目次
4 山を下りる
大海が明海に付き添われて久しぶりに姿を現した。
「お師、お体は大丈夫ですか?」
マリスは急いで駆け寄り、明海に代わって身体を支えようとしたが、大海はそれを押し止めた。
「よい。おぬしに伝えるべき事がある」
「はい」
マリスは跪いたまま答えた。
「マリスよ。幾つになった?」
「はい。おそらく十八か十九でございます」
「そうか。どこから数え始めればよいかわからぬからな――それにしても山に来て十年か」
「そうなります」
「よく頑張ったな。普通であればこの異次元で十年勤め上げられるものではない」
「いえ」
「本来は大師の名を一字取って、新たな名を命名するのだが、それをしない理由はわかるか?」
「前世、前々世での行いゆえでしょうか?」
「おぬしが初めて山に来た時に到底わしらでは受け止めきれんと感じたのは事実だ。だが修業によってそれを克服した今のおぬしであれば始宙摩の代表としてどこに出しても恥ずかしくない、そこまでに成長した」
「ありがたいお言葉です」
「だが名はやらん。それはおぬしのせいではなく、この山が変わるべき時だからだ」
「……」
「薄々勘付いておろう。ナインライブズが現れ、文月の子たちは『無限堂』の先に行き、そこで大師と対面をした。この始宙摩の『宇宙の歴史を見守る』という縁起が新たな局面にきた証拠だ」
「でしたら、僕が最後の――」
「いや、最後は明海だ。おぬしには文月の子としてやるべき事があるはずだ。斯様な小さな場所ではなく、もっと広い場所で修業の成果を発揮する。それがこの宇宙のため――そうではないか、マリス」
「返す言葉もございません。実は広い宇宙に出てみたい、その気持ちが日に日に大きくなっているのは事実です」
「そうであろう。おぬしは元々、そう運命付けられた男。思う存分力を振るうがよいぞ」
「お師……」
「準備ができ次第、山を下りるがいい。どこに行くにせよ、世話になった人への礼を忘れずにな」
「お師、ありがとうございます」
マリスは荷物をまとめて山道を下った。途中まで明海が同行した。
「マリス、お前は私たちの物差しでは測れない人間だ」
「そんな」
「いや、嘘じゃないよ。リン文月が見込んだだけはある」
「明海さん。お世話になりました」
「止せよ。他人行儀だな。山を下りたら最初にやる事はインプリントだ。始宙摩ではポータバインドを禁止しているし。まあ、私はこっそりやっていたが」
「わかりました。ではここでお別れ致しましょう」
明海と別れたマリスが山道を降りていくと、目の前に佇む女性の姿があった。
「あの人は……」
マリスはその女性に見覚えがあった。何回か、山を訪れてきた事があり、話をした事もあった。
「タマユラさん、どうしたんですか?」
女性はマリスに向かって微笑んだ。
「マリス君だっけ。山を下りるのね」
「ええ、よくおわかりになりましたね」
「時代の流れから言えば、そうなるのが当然だもの。ここも使命を終えたなって」
「淋しいですけれど、明海さんが最後の管主です」
「それにしても君がねえ」
「どういう意味でしょう?」
「何でもないのよ。ま、リンは創造主になったから大成功か。頑張りなさいね」
「ありがとうございます」
マリスは女性の前を通り過ぎようとして立ち止まった。
「あの、タマユラさん」
「ずっと前、僕が山に来る以前にお会いした事がありましたか?」
「さあ、気のせいじゃない」
「そうですよね。又、どこかでお会いできるんでしょうか?」
「だと思うわよ。だって君は面白いもの」
「……では再会を楽しみにしています」
山を下りたマリスは東京湾上の連邦の出張所に飛んでいった。
顔見知りの連邦職員がマリスに声をかけた。
「おや、マリス。又、文月の誰かを出迎えかい?」
「いえ、今日はインプリントに来ました」
「おっ、とうとう山を下りたんだね。じゃあ手続きをしよう」
インプリントを終えたマリスは早速、ヴィジョンでセキを呼んだ。
「やあ、マリス。誰かと思ったよ。登録されてない……あれ、インプリントしたの?」
「ええ、たった今」
「今から門前仲町においでよ。デズモンドもいるから」
「ああ、それは手間が省けました」
マリスが市邨の屋敷に到着するともえがアウラとヒナを連れて出迎えた。
「マリス兄ちゃん、こんにちは」
「やあ、アウラ、ヒナ。いい子にしてるかい?」
「当たり前だよ」
「もう小学生なんだから子供扱いしないで」
「ああ、ごめん、ごめん。もえさん、お邪魔します」
「どうぞ。セキとデズモンドはいつもの通り縁側にいるわ」
「マリス、ちょっといい?」
声をかけたのはヒナだった。
「何だい?」
「遊び相手になってくれない?」
「……いいよ。アウラは男の子の遊びに夢中で、ヒナの相手はしないんだね?」
「そんなんじゃないよ。ヒナの遊びは怖いんだ」
アウラはそう言い残して外に出ていった。
マリスはヒナの顔を見つめた。双子の兄、アウラと比べると口数の少ない内気な子だったが、そのアウラが怖がる遊びとは何だろう。
マリスはヒナに手を引かれ、ヒナの部屋に入った。
「おじゃまします」
「どうぞ――チェリー、マリスが来たわよ」
マリスが部屋に入ると、三十センチくらいの大きさの赤毛のお下げ髪の女の子の人形がちょこんと腰かけていた。
「ほら、チェリーもマリスにごあいさつしなさい」
ヒナがそう言うと、背中を向けていた人形がぴょこんと立ち上がり、マリスの方を向いた。青いセルロイドの瞳をぱちぱちとまばたかせて、「こんにちは」と挨拶した。
腹話術?マリスは一瞬そう考えたが、すぐに思い直した。チェリーと呼ばれる人形はなめらかな動きでヒナの方を向いて「うふふ」と笑った。
「ヒナ、これはどういう事だい?」
「あら、普通よ」
「チェリーはどうしてそんな風にしゃべれるのかな?」
「どうしてって言われても……チェリーだけじゃないわ。ミーコもケンも皆、こうやって遊んでくれるわよ」
しばらくヒナと人形たちと家族ごっこをした後で、マリスはセキの下に戻った。
「あはは、マリスは見たんだね。なかなか面白い力だろ。人形に魂を吹き込むみたいなんだ。物騒な話だけど、ヒナにブリキの人形の軍隊を与えたら一つの国くらいは簡単に滅ぼすよ」
「確かにすごいね。でも誰に似たんだろ?」
「あんなのは誰にも真似できないさ」
セキと一緒にいたデズモンドが声をかけてきた。
「よぉ、マリス。山を下りたんだってな。山自体がなくなるのか?」
「情報が早いですね」
「ヌエが言ってたぞ。『行き場所がなくなっちまう』ってな」
「ああ、そうか。ヌエにしてみれば死活問題ですね。でもこの屋敷にいたらいいんじゃないですか。後は……遠野でしたっけ、そっちもあるし」
「遠野も始宙摩と同じような状況になるんじゃないかって、今もセキと話してたのさ。どこも時代の節目に差しかかってるんだよ」
「やっぱりナインライブズはすごいんですね」
言われたセキは苦笑いをした。
「で、マリス、外に出ていくんだろ?」
「ええ、昔、デズモンドに言われた通り、《流浪の星》を目指そうと思ってます」
「だったら、色々な星を回ってからにしなよ。勉強になる」
「ああ、わしほどは無理だろうが色んな場所に行くこった。お前、強いんだろ?」
「さあ、実戦で試した事がないですから」
「何か得物はあるのか?」
「いえ、デズモンドと同じで身一つです」
「ふーん」
「ねえ、マリス。最初に《祈りの星》に行ってくれないか。ナインライブズの後、どうなったか知りたいんだけど、僕らが行くとバルジ教の人たちがうるさそうだからさ」
「いいですよ。気の向くまま、と思ってましたから」
「ありがとう。で、いつ出発するの?」
「まずはシップを手に入れないと。さすがに観光シップを使う訳にもいかないし」
「ちゃんと連邦のマークの付いたシップがいいと思うよ。ポートでの信頼度が違うから」
シップにはそれぞれ機体の見やすい場所にエンブレムが付いていた。とは言うもののシップの識別は機体に埋め込んだ製造番号を読み取る事により行われていたので、むしろデザインの意味合いが強かった。
連邦のシップであれば、七つの星のエンブレム、さらに公孫家であれば五行楼を象った公孫家の紋章が付いていた。
マーチャントシップであれば、どのギルドに属するかを示していた。《商人の星》、メドゥキギルド、マノア家、それぞれの団体や家の紋章がシップに記されていた。
バトルシップや海賊船の場合には、これに加えてさらに示威のために大きな旗をなびかせる事も多かった。
「あの、デズモンド」
「何だ?」
「八年前、何故、僕を連れていったんですか?」
「ん、ああ、どうしてだっけな」
「意味があったんじゃなかったんだ」
「さあな。忘れた――まあ、行けばわかるんじゃないか」
「あ、あと山を下りる途中でタマユラさんに会いました」
「けっ、あいつ、まだ生きてやがんのかよ。わしは戻ってきてからは会ってないなあ」
「タマユラって優羅さんの事?」とセキが口を挟んだ。
「セキも知ってるんですね」
「うん、昔、ヌエの主人だったらしくて、たまに顔を出すよ」
「本当ですか。始宙摩にも何度かいらしてました」
「デズモンド、ヌエを優羅さんに預けるのはどう?」
セキの一言にデズモンドは飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「それだけはだめだ。千年前の二の舞になっちまわあ」
「えっ、千年。そんなに長く生きてらっしゃるんですか?」
「マリス、あいつの事は気にしなくていい。あいつにとっちゃあ、ヌエもセキもその親父のリンもわしも、そしてお前もおもちゃみてえなもんだ。あいつは楽しけりゃ何でもいいんだよ」
「そうでしたか。色々と深く考えてらっしゃったようでしたけど」
結局、セキが手を回して連邦のマークの付いたドミニオンの最新型シップがマリスの下に届けられた。
よく晴れた朝、マリスは《祈りの星》に向けて出発した。
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