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2 神有月
東京に戻ったセキが門前仲町の『丸市会』に顔を出すと、庭にいた美木村がやってきた。
「よぉ、忙しいか」
「うん、もうちょいね」
「そうだよな。日本はお前のおかげで大分落ち着いたが、世界はそうでもないって言うしな」
「これが片付いたら大陸に渡るよ」
「気を付けて行けよ――帰ったら立ち合ってくれよ」
美木村はもえを呼びに家の中に入って、入れ替わりにもえが出てきた。
「お帰りなさい、セキ。ゆっくりできるの?」
「まだまだだね。あと一か月くらい。夏休みが終わっちゃうね」
「今年は特別よ。九月になれば学校が再開されるかしら?」
「早く元通りになるといいね」
「……うん、でももう元通りにはならないんじゃないかな。元のままだと思っていてもどこか違うもの。世界では毎日何万人もの人が亡くなっている。それを目の当たりにしたら元のままでなんかいられないでしょ」
「新しい秩序、新たな拠り所が必要になりますな」と明海が言い、もえは頷いた。
「そうだと思います。国ではない違う何かが……ってあたしが心配しても仕方ないですね。ねえ、セキ。この大きなむく犬の名は何?」
「あ、こいつ。こいつの名前はヌエ」
「ヌエ?何だか不思議な響き。他所の星の言葉なんでしょうけど、日本だと鵺って妖怪の名前よ」
「あ、ああ、そうなの」
セキが明海を見ると俯いて笑っていた。ヌエも心なしかにやにやしているようだった。
「あ、そうだ、セキ。一週間くらい前かしら。蒲田さんが来たの。セキはいないかって」
「えっ、蒲田さんって警視庁の?」
「うん、心配事があるみたいな顔してたんで理由を聞いたら、相談事があるって――で、その後であたしインプリントしたでしょ。嬉しくてヴィジョンを使える知り合いに片っ端から連絡したの。そしたらその時に蒲田さんがあの件は取り越し苦労だった。忘れてくれって」
「ふーん、何だったんだろう」
「蘇った魔物について不安があったんじゃないの?」
「ならいいけど――じゃあそろそろ行くよ」
「気を付けてね。むらさきちゃんに会ったらよろしく伝えておいて」
「もえはまだむらさきには会ってないんだっけ?」
「うん、渋谷で会ったのはくれないちゃん」
「そう言えばそんな事言ってたなあ。すごく昔みたいだよ」
明海はセキを地下組織『パンクス』の本拠に連れていった。
「えっ、明海。ここは?」
「地下を通って関東の奉ろわぬ者の守護者に会いにいく」
セキは明海と一緒にヌエを連れて地下街を歩いた。パンクスのエリアを抜けた赤坂の先のあたりに『アンビス』エリアに至るまでのわずかな空白地帯があった。
明海はそこで左に曲がった。
「明海、こっちは?」
「そう、宮城だ。ここから先は殺されても文句言えないから覚悟しなよ」
辺りが闇に包まれた。鼻をつままれてもわからないほどの闇の中で何かが動く気配がした。セキが『焔の剣』を抜こうとすると明海が押し止めた。
(何用だ?)
ひどいかすれ声が頭に響いた。
「東北の奉ろわぬ者の依頼を受けて、ここに参りました」と明海が答えた。
(うむ。存じておる。『鎮山の剣』が千年の時を経て元の場所に納まったようだな)
「左様にございます」
(なるほど。その『鎮山の剣』の持ち主が京の都で鬼を平らげ、ヌエをこのように大人しくさせたか。だが菅公は、『梶の葉』は、熊襲は、隼人は、蝦夷はどうする?)
「それについては山の人と我ら始宙摩が責任を持って事に当たりますゆえ――」
(真っ先にここに挨拶に来たという訳か。面白い――そこのノカーノの末裔には鬼を退治してもらった恩もある。元通りここを守護しよう。これでよいか?)
「十分にございます。では――」
(待て。此度の混乱は新しい秩序を作り出すためと理解しておる。だがその意義が不明な男が一人蘇っておる。これは何を意味する?)
「さあ、到底私の理解の及ぶ所ではございませぬ。或いは大師であれば――」
(別によい。どちらに転ぼうがこの国を守るだけだ)
それきり声はしなくなった。
セキたちはパンクスの本拠に戻った。ケイジも釉斎もサンタも出払っていた。閑散とした広間でセキが言った。
「あー、いつ斬られるかと思ってひやひやしたよ」
(返答次第では一刀両断だったな。まさしく荒ぶる魂だ)
ヌエも緊張が解けたのか饒舌になっていた。
「さあ、最後の目的地、出雲に向かいましょう」
ただ一人落ち着いていた明海だったが、踏み出した足は僅かに震えていた。
セキたちは出雲に向かった。ヌエが背中に乗っていけと言うのでセキも明海もそれに従った。
途中で明海が「ネバー・エンディング・ストーリーのようだな」と呟いたが、セキには何の事かわからなかった。
巨大な社が見えたが、そこには降りずに海に面した灯台に向かった。
「明海、あの社じゃなくていいの?」とセキが尋ねた。
「いや、私はこれでも一応仏に仕える身。八百万の神々の祀られる神社はさすがに――」
(けっ、くだらねえ。おめえも空海の弟子なら宇宙の真理はわかってんだろ。神だろうが仏だろうが、Arhatsの気まぐれの前には意味がねえって事を)
「それはそうですが――曼荼羅の世界と今起こっている現実が上手く噛み合っておりません」
(しょうがねえ奴だな――ああ、でも向こうから来てくれたみてえだ)
一人の男が軽い足取りでセキたちのいる灯台に向かってやってきた。男は何も言わずにセキたちの前に立つと、胸元から鏡を出し、それに自分の姿を映した後、にこりと笑って去った。
後に残された明海がぼそりと呟いた。
「今のは……春日大明神?では神々はご健在という事か」
(どうやらそうみてえだぜ。見ろよ、セキの顔を。ぽかーんとしてやがらあ)
「えっ、これで終わり?」
「そのようです。セキ殿、ここから大陸の北の都にお向かい下さい。コウ殿がお待ちです」
「でもさ、ばあちゃんと話してた時に手強いのが残ってるみたいな事言ってたじゃない?」
「ああ、矢倉衆の事ですね。彼らもバカではない。この状況下で国を転覆させようなどとは思いますまい」
「ふーん、わかった。明海、元気でね――さあ、ヌエ、行こう。『ネバー何とか』みたいにしてさ」
セキは再びヌエの背中にまたがった。
でもいいんだろうか
その矢倉衆とかいう人たち、キッチリ話を付けておいた方がいいんじゃないのかな
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