目次
2 沼地に住む人
ステーションを出発した観光シップは《幻惑の星》に着いた。ほとんどの人はポートからアミューズメントパークの『バリニアランド』方面に向かったが、セキたちだけが反対方向に進んだ。
舗装された滑らかな道が途切れて、草ぼうぼうの砂利道に変わり、やがてそれも終わり、目の前には湿地帯が広がった。
ぐじゅぐじゅと湿った大地を進むと板が何枚も渡された沼に出た。
セキが先頭を切って渡っていこうとするとケイジがそれを止めた。
「待て。私が先に行く」
ケイジは静かに板を進んで沼の半分ほどの地点で立ち止まり、刀の柄に手をかけた。
沼の表面にいくつも泡が浮かんで、やがていくつもの玉のような生物が一斉に飛び上がってケイジに襲いかかろうとした。
刀を一閃すると、次の瞬間、玉のような生物は白い腹を見せて水面にぷかぷかと浮かんだ。
「さあ、行こう」
ケイジはすたすたと先に歩いていった。
沼を抜けると再び湿地帯になり、誰かに観察されている気配を感じながら歩いた。
「おい、もう少し先まで進んだ方がいいのか」
ケイジが声をかけたが返事はなく、一行はさらに進んだ。ようやく草の刈り取られた広場のような場所に着き、そこで立ち止まった。
「もう出てきてもいいだろう」
ケイジの言葉に応えるかのように一人の男が姿を現した。ケイジとそっくりな顔をしていたが、服装は袷ではなく腰蓑のようなものを着けていた。
男はケイジを珍しそうに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「ワンガミラのようだがここにいるワンガミラとは違う。貴殿は何者か?」
「私はケイジ。記憶を取り戻す旅をしている」
「……その名、幾度となく耳にした。わしはン・ガリ。この集落の長をしておる」
「ン・ガリ殿は私を見て『ワンガミラのようだが違う』と言われたが、どういう意味だ?」
「姿かたちは似通っているが、我々とは別の存在に違いないという意味。それ以上はわからぬ」
「何かご存じのようですな」
「いや、所詮はこの沼地に伝わる迷信。そのような絵空事をお伝えして気分を害されても良くない」
「構いません。お話下さい」
「――ではこちらに」
一行は奥に案内された。そこは多くのワンガミラが集まる広場で、中央には祭壇のようなものが置かれ、その前には煌々と火が燃え盛っていた。
ン・ガリと一行が広場の中心に近付くと、人波がさっと分かれた。皆、ケイジの顔を興味とも恐怖ともつかない表情で見つめていた。
「座りなさい」
一行はケイジを中心に炎の前に腰を下ろした。
ン・ガリは祭壇に飾ってある古ぼけた木彫りの彫像を手にして話を始めた。
【ン・ガリの語り:ワンガミラの歴史】
――我らや巨人、胸穿族のような少数民族には共通の特徴がある。それはかつての世界の記憶を失っていない事だ。世界がある日突然、その使命を終える時、我らは別の空間に保護され、今まで暮らしていた世界が赤い空の下、消滅していくのを呆然と眺めた、そんな光景を記憶しているのだ。
我らとて世界の消滅はたかだか数回しか経験していないが、今までに八回、それは起こったらしい。我らは繰り返される世界の消滅を畏怖し、救済の象徴として九つの頭を持つ蛇を守り神とし、思いを託した。
聖ウシュケーが《祈りの星》に定住を始め、バルジ教の布教にこの地を訪れたのはずいぶんと昔になる。
彼の教えはナインライブズという聖なる存在が現れ世界を浄化するというものだった。我々の古くからの教えと違う部分もあったし、同じ部分もあったが、全体としては良い教えだと思った。そして我々は敬虔なバルジ教徒となった。
《祈りの星》に出向いた我々の仲間の一人がある日、戯れにムシカの『天の教会』に我々の九つの頭の蛇の彫像を飾るという事件が起こった。それを見咎めた弟子の一人がこの事を伝えると聖ウシュケーは静かにこう言った。
「私たちにもイコンが必要かもしれない。そのまま九つの頭の蛇であってもよいではないか」
それ以来、バルジ教のシンボルはこの木彫りのような形となったと言われている――
「ここまではよろしいかな?」
「話を伺った限り」とケイジが言った。「ワンガミラの古くからの教えでは世界の消滅を恐れているが、バルジ教はむしろ世界の消滅につながるかもしれないナインライブズを積極的に受け入れようとしている、と思えるが」
「おっしゃられる通りだが、果たしてナインライブズとは世界を消滅させるものなのか、新しい世界をもたらす力なのか、こればかりはたとえArhatsでもわかりませぬ」
「で、私の存在とは?」
「我らの教えでは九回目の世界の消滅が起こる時に一人のワンガミラの戦士がそれに立ち向かうとされています。それがケイジ殿、あなたではないかと」
「ではあなた方が私を造った?」
「我らにそんな大それた事ができるはずがありません。それはArhatsの領域」
「わからんな。Arhatsの気まぐれでこれまで世界は八回も消滅している。なのに何故、それを止めようとする?」
「さあ、私にもそれ以上は。Arhatsすら恐れるもの、それこそがナインライブズではないでしょうか?」
「ふむ。ナインライブズは未だ想像上の存在でしかないからだな。となると私の存在意義というのも所詮は想像にしか過ぎない訳か」
「その通りです。ただ一つ確かなのは、ケイジ殿がこの星の沼地に住む人ではないという事です」
「私は外の宇宙からやってきたのだという者もいる。ン・ガリ殿、フラナガン、あるいはヘッティンゲンという名に聞き覚えはないか?」
「はて、とんと聞いた事がありませんな。その者たちもワンガミラの容姿ですか?」
「ヘッティンゲンには会った事はないが、ここにいるセキが《魔王の星》でフラナガンという者に会ったそうだ」
「さあ、そのような名のワンガミラは知りませんな」
「簡単に記憶が蘇るとは思っていなかったが、案外大事のようだな」
「そりゃそうだよ」とセキが言った。「銀河一の剣士なんだから歴史に名を残さない訳がないさ」
「――旅はまだ続く、か」