目次
4 マリスの復活
《青の星》に戻ったセキとロクはケイジに言われた通り、警視庁の蒲田大悟を訪ねた。
「やあ、セキ君。それにロク君だったね。久しぶり。またどこかに行ってたのかい?」
「ええ、色々と。こちらの様子はどうですか?」
「……ようやく落ち着きつつあるよ。ほら、君の彼女の市邨さんの家が先頭に立って東京の治安を維持してくれているしね」
「そうですか。落ち着いた所を悪いんですけど――」
セキはむらさきが『死者の国』で会ったマリスの話をした。
「えっ、本当かなあ。本当に、しかもこの東京に蘇るものかね」
「ケイジはその日は近い、蘇るとしたら東京だって言ってました」
「東京と一口に言っても広いよ」
「僕もよくわかってないから、そのまんま伝えますね。『マリスの記憶は二十年前のまま、Tホテルまで行くはずだったが、祝田橋交差点で止まっているはずだ。つまり蘇ったマリスは祝田橋からTホテルを目指すはずだ』だって」
「……わかったよ。早速、西浦さんに相談する。でも百パーセント確実な訳じゃないから大々的な規制はできない。大体の日時だけでもわかればいいんだが」
「うーん、困ったな。それじゃあ『丸市会』の人たちに頼もうかな。美木村さん、頼りになるし」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。警察を信用してないのかい――新宿の時も君には助けられてるから何とかするよ。今日から三日間、祝田橋から日比谷までの道を重点警戒する」
「封鎖はできないの?」
「それは無理だな。爆破予告も何もないんだもの。むらさき君が『死者の国』でマリス本人に会ったって話だけでは組織を動かせないよ」
「確かにそうですね。じゃあ連邦の出張所と『丸市会』で何とかしてもらいます」
「すまないね。ぼくは部下を連れて現場に向かうから。でも相手は姿が見えないんだ。気をつけようがない、というのが正直な感想さ」
コクは東京を見下ろせる景色のいい場所を探した。高層ビルの屋上から見物する手もあったが、どうにも味気ない気がした。もっと東京という街全体を自分の箱庭のように見渡す事のできる場所から大爆発の様子を俯瞰したい、まるで創造主にでもなった気分だった。
今から一時間ほど前にマリスを送り出した時の会話を思い返した。
「さあ、マリス。行っておいで」
「ねえ、コク、本当?本当に本当にむらさきが待ってるの?」
「むらさきはわからないけど、おれの弟のセキがいるはずだよ――マリスの誕生日のために、きれいなキラキラの箱を用意してるから、マリスはそれを派手に開ければいいだけさ。まるで雪みたいにガラスが降ってきてきっときれいだぞ」
「雪って何?」
「雪ってのは空から降る水の固まったものさ――そんな事よりいいかい。そこに着くまでは建物を爆破しちゃだめだぞ」
「わかってるよ。もう爆破はしないってリンと約束したんだ。でもそのキラキラの箱だけは爆破してもいいって何だかおかしいね」
「マリスの誕生日のお祝いだから特別に大きなプレゼントの箱だと思えばいいさ」
「本当?」
マリスは嬉しそうな顔をした後、気配を消した。
ここがいい、コクは見物に適した場所を発見した。東京の中心部の高台、眼下に皇居があり、その向こうにこれから大輪の花を咲かす建物が見えていた。
コクは坂を上り、寺に入った。人がいなくなったのを見計らって、ひらりと屋根の上に飛び乗った。
まだ一時間、いや、二時間はかかるだろう、それまではする事がなかった。コクは屋根の上で仮眠を取るつもりだった。
セキとロクは祝田橋交差点付近に立った。父のリンと違って自分たちには気配を消す能力はなかった。果たしてマリスの行動を止められるだろうか、できる事といえば爆破が起こった場所にいち早く駆けつけて、マリスとの対話を試みるしかなかった。
「むらさきがいてくれればよかったのにな」とロクが言った。
「うん、マリスと会ったのはむらさきだけだしね」
セキたちの言葉に応えるかのように冬の夕日を背にして一匹の龍が飛んできた。龍はセキたちの頭上で旋回してから地上に降り立った。
「あっ、むらさき」
「遅くなりました。マリスの復活を待ってらっしゃるんでしょ」
「うん、シロンたちはどうなったの?」
「心安らかに転生の輪に入られました。大公が『すぐに帰れ』というので急いで来たんです」
「本当にマリスがここで復活するのかな?」
「何も聞いてませんの。《流浪の星》でコクが”Resurrection”を行使してマリスの父、マルを蘇らせました。コクはその息子、マリスをこの場所で復活させようとするはずです」
「聞いてないよ。何でむらさきは知ってるの?」
「”Resurrection”はArhatの力を借りて『死者の国』から魂を呼び出すのだそうです。その時に『死者の国』が震えるのだとか。《青の星》の時は大変だったそうですよ」
「なるほど。大公かルパートが言ってたんだね。でもここである必要はないよね。ここはマリスの故郷じゃないんだし」
「ここはお父様とマリスの約束の場所。マリスが死んだため、お父様は約束を果たせなかった。それを……セキ、おそらくあなたに継がせようとコクは考えているのではないでしょうか」
「えっ、どういう事。まったくわからないよ。何で僕が父さんの後を継がなきゃならないの」
「私にもわかりませんわ。でもコクには考えがあるのでしょう」
夜の帳が降りた。蒲田たちの姿は見えなかったが、交通規制をしてくれているのだろう、冷え込む無人の交差点では信号だけが点滅を繰り返していた。
「――空気が変わったな」
蛟がぽつりとつぶやいた。
交差点の向こうで少年が手を振っていた。少年は信号をお構いなしに渡り、こちらに走ってきた。
「わーい、むらさき」
まだ四つか五つの金髪の少年が寒さで頬を真っ赤に染めて立っていた。
「お帰りなさい、マリス」
むらさきはにこりと笑い、マリスの頬に手を当てた。
「えっ、この子がマリスなの?」
セキが言うとマリスはセキの方を向いた。
「うん、そうだよ……あれ、リン?ううん、リンじゃないな。よく似てるけど」
「僕はセキ、こっちがロク。むらさきの兄弟だよ」
「なあんだ。じゃあ、ぼくとも兄弟だね」
「ああ、そうだね」
「さあ、マリス。外は寒いから中に入りましょう」
「そうだね。早く行こう、行こう」
マリスはむらさきの手を引いて歩き出した。
「あら、マリス。行くあてがあるの?」
「うふふ、ないしょ」
マリスがむらさきの手を引き、先頭を歩いた。蛟は小さくなってむらさきの肩の上に留まり、その後ろをセキとロクが歩いた。
「セキ、蒲田さんには連絡したよ。ぼくらが嘘をついてなかったから、上司のメンツも保てたし、何も起こらなくてそれが一番よかったって」
「うん、予想と違ったけど。連絡は取り続けた方がいいかもね」
マリスはTホテル方面に向かわず有楽町方面に曲がった。
「あれ、マリス。Tホテルはこっちだよ」とロクが言った。
「そんなところに行きたいんじゃないんだ」
「あら、マリス。どこなのかしら?」
「すぐに着くからさあ」
マリスは有楽町方面に進路を取ったまましばらく歩いた。
「ああ、あれ、きっとあれだ」
「あれは何だろう」
セキが言うとロクがすぐにポータバインドで調べて答えた。
「国際会議場だね」
「ふーん、ガラス張りできれいだ」
会議場の広大な敷地には一足早いクリスマス気分に浸るカップルたちの姿がちらほらと見受けられた。
「今度、もえと来ようかな」
「ねえ、マリス」とむらさきが尋ねた。「ここで何があるんですの?」
「今日はぼくのお誕生日でしょ?」
「――そうね。そうなりますわね」
「だからお祝い」
「へえ、何かあるの?」とセキが訊いた。
「うん、雪を降らすんだい」
マリスはそう言うと走り去った。気配を消したらしくその場で姿が見えなくなった。
「本当にただの子供だよねえ」
セキがマリスを追いかけるのをあきらめて言った。
「ですわね」
むらさきものんびりと答えた。
「いいのか。そんなにのんびりしてて」とむらさきの肩に留まった蛟が言った。「この建物が木端微塵に壊れりゃ、それこそ雪が降ったみたいになるんじゃないか」
三人はその場で凍りついた。
「大変だ。ロク、蒲田さんに連絡して。それからポッドを呼んで。マリスを探さなくちゃ」
セキがそう言って、むらさきを見ると早くも巨大化した蛟がむらさきを背に乗せて飛び立とうとしていた。
「ロクと一緒にこの建物の中の人たちを避難させますわ」
「ありがとう。僕は何かあったら重力制御で被害が出ないようにするから」
「セキ、無理するな。こんなでかい建物、支えきれるはずがない」
飛び立った蛟が言い、セキはウインクを返した。
セキは大急ぎで広場に立ってあらん限りの大声を出した。
「マリスー、何してるんだい。早く出ておいでよー」
「……コクに言われたから準備してるんだよー。一番きれいな雪を降らせるから待っててねー」
声が返ってきた。周囲のカップルたちはくすくす笑いながらセキを見ていた。
「マリスー、ちょっと待っててくれないかー」
「えー、何でー」
「こっちも準備があるんだよー。ほら、一番いい場所で見たいじゃないかー」
「……わかったー。じゃあそっちの準備ができたら言ってねー」
少しは時間が稼げそうだった。ロクから連絡を受けた蒲田たちが会議場の広場にやってきて人々の避難を開始した。蒲田がセキの下にやってきた。
「セキ君。まずいね」
「そうなんですよ。僕たちではマリスの姿を見る事ができないんで打つ手がありません。でもこちらの避難が終わるまでは待ってくれるみたいです」
「……という事はこの建物は?」
「木端微塵になる予定です」
「大変だ――だが三十分あれば地下鉄から来る人も含めてどうにか人を排除できると思う」
コクは眼下に小さく見える会議場で慌ただしく人が動き回るのを見ていた。
「どうやら始まるようだな」
下の景色に夢中になるあまり、数人の男たちが寺の境内に足音も立てずに入ってきたのに気付かなかった。
「ねえ、セキ、まだー?」
マリスの声がした。もう付近を歩く人はいなかった。
「もうちょっとだよー」
蒲田からの合図はまだなかった。
「ねえ、マリスー、君はどこで雪を見るのー?」
「……あはは、考えてなかったー」
「僕も一緒に見るよー。どこにいるんだいー」
返事がなかった。どこかに移動したのか、セキは必死になってマリスの居場所を考えながら周囲を見回した。
マリスは広場の中央に立った。ここから全部の雪がぼくに向かって降るんだ。
よぉし、いくぞ
セキの視界に気配を戻したマリスの姿が飛び込んだ。セキが走り寄って抱きかかえるよりも一瞬早く、マリスの高く上げた両手が下ろされた。
建物全体が一瞬にして膨らんだ。その後、地の底から響く唸り声のような音がして、建物が縮み出した。爆発が外に向けてではなく内部に向かうように爆弾を仕込んだためだった。
鉄骨がはずれ、巨大なガラスにひびが入った。そうやって爆破された全てのものが広場の中央にいたマリスとセキを目がけて降り注いだ。
セキは自分とマリスの周囲の空間の重力を制御し、落下物を空中で止めた。だが空からは次々と色々なものが降ってきた。堪え切れなくなるのは時間の問題だった。
セキは広場の入口に向かってじりじりと移動を開始した。すでに足元は瓦礫の山で大変な事になっていた。セキはマリスを抱きかかえたまま、降り注ぐ瓦礫を空中に止めながら慎重に進んだ。
もう少しで広場の端だった。むらさきが心配そうに立っているのが見えた。あそこにマリスを預ければ全て終わりだった。
その時、屋根を支えていたとびきり大きな鉄骨が落下した。
落下を空中で食い止めたセキの体に衝撃が走った。
だめだ、支えきれない――
でも父さんとの約束、マリスを守るのは約束だ。
「むらさき、マリスを――」
セキは抱きかかえていたマリスを広場の外で待っていたむらさきの方に投げ飛ばした。むらさきは地面に落ちそうになる寸前にマリスを抱きとめた。
「セキ、マリスは無事よ。早く出てきて」
「……ん、だめみたい」
セキがゆっくりと倒れ、空中で止まっていた巨大な鉄骨がセキに覆いかぶさろうとした瞬間、ロクの乗ったポッドがセキを救い上げた。
鉄骨は凄まじい音と共に地面に落下し、瓦礫の山に突き刺さった。
広場の外で待っていたむらさきとマリスの下にロクのポッドが乗り付けた。ロクは意識を失ったセキをポッドから引きずり出し、むらさきの下に歩いていった。
蒲田も走ってきた。マリスの顔は青ざめていた。
「むらさき、セキの様子は?」
ロクが尋ねるとむらさきは首を横に振った。
「もえさんを呼んできて下さいませんか?」
「あ、ああ、わかった」
ロクがポッドで行ってしまうとマリスが震える声で言った。
「ああ、またやっちゃった。セキが死んだらぼくのせいだ」
「マリス。聞きなさい」
初めて聞くむらさきの声の調子だった。
「確かにあなたがした事は許されません。でも私の父、リンが二十年前にあなたにした事を考えれば仕方ありません」
そう言ってむらさきはにこりと笑った。
「どういう意味?」
「二十年前にリンは約束をしたにもかかわらず、あなたを守りきれなかった。けれど二十年という歳月をかけて私たちはあなたを守った。これでようやくあなたに引け目を感じず、家族と呼ぶ事ができるようになったのです」
「本当、本当に本当?」
「本当ですよ。でも約束して下さい。今度こそ爆弾を二度と使わないと」
むらさきは何度も頷くマリスを抱きしめて蒲田に言った。
「蒲田さん、被害に遭われた方はいらっしゃいますか?」
「いや、君たちが時間を稼いでくれたおかげで全員無事避難できた。ただこの建物に関してはまた連邦に建て直してもらわないといけないね」
「そうですか。マリスの件ですが――」
「誰の事だい、それは?マリス君は二十年前に亡くなっているじゃないか」
「蒲田さん、ありがとうございます。この子は責任を持って私たちが育てます」
コクは満足していた。
「ははは、予想以上だったな。おれのプロデュース能力は大したもんだ」
屋根から飛び降りたコクを男たちが取り囲んだ。黒づくめのスーツの集団だった。一人の男が前に出た。
金縁眼鏡をかけた痩せた男だった。
「文月リンの息子、コクだな?」
「何だ、お前たちは?」
「警告だ。調子に乗るな」
「誰がいつ調子に乗ったって言うんだよ」
「お前たち兄妹がこの星を滅亡から救ったのは評価しよう。石を手にして舞い上がっているのかもしれないが、その石による更なる破壊を続けるなら、それ相応の対応をする」
「石の力を知ってるって事は――」
「何者でもいい」
「あいつらは今回の事を警察の一部の人間にしか知らせていないはずだ。あんた、しかも警察内部の人間だな」
「勘が良すぎるのも考え物だな。寿命は買えないんだぜ」
金縁眼鏡の男が胸の膨らみに手を伸ばしそうになったのでコクは慌てて言った。
「もうこの星でやる事は何もねえよ。後はいかに幕引きをするかだ」
「だったらいい。あの方は今更君の父、いや祖父を始末しておけばよかったと悔やみたくはないそうだ」
男たちは去っていった。
「何だ、ありゃ」
今言った言葉通り、コクは帰るつもりだった。
やるべき事は全てやった。《虚栄の星》で来たるべき決戦に備えよう。
ロクの乗ったポッドがもえを連れて戻ってきた。
もえは蛟の背中でぐったりと横たわるセキを一目見て、息を呑んだ。むらさきがマリスを連れてもえの下へ行き、会話を交わし、もえはマリスの頭を愛おしげに撫でた。
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