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3 コクと沙耶香
コクは《虚栄の星》から故郷の『ネオ』に戻った。
帰る場所はここしかなかった。
誰も自分を許してはくれない。そっと物陰から母に挨拶だけをして、放浪の旅にでも出よう。
生まれてから少年時代までを過ごした農場が見えた。《青の星》で言えば、日本列島の埼玉県の中程にあたる場所だった。東京にあたる場所はほとんど海の中だったし、富士山のあたりは火山活動の影響で暮らすには適していなかった。この細い弓なりの島の中では考えられうる最良の場所だった。
一歩、一歩、家に近付くにつれ、様々な思いが胸を駆け巡った。丘陵地の上に家々が点在し、その下には各戸の農場が広がっていた。
幼い頃から、ハクと共に神童ともてはやされた。
学問でもスポーツでも誰にも負けなかった。
父、リンの後を継ぐのは自分しかいないと秘かに思っていた。よく似たハクは優しすぎたし、弟のセキは凡庸だった。
父はある日、姿を消したが、母にその理由を尋ねても微笑むだけだった。
連邦で働き始め、来年からは連邦大学の学生になる予定だった。
順調な未来への航路は、凡庸だと思っていた弟の覚醒によって狂った。
あっという間に兄妹の中で最強となった弟を見て、ハクも自分もあせりを覚えた。
その結果が《巨大な星》での行動だった。ドワイト卿、いや、ジノーラが石を使って見せてくれた未来、それこそが自分の求めるものだった。
――悪の力
悪の力を手に入れてからの自分の行動はまさしく本能の赴くままだった。
《戦の星》ではハクを裏切った男の命を奪った。
《享楽の星》ではセキを殺しかけた。セキに対する嫉妬、いや、人のために戦うセキが羨ましかったからだ。
石の力でマルを復活させ、『草』を壊滅状態に陥れた。
マリスを復活させた事だけが悪とは程遠い所業だった。
自分の全ての行動はジノーラの計画通りなのだとしたら――
同じ時期にハクもヨーコに誘惑され道を踏み外したが、それもジノーラの計画だったに違いない。
長兄二人はジノーラに導かれ、セキと茶々はリチャードに導かれた。コウは順天の父、創造主ウルトマに、むらさきはマックスウェル大公に、くれないはシロンの魂に、ロクはサフィに導かれた。ヘキは……おそらくケイジに導かれたのだろう。
兄妹全員が何者かの巨大な掌の上で踊っていた。それを突き詰めると、様々な者が熱望する『あれ』の発現を自分たちに期待しての事なのだ。
今、為すべきは弟たちと共に《祈りの星》に向かう事なのは十分理解していた。だがこんな兄を弟たちは許すだろうか――
実家の農場の隣にも農場ができていた。以前はなかったので最近移住してきた新しい移民だろう。
隣家の、と言ってもかなり距離は離れていたが、農場で作業する婦人の後姿が見えた。豆粒ほどの大きさの婦人の後姿が振り向いた。
あれは、麗泉。そうか、『ネオ』に――
麗泉はコクを見つめていたが、やがてコクの実家に向かってゆっくりと歩き出した。
思わずコクが足を止めると、雨虎がコクの盾から飛び出して言った。
「何だ、あの女。この距離で気配を察するなんてすげえな。お前の母ちゃんじゃねえよな?」
「違う。虞麗泉という手練れだ」
「ふーん、それにしてもこの星は自然がいっぱいでいいなあ。ここに住んでもいいぜ」
「――ああ、そりゃいいな。雷獣と一緒に暮らせばいい」
再びコクが歩き出すと、向こうから誰かがゆっくりと歩いてくるのが見えた。
雨虎はコクに言った。
「じゃあ、おれはこの辺で遊んでるから、後でまたな」
「あ、ああ」
コクは雨虎と別れて再び歩き出した。前方の人物との距離が縮まり、それが女性だとわかった。
「……おふくろ」
丘を降りてきた沙耶香はコクの前で立ち止まった。
「お帰り、コク。ご飯食べていくでしょ」
「あ、ああ」
きれいに片付けられた実家での食事は格別だった。
「じいちゃんとばあちゃんは?」
「本部に行ってるわ」
「ふーん」
本部と言うのは中央アジアにある『ネオ』の本部だった。地下交通機関、『コンチネンタル・チューブ』を使えば、十五分で行って帰ってくる事ができた。
「隣、麗泉が引っ越してきたんだな?」
「そうよ。お兄様の介護とか考えるとそれが一番安心だから。それに麗子さん、勘がいいでしょ。山から熊が降りてきた時とかはいち早く気付いてくれるのよ」
「確かにな――相変わらずコインが飛び回ってんのかな」
「えっ、それは何?」
「何でもねえよ」
その後は会話もなく、食事を終え、沙耶香が渋いお茶と手作りのおはぎを出してくれた。
「ちょうどよかったわ。昨夜作ったの。コクはあんこのおはぎが好きだったでしょ。ハクはきなこの方が好き。双子なのに違う所もあるんだなって。ええと、セキはどっちだったかしら?」
「セキはゴマのついたやつだよ――」
「ああ、そうだった」
「――なあ、おふくろ」
「何?」
「……何か言う事があるんじゃねえか」
「どうして。何もないわよ」
「そうかよ」
「一つあったわ――これから兄妹全員で会うんでしょ。皆によろしくね」
「……おふくろ。その件だけどさ――」
「さあ、皆を待たせちゃいけないわ。コクは年上なんだから模範を示さなきゃ」
「あのさ、ここで暮らしてもいいかな?」
「もちろんよ。ここはあなたの家なんだから。ジュネの所でもアダンの所でもそれは一緒。あなたの帰る家よ」
「――わかった。俺、行くわ」
コクは走って家を出ていった。
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