目次
3 竜の咽仏
レース開始
レース当日、王都セーレンセンは天候に恵まれ、早朝から熱狂に包まれた。王宮の前の広場にはレースにエントリーしたポッドがずらりと並び、その数は優に百機を越えた。
その中でもひときわ異彩を放ったのは他のポッドに比べて二回り近く大きなロクの愛機だった。
群衆はロクのポッドを指差して、囃し立てたり、笑ったりしたが、ロクは最後の整備に余念がなかった。
数人の出場選手がロクのポッドに近付いて笑い声を上げた。
「おい、見ろよ。観光ポッドだぜ」と一人が言った。
「本当だ。レースの随行員なんだろう」
「はるか最後方からな」
そう言って男たちは尚も大笑いをした。
「いい加減にしねえか」
リーダーらしき人物が大笑いする男たちを叱りつけた。
体格のいい、長髪の男はロクに近付いて言った。
「悪かったな」
「気にしてませんよ」
「オレはクロウだ」
「ロク文月です」
「アステロイドを越えてきたんだってな。それなりに技術はあんだろう。だがレースは違うって事を教えてやっから覚悟しとけよ」
「それはどうもご丁寧に。ぼくもこの場で足を折られるかと思いましたよ」
「てめえ――」
クロウが何かを言おうとした時、男の一人が耳元で何かを囁いた。
クロウはロクを睨みつけてから、別の男と話し始めた。
男はロクをちらっと見た。
黒髪を撫で付けた細身の男、あれがジャンガリだ、ロクはそう思った。
ジャンガリはロクの方には来ようとせず、クロウを連れて去っていった。
ナイローダ王が王宮のテラスに立った。
「今回のレースは黒龍の谷で行う。黒龍の谷とはその名の通り、竜の体のような形の景観、まさしく大自然の奇跡と言われる場所だ。スタートは『龍の尻尾』。そこから『龍の七曲り』を経て、間欠泉の吹き上げる『龍の胃の腑』、そこから『龍の翼』を回って、間欠泉に水が流れ落ちる『龍の咽門』を昇る。最後は『龍の顎門』、そこを抜けた場所がゴールとなる。尚、今回の王室杯の勝者には我が娘オデッタの許嫁となる権利を手にする。オデッタ、ここに」
ナイローダ王に促され、オデッタがテラスに立った。作業服姿ではなく、純白のドレスに身を包んだオデッタは美しく、気品に満ち溢れていた。
「ではレース会場まで移動してくれたまえ。会場とここはヴィジョンで繋ぐ」
町は一段と賑やかな歓声に包まれた。
スタート地点は地底の奥深くに広がった平地だった。そこに集まった百機を越えるポッドが一斉に尻尾を目指せば、当然渋滞となり、小競り合いが起こるはずだった。
空間に映ったヴィジョンのナイローダ王がカウントダウンを開始した。
全てのポッドが尻尾を目指してダッシュを開始した。
ロクは様子を見た。皆、この程度のスピードなら自分のポッドに勝てる者はいない。しばらくは中団に付けようと考えた。
ロクが尻尾の入口付近に着いた時、案の定、渋滞が発生していた。ポッド同士が激しく機体をぶつけ合い、弾かれてできた隙間に別のポッドが頭をねじ込もうとしていた。
その中に組織だった動きをする一団がいた。二機のポッドが入口を塞ぐようにして待機し、その隙にポッドを尻尾の中に送り込んでいた。
ジャンガリの一味だな、ロクはそう思い、一味が去った後の渋滞が終わるのを待ち、悠々と尻尾の中に突入した。
尻尾の中は狭く、曲がりくねっていた。ロクはできるだけ推力を無駄遣いせずに進んだ。このまま中団の位置をキープしていけばどこかでごぼう抜きにするチャンスが訪れる。
尻尾を抜けた先が七曲りだった。その名の通り、岩が格子状になっていてどこを進めば正解かわからなかった。
前回、黒龍の谷で行われたレースにも出場していたクロウの動きは素早かった。正解のルートを先頭で抜け、仲間と共に迷路の出口で待ち伏せた。
ようやく一機のポッドが迷路を抜けると、クロウの仲間の六機のポッドが前後左右上下にそのポッドを取り囲んだ。身動きの取れなくなったポッドが六機のポッドに誘導されるように進んだその先には間欠泉の吹き上げる穴が口を開けていた。
六機のポッドは包囲していたポッドから急いで離れた。すると穴から大量の熱水が吹き上げ、包囲されていたポッドはそのまま上空に吹き上げられ、岩の天井に激突し、大破した。
「いっちょあがり!」
いつの間にかポッドから降りたジャンガリが囃し立てた。
「おい、クロウ。こんな風に一機ずつやっつけんのか」
クロウもポッドを降りた。
「いえ、有力な選手だけで十分かと思います」
「ふーん、つまんねえの」
その後も苦労して迷路を抜けたポッドは次々と餌食になっていった。
「そろそろいいかと思います。翼までのんびりと参りましょう」
「――まだ、あいつが来てねえ。あのでっかいポッドの野郎が」
「ジャンガリ様はロクが気になりますか。ではここに三機ほど残していきましょう。残りの五機は先に進むという事で」
「へっへへ、勝利は固いな。じゃあ行こうぜ」
ロクのポッドがようやく七曲りを抜け、平坦な胃の腑に出た。
すると三機のポッドがすすっと接近した。
「来たな」
三機がロクのポッドを包囲するように取り囲んだ。ロクは推力を放出し、一瞬で包囲網から抜け出し、相手も負けじと追撃を開始した。
空中でのつばぜり合いが続いた。ロクのポッドは速く、小回りも効き、その上大きかった。一機のポッドを地上に叩き落とし、航行不能にすると、残りの二機は少し距離を開け、後方から追った。
ロクは後方に注意を払いながら速力を上げ、相手を振り切る作戦に出た。
今回のコースは一旦、翼に昇り、そこから再び胃の腑に戻ってくるため、胃の腑は障害物で二つに分断されていた。
ロクのポッドはそれに気付かず、全速力で障害物に向かった。
「しまった!」
ロクは急旋回して障害物を避け、その反動で機体が大きく上下に波打った。
後方の二機のポッドから何かが飛んできた。
「ミサイル?レースなのに」
ロクはひらりと飛んでくるミサイルを避けたが、地面から噴き上がろうとする熱水までは予想していなかった。
ポッドは熱水に吹き上げられ、コントロールを失いそうになった。ロクは岩の天井に叩きつけられる寸前で堪えたが、相手のミサイルが容赦なく襲ってきた。
「……退避した方がよさそうだ」
地上に間欠泉の噴き出す穴とは異なる穴が見えた。ロクは躊躇なくポッドをその中に滑り込ませた。
相手はそこまでは追ってこなかった。
「まさかあんな装備までしているとは」
ロクはぶつぶつ言いながら周囲を見回した。先を降りた所が平らな場所になっていた。
ロクはポッドを停め、一息ついた。
聖人
「さて、そろそろ戻らないと」
ロクがコースに復帰しようとしたその時、視界に妙なものが映った。
「?」
杖をついた白髪の老人が立っていた。ロクはポッドを停止させ、外に出た。
「こんな場所で何をしてらっしゃるのですか?」
「お主を待っておった」
「えっ?」
「ロク文月。お主は《智の星団》に赴こうとしているな?」
「何故それを?」
「今までにも多くの者がかの地を目指したが、誰も無事には戻らなかった。何故だかわかるか?」
「シップやポッドの性能の問題ではないのですか?」
「順番だ。正しい順番で星を訪ねないと次元の狭間を彷徨う事になる」
「なるほど」
「お主の求める全ては《叡智の星》にある。そこにたどり着くには、《蟻塚の星》、次に《凶鳥の星》、《迷路の星》、《機械の星》と訪ねるのだ。この順序を間違えてはならんぞ」
「ありがとうございます」
「正しく回れば、それぞれの星で私以外の弟子にも会うだろう」
「はっ――あなたは聖アダニア?」
「真の智に目覚める事を願っておるぞ。さあ、レースに戻るがいい」
アダニアの姿は薄れていった。
「――アダニア様、もう一つだけ……」
アダニアの姿は消えた。
「これはえらい事になったぞ――でもまずはレースに勝たないと」
ロクは全速力でポッドを駆った。
レースの決着
胃の腑にクロウの一味はいなかったが、一味はあの後もミサイルを乱射したのだろう、ポッドの残骸が至る所に転がっていた。
ロクは推力を最大限に上げて翼を昇っていった。ぐんぐんスピードを上げたが、追い越す相手はどこにもなく、あちらこちらにポッドの残骸だけが累々と積み重なっていた。
ようやく翼の先端部にあたる折り返し地点を過ぎた付近で前方にロクを襲撃した二機のポッドの姿を発見した。
ロクが全速力で背後に迫ると二機のポッドはパニックに陥ったようだった。お構いなしに背後から体当たりをかますと、二機のポッドは左右の岩の壁に激突し、動きを止めた。
翼を降りると再び胃の腑に出て、そこから最大の難所、『龍の咽門』を昇っていく。
もうレースに参加しているのはロクとクロウたちだけのようだった。ロクは誰もいない胃の腑を越えて、咽門へと向かった。
定期的に水が上から流れ落ちる、長い昇りの道だった。水が落ちる瞬間に咄嗟の判断で横道に逃げ込んでいないと、水の力で下に叩き落されてしまう、気の抜けない道中だった。
ロクも何度か水の洗礼を受けながら上へと昇っていった。途中で水を避けていると、クロウの仲間のポッドらしき一機が流されて落ちていくのが見えた。
「よし、もうすぐ顎門だな」
顎門は天井と地面の両方から尖った岩が伸びるエリアだった。機体をこすらないようにして狭い空間を進まなければならなかった。
その中をジャンガリとクロウ、その仲間の四機のポッドは悠々と進んでいた。
「しかし競争相手をミサイルで撃墜するなんて」
クロウは自機の中で一人思った。
咽門を抜けた時にポッドを降りてジャンガリに文句を言ったが、ジャンガリは『勝ちゃあいいんだよ』と笑って取り合わなかった。
こんなのは最早レースではない。自分もジャンガリにそそのかされ妨害行為を行ったが、相手を撃墜するのは許容できなかった。
突然、後方にいた二機が慌ててクロウの下にやってきた。クロウが後方を見ると一機のポッドが猛烈なスピードで迫っていた。
あれはロクのポッドだ、やはり最後は奴との決戦か、クロウは笑みをもらした。
後方の二機がロクのポッドを攻撃しにいったが、その凄まじい速さに弾き飛ばされて岩に激突し行動不能になった。
ロクのポッドはクロウとジャンガリのポッドに追いつき停止した。ロクが怒りの表情も露わにポッドを降りて叫んだ。
「ジャンガリ、クロウ。こんな真似をしてまで勝ちたいのか」
クロウもポッドを降りてロクに近付いた。
「ロク、ここから先はポッド勝負といこうではないか」
その言葉が終わらない内にジャンガリのポッドからロクめがけて機銃掃射が行われた。クロウは自らを盾としてロクの前に立ち、銃弾を受け止め、ハチの巣になって倒れた。
「ジャンガリ、貴様」
ロクはポッドに飛び乗り、ジャンガリ目がけて突進した。
ジャンガリはゴール目指して一目散に逃げ出し、ロクのポッドがそれを追った。
とうとう平らな直線路になり、ゴールを示すゲートが見えた。
ロクは最大の推力でジャンガリを抜き去るのではなく、上空に上がった。そのままジャンガリのポッドに上から体当たりを食らわせるとポッドは半分以上地面に埋まり、動かなくなった。
ロクはゆっくりとゴールゲートをくぐった。
「優勝はロク文月!」
ポッドを降りたロクが祝福を受け、王宮までの凱旋の準備をしていると、髪の毛が乱れ、額から血を流し、足を引きずったジャンガリが現れた。
ゴールに待機した家臣たちが駆け寄るのを制して、ジャンガリは大声で叫んだ。
「ロク、覚えとけよ。この恨みは絶対に忘れねえぞ」
「ジャンガリ、とっとと出ていけ。そして二度とこの星に来るな」
尚も呪いの言葉を吐きながら、ジャンガリは家臣たちに連れられて去っていった。
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