目次
2 進撃
夕方になり、リマが数十名の若者を連れて戻った。すぐに町の中心部で義勇兵を募り始め、その数は瞬く間に三百名近くに膨れ上がった。
夜、篝火の焚かれたエクシロン像の周りの空き地でハクが義勇兵を前にして演説を行った。
「トビアス卿による攻撃が一両日中にあるだろうが、君たちにニトの町を防衛せよとは言わない」
ハクの言葉に義勇兵たちは首を傾げた。
「逆にこちらから攻め入る。攻撃される前に相手を叩く、目指すは北東のパンガーナ島だ」
まばらな歓声しか上がらず、一人の義勇兵が質問をした。
「でも『ファイブ・タイガーズ』のヘイ将軍が相手ですよ。勝てませんよ」
「よく聞いてくれ。ヘイ将軍はニトに攻め入る準備に夢中で守りの方はこれっぽっちも考えていない。自分が攻められる事を想定していないから、城に籠って戦うとは考えにくい。そうなれば野外での白兵戦だ。これならば十分に勝ち目があるし、君たちにとっても良い実戦の機会となるはずだ。ヘイ将軍については心配しなくていい。私と雷獣で必ず何とかする」
今度は兵士たちから大歓声が上がった。
傍らに控えていたリマが尋ねた。
「で、いつ出航なさいますか?」
「今夜、と言いたいが万全を期して明晩。これ以上は遅らせられない。今夜は十分英気を養ってくれたまえ。何か質問は?」
一人の義勇兵がおずおずと手を挙げた。
「あのぉ、あなたの名前をまだ聞いてないんですけど……」
「ああ、そうだったかな。私はハク、ハク文月だ。だが戦場においてはエクシロンと呼んでくれ。これでいいかい」
義勇兵から再度歓声が上がった。
一旦兵を解散させ、ハクは雷獣と共にパンガーナ島を見渡せるニト島の北端に向かった。
「雷獣。ここを船で渡るのは時間がかかるね」
「ああ、お前はおれに乗って一足先に敵を討てばいい。そうすれば勝てる」
「それは助かるな。では軍の指揮はリマにやってもらおう」
「なあ、ハク」
「ん、何だい?」
「いや、何でもねえよ。お前の好きなようにやればいい」
次の夜、エクシロン像の前に全軍が集結した。その数は約五百人、皆、思い思いに武装をしていたが、火力と防御の両方で心もとなかった。
「いいか。絶対に無理をするな。武器や防具を手に入れるのも目的の一つだが、君たちが倒れては元も子もない。では北の海岸に向かう」
北の海岸であらかじめ手配しておいた船に軍勢を乗り込ませた。指揮をしていたリマがやってきて言った。
「ハク……いや、エクシロン。船が足りないな。一度では全員を運び切れない。どうしたものだろうか」
「乗せられるだけ乗せたならただちに出発してくれ。島に着いたなら安全な場所を探してそこで待機。その間にここに戻って次の兵たちを運ぶ。この繰り返しだ。危険だがやるしかない」
「全軍が揃ったなら攻撃開始だな?」
「ああ、それまで闇に紛れていられればいいが」
「海上で敵に遭遇したなら?」
「こちらは軍船ではない。回避してくれ」
「ところで君はどの船であちらに渡るつもりだ。君の指示がないと攻撃できないぞ」
「心配しないでくれ。私と雷獣は空を飛べる。一足先に敵陣に乗り込んで暴れるので頃合を見計らって攻撃指示を出してくれ」
「私が?」
「ああ、そうだ。頼んだぞ、リマ」
ハクは雷獣にひらりとまたがると船に乗った兵士、海岸で待機している兵士たちを前に言った。
「いいか。私の戦いをその目に焼き付けておけ。エクシロンの再来にふさわしい鬼神の動き、敵にも味方にもきっちりと記憶させよう」
ハクはそのまま海を渡った。第一陣の船団もすぐに海岸を出発し、幸いにして敵の船団との遭遇はなかった。海を渡り終えたリマにハクは伝えた。
「ではすぐに折り返して次の兵士たちを運んでくれ。私は雷獣と突撃する」
ハクは兵士たちを見て言った。
「君たちもここで待機していても仕方ないな。私が出発したらすぐに行軍を開始してくれ。私に追いつこうなどとは考えずに普通に行軍してくれればいいからな」
「……エクシロン、ご無事で」
ハクの出発を見届けたリマは空っぽの船団を指揮してニト島に引き返した。
パンガーナ島はすり鉢のように中央部が低くなっていた。ハクと雷獣はすり鉢の底を越え、その先の高台に設営されていたヘイ将軍の陣営目がけて空を進んだ。設営されている仮設兵舎の規模から言って、敵の将兵の数は千五百を下らないと思われた。
ハクは大きく息を吸った。ハクを背中に乗せている雷獣が言った。
「へへへ、久しぶりに暴れるとするか」
「頼んだよ、雷獣。さあ、行こう」
猛スピードで仮設兵舎に突撃した。見張りの兵士が声を上げる間もなく、兵舎を走り抜ける間に、ありったけの雷を落とした。
空中で一旦体勢を立直して地上を見下すと、いくつかの兵舎は破壊され、火が出ている兵舎もあった。ばらばらと兵士たちが外に出てくるのが見えた。
ハクは再び雷獣と共に兵舎に突撃した。先ほどとは違うコースを辿り、雷を落として回った。
陣営は大混乱に陥った。
第一陣の船で来たおよそ百名の義勇兵たちがようやく谷を越えて追いついた。
ハクは彼らの先頭に立ち、大音声を上げた。
「我こそはエクシロンの再来。命が惜しければ逃げ帰るがよい」
雷獣にまたがったハクが三度、雷を落として回ると、たまらず逃げ出す者が続出し、現場はすっかり統制が取れなくなった。
一際立派な兵舎から数人の武装した兵士が現れた。そのうちの一人、目元涼しげな美男子が一歩前に進み出た。
「聖エクシロンの名に怯えるでない。今から某が化けの皮を剥がしてやろう」
男の一声で兵士たちの動揺は収まり、安堵の空気が陣営に流れた。
「某の名はファイブ・タイガーズのヘイ。ここに奇襲をかけた勇気だけは誉めてやろう。名を名乗るがよい」
「言ったであろう。エクシロンだ。そしてこれが伝説の聖獣、雷獣だ」
ハクが名乗りを上げると再び陣営に動揺が走った。
ヘイ将軍は端正な顔を一瞬歪めた後、側近に告げた。
「あくまでも聖エクシロンを通すというか。よかろう、某が貴殿にその名を名乗る資格があるか試させてもらう――槍を持て」
側近が短めの槍を二本ヘイに手渡した。ヘイは両手に二本の槍を携え、ハクに言った。
「さあ、剣を抜くが良い」
ハクは雷獣の背から降りて剣を抜いた。
ヘイの槍が伸びた。ハクが一歩退いて避けると、さらにもう一本の槍が飛んできた。
ハクは迫る槍を剣で払ってヘイの懐に飛び込もうとしたが、ヘイは槍をくるっと体の前で回して飛び込む隙を与えなかった。
そうやって二、三合剣と槍を交わした所で、ハクの『エクシロン・ブレード』に変化が起こった。
刀身が電気を帯びて小刻みに震え、ハクが握る柄の方にまでその波動が伝わった。
剣を振るうとヘイの槍がそれを受け止めたが、次の瞬間、ヘイの体がびくりと痙攣し、あやうく膝をつきそうになった。休む間を与えずハクが剣を振り下ろした。ヘイは二本の槍を頭の上で交差させて防いだが、またしても激しい痙攣の後、後方に弾き飛ばされた。
地面に倒れたヘイは信じられないといった顔つきで起き上がったが、その首筋にハクの剣が当てられた。
「ここまでだな」
「――参りました」
ようやく第二陣の義勇兵たちがリマに率いられ丘を越えてやってきた。
ヘイ将軍を捕えたハクは勢いそのままにほぼ無抵抗の敵兵を次々と降伏させて、およそ一時間後には逃げ出した数百名を除く千人以上が捕虜となっていた。
ハクと義勇兵たちは縛られたヘイ将軍たちを前に口を開いた。
「将軍、わかって頂けたでしょう?私がエクシロンの再来だという言葉に偽りのない事が」
「……認めるも認めぬも、最初にお会いした時から間違いないと思っておりました。それでも戦ったのは武人の意地。かくなる上は処断を」
「何故――エクシロンの再来と共に戦おうとは言って下さらないのですか?」
「――そのような。しばし考える時間を頂けぬか。兵たちの処遇についてはお任せしますが、寛大な処置を願います」
「もちろんです。私に付いてこないからといって罰を与えるような真似は致しません」
ハクは一旦ヘイをその場に残して千人の捕虜たちの間を回った。
多くの兵士はエクシロンの再来の出現に打ち震え、ハクの手を握り、涙を流す者もいた。
一通り回った所でリマが近付いて言った。
「……まさに救世主ですな。ここにいるほとんどの者があなたに従おうとしている」
「この星は果てる事のない戦乱に倦んでいるんだよ。ところで君の方はどうだったい?」
「私にはやはり軍の指揮は無理です。エクシロン様の身の周りのお世話を焼かせて頂く方が性に合っています」
「うーん、そうか。でもそうなると義勇兵のリーダーがいなくなるな」
「ヘイ将軍を口説き落とせばよろしいのでは?」
「いや、そうなったとしてもヘイ将軍にはこのパンガーナ島の防衛をやってもらうつもりだ。私が必要としているのはこの先アルビブ、ゴパラ、ソディンに攻め込む時の突撃隊長なんだよ」
「……それでしたら一人、これと思う人間がおりました。しばしお待ちを」
リマは一人の若者を連れて戻った。
「この青年はザックと言います」
くりっとした目の若者はハクに挨拶をした。
「ああ、君は一番先頭で谷を越えてきたね」
「えっ、そんな所まで見てたのかい―――そりゃあそうさ。おいらの両親はトビアスに殺されてんだ。あいつを倒すためなら何だってやるぜ」
「ザック、私の故郷には『罪を憎んで人を憎まず』という諺がある。トビアスとて時の流れの中でそうせざるをえなかった。そう考えないと憎しみの連鎖が止まる事はない」
「……あん、難しくてよくわかんないがエクシロン様がそう言うんならそうなんだろう。トビアスを恨むのは止めるよ」
「それでいい。ザック、君は今から義勇軍の突撃隊長だ。死に物狂いで私と雷獣に付いて先陣を切って戦うんだ。いいね」
喜んで頷くザックと満足そうなリマを連れてハクはヘイ将軍の下に戻った。
ヘイ将軍は雷獣と話し込んでいた。
「ヘイ将軍」
「エクシロン様、今雷獣と話をしておりました。この後すぐにアルビブに攻め込まれるおつもりだそうで」
「ええ、そのつもりです。できれば今夜、早目に決着をつけないと――我々は弱者ですから」
「でしたら私も同行させて下さい。いたずらに犠牲者を出さないためにも、またチュウ将軍は私の友人でもあります」
「その気になって頂けましたか。ヘイ将軍が我々に味方して下さるのであれば心強い。平和を取り戻すために共に戦いましょう」
ハクが手を伸ばし、その手をヘイが握り返した。
その夜、秘かにアルビブ島に移動したハクと雷獣、ヘイ将軍、そしてザックに率いられた義勇軍はチュウ将軍の陣営を奇襲し、ヘイ将軍の時と同じようにチュウ将軍を始めとする兵士、千五百人を捕虜とした。
ハクはわずか二日でメテラクの南の三つの島を平定したのだった。