8.1. Story 1 アフターマス

5 蒲田の調査

 慌ただしく葬儀と告別式が終わった。デズモンドは久我山の家でジウランと暮らすと言って市邨の屋敷を離れた。
 本来は『クロニクル』の完全版を刊行して、湘南に買った家で悠々自適の生活を送るつもりだったが、その半年の間にティオータが死に、能太郎夫妻が先立ったために、全ては白紙となった。
 心配したもえが時折、門前仲町から久我山までアウラとヒナをベビーカーに乗せて様子を見にきた。
 美木村、サンタ、西浦や釉斎も久我山の家を覗いた。
「心配ねえよ。ジウランとうまくやってる」
 デズモンドはそう言って笑顔を見せた。実際に不憫に思った近所の人たちが食事を作ってくれたり、ジウランの面倒を見てくれたので、生活に支障はなかった。

 
 あっという間に七月が来て、その年のお盆が過ぎた。
「そういえば、大吾が捜査を続けるって言ってたな。ちょっと会ってみるか」
 デズモンドは高井戸署に行って蒲田を呼び出してもらった。
「デズモンドさん。久我山に引っ越されたんですってね。もう慣れましたか?」
 電話の向こうの蒲田はいつもと変わらぬ元気な声だった。
「元々根無し草みたいな生活してんだ。引っ越すのは体の一部みたいなもんだ」
「元気そうですね――ぼくの捜査について訊きたいんでしょう?」
「あ、ああ、忙しいんならいいんだ。あれは事故で決着ついてるしな」
「そんな事ありませんよ。いつ連絡が来るかと待ってたんです――どうです。明日にでも会いませんか?」
「お、おお、ジウランは近所の人に預けるし。でも平気なのか?」
「何、遠慮してるんですか。じゃあ九時に久我山駅で。ぼくは車で行きます。デズモンドさんは空路じゃないですよね?」
「おい、人前で滅多な事を言うもんじゃねえよ」
「冗談ですよ。じゃあ明日」

 
 翌日、蒲田の運転する警察車両で高尾の現場に向かった。
 デズモンドが車に乗り込むと蒲田は早速説明を始めた。

 
「まず、あの晩、能太郎さんたちが向かったのは事故現場の先にある郷西さんという一人暮らしのご老人の屋敷でした。この方にたどり着くのには苦労しました。能太郎さんの医院の電話の通話記録を調べたんですが、高尾方面に関係する人物は見つかりませんでした。最後の通話、これが一番怪しかったのですが、『非通知』のため人物の特定に至りませんでした。事故で決着したものをぼくが個人的に調べていただけなので、電話会社に通話記録を提出させる訳にもいきません。仕方なく、現場の近辺の家々を虱潰しに歩いて回り、ようやくたどり着いたのが郷西さんだったんです」
「何で『非通知』だったんだ?」

「順を追ってお話します。郷西さんという方は足の不自由なご老人でペットのオウムと屋敷に暮らしていました。事故の半年前くらいから能太郎さんに往診に来てもらうようになったという事です。郷西さんは確かにその日の夜に能太郎さんに電話をかけて来てもらうようにお願いした、オウムがひどい怪我を負ったらしいのです。けれども待てど暮らせど能太郎さんは来ない、結局次の日にオウムは死にました。ですが能太郎さんが事故に遭われたのはぼくが訪れるまで知らなかったそうです。郷西さんはオウムが死んだのを恨んでいましたが、話を聞いて能太郎さんを死なせてしまったのは自分が呼びつけたせいだと深く後悔されています」
「――ちょっと待てよ。大吾が行くまで知らなかったって言ったが、それはおかしくねえか。ここに電話をかけりゃ、わしはずっと久我山にいたんだから、すぐにわかる」
「実は郷西さんは何度も医院に電話されたようなんです。ところが電話は通じなかった」
「そんな電話を受けてないぞ」

「話を戻させて下さい。ぼくが気になったのは足が不自由で外出もままならず、かといってネットや携帯が使える訳でもない郷西さんがどうやって久我山の能太郎さんを知ったのかという点でした。すると郷西さんは『近所の田中さんから聞いた』とおっしゃったんです」
「――新しい人物登場だな」
「ぼくは郷西さんから住所を伺って田中さんの家に行きました。ところが田中さんはもう引っ越された後でした」
「――」
「ご近所と言っても山の中ですから離れた所にあるので、郷西さんは知らなかったのでしょう。そこで空き家となった田中さんの家の別のご近所の方に田中さんについて訊きました。田中さんはご一家で事故の半年前くらいに転入してこられたとの事でした。構成は主人の田中浩さんと奥さんの明子さん、それに高校生の娘のゆかりさんの三人、それにペットの犬がいたそうです。転出は事故の後まもなく、行く先は特に告げなかったそうです」
「――」
「市役所に行って転入、転出届を調べました。田中なる人物の転出はおろか、転入をしたという記録もありませんでした」
「真っ黒じゃねえか」

「そうなんですよ。田中と名乗る謎の人物が郷西さんに能太郎さんの医院を紹介した――ぼくは再度、郷西さんの屋敷を訪問しました。田中さんとはどういう人物だったのかを尋ねるつもりでした。郷西さんは特にこれといった特徴のない中年男性だったと言いました。他に何か思い出したら連絡をくれるというので、ぼくは連絡先を書いたメモを渡しました」
「ふん、それで?」
「郷西さんからぼくの携帯に連絡があった時にぼくは全てを理解しました。デズモンドさん、何だったかわかりますか?」
「――いや」
「ぼくの携帯のディスプレイには郷西さんの電話番号が表示されたんです。久我山の医院では『非通知』となっていたのに」
「後で設定を変えたかもしれねえぞ」
「その可能性は否定できませんでした。ぼくは三度、郷西さんの屋敷を訪ね、その話をしました。すると郷西さんはそんな設定の仕方は知らないと言ったのです。ぼくはある事に気付きました。もしかすると能太郎さんの医院の電話番号は短縮登録されていて、その番号のセットを田中さんがしたのではないか。郷西さんの答えはイエスでした」
「ほほぉ」
「郷西さんの電話の短縮登録を調べました。『ピアナ医院』という名称で登録はされていましたが、その中身は全く違う番号だったんです」
「――って事はよ、郷西さんはずっと間違った番号にかけてたって事か。でも能太郎は郷西さんの電話で出てったんだろ?」
「そうです。郷西さんは間違った番号にかけ、その電話の主が間髪を入れず能太郎さんに電話する」
「何だってそんな回りくどい真似するんだ?」
「これは推測ですけど、郷西さんの情報とは違う情報を伝えるためかもしれません。ぼくは自分の仮説が正しいか確認しました。するとやはり、郷西さんの電話機の通話の時間と久我山の通話記録の時間はほんの数分ずれていたんです」
「――でもな、能太郎の声色と郷西さんの声色、両方使える人間が必要だぜ」
「そんな人間は――それこそデズモンドさんの方が詳しいんじゃないですか?」
「ああ」
「郷西さんがかけていた間違った電話番号の主を調べた所、予想通りそれは田中浩でした。そして決定的な証拠として郷西さんの家の電話線から田中さんの空き家に別の線が伸びているのを発見しました。きっと慌ただしく出ていったので回収する時間がなかったのでしょう」
「つまり田中某は半年間、能太郎がやってくる機会を窺っていた訳か」

「おそらく。気が遠くなる話ですが。何かあっても事故で処理されるような山の中でペットと暮らしている一人暮らしの老人を探し出し、その近所に引っ越して知り合いになり、能太郎さんの医院の評判を伝え、かかりつけにさせる。そして天候が大荒れになる日、これは偶然かもしれませんが、を辛抱強く待って、郷西さんの家のオウムに怪我をさせ、能太郎さんを呼び出させ、事故に見せかけて襲撃した……最後の方は推測ですが」
「そこまでする動機は何だ?」
「ぼくにそれを言わせるつもりですか?」
「いや、いい。原因はわしだ」

「――別の考えもあります。ぼくは能太郎さんの生前の行動を調べたんです。すると一人の大学時代の友人が浮かび上がりました。その人物は鳥類研究所に勤めているんですが、ティオータさんの事故後、しばらくして能太郎さんが訪ねてきたそうなんです」
「わしは何も聞いてない」
「心配させたくなかったんでしょう。その時に能太郎さんはクマタカの羽根を持参していたと言うんです」
「……クマタカ?」
「主に山に生息する猛禽です。能太郎さんは都心、例えば六本木でクマタカを見かける事はあるか、と質問をしたそうです」
「――わしが間抜けだった。『クロニクル』の刊行で浮かれてたんだ。そもそもティオータの事故を疑ってかかるべきだったんだな」

「ぼくはもう一度、ティオータさんの事故の状況を調べました。あの日、ティオータさんは一旦事務所に戻って、バイトの女の子の出すお茶を飲んでから、もう一度現場に戻ったようなんです。ところがこのバイトの女の子というのがどうしても見つからない、事故後すぐに辞めたらしいのですが、履歴書はまるっきりのインチキだったんです」
「まだあるのかい?」
「いえ、ぼくの調査は以上です。お望みであれば今後も調査を続けますが――実はあの辺りの警察署の所長の専内さんは昔からの知り合いなんで無理も聞いてくれそうですし」
「へえ、お前、警察署長と知り合いなんてもう本当に下っ端じゃないんだな」
「専内さんは特別です。昔は『R班』で荒っぽい事やってたんですけど、あれよあれよと出世して今では警察署長です。『ノンキャリの星』なんて呼ばれてて、皆に分け隔てなく接してくれるいい人なんです」

 
「ふーん、でももう十分だ――大吾、お前の優秀さがよくわかったよ。ここまで解明してくれて感謝するよ」
「いえ」
「わしの想像する人間が相手の場合、これ以上調査を続けるのは危険だ。ここまでにしておけ」
「どうしてですか。ここだけの話ですが、この前お話した葉沢、彼の悲願は藪小路の犯罪を暴き出す事なんです。この話をすればきっと協力してくれると思いますよ。あれほど尻尾を出さなかった藪小路が動いたんですからね」
「いや、止めておけ。この上、お前まで犠牲になったらわしはどうかなっちまう。何、相手は逃げる訳じゃないんだ。じわじわと追い込んでやるさ」
「じゃあデズモンドさんはお一人で?」
「ああ、わしなりのやり方で仇を取ってみせるさ。戦前から生き延びる怪物同士がいよいよ激突する。見物だろ?」
「デズモンドさん、無理しないで下さいね」
「わしを誰だと思ってるんだ。海賊を殴り倒し、戦火を生き延びた不死身の男だぞ」
「でもジウラン君が――」
「ああ、心配事はそれだけだ。あいつを巻き込まないようにうまくやるさ」

 
 都内の一角にある藪小路の屋敷を『矢倉衆』の死王が訪問した。
 話を聞いた藪小路はにやりと笑った。
「一年かかったが、君たちの腕前はよくわかった――合格だ。今後も私のために働いてくれたまえ」
「はっ、ありがたき幸せ――ですがデズモンドに勘付かれたようです」
「気に病む事ではない。次の『クロニクル』で悪く書かれるのは予想済みだ。それに私の戦う相手はデズモンドではない。向こうも直感でそれを理解しているはずだ。このままでいい」
「警視庁の蒲田はどういたしましょう?」
「あの男は面白い。無力な人間の代表のくせに歯を食いしばって付いていこうとする――放っておけ」

 

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 Story 2 八年後

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