8.1. Story 1 アフターマス

2 Yの胎動

 男は心配していた。
 世界中に点在していたカルペディエムがあの時を境として消え去った。
 あの時――その波動は男も感じ取った。全銀河がゆらめくほどの波動、おそらく創造主たちが待ち焦がれていたナインライブズが出現したのだ。
 しかしその幕引きは予想のつかないものだった。
 この箱庭を消そうという意志が全てを覆った時に男は慌てた。そしてその意志がディエムと共にきれいに消え失せた時にさらに慌てた。

 創造主はこの銀河を捨てたか、或いは敗れた――いずれにせよ何の制約もなくなり、銀河覇王が誕生する下地は整ったのだ。

 それでも男は心配だった。星間火庁、ノカーノの血を引く者が銀河覇王になったのであれば、自分に勝ち目はなかった。
 わざわざこの星に腰を落ち着け、ノカーノの末裔の様子を見守ってきたが、覇王がノカーノの血を引いた者である可能性は低かった。
 あの驚愕すべき力を持つ文月源蔵の子、リンは覇王にはならないという確信があった。あの男の頭にあるのはこの箱庭を守る事だけで、そのために創造主に戦いを挑み、勝利したのではないか、と予想した。そんな男が今更、銀河覇王を目指すとは思えなかった。

 リンの子供たちにはどうやらノカーノの力を受け継いだ者はいないようだった。彼らもまた、真のナインライブズ発現で燃え尽きただろうし、今は行方不明だと聞いている。
 では一体誰が、この銀河に覇を唱えるのか。
 未だその姿は見えなかったが、慎重を期さねばならない。
 男は行動を開始する事にした。

 
 男の下に訪問者があった。
 黒眼鏡をかけた小柄な男で、若いのか、年を取っているのか定かではなかった。
「何の用だ?」
「この間、あんたが言っていた通りだ。時代が変わろうとしている」
「わざわざそれを言うために来たのではあるまい。用件を言え。私も暇ではない」
「実は面白い男を発見した。上手く使えば役に立つのではないかと思ってな」
「言ったろう。興味はないと――いや、待て。どんな男だ?」
「ふふふ。やはり行動を開始する気だな。その男はな、都内で宗教団体を主宰している。あまりパッとしていないが、『バルジ教日本支部』と看板に掲げている」
「愚かだな。この星の人間にバルジ教と言った所で何もわかるまい……その主宰の男は別の星の人間か?」
「それはそうだ。だが《祈りの星》から正式に派遣された訳ではない。その男は犯罪者だ。《エテルの都》で殺人に関与し、ここまで逃げてきた」
「《古城の星》の方がふさわしいチンピラだ」
「かもしれんな。だが使いようだ。上手くおだててやれば、それなりの踊りは踊りそうだぞ」
「――わかった。そちらの件はお前に任せる。私は今から出かけねばならん」
「珍しいな。どこに?」
「九州だ」

 
 男は度が過ぎるほど慎重だった。戦後になってから人前に顔を出す事は滅多になくなった。
 唐河がティオータに仕留められたのを聞いてからは移動にも気を遣った。ボディガードを兼ねた運転手の男の車を使うようになった。

「遠刈(とおかり)。出発だ」
 男は防弾ガラスの貼られた車の後部座席に座ると口を開いた。
「どこですか?」
 遠刈と呼ばれた運転席の男は振り向かずに答えた。
「九州だ」
「わかりました……電話が入りましたが」

「間が悪いな。誰だ」
「警察署長です」
「専内か。どうせ大した用ではない。放っとけ」
「はい」

 
 男は遠刈を気に入っていた。寡黙で、無駄口を一切叩かない。身長は百九十センチ近くあり、厚い胸板をしていた。どこかの星から流れてきて、新宿で怪しげなバーの用心棒をしていたらしい。大陸系の客と揉めて、五人を素手で半殺しにし、逃亡中に村雲の関係者に拾われ、その紹介で男の運転手となった。
 九州に着くまでの間、二人は必要最小限以外の会話を交わさなかった。途中のドライブインでも宿泊先のホテルでも遠刈が男の壁となり、モーゼが海を割ったように人をかき分けて進んだ。

 深い山の中に分け入った。車が行けるギリギリの地点まで登ってから、男は言った。
「遠刈、ここで待機だ」
 男はかくしゃくとした足取りで車を降り、道なき道をずんずん登って、姿が見えなくなった。
 普段、感情を表に出さないように努めている遠刈は運転席のハンドルにもたれ、ぼんやりと思った。
 ――あの方の年齢はいくつだ。いや、詮索は止めよう。相手は怪物だ。

 
 男は間もなく、人一人がやっと通れそうな細い道を発見した。
 普通の人間には見えない異次元へ続く道のはずだった。
 道を進むと、砦のような屋敷があった。
 男は屋敷の前に回ると白木の門に手を添えた。
 気を放つと、波動は山全体を揺さぶり、見張り役の男が慌てて駆けてきた。

「何者だ?」
「頭領に会わせてもらおう」
「ここを発見されるとはただならぬ能力の持ち主とお見受けした」
「当然だ。百年ほど前にもここを訪ねている」
「もしや貴方は。失礼ですが名は?」
「藪小路、今はそう名乗っている」
 見張りは一旦奥に引っ込み、間もなく姿を現した。
「どうぞ、こちらへ」

 
 板張りの客間に通され、しばらくすると砦の当主らしき男が現れた。背は低かったが、意志の強そうな、白髪を後ろで束ねた男だった。
「千眼鬼にございます。お会いできるとは夢にも思いませんでした」
「前置きはよい」
「かしこまりました。で、本日は何用で斯様な場所まで?」
「『矢倉衆』の力を借りたい」
「いよいよ動かれますか。物騒な世の中になりますな」
「――一人、二人ではない。手練れをごっそりと貸してほしい」
「これは又、戦争でも始まりますかな。空に数字が出現し、あのディエムとかいう地球にできたイボのようなものが消えたのと関係があるのでしょうか?」
「なかなかの推理だ。空に数字が現れる少し前に宇宙全体が震えたのを感じなかったか?」
「山が鳴りましたな。鳥が飛び、獣が騒ぎ――この砦の結界を破られるのではないかと勘違い致しました」
「そうだ。そういった一連の現象は全てある事象を予見している」
「それは?」
「銀河覇王の誕生だ」
「それは当山に代々伝わる夢物語――」
「考えてもみるがよい。銀河はすでに銀河連邦によって統一された。優れた一人の人間が連邦を屈服させれば、その瞬間に覇王は誕生する」
「ふむ」
「だが誕生した覇王は短命だ。何故ならその覇王は私に敗れ、私が新たな銀河覇王となるからだ」
「本気ですな」
「本気だとも――ところで数年前に魔物が蘇ったな。その時はどう行動した?」
「さあ、特に何も。始宙摩の大海という者の説得に従いましたが」
「始宙摩か。では遠野の『奉ろわぬ者』とも近しいのか?」
「いえ、そのような事はございません。我らは先祖の教えを忠実に守ります」

「私と一緒に覇道を目指そうではないか」
「しかし――」
「これだけの力を持ちながら、国造りで敗れた恨みを抱き、『奉ろわぬ者』として生き続けるか。百年前にここに来たのは見当違いだったな」
「――遠野のように、という意味でしょうか?」
「その通り。国に弓を弾く者だったはずが、今ではこの星の行く末を見守る者などとほざいている。面白いではないか」
「――女子の考えにはついていけませぬ」
「やりたくないのであれば別に構わん。諏訪でも北海道でも琉球でも『奉ろわぬ者』は他にもいる。彼らの協力を仰ごう」
「お待ち下さい。我らは貴方が立ち上がる日を待ち続けておったと申しても過言ではありませぬ。今こそそれにお応えする機会が訪れました」
「では協力してくれるな?」
「死王、ここに来い」

 
 いつの間にか一団の男たちが当主の背後に控えていた。
「死王、ここにおられる藪小路殿にお仕えしようと思うが?」
「おやじに従うまでだ」
「銀河の覇王になられるのだ。首尾よくいった暁にはこの国くらいは下さるかもしれんぞ」
「千眼鬼。東京、いや、かつての東京市以外なら世界中のどこでもくれてやろう。私は東京さえあればよい」
「ずいぶんと狭い範囲にこだわられますな――では藪小路殿の手足となる『矢倉衆』、ご紹介致しましょう。お前たち、挨拶をせんか」

 
「『矢倉衆』の頭領、死王にございます」
 胸板の厚い精悍な顔立ちの男が言い、それに続いて、腕に猛禽を留まらせた背の高い細身の男、鋭い目つきの若者、坊主頭ののっぺりした男、体格の良い男、背の低い陰気な男、無口な若い女性が挨拶をした。
「ほぉ、なかなかの顔ぶれだが腕前は?」
 藪小路の言葉に死王が答えた。
「そうおっしゃられると思っておりました。景気づけにデズモンド・ピアナでも仕留めてみせましょうか?」
「――わかっていないな。デズモンド・ピアナは銀河でも一、二の強さ。お前たちがいくら強くても勝てない」
「しかし、それでは信頼を得られません」
「そうだな。では――

 
 二時間後、男は上機嫌で遠刈の待つ車に乗り込んだ。
「――何かが山を下りました」
「後で紹介する。東京まで戻ってくれ」
 男は上機嫌で遠刈に伝えた。

 

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