7.5. Story 4 『死者の国』の試練

3 告解室

 その空間に一歩足を踏み入れると、そこはまぶしい光が満ちていて目も開けていられないほどでした。
「――ここには魂はいないようですわね」
「……うん」
「槍と盾はどこかしら?」
「あそこにあるよ」
「まあ、本当」

 私は空間の中央に漂っている『聖なる槍』と『聖なる盾』を手に取りましたが、ある事に気づきました。
「あら、あの地面にある箱のようなものは?」
 私が指差した先にはまるで棺のような箱がぽつりと置かれていました。
「……聖人の眠る場所さ。あれはベッドみたいなものさ」
「――ミズチ、大丈夫?あまりお加減が良くなさそうですけれど」
「ん、ああ、大丈夫、大丈夫。さあ、槍と盾も手にしたし、早く帰ろう」

 
 その空間を出ていこうとした時、蛟が突然に苦しみ出しました。
「わぁあああ……体が、体が熱い」
「大丈夫ですか――ミズチ、体が光り出しています」
「あああ」

 光を帯びた蛟の姿はぐんぐん大きくなっていき、みるみる間に全長五メートル近い巨大な龍が姿を現しました。
「ふぅ」
「ミズチ、その姿は?」
「覚醒した――でもまだ最終形ではない」
「もっと大きくなるのですか?」
「さあ、それよりも帰ろう。途中で槍の力を試してみるといい」

 
 私たちは来た道を引き返しました。再び『混沌の渦』に差し掛かった時、試しに槍を煩悩に満ちた魂に向かって突き出しました。
 悲鳴と共にたちまちに幾つもの魂が蒸気のように消滅していくのがわかりました。
「これは……乱用してはいけませんね」
「そうだな。使う者の覚悟が試される」

 
 こうして元の異世界に戻りました。入口ではルパートが待っていました。
「よくぞご無事で――信じておりましたが」
「ありがとうございます」
「大公の下に報告に赴きましょう」

 大公はいたって上機嫌でした。
「さすがは文月の娘。私が申し付けた以上の事をしてくれた」
「やはりお気付きでしたか。まずかったでしょうか?」
「一向に。それよりも《蠱惑の星》に急ぐがよい。兄弟が待っているぞ」
「大公」
「何だね」
「私の力を覚醒して下さって、まことにありがとうございます」
「全ては君の力だよ。その槍と盾は時が来れば本来の持ち主に返さねばならないがね」
「もちろんですわ。所詮私どもには過ぎた力。身を滅ぼす元です」
「そこまで理解していれば安心だ――ルパート、ダダマスまで送って差し上げなさい――

 

 
「――こうして私は皆様の下に戻ったのです」
 むらさきの長い話が終わった。
「ううん」とセキが唸った。「色々と聞きたい事があるんだけど、何から尋ねればいいかすらわかんないや」
「それはそうですわ。体験した私だって上手に説明できたか自信がないんですもの」
「確かなのは」とケイジが言った。「むらさきが『聖なる力』に覚醒した事、ミズチが更なる覚醒を待っている事、そしてその槍と盾が凄まじい力を持っている事くらいだな」
「あと、むらさきは異世界の一員に迎え入れられたって事じゃない?」とくれないが言った。
「そんな。私など――」
「ううん、そうだよ。だってむらさきもルパート皇子を好きなんでしょ。相思相愛だよ」
「もうくれないったら、冗談が過ぎますわ」

「僕は途中で会ったマリスって子が気になるなあ」とセキが言った。「ケイジ、知ってるんでしょ?」
「直接対峙した訳ではないが、あの時は大騒ぎだったので私も見物に行った。私の下で修業すれば、リンを越えるほどの才能を秘めていたかもしれぬが」
「が?」
「東京の治安を脅かす爆弾魔として射殺された」
「えっ、小さな子供なのに?」
「うむ――

 

【ケイジの回想:マリスの最期】
 ――ケイジは二十年前を思い出した。  あの狂った夏、事前に大都から連絡を受けていたので心の準備はできていたが、市井の人々はどうだったのだろう。連日、建物が破壊され、多くの人が死に、東京は街も人の心も崩壊寸前だった。  前日に起こった『アンビス』の縄張りである東京北東部での連続ビル爆破がこのまま南下すれば、『パンクス』管理下の地まで到達するだろうと予想した私は観察を開始した。  いつもの通り気配を消して神楽坂の上から東京の様子を見下ろしたが、その日は連続爆破は起こらなかった。夜明けに銀座付近で一回だけ大爆発があり、弟子のリンが空に吹き飛ばされていくのが見えた。 「――リン。新しい力に目覚めたか。お前に任せてもいいのかもしれない。お前が倒れた時には私が東京を守ろう」    次の夜、再び神楽坂に行った。寺の屋根に登り、ビル群の灯りを見渡していると、屋根の上に別の人間が近付く気配を感じた。  己の気配を消したまま、その人物に近寄って、刀の切っ先を相手の首筋に押し付けた。 「四十年ぶりだな。東京が破壊されようとする時にはいつもここにいる。貴様は破壊神でも気取っているのか」  刀を押しつけられた相手は臆する事なく、静かに、だが人をいらいらさせる響きの声で答えた。 「それはあなたも一緒ではありませんか。ほら、ご覧なさい。東京が三度灰燼に帰するか、これから世紀のショーが始まりますよ」  気配を消した状態で刀を納めて男の脇に立った。東京を見降ろしたままの姿勢で男に尋ねた。 「貴様は東京にどうなってほしいのだ?」 「別に。滅びるものは滅びるだけです。この街のように何度でも復活するのは稀な事ではないでしょうか?」 「ふん、創造主のような物言いだな。貴様は今回の一連の騒ぎに関与しているのか?」 「滅相もない。単に帝国内の内輪もめがこの地で繰り広げられているだけです」 「そこまで知っていれば十分だ。で、内輪もめの結果をどう見る?」 「帝国の大帝というのは懐の深い人物ですな。裏切ると知りながら《鉄の星》のリチャード皇子を重用し、厄介事を起こすのを知りながら《銀の星》のロック皇子の所業を許しております」 「結果をどう見る、と聞いているのだ」 「……リチャード皇子ではロック皇子には勝てない、ロック皇子どころかこの爆弾魔にも勝てないでしょう」 「『姿なき爆弾魔』か。確かにな。だが見ているがいい。面白い事が起こるかもしれないぞ」 「……その前に一つ質問があります。あなたの子供ともいえる須良大都が大帝だとすれば、その大帝を裏切ったリチャード皇子こそあなたが倒すべき相手なのではありませんか?」 「貴様、どこまで知っている?」 「まずはこちらの質問にお答え頂かないと」 「本当に倒すべき相手はこの東京と人の命をもてあそぶテロリスト集団だけだ。これで答えになっているか?」 「これは驚きです。私と全く同じ感情をお持ちとは。私もこの街を愛する気持ちにおいては負けておりません――ですが東京が爆弾魔のせいで危機に陥ったとしてもあなたが出ていくには及びません。すでに手配は済んでおります」 「手配だと?」 「警察に特殊部隊が存在するのをご存じですか。元はと言えば戦時中に私が組織したようなもの。私の命令には一も二もなく従います」 「狙撃か――出番のない事を祈ろう」 「……動く気配を見せないのに、その余裕――ははーん、早朝の銀座の爆発に関係ありそうですね」 「もういいだろう。黙って見物といこう」    眼下の大都会では爆発が始まっていた。集中し、目を凝らすと爆弾魔はまだ小さな子供のようだった。 「……あんな子供が」 「何かおっしゃいましたか?」  隣の男に尋ねられ、気配を消したままで黙り込んだ。この男であればたとえ年端のいかない少年であっても躊躇なく射殺命令を出すかもしれないと思った。  日比谷の手前で気配を顕わにしたリンが無人の通りの真ん中に立って少年を説得しているのが見えた。 「なるほど。あの青年があなたの自信の根拠ですね。何という名の若者ですか?」 「貴様には関係ない――だが身元は早晩割れる、リン、文月リンだ」 「……なるほど」    ケイジは男が無口になったのが何故か気になった。それを問い詰めようとした時に眼下では少年も気配を戻し、その姿を顕にしていた。 「おや、爆弾魔はあんな子供でしたか。どうやらあなたのお弟子さんは殺す気はないようですな。まあ、普通の神経であればあんないたいけな子を殺せません」 「貴様、狙撃命令を出すつもりか」 「仕方ないでしょう。我々の大切な東京を破壊したのですから」  男は無表情で白いハンカチを右手に持って高く振った。それが合図となったかのように数秒後に少年はリンの目の前で静かに倒れた。 「――貴様」  男に斬りかかろうとしたが足が動かなかった。  又か、気配を消しているのに 「四十年前と同じですが今回は苦労しましたよ。見えない相手に対して効果があるかどうか――では又お会いしましょう」  足が動くようになった時には男の姿はすでになかった。日比谷公園の付近が大混乱となっているのが見えた――

 

「どうしたの、ケイジ?」
「いや、考えてみれば気の毒な子供だった。正しい道にさえ導いてやれば、物凄い力を発揮しただろうに」
「でももうすぐ復活するんでしょ?」とセキがむらさきに尋ねた。
「多分。『無知の大海』まで行っていますからね」
「今度はちゃんと面倒見てあげればいいじゃない?」
「お前は本当に呑気でいいな」

 

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