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3 深き緑の海
茶々はどこまでも落ちていった。三百六十度どちらを見回しても緑の世界だった。そのまましばらく落ち続けて、ようやく足が大地に着いた。見上げても飛び込んだ場所ははるか上空にあり、どこだったかわからなかった。
自分が立っている谷底を見回した。切り立つ山々の斜面にみっしりと木が生え、そこから枝と緑の葉を伸ばしている結果、上から見ると緑の海のようになっていたのだった。
「しかしこの星の植物の繁殖力はすごいな。普通は岩山の急斜面に木なんか生えねえだろうによ」
道とは言えない谷底の平坦な部分を歩き、細い小川の流れに当たった。するすると近くの木の幹を登り、横枝から周辺を見回した。上手に木の葉で隠してはいたが、五十メートルほど先に井戸らしきものが見えた。
木の上で息を殺して待っていると、一人の少年が空の木桶を頭に乗せて現れた。少年は井戸で水を汲むと器用に木桶を頭に乗せてごつごつした谷底を飛ぶように帰っていった。
茶々も木から木へと飛び移りながら少年の後を追いかけた。少年は背後を振り返る事もなく、とある山の斜面の前で立ち止まり、岩の窪みに空いている方の手を突っ込んだかと思うと、斜面にぽっかりと穴が開き、その中に吸い込まれた。
岩の扉が閉じるのを待って、茶々は木から飛び降りた。
「へへ、ペトラムの戦士とご対面か」
右手を岩の窪みに突っ込むと目の前の岩の扉がするすると開いた。ひんやりとした内部には階段が刻まれていて蝋燭の明かりが足下を照らしていた。
山の斜面に沿って幾つもの階段が螺旋状に絡み合うように続いていた。階段を上まで登っていけば、どうやら初めに飛び込んだ高さに近い所までたどり着くようだった。
途中で階段が途切れ、広間のような場所に出た。息を殺して待っていると、一人の武装した兵士が現れ、黒衣の侵入者をじっと見つめた。
「――どこから入ってきた?工場以外の場所には立ち入り禁止だと言ったはずだぞ」
武装といっても顔にペイントを施しただけの上半身裸で腰に剣を佩いた白髪の老人だった。
「察する所、あんたはペトラムの戦士だな」
「むぅ、ただの工場警護ではないな」
「オレは連邦のもんだ。その工場とやらで作ってるのは人を破滅させる麻薬だ。由緒あるぺトラムの戦士が悪事の片棒担ぐってのはどういう了見だ」
「悪事の片棒……やはりそうか。あまりにも条件が良いのでおかしいとは思っていた。だがさしたる産業もないこの星にとって、金を稼ぐのは一苦労なのだ」
「だからといって銀河を滅亡に追い込む麻薬の栽培や精製に手を貸すのは違うんじゃねえかい?」
「……麻薬の栽培や精製……待ってくれ。ここにあるのは工場だけだ。栽培などは行っていないぞ」
「あんた、嘘つくようには見えねえな。じゃあ栽培は別の場所か」
「だがお主の言う通り、精製に手を貸している時点で許されるものではない――」
「どうしました、ヌーヴァック?」
会話をしていた茶々たちの背後から声が聞こえ、一人の少女が姿を現した。褐色の肌に情熱的な黒髪と瞳、白い民族衣装に身を包んでいた。
「これはワイオリカ様。何でもございません。どうぞご心配なさらぬよう」
「……今しがたこちらのお方と何やら話されていましたが」
「それもお気になさらないよう。こちらは道に迷われただけでございます」
「――へえ、どうやらあんたこそ」
茶々はワイオリカと呼ばれた女性を見た。
「『ペトラムの勇者』の末裔だな」
「ワイオリカ様は何の関係もない」
ヌーヴァックと呼ばれた老人が剣に手をかけると、茶々も一歩退いて短剣を抜いた。
「止めなさい、二人とも」
ワイオリカの強い口調にヌーヴァックは剣を納め、茶々もそれに従った。
「あなた、お名前は?」
「茶々文月さ」
「私はワイオリカ・ペトラム、お察しの通り、この《密林の星》に暮らすペトラムの戦士たちの指導者。この者はヌーヴァック、古くから仕える将軍です」
「さっきの話を聞いてたろ。あんたが決めたのか?」
「ワイオリカ様には何の関係もない。わしの独断で全て行った」
ヌーヴァックは顔を真っ赤にして答えた。
「私が何も知らないでは通りません。全ての責任は私にあります」
「ワイオリカ様……」
「美しい主従愛と言いたいが何の解決にもなりゃしねえ。責任の取り方ってのは一つしかねえんじゃねえか」
「精製場を破壊するのですね?」
「ワイオリカ様、そして茶々殿。それは無理です。精製場は完全武装の集団に守られており、今のわしらの戦力ではとても歯が立ちませぬ」
「無理かどうかはやってみなきゃわかんねえよ。オレだけじゃなくもう一人強力な助っ人がいるんだ。今呼ぶからよ」
茶々はそう言ってヴィジョンでリチャードを呼び出した。
「リチャード、どこにいる?」
「ようやく出荷場らしき場所を見つけてな。一暴れし終えた所だ。お前は?」
「これからペトラムの戦士たちと精製場に乗り込む」
「そうか。だったら私もここから降りていく。途中で会うだろう」
茶々はヴィジョンを切ってワイオリカたちに言った。
「銀河の英雄、リチャード・センテニア様は仕事が早えや。こっちも急ごうぜ」
「私も行きます」
「ワイオリカ様、危険でございます。もしも何かあったら――」
「じいさんの言う通りだ。あんたはここで留守番してなよ」
「そうは参りません。こう見えても『ペトラムの勇者』の血を引く者、並の兵士など足元にも及びません」
「――勝手にしろよ」
茶々たちはヌーヴァックに先導され、入ってきたのとは別の場所から一旦外に出た。深い緑の谷を歩きながらヌーヴァックが言った。
「この森の一部を貸したのです。そしてできた出荷場では我々の仲間が働いています」
「仕切ってんのは何て奴だい?」
「カシアンという名の男です。私兵を多数雇い入れております」
「この星の人間もかい?」
「いえ、この星の人間はあくまでも使役される側、単なる労働力としかみなされておりません」
「ふーん、じゃあ早く上のリゾートができればいいなあ」
「状況は変わらんでしょう。あのリゾートも他の星の資本、オムニ・チオニ社によるものですから」
「まあ気にすんなよ。あのリゾートは完成しない」
「茶々様」とワイオリカが声をかけた。「あなたは連邦の方でしょう?」
「それがどうかしたかい?」
「連邦に加盟すればこの星は……」
「ワイオリカ様、それを言っては――」
「いいえ、隠しても仕方ありません。この星は滅びゆく運命を背負っているのです」
「穏やかじゃねえなあ。どうしてだい?」
「その理由は――その前にやる事をやりましょう」
ワイオリカたちが立ち止まったのは、先ほど茶々が入ったのと同じような隠し扉の前だった。
「こんな地の底でドリーム・フラワーを精製してたらわかるはずねえな」
「――精製だけです。栽培はしておりません」
「もうわかったって。中に押し入るぜ」
ヌーヴァックが隠し扉を開き、中に潜入した。幾重にも入り組んだ螺旋階段を登りながら、襲いかかる傭兵たちを倒した。
先頭を行く茶々の後を追いながらヌーヴァックが言った。
「ワイオリカ様、茶々殿はなかなかの腕ですな」
「ヌーヴァック、感心していないで。私たちの方が内部に詳しいのですから先回りをしないと」
茶々は順調に敵を倒しながら上に登っていった。
途中にある踊り場に着いた時、すでに敵がワイオリカとヌーヴァックによって倒されていた。
「へっ、先回りかよ。ならばオレもピッチを上げるぜ」
茶々が先を急ごうとするとワイオリカが声をかけた。
「茶々様、私たちはニニエンドルの子たちを解放しなければなりません。また上でお会いしましょう」
ワイオリカは茶々の目を覗き込むようにして見つめた。茶々は一瞬どきりとして動きを止めたが、返事をせずにすぐに上へと駆け上がった。