はもういいでしょ。早く遊びましょうよ」
フォルメンテーラがマリスの腕を引っ張りながら駄々をこね始めた。
「この子は子供なのか大人なのか――マリスは気に入られたみたい。この後、お人形遊びに付き合わされますわ。この間、ヒナちゃんが送って下さったの」
「ヒナの……という事は例の『オートマタ』?」
「さあ、凛々しい王子と可愛らしいお姫様のお人形よ」
マリスはヒナの特殊な能力を思い出し、別の特殊な能力を持つフォルメンテーラがヒナの人形で遊ぶ様子を想像して苦笑いした。
「ところでフォルメンテーラも《鉄の星》のサラ女王と同じような力の持ち主なの?」
「いえ、あの方は予知夢を見られるという話ですが、この子は……夢の通りに現実を再構築してしまうようなの」
「……?」
「でも安心して。将来、きっとマリスの味方になってくれます」
その後、マリスはフォルメンテーラの人形遊びに散々付き合わされた。キャンデレイラ王子とヴェローナ王女という名の人形たちは陽気で饒舌だった。マリスは恋敵のアルフォンソ伯爵の役を授かり、これを無事勤め上げた。
「ありがとう、マリス。遊んでくれて」
フォルメンテーラがにこにこしながら言った。
「お礼にいいことを教えてあげる。この後、大きな木のある場所に向かいなさいな。そこで運命の出会いがあるわ」
「運命の出会いだって。それは気になる。大きな木、チオニの大樹かな……うーん、あまりギークに余裕がないから、まっすぐ《流浪の星》に行くつもりなんだけど」
「お金なんて、お父様にお願いすればどうにでもなるわ」
フォルメンテーラはマリスの手を引いてルパートの下に向かい、事情を伝えた。
「――仕方ないな。まあ、銀河の経済に与える影響はたかが知れている。それにマリスが行きたい場所に行けるようになる方がずっと大事だ」
そう言ってルパートはマリスの腕の上をさっと撫でた。
「これでギークの残高はデズモンドに負けないほどになったはずだ。好きな星を訪ね、見聞を広めなさい」
「ルパート、一つだけ……いや、たくさんの疑問の中から一つだけ教えて欲しいんだけど」
「答えられる事であれば何なりと」
「フォルメンテーラの能力はどういうものなんだい。予知能力のようなもの?」
「そう見えるかもしれないが少し違う。彼女は実際に時空を超えてその先で見たり聞いたりする事ができる」
「えっ、それは凄い」
「下手をすれば彼女自身が開けた時空に滑り落ちてしまう。とんでもない所に落ちれば助けようがないので能力を使用する事は固く禁じているのだが」
「だが……?」
「大好きな君のため、君がここに来るとわかってから様々な時空を覗き込んで準備をしてきたようだ。困った娘だ」
「そういう事なのか。嬉しいけど僕なんかのために危険を冒す必要はないのに」
「安心したまえ。もう少し成長すれば開けた時空に滑り落ちるような事はなくなるはずだ。そうなれば無敵の観察者となる」
「あと数年って事かい?」
「私たちを何だと思っているのだね。数千年さ」