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2 ザイマの決断
ザイマは不思議な気分で北の都をさまよい歩いた。
きっと今頃は西の都だけでなく全ての都で連邦の攻撃が始まっているはずだった。その証拠に東にも南にも西にも遠くに煙が上がっているのが見えた。
なのに、ここの静けさは何だ。何故、何も起こらないのだ。
ふらふらと歩くザイマの目に突然それが飛び込んできた。
前方からやってくる二人連れ、そのうちの片方は――ああ、ついにこの都もおしまいだ。
ザイマはありったけの勇気を振り絞って二人連れの前に立ちはだかった。
「おい、お前たち」
二人連れの若い方は胡散臭そうにザイマを見た。目を血走らせ、無精ひげも剃っていない自分を酔っ払いか何かだと思っているのだろう。
年のいった方は――ああ、やはりそうだ。忘れもしない顔、二十年前と同じように貴族のような佇まいだが、少し野性味を増していた。
「何か用か?」
年のいった方が口を開いた。ザイマを見ても何の感慨も湧いていないようだった。
「……この都を破壊するつもりか?」
「ん、何を言っている。訳がわからんな」
「この都はおれが育てた。壊さんでくれ」
「ははは、寝ぼけた事を言っている。あんたはこの都の都督か。二日酔いなだけだろう?」
「……おれを覚えていないのか。リチャード・センテニア」
「なあんだ、リチャード。知り合いじゃねえか」と若い方が言った。
「……、……いや、覚えがないな」
「おれだよ、ザイマだ」
「ザイマ?」
「ほら、二十年前に《エテルの都》の地下で」
「……、……ああ、そういえばそんな男がいたな。確かジェニーと腕比べをしたんだったな」
「そうだよ、そのザイマだよ」
「そのザイマが何をしているんだ?」
「お前、チオニの事を何も知らないのか?」
「悪いが今着いたばかりでな。これから情報を仕入れようと思っていたが、お前が色々と知っているならこれも何かの縁だ。話してくれ」
「そう面と向かって頼まれるとな――いいか、おれがこの北の都の都督だ」
「こんな無精ひげの酔っ払いがかよ」と若い方が言った。
「どうもお前の連れは口が悪いようだな」
「すまん。一応紹介しておくか。こいつは文月リンの息子、文月茶々だ」
「よろしくな、都督さん」
「あ、ああ、よろしく」
「しかし茶々が酔っ払いと間違ったのも無理はない。この非常時に大路をふらふら歩いている奴を誰も都督とは思わん。いいのか、こんな場所で油を売っていて」
「……おれはよ、ドノスの命令に従いたくなかったんで都督庁を逃げ出した。でもこの都を想う気持ちは誰にも負けちゃいねえ。な、リチャード、わかるだろ?」
「ザイマ、落ち着け。わかるように話せ。ドノスの命令とは何だ?」
「ドノスは都督たちを改造人間にするつもりだから逃げ出した。おれは連邦に勝てないのがよくわかってる。おれたちが怪物になったってお前たちは問題にもしない。お前たちの方がよほど怪物だ」
「それはどうも。つまりお前は戦う気はないんだな?」
「もちろんだ」
「だったら都督庁の中に入れるか?」
「……構わんが約束してくれ。この北の都を破壊しないと。約束してくれるなら今から案内してやる」
「不要な破壊をするつもりはない。約束もへったくれもないな」
「ああ、疑って悪かった。だが街の人々の話を聞くと他の都はひどい有様らしい――見ろよ。どこの都でも幾つも火の手が上がってる」
リチャードと茶々はザイマの言葉に従って南、西、東の方角を見た。茶々は二人の傍を離れ、誰かを探しているようだった。
「……ふむ」とリチャードは言った。「他の都までは知らんな。だが火の手が上がっているという事は燃えるものが存在しているという事だ」
茶々が戻ってリチャードに耳打ちした。
「東の都は壊滅状態だそうだぜ」
「何てこった――さあ、あんたたち、行くならとっとと行こうじゃないか」
ザイマの案内でリチャードと茶々は北の都督庁前に立った。
「ザイマだ。扉を開けてくれ」
扉の上のバルコニーから一人の兵士が顔を出した。
「ザイマ殿、今は非常事態ですぞ。何をされているのですか」
すぐにもう一人の兵士が顔を出し、慌てた口調で言った。
「すでに都督の職を辞されたと聞きました。何をしにお戻りになられたのです」
ザイマは閉ざされた扉をこつこつと指で叩いた。
「そんな小さな事に拘っている場合か。今はこの都だけでなく、チオニ、いや、この星の正念場。いいから扉を開けろ」
兵士たちはザイマの剣幕に押され、急いで都督庁の扉を開けた。
「さあ、入ってくれ――お前たち、扉は開けたままにしておけ。出ていく者、逃げ込む者、誰でも自由に通行できるようにしておくのだ」
都督庁の内部の様子は普通の建物と変わりなかった。
「もっとおどろおどろしいと思っていたがな」とリチャードが言った。
「あんたの言う通りだよ。ちょっと待っててくれ」
ザイマはリチャードたちを残して奥の部屋へと消えた。戻ったザイマの手には不思議な装飾の付いた青銅色の鍵が握られていた。
「これが文字通りの鍵だ。この鍵を使えばどの部屋からでも本当の都督庁内部に入っていける」
「『本当』とは王宮に続いている、という意味か?」
「さあ、おれにはよくわからんが別次元だろうな。もっともあんたたちの襲撃に備えてドノスは更に色々と仕掛けをしたはずだ。王宮まで無事に辿り着ける保証はどこにもない」
「それで十分だ。ここにいても王宮には一生辿り着けない」
「……あんたは相変わらず強いな」
「お前も一緒に来るか?」
「……いや、遠慮する。行かなきゃならない場所があるんだ」
「――そうか」
「この鍵はあんたに預けておくよ。使う機会はないだろうがな――じゃあな」
ザイマが去り、茶々がリチャードに言った。
「あいつ、死ぬ気だな」
「うむ、二十年前はただの腰抜けだったが今回は腹を括っているようだ」
「腰が引けてようが据わってようが、死ぬのに変わりはねえだろ?」
「何か考えがあるんじゃないか。それよりも茶々、『草』は?」
「ん、ばっちりだ。ロクがちゃんとチオニ全体に配置してくれた」
「そうじゃない。誰か連れていかなくていいのか」
「あっ、そっちか。そうだなあ、いつもの二人を呼ぶか」
茶々はポータバインドで荊と葎にすぐに合流するよう連絡をした。
「待っててくれ。すぐに来る」
都督庁を出たザイマはしっかりとした足取りで大路を北のはずれに向かってまっすぐ歩いた。
向かう先は『夜闇の回廊』だった。
ザイマは墓地の奥深くにひっそりと眠る闇の空間に近付いた。
「夜叉王よ。ドノスを倒すのに現世の肉体が必要ならおれを使うがいい。喜んでお前の器となってやる」
ザイマはごくりと喉を鳴らしてから闇の中に足を踏み入れた。