目次
3 バフ
先を急ぐトーラとティールの一団はようやく鬱蒼とした森を抜け、城の入口が見える場所まで接近した。
「あれが入口だぞ」
ティールが言い、全員が入口に近付いた。
「扉に鍵がかかっているようですね。これを――」
トーラは言葉の途中で右腕に激しい痛みを感じ、その場で転げ回った。
「……こ、これは一体」
トーラが再び頭を上げると四方に頑丈な金属の柵が見えた。ティールたちともども巨大な檻に閉じ込められたらしかった。
痛みの走った右腕を見ると、落ちてきた檻が直撃したのだろう、肩から先がばっさりと失われていた。
「トーラ、その腕は……」とティールが言った。
「……平気です。それよりもここから脱出する事を考えましょう」
檻は地面に深く刺さり、びくとも動かなかった。どうにかして脱出しようともがいていると、今しがた抜けた森の方から大きな足音が響いた。
「何だ、あの足音は?」
トーラたちが檻の中から森の方を見ると身の丈五メートル近くありそうな巨人が姿を現した。
巨人は尋常ではない眼つきで檻の中のトーラたちを見下して涎を垂らした。
「……餌」
一足遅れてバフも城の入口が見える場所まで辿り着いた。
城門の前に巨大な金属製の檻が置かれ、その中にトーラたちが閉じ込められているのが見え、その背後には雲をつくような巨人が迫っていた。
「こりゃまずいぞ」
急いで城門に駆け寄り、檻を開けようとしたが、ローデンタイト製らしく、多少の衝撃ではびくともしなかった。
バフは慌てて檻の外の地面を掘り始めた。その体は地中に消え、しばらくすると檻の中の地面が盛り上がり、そこからバフが顔を出した。
「ほらよ、皆、ここを通って逃げるんだ」
ティールとその仲間たちはバフがこしらえた穴を通って外に出たが、トーラだけはぐったりとして動かなかった。
「おい、トーラ、どうしたんだよ――ってお前、その腕」
「……ああ、バフ。私に構わず逃げて下さい」
「冗談じゃねえ。お前は兄弟も同じだ。いいから来やがれ」
バフはトーラを無理矢理穴に押し込み、後ろから体を押した。穴の外ではティールが何とかしてトーラを引っ張り出そうと手を必死に伸ばした。
巨人の姿が檻のすぐそばに迫った。手にした棍棒で檻のすぐ近くの地面を叩くと、まるで地震のように地面が揺れた。
巨人は檻を力強く揺さぶり、ローデンタイト製の檻は地面から離れそうになった。
バフはどうにかトーラの体を脱出させる事に成功し、自分も最後に穴から出た。
「ふぅ、ぎりぎりだぜ――なあ、あんたたち、トーラを連れて空に逃げればいいじゃねえか」
バフが言うとティールは首を横に振った。
「いや、空を見て下さい」
黒い雲の垂れ込める上空ではやはり五メートル近くはありそうな猛禽がゆっくりと円を描いていた。
「じゃあおれが来た方に戻るか」
バフがそう言って自分が来た湿地の方を向くと、そこにも巨大な獣が現れていた。青白く光る鱗を持ったドラゴンのような生き物だった。
「ちっ、一番やばそうな奴がいやがる」
一行は前後と上空から巨大な怪物に挟み撃ちにされ、岩陰に隠れた。
「……ちきしょう。ケイジたちも来ねえし、どうにかしてここから出ねえと」
バフは右腕を失い、意識朦朧としたトーラを抱きかかえるようにして言った。
やがて何かを決心したかのようにトーラをティールに任せて岩陰から立ち上がった。
「バフ、どこへ?」
「左も右も空も無理。このままじゃ全員殺されちまう。前に進むしかねえ」
「何?」
「城門を破るんだよ。おれに任せとけ。門が開いたらすぐに城の中に飛び込むんだぜ」
バフはそう言い残すと地中に姿を消した。
その頃、セキは二人の戦士を相手にしていた。剣技の腕は大した事はなかったが、ローデンタイトの鎧を身に付けた戦士はダメージを受けないようだった。
「こんなんじゃあ先にドロテミスさんの剣がだめになっちゃう。大事に振らないと」
セキは重力を制御しながら剣を振り上げると、狙い澄まして一人の兵士の首元に剣を叩き込んだ。
兵士は一瞬動きを止めたがすぐに元通りの体勢になり、斬りかかった。
セキはこれを難なく躱し、距離を取って再び同じ箇所に一撃を叩き込んだ。
今度は兵士の動きが完全に止まった。セキはここぞとばかり連続して大剣を相手の首に叩き込んだ。
何発目かの攻撃で相手の首が不自然に垂れ下がって、そのまま崩れ落ちた。
セキは肩で一つ息をしてからもう一人の兵士に向かい合った。
兵士はすっかり臆したようで、立ち合う前にローデンタイトの力でその場から姿を消した。
「ふぅ、さてトーラたちに合流しなきゃ」
同じ頃、ケイジとくれないは四人の兵士を相手にしていた。
「くれない」とケイジが声をかけた。「お前は一人だけに当たれ。一人でも倒せれば合格だ」
「これでボクもケイジの弟子だね」
「下らない事を言っていないで集中しろ。相手の喉元に食らいつけ」
くれないはぜんまい仕掛けの人形のように一人の兵士に飛びかかった。
ケイジに言われた通り、『スパイダーサーベル』を手に相手の喉元を様々な角度から突いた。剣はまるで自分の手足のように言う事を聞き、自由自在な切っ先の動きが的確に喉元を捕えた。
しばらく突き続けると硬い金属とは違う感触を掌に感じた。尚もそのまま突き続けると相手は仰向けにひっくり返って動かなくなった。
ケイジは『鬼哭刀』を手に三人の兵士に向かっていた。
(ケイジ、儂の思うままに動かしてはもらえぬか)
「――わかった。お前の動きに合わせよう」
(見ておけ)
ケイジは引っ張られるように相手の懐に飛び込んだ。すれ違いざまに鬼哭が自らの意志で兵士に踊りかかった。
抜けるような音が響き渡り、兵士の首と胴体は離れた。
「ふっ、見事だな」
(まだだ、もう一人)
ケイジがもう一人の兵士の首も刎ねると、残った一人はローデンタイトの力で慌てて逃げ出した。
「くれない、城に急ぐぞ。嫌な予感がする」
バフが再び姿を現したのは城門の近くだった。
「ちきしょう。地下に結界があって城の中には入れねえ。やっぱ鍵を開けるしかねえか」
バフは城門に取り付き、鍵をがちゃがちゃ言わせながら壊そうと試みた。
気配を嗅ぎ付けたらしい怪物たちが城門の所に蹲るバフに狙いを定めて近付いた。
最初に巨大な猛禽が鋭い爪を見せて空から襲いかかった。バフは慌てて檻の近くに転がって攻撃を避けた。
巨人の槌がバフの傍の檻を激しく叩いた。
「うわ、こりゃまずい」
バフが檻から離れて城門に向き直ると、荒い鼻息を吐くドラゴンと目が合った。
「……何だよ」
ドラゴンは大きく鼻を膨らませたかと思うと、バフめがけて思い切り息を吹きつけた。バフはその場でどうと倒れ、動かなくなった。
「……もはやこれまでか」
バフが倒れたのを見てティールが観念しかけた時、空から巨大な鳥が落下した。
鳥は地面に落ち、二、三度痙攣すると、それきり動かなくなった。
驚いたティールが空を見上げると、先ほどまでいた巨大な鳥ではない別の何かが空中に浮かんでいた。
「――間に合わなかった」
空から銀白色に輝く巨大な龍とそれにまたがった一人の少女が降りてきた。
白いドレス姿の少女は銀白色に輝く槍と盾を手にティールたちの前に立った。
「むらさきです。兄たちがお世話になっております」
むらさきが気を失っているトーラに近付き、その右腕のあった場所に手をかざすと、トーラはゆっくりと目を覚ました。
「……あなたは、むらさきさん?」
「腕は失われたけれども、すぐに元気になりますわ」
「……バフは?」
くれないは黙って悲しそうに首を横に振った。
「……」
「さあ、まずはここからお逃げになって。空が安全です」
「むらさきさん、あなたは?」
「兄たちが来るまでにここの怪物たちをどうにかしますわ」
「えっ、あなた一人で?」
「心配ありませんわ。ねっ、ミズチ」
「――ではお言葉に甘えます。ティール、皆と空に逃げて下さい。私はバフのそばについています」
むらさきは今やいっぱしの龍に成長した蛟にまたがると、左手の方角で獲物を探すドラゴンに向かった。
ドラゴンはむらさきの姿を認め、激しく咆哮した。
「ねえ、ミズチ。この方はあなたのお仲間じゃないの?」
「いや、違う。こいつは異世界の生物。外見は似てても全然違う生き物さ――ただ気をつけな。こいつの吐く息は全てを腐敗させるようだから」
「まあ、恐ろしい。早目に決着をつけないといけませんわね」
「さっきの鳥相手にしたみたいにちまちまじゃなくて、その『聖なる槍』で一気に急所を突くんだね」
「わかりましたわ」
むらさきと蛟は何回りも大きなドラゴンに立ち向かった。すれ違いざまにむらさきの槍の一突きがドラゴンの逆鱗に突き刺さると、ドラゴンはこの世のものとは思えない雄叫びを残して倒れ、動かなくなった。
「やりましたわ。ミズチ」
「見事だね。じゃあもう一匹の怪物も――」
そう言ってむらさきと蛟が右手に向かうと、そこにはすでに巨人を倒したセキの姿があった。
「セキ」
「ん、ああ、むらさき――そうか。オシュガンナシュが言ってたのは君の事か。一緒にいるのはミズチかい?」
セキに尋ねられ、蛟は嬉しそうに頷いた。
「他の皆は無事だった?」
「それが――」
むらさきはバフとトーラに起こった悲劇をセキに伝えた。
「――私が到着するのが遅かったのですわ」
「……僕もだよ。さあ、城門に向かおう」