7.3. Story 1 決別

3 《巨大な星》の西

 

マーガレットとの出会い

 ハクとコクは西の都会、ダーランに着いた。
「ずいぶんとでかい街だ。手分けするか?」とコクが言った。
「そうだね。だったら私は北のフォローという町から南下するようにして調査しよう」
「だったら俺は南から北上する」
「三日後でどうだい?」
「それじゃあ又会おうぜ」
 ハクとコクは南北に別れて道を歩き出した。

 
 ハクは路面車両に乗ってほどなくフォローの町に着いた。フォローは古くからの港町で濃い霧で有名だった。
「確かフォローの市長はアトキンソンさんだったな。挨拶をしていこう」
 ハクはヴィジョンで一度話をした事のあるアトキンソンに「今から向かう」と連絡を入れて、彼の経営する宿屋に向かった。

 アトキンソンは帳場で待っていた。
「いやあ、リン文月の息子さんに来て頂けるなんて光栄です」
「アトキンソンさん、こうしてお会いするのは初めてですが、ハク文月です」
「時間があればこの町の観光をされるといいのですが、お忙しいんでしょう?」
「そうですね。この町で有力な情報が得られなければダーランに戻ります。ただ待ち合わせまでには数日猶予があります」
「でしたら今夜は泊っていって下さいよ。夕食をご馳走がてらお父様の話にでも花を咲かせましょうよ」
「結構な話ですね」

 
 その晩、ハクはアトキンソンと食事を共にし、ホテルの部屋を取ってもらった。リチャードが昔使ったという隠れ家のような半地下の部屋をわざわざあてがってくれた。

 朝が来た。ハクが伸びをして部屋を歩き回ると、ちょうど目の高さの所に細長い窓があり、通りの様子が見渡せるようになっていた。
 リチャードは若い頃、どんな任務を負ってこの部屋の窓から外を見ていたのだろう。ハクは少し嬉しくなって窓から外を見た。
 半地下の部屋の高い所にある窓のため、通りを行き交う人々の足しか見えなかった。通りをへだてて一軒の花屋があり、そこの店員の女性がかいがいしく働く足元だけが見えた。
 ハクが何とはなしに花屋の店先を見続けていると、店の女性が店先に置いた花の鉢の向きを直そうとしてしゃがみ込んだ。
 しゃがんだ女性が振り返り、ハクと目が合った。
 女性は一瞬、「あら」という口の形をしたが、すぐに笑顔に戻り、ハクに目で挨拶を送った。
 ハクは真っ赤になり挨拶を返したが、まるで覗きをしていたような気恥しい気分になり、急いで窓を離れた。

 
 ハクは食堂に行き、アトキンソンに声をかけられた。
「やあ、おはよう。よく眠れたかな?」
「はい。おかげ様で」
 差しさわりのない話を続け、ハクが尋ねた。
「ところで通りをはさんだ花屋ですが、昔からあるのですか?」
「塔が破壊された後だから、かれこれ十年くらいかな。何でそんな事聞くの?」
「いえ、そこの娘さんと目が合ったもので――」
「ああ、マーガレットだね。娘さんじゃないよ、店員さん。最近働き始めたばかりみたいだけど評判だよ。愛想がよくて、優しくて、その上器量もいいってね」
「……マーガレットですか」
「どうしたの、ハク君。まさか恋に落ちたなんて言わないよね。ハク君くらいになればきっと引く手あまただからそんな事はないか。あははは」

 ハクはアトキンソンに「恋」と言われた時、心臓がギュッと苦しくなるのを感じた。これまでの人生で味わった事のない感情だった。

 
 朝食を終えたハクは部屋に戻るとすぐに身支度をしてアトキンソンと一緒に市庁舎に向かった。
 ドリーム・フラワーの汚染状況を確認し、対策会議に出席して昼過ぎに一人で市庁舎を出た。
 一旦宿屋に戻ろうと考え、宿屋の前まで来ると花屋が目に付いた。
 朝、目が合った娘、マーガレットは接客中で背中を向けていた。ハクは少し離れた場所に立ってその様子を見ていた。

「あの――」
「はい、いらっしゃいませ。あら――」
 振り向いたマーガレットの顔に笑みが浮かんだ。
「今朝、お会いしましたよね?」
「不作法ですみませんでした」
「アトキンソンさんの宿屋にあんなお部屋があるなんて知りませんでしたからびっくりして」
「秘密の部屋なんだそうですよ」
「旅のお方でしょ。お花が要りようですか?」
「その……部屋が殺風景なので」
「まあ、面白いお方」
 マーガレットはくすくすと笑った。
「いつまで滞在ですか。毎朝お部屋にお届けしますわ」
「ありがとう、マーガレット。明後日までここにいる予定です」
「あら、どうして名前を――」
「アトキンソンさんが教えてくれたんです。失礼しました。私はハク文月といいます」
「銀河の英雄と同じようなお名前ですね」
「いえ、じゃあよろしくお願いします」

 別の客が来たのでハクは会話を切り上げてマーガレットに背を向けた。
 それほど暑い日ではないはずなのに、びっちょりと汗をかいていた。
 これまでの人生で女性に言い寄られた事は多々あったが、気持ちが動いた事はなかった。常に自分は沈着冷静なはずだった。
 それが今、汗まみれになって胸の鼓動が静まらない。
 これが恋か。
 コクがこの場にいたら、何と言うだろう――

 

Les Fleurs du Mal(悪の華)

 コクは路面車両でダーランの南東のダグランドに来た。
 今日はスペースボールの試合の開催日なのか、町の中心部にあるスタジアム周辺は人でごった返していた。
「こう混んでたんじゃあ、情報収集もできねえな。夜まで待つとするか」
 そう言ってから、路面車両のステーションの近くにあった観光案内所に寄り、名所を確認した。
「なるほど。かつてはニカ台地と呼ばれた町の西側の山はおやじの力で平らになっちまったのか。今更ながらあの人は化け物だ」

 コクは盛り場をうろつきながら聞き込みを行った。
 うろつく内に、徐々に町並みの雰囲気が変わった。
 ようやく夜の帳が降りたばかりの時間なのに、灯りの数が少なくなり、真っ暗な闇の中で何かが蠢くような気配が強くなった。
「やばい雰囲気になってきたが、こうでなくちゃいけねえ」

 闇のはるか先に小さな灯りが見えた。酒場だろうか、コクはその灯りに向かって歩いた。道の脇にたむろする者の視線や酒臭い息を無視しながら、一直線に向かった。
 小さな酒場だった。コクが錆びついた扉に手をかけようとした時、背後から声をかけられた。
「コク文月君だね?」
「――何で俺の名を知ってる?」

 
 ゆっくりと振り向いて声の主を見た。この場所にそぐわない上質な仕立てのジャケットに身を包んだ小柄で温厚そうな紳士だった。
 コクは場違いな男の姿に拍子抜けしながら言った。
「何者だ?」
「私はドワイト。星読みを生業としております」
「星読みだと。預言者みたいなもんか?」
「そのように立派ではありませんよ――今、あなたはこの店の扉を開けようとしている。この店の名は”Les Fleurs du Mal”、一度中に入ればあなたの運命は大きく変わってしまう。それでも中に入りますか?」
「回りくどいな。俺の運命がどう変わるって言うんだよ?」
「詳しく言わないといけませんか。あなたは他の八人の兄妹たちと袂を分かち、敵として彼らの前に立ちふさがる事になる」
「おいおい、冗談言わないでくれよ。何で俺が兄妹と争わなきゃいけないんだ?」
「やはりそうでしょうな。あなたの兄妹想いは承知しております。しかしそれは本意ですか。あなたはもっと強くなりたいと切実に願っている。弟のコウ君やセキ君よりもずっと。でなくては長兄の務めが果たせない、そう考えているはずです」
「……確かにそうだが、俺だけ単独行動ってのもな」
「星は告げています。九人全員揃って戦うのは、あの《青の星》が最後。これからは皆、それぞれの道を歩もうとしています」

「あんた、何者だ?」
「申し上げたでしょう。星読みだと」
「……星読み。そういえばおやじがそんな奴の事を話してた事があったかな」
「そんなのはどうでもいい――さて、なかなか決心もつかないようですから『石』を使いますか?」
「『石』だって?」
「Arhatウルトマの力、” Animal Instinct ”です」
 そう言ってドワイトは懐から赤と黒に輝く石を取り出した。
「あなたの中に眠る野生の本能、悪に手を染めながら輝く力を手に入れるためにはこの扉をくぐらなければなりません。さあ、『戦乱の石』、じっくりとご覧なさい――」

 石を見ていたコクは立っていられないほどの激情の迸りを脳髄に感じた。気分が悪くなり、あやうく戻しそうになって我に返るとドワイトの姿は消えていた。
 コクは頭を二、三度振って大きく息を吐いた。
「――乗ってやろうじゃねえか」
 コクは『悪の華』という名の酒場の扉を思い切り開けた。

 
 酒場の中はコクの予想を裏切って静かな雰囲気だった。
 店内にあるテーブルでは数人の客だけが酒を飲んでいた。
 一人の物憂げな表情をした男がカウンターのスツールを降りてコクに近付いた。
「ドワイト卿に会いましたか。ここに来たからには覚悟ができていますね?」
「ああ、俺は力が欲しい。あんたは何者だ?」
「私はプロロング。この星で生まれました。ヴァニタス海賊団の副船長を務めております。『嘆きの詩人』、人にはそう呼ばれています」

 プロロングと名乗った芸術家のような痩せた背の高い男はコクをテーブルに案内した。
「あそこの暗闇に座っているのはバイーア。『地に潜る者』で海賊団の狙撃手です」
 そう言ってプロロングは小山のような体をしたバイーアに声をかけた。バイーアはコクをちらっと見て片手を上げた。
「ふふふ、人見知りで困ります。あちらのテーブルで話し込んでいるのがチャパとスローター。船長と航海手です」
 プロロングに声をかけられてチャパとスローターがコクの席までやってきた。

 髪の毛を七色に染め分けた血の気の多そうな青年のチャパがコクに言った。
「ようやく来たか。チャパだ。連邦で働いてた奴なんか信用したくねえが、ここにいるスローターも元連邦軍だしな。しっかり頼むぜ」
「コク文月だ。俺は何すりゃいい?」
 コクが尋ねると髪をきっちり分けた体格の良いスローターが答えた。
「君が来るので、団の再編成をチャパと話していた。リン文月の息子を無下に扱う訳にもいかない。チャパの下、プロロングと君で副船長を務めてもらいたい。シップの配置についてはあちらの――」
 スローターはそう言って入口の脇に座っていた白髪の男を指差した。
「未望と相談してもらいたい。おい、未望」

 
 未望と呼ばれた男がふらりと立ち上がった。過去に大怪我でも負ったのだろうか、足を引きずりながらコクの前に姿を現した。
 白くなった髪を頭の後ろで束ねた中年か老人かよくわからない男だった。顔を横断する傷が凄みを発していた。
「……銀河の英雄の息子が海賊か。物好きだな」
 しわがれた未望の声を聞いた瞬間、コクの背筋をぞくっと冷たいものが走った。この男、枯れた老人のような風体だが、何か強烈な恨みの感情を心の奥底に抱いている。
「コク文月だ。よろしくな。未望はどこの生まれで何をしてたんだ?」とコクが尋ねるとスローターが答えた。

「未望はこんな成りだが、シップの集団戦の指揮にかけてはピカイチの腕だ。君もきっと目を見張るよ」
 未望は一瞬目を大きく見開いた後、左手を顔の前で横に振ったが、左手も動きが不自由なようだった。
「――自慢するほどのものではありません。結局はリン文月のような飛び抜けた個人の力の前では歯が立ちませんからな」
「……ん、あんた、おやじと戦った事があんのか?」
「滅相もない。たとえばの話です」
 チャパとプロロングが奇妙な表情でこのやり取りを眺める中、スローターが口を開いた。
「実はもう一名いるが、間もなくここに――ああ、来た来た」

 
 扉を開けてやってきたのは若い女だった。長い黒髪をなびかせながらコクの顔を見た。
「……ふーん、双子なのね」
「何だよ、唐突に。俺はコク文月だ、よろしくな」
「ヨーコよ」
 ヨーコはそれだけ言ってすぐに店を出ていった。
「相変わらずヨーコは忙しいな」とチャパが笑って言った。
「よろしいではないですか」とプロロングが言った。「彼女は戦闘員ではありませんし」
「まあ、そうだな」
「なあ、チャパ。差当り何をするんだ?」とコクが尋ねた。
「なかなかせわしいが、まずは《巨大な星》で一暴れしてから《神秘の星》に向かう」
「《神秘の星》?」
「ああ、『ウォール』の向こう側だ」

 

唐突な恋の終わり

 ハクは不思議に思った。昨夜コクにヴィジョンを入れたが”Out of Service”だった。
「あいつ、どこかで飲んだくれているのか。予定より一日早いがダーランに移動した方がいいかな」
 ハクは一人呟いてから部屋に置かれた花瓶を見た。中には可憐なマーガレットの花が数輪生けられていた。今朝早くにマーガレットが部屋を訪れてわざわざ生けてくれたものだった。
「早目にダーラン……か」
 ハクはそう言って花瓶の花を指で弾いた。
 一体自分はどうしたのだろう、今はドリーム・フラワーよりもコクの連絡不通よりも、マーガレットの事で頭の中が一杯だった。
 たとえ早目にこの場所を去るにしても彼女に自分の想いだけは伝えよう、そう決心を固めたハクは宿屋の外に一歩出た。

 
 通りを挟んだ花屋ではマーガレットがせっせと花を店内に運び込む姿が見えた。
 ハクはタイミングを見計らって声をかけた。
「おはよう」
「おはようございます。ハクさん」
「素敵な花をありがとう」
「どういたしまして。私の一番好きな花を勝手に届けさせてもらいました。ご希望の花があったら言って下さいね」
「いえ、私も好きな花です。マーガレット」
 ハクがそう言うとマーガレットは少し頬を染めた。
「マーガレット、お礼がしたいのですが」
「そんな、困ります」
「いえ、そうさせて下さい。そうだ、今夜食事でも一緒にどうでしょう?」
「……それでしたら喜んで」
「良かった。でしたら夕方、又ここに迎えに来ます」

 
 ハクが店から数歩遠ざかったその時、物凄い爆発音が聞こえた。
 振り返って見ると花屋の店先が吹き飛び、色取り取りの花が空から舞っていた。
 爆発に気付いた町の人々が口々に何かを叫びながら炎に包まれた花屋の回りに集まり出した。
 ハクは何が起こったのか理解できずにその場で立ちすくんだ。

 アトキンソンが外に出て、大声を上げていた。
「何て事だ。消防署に連絡しないと」
 アトキンソンの言葉でようやく我に返ったハクは炎に包まれる花屋に飛び込んでいこうとして見ず知らずの人間に止めらた。
「あんた、正気の沙汰じゃないよ。あんな所に飛び込むなんて」
「離して下さい。私なら耐性訓練を受けています。このくらいの炎であれば――」
「だめだよ。また爆発するかもしれないじゃないか」
 男が言い終わるのとほぼ同時に二回目の爆発が起こり、辺りの人々の怒号が交錯する中、ハクは地面に膝を着いて今や跡形もなく崩れ落ちようとしている花屋を呆然と見ていた。

 

兄妹の異変

 ロクとくれないは一旦ヌエヴァポルトに戻った。
 木端微塵に飛び散った研究所の跡からはヘキもJBも見つからなかった。もちろんイリップ・バノもサカブ・ドギも遺体が発見されず、全員が行方不明という状況だった。

 大通りのカフェテラスで憂鬱そうな表情を見せるロクにくれないが声をかけた。
「ロク、変なんだ」
「ん」と言ってロクは顔を上げた。「何がだい?」
「ヘキやJBには当然ヴィジョンは通じなかった。だけどハクやコクも”Out of Service”になってるんだ」
「えっ、ハクたちにも何かあったのかな?」
「わからない。でも何だか胸騒ぎがする」

 二人が途方に暮れていると声がかかった。
「何、しけた顔してんだよ」
 ロクがきょろきょろと辺りを見回して声を上げた。
「JB、無事だったんだね!」
「ああ、たまたま便所に行ってた時に爆発があって、おれはそのまま爆風で吹き飛ばされたらしい。研究所からはずいぶんと離れた場所で目を覚ましたって訳だ」
「ヘキは?」
 くれないが心配そうに尋ねるとJBは黙って首を横に振った。
「うん、でもJBが無事でよかったよ」
 くれないは取って付けたように微笑んだ。

 
「しかし研究所ごと吹き飛ばすなんて相手はやけくそだね」
 JBがテーブルに座ってからロクが言った。
「お前たち兄妹が《青の星》でやった事がこっちのブルーバナーにも伝わってたんだろう。それで敵さんも焦ってあんな真似をしたんだろうな」
「これからどうすればいいのかな?」とくれないが不安そうに言った。
「おいおい、しっかりしてくれよ。お前ら、リンの子供だろう。たとえヘキが倒れたってそれを乗り越えて任務を遂行してくれなきゃ困るじゃねえか」
「その通りだ、JB」
「だが作戦を考える必要がある――まあ、ちょっと耳を貸せよ」

 

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