目次
4 ロール・チェイス
街中は大変な賑わいを見せていた。久しぶりのコロシアムでの競技会という事もあったが、『ロール・チェイス』が新ルールで行われるという噂もそれに一役買っていた。
セキは人の波をかき分け、慌ただしく競技参加の手続きを終え、コロシアム裏手の選手控室に入っていった。
控室の中は張りつめた雰囲気だった。瞑想する者、壁に向かってぶつぶつと呟く者、そんな中、一人の毛むくじゃらのいかつい男がセキの下にやってきた。
「てめえがヌニェスのとこの代表か。ベッジみてえにもっとごっついのが来るかと思ったら、ひょろひょろじゃねえか」
「君は誰?」
男はセキの質問に驚いた表情を見せた。
「おいらを知らねえのか。おいらはコロシアムの主、『トライ・チャトランガ』以外の王者、メグラン様よ」
「『トライ・チャトランガ』以外……なるほど。今日はお互いに頑張ろうね」
「ちっ、調子が狂う奴だぜ」
メグランがぶつくさ言いながら去り、控室に選手集合のアナウンスが入った。
コロシアムに集まった超満員の観客たちは競技の開始を今か今かと待ちわびていた。管楽隊のファンファーレが鳴り、場内にはクラモントの名前が響き渡った。
観客席の一番高い場所で何人もの兵士に囲まれたクラモントが立ち上がって観客に手を上げた。背の低い、狡猾そうな目をした男で、とても星の支配者としての貫録は備えていなかった。ぱらぱらというまばらな拍手を浴びてクラモントは不機嫌そうに席に座った。
予選開始のアナウンスがあり観客の興奮は最高潮に達したが、ここでさらにアナウンスが入った。
「偉大なる同志クラモントの提案により、『ロール・チェイス』を新ルールで行う。従来の『ロール・チェイス』はコロシアム内を転がり落ちる巨大な土の玉を避けながらポイントを通過し、ゴールを目指す競技だが、土の玉を作る作業も馬鹿にならない。そこで今回より土ではなく鉄の玉を使用する」
観客席にざわめきが起こった。巨大な鉄製の玉であれば、今までのように追い詰められた力自慢が死にもの狂いで玉を破壊するのは不可能だった。当たり所が悪ければ、いや、万が一突進する玉の下敷きにでもなろうものなら間違いなく死者が出るのではないか。
異様な緊張感の中で予選がスタートした。
『ロール・チェイス』のルールはこうだった。プレイヤーはすり鉢型のコロシアムの南東の外壁に沿って造られた幅一メートルほどの石畳の道をコロシアム内部に向かって走り降りる。それと同時に南西の外壁からは幅二メートルの石畳の道を鉄球が転がり落ちるので、最初はその玉との速さ比べとなる。プレイヤーは途中に置いてある旗を玉よりも前に回収しないといけない。その後、プレイヤーは玉に追いかけられながらコロシアム内に入り、北東のゴールを目指すが、最初の玉だけでなく大小無数の玉が走り抜けるプレイヤー目がけてコロシアムの至る所から転がり落ちるので、それを避けながら約三百メートル近くの距離を走り切らないといけない。
しかも従来は転がり落ちる玉は粘り気のある土を固めた玉だったので、いざとなれば襲いくる玉に立ち向かう事もでき、万が一、軌道に巻き込まれても怪我くらいで済んでいたが、鉄の玉を使用するというルール変更があったばかりだ。
観客たちは恐ろしい事態になるのではないかと固唾を飲んで競技の開始を待った。
最初のプレイヤーがスタートした。旗を取る段階で手間取り、正面からきた玉に弾かれてそのまま動かなくなった。
その後のプレイヤーも同様で、ようやく五人目の選手が旗を取るのに成功したが、コロシアムに入ってすぐに背後から玉に踏みつぶされ、担架に乗せられて退場した。
次々と犠牲になるプレイヤーが続き、観客たちはこの残酷な競技に対して声援を送る事を忘れ、場内には悲痛な空気が流れ出した。
セキの番だった。ヌニェスが付けた『イタチのマクマナラ』といういい加減な名を呼ばれ、スタートラインについた。
目の前のゲートが開き、セキは全力で走り出した。五十メートルほど降りると左手の壁に旗が見えた。速度を少し緩め、慎重に旗を手にし、腰に差した。前方を見ると玉が迫っていたがまだ余裕があった。
そこから緩やかに右に折れると玉の速度が上がったようだった。物凄い勢いでカーブを曲がり、背後に迫ってきた。そのまままっすぐ下ってコロシアムに入る所まで追いかけっこになった。コロシアムに入った瞬間にセキは反射的に右前方に飛んだ。ごろごろと地面を転がっていると、左手ぎりぎりの場所を巨大な鉄球が通り過ぎていった。
ほっとしたのもつかの間、背後にあたる西と北、それにすぐ右手の南の方向から最初の玉ほどではないが大小様々の玉が唸りを上げてセキに向かってきていた。
セキは西と北から来る玉を転がって避けたが、南から来た玉は避けきれなかった。そこでジャンプ一番、玉乗りの要領で玉の上に立ち、バランスを取りながら進んだ。
この日初めて観客席が興奮で熱狂した。
セキは玉の上に乗ったまま、次々と転がってくる玉をやり過ごしたが、背後から来た巨大な玉に衝突され、その衝撃で地面に叩き落とされた。
急いで体勢を立て直し、ゴールを目指して走りを再開した。巧みに玉の流れをすり抜けながら進み、残り二十メートルの地点まできた。
観客席の興奮はマックスに達していた。
セキが腰に差した旗を手に持ち替えたその一瞬の隙に北から巨大な玉が迫った。
観客の悲鳴が響き渡る中、セキは大きくジャンプをして玉を避けた。そのまま地面を転がった場所に旗を差し込むモニュメントがあり、セキは寝転んだままで旗を差した。
『イタチのマクマナラ、予選通過』のアナウンスが流れる中、セキは観客席に手を振って答えた。多分、他にクリアできる人間はいない、玉を片付ける係員たちの姿を見ながら考えた。
セキの予想通り、その後もプレイヤーたちは次々に脱落していった。
最後のプレイヤーがメグランだった。輝かしいコロシアムでの戦績をアナウンスされたメグランは危なげなく旗を手に取り、最初の追いかけっこにも勝利した。途中で玉に囲まれ、危ない瞬間もあったが、腕に仕込んだ鉄製の甲で玉を払いのけ、ゆうゆうとゴールに到達した。
「予選が終わったみてえだな」
北東のスタンド近くに隠れていたコウとベッジが立ち上がった。
「決勝までは少し間が空くが、さっきのようにルールが変わるかもしれない。急ごうぜ」
「ああ、全く鉄の玉って聞いた時にはひやひやしたぜ。セキがぺちゃんこになるんじゃねえかってな」
「心配ない。それよりメグランの野郎め、鉄製の甲を仕込みやがって器の小さい男だ」
「まあ、そう言うなよ。あいつもなかなかのもんだったから見ごたえのある決勝になるんじゃねえか」
コウはベッジを見張りに残したまま、北東の閉鎖されている門に近付いた。
二人の見張りを一瞬で打ち倒し、門を塞いでいた樽や材木を慎重にどかすと、太い鉄の鎖でぐるぐる巻きにされた閂が見えた。
「おい、ベッジ」とコウが上のスタンドに立っているベッジに小さく声をかけた。「来てくれ」
ベッジがやってくるとコウが閂を指差した。
「あの鎖、あんたなら切れるか?」
「……やってみよう」
ベッジは渾身の力を込めて鎖を両手で横に引っ張った。鎖がわずかに変形して伸びたように見えたが、切るのは無理そうだった。
「ベッジ、そのまま両脇を押さえていてくれ――それ」
コウが棒を振り下ろすと、鎖は物の見事に二つに切れた。
「おい、危ねえじゃねえか」
「気にすんな。早く閂をはずそうぜ。外でヌニェスがお待ちかねだ」
「全くおめえら兄弟はいかれてらあ」
決勝開始の寸前に再度ルール変更のアナウンスがあった。
「偉大なる同志クラモントの再びの提案をお伝えします。思ったよりも予選がタフだったせいか、二人しか通過者が出なかったので決勝は方式を改め、この二人での『パンクラチオン&ロール』と致します」
控室で待機していたセキとメグランの下にもこの知らせが届いた。
「わっははは。こりゃいいや」とメグランは大笑いした。「おいらの一番得意な種目で決勝とは。なあ『イタチのマクマナラ』とやらよ、悪く思うなよ」
「でも『ロール』って事は相変わらず鉄球が転がってくるんでしょ?」
「ん、ああ、そうだな。さっきみてえに玉乗りしたら命取りだな」
「ありがとう。それより手は大丈夫だった?さっき手で鉄球を弾き飛ばしてたけど」
「……全くてめえは調子狂うったらありゃしねえな」
決勝開始のアナウンスと共にコロシアムにファンファーレが鳴り、二人の戦士が入場した。
立会人らしき人間が形ばかりの持ち物チェックを行い、共に武器を携行していないのを確認した。
係員たちが蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、コロシアム内にはセキとメグランの二人だけとなった。
メグランは自分に有利なように東を背にして立ったため、セキは仕方なく背後から玉が転がってくる事の多い西を背にした。
大銅鑼の音がコロシアムに響き渡り、決勝がスタートした。
セキとメグランは距離を取って向き合ったが、メグランは決して西側には回り込もうとしなかった。
やがてセキの背後でした小さな音が段々に大きくなった。メグランはここぞとばかりにセキに組みつき、セキの動きを止めようとした。
「へへへ。悪いが死んでもらうぜ」
メグランはセキの肩から首にかけてがっちりとロックをかけてセキは動けなくなった。
「ほら、お迎えが来たぜ」
「仕方ないな」
セキは重力制御を使ってメグランの体の重力を解放した。メグランの腕の力が緩んだ一瞬を見計らって、反対にセキがメグランの背後に回ってがっちりと肩を固めた。
「な……やばい、助けて!」
情けない声を出すメグランが突進する鉄球の下敷きになる寸前でセキはメグランともども、玉の軌道から抜け出した。
一息ついたセキだったが、北からも鉄球が迫ってくるのを予測していなかった。セキとメグランは間髪置かず転がってきた鉄球の下敷きになった。
コロシアムに異様な緊張が走った。二人を押しつぶした鉄球はその場で静かに停止した。やがて鉄球は再びゆっくりと動き出し、初めに指が、続いて手が、そしてセキの頭が顔を出した。
場内の大歓声の中、セキは服についた泥を払いながら心配そうに駆け寄ってきた立会人に言った。
「まだ続ける?」
立会人は慌てて首を横に振り、急いで係員たちを呼び寄せ、鉄球の下敷きになったままのメグランの救出を開始した。
終了、そして「勝者、イタチのマクマナラ」のアナウンスが流れ、セキは立会人に促され、スタンドの最上段を見上げた。
クラモントが立ち上がって拍手をしていた。
セキが痛む足をひきずってスタンドへの階段を上がり始めた時、立っているクラモントの耳元で一人の兵士が何かを囁くのが見えた。
クラモントの顔色がさっと変わり、すぐに周りの護衛たちと共に帰り支度を始めた。護衛の一人に引っ立てられるようにして立ち上がった虎の顔の女性の姿も見えた。臆病なクラモントはいざという場合に備えて大切な人質のマフリをわざわざコロシアムに連れてきていたのだった。
セキは急いで階段を上った。
途中で「セキ、お前の剣だ」という声と共に、剣が飛んできた。セキは剣を受け取り、逃げようとするクラモントを追った。
クラモントは城に通じる最上部の通路に到着したがそこで異様な男を発見した。
まだ若いその男は棒を振り回しながら兵士たちをなぎ倒していて、とてもそこを通っては帰れそうになかった。
「ええい、下だ。下の抜け道を使うのだ!」
クラモントは護衛を怒鳴り飛ばし、来た道を引き返し出したが、今度は剣を持ったセキに出くわした。
「くそっ、こうなれば東だ。東の門を使え!」
クラモントの一行は東へと進路を変え、観客を押しのけて移動したが、そこに立ちはだかったのがヌニェスの一団だった。
「クラモント、どうやら年貢の納め時だな。マフリを返してもらおうか」
「ふはは、馬鹿め。わしが負けるものか」
クラモントがそう言って、腕を上げ大きく振り下ろすと、城壁の四つの塔から無差別に銃撃が開始された。観客は悲鳴を上げ、逃げまどい、辺りは大混乱となった。
「おのれ、罪もない人を。卑怯な――」
尚も続くと思われた銃撃がぴたりと止んだ。不思議に思ったコロシアムの人々が上を見ると全ての塔で翼を持った男たちが砲撃手たちに襲いかかっていた。
「助かったぞ、ファランドール」
ヌニェスはクラモントに向き直って静かに言った。
「クラモント、念仏は済ませたか」
「何を」
「いくぞ、マフリ」
「はい」
ヌニェスがクラモントの護衛に捕われたままのマフリに声をかけ、二人が一斉に咆哮を行った。空気が震え、二人を除いた全てのものが金縛りのように動けなくなった。
ヌニェスとマフリにとってはこの一瞬で十分だった。マフリは護衛の手を逃れ、ヌニェスはクラモントに飛びかかると、その鋭い爪をクラモントの顔面に振り下ろした。
観客のいなくなったコロシアムでコウたちとヌニェス、マフリ、ミナモ、ファランドールが一堂に会した。
「そうか。お主らは連邦から来たのだな」とミナモが言った。
「ああ、連邦は喜んで援助をするだろうぜ」
「ふーむ」とヌニェスが言った。「この星はこれまであまり外部と接触してこなかったからな。住民が受け入れるだろうか」
「確かにな」とファランドールが言った。「連邦は持たざる者のためのものだろう。我々のような姿の者は肩身が狭いのではないか」
「……即答はできないわね」
「構わないよ。又帰りに寄るから、それまでに考えておいてくれよ」
「ところでこれからどちらへ?」とミナモが尋ねた。
「《魔王の星》だよ」
「それだったらこういうルートにしなさいな。まずはこの星のすぐ近くの《魚の星》に寄りなさい。その後《念の星》に行ってから《魔王の星》」
「うむ、ミナモの言う通りだな。《魔王の星》は昔から《念の星》と縁が深い。立ち寄って損はないだろう」
「《魚の星》には何があるんだよ?」
「ヤガラヒコという漁師が暮らしているからそこを訪ねてごらんなさい。最近彼は面白いものを拾ったんですって」
「面白いもの?」
「ええ、何でも龍の子供らしいわ」
「龍か。まんざら縁がない訳でもないし、寄ってみるか」
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