目次
3 皇女の救出
連携
再び夜のマンハッタン。三人は世界各地から集まった観光客でごった返すフォーティ・セカンド・ストリートにいた。
「ここからは別行動」とヘキが言った。「集合は明日の朝七時、場所は……MOMAの前」
それだけ言ってヘキは去って行った。
残されたコウとセキも仕方なくばらばらになり、セキはセントラルパークを、コウはマディソン・スクエア・ガーデンを目指して歩き出した。
ヘキはソーホー地区に向かった。お上りさんだらけのマンハッタン中心部と違って、お洒落なファッションに身を包んだ人々が通り沿いのカフェで静かにお茶を飲んでいた。
ヘキは路上でギターを弾く一人のミュージシャンの前で足を止めた。
長い黒髪に黒いサングラスをかけた男はボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌っていた。他に観客は五、六人、その中にファッション関係の人物と思しき赤い縁の眼鏡をかけたスキンヘッドの男がいた。
特に下手ではない演奏が終わるとまばらな拍手が起こり、観客はギターケースに数枚の25セントを投げ込んだ。
ヘキもギターケースの傍でしゃがみ込み、一枚の一ドル紙幣と25セントを置いてから「ありがとう」と言って、その場を去った。
ミュージシャンの男はさらに一曲歌うと、散らばった小銭を拾い集め、ギターをしまって歩き出した。
ギターを背中に抱えた男は一本の細い路地に入った。しばらくすると路地から出てきたのは、さっきまで男の演奏を聞いていた赤い縁の眼鏡の男だった。
スキンヘッドの男は口笛を吹きながら颯爽と歩いていった。
翌朝、開館前のMOMAにヘキたちが集まった。
「おはよう」とセキが声をかけた。「ハクが今朝演説をするって大型スクリーンのニュースで言ってたよ」
「あら、何時頃?」
「朝10時みたい」
「ふーん、じゃあそれまでにケリがつくわね。あたしたちも出かけよう」
「出かけるってどこに?」とコウが尋ねた。
「さあ、天気もいいし、遠足としゃれこむのはどう?」
「僕、ナイアガラの滝見たいな」
「朝10時じゃそこまで行くのは無理だけど、とりあえず北に向かおうか」
ヘキたちはセントラルパークの中を抜けて北へと向かった。
北に向かって歩くと町並みが変化した。ハーレムの古い建物を越え、河にかかる幾つかの橋を渡ると緑の多い地域となった。
「わぁ、空気がいいね。『ネオ』から来て初めていい空気を吸ったよ」とセキが言うとヘキも頷いた。
「あたしもそうよ。ノヴァリアを思い出す」
「あれ、ヘキ。ノヴァリアの事、嫌いじゃなかったか?」とコウが冷やかした。
「いいのよ――ちょっと待ってね」
ヘキは立ち止まるとヴィジョンをスクリーンなしで使って誰かと話し始めた。会話を終えるとコウとセキに向かって目一杯の笑顔を見せた。
「無事、プリンセス保護」
「えっ、本当?」
「本当よ。さあ、あたしたちも帰る準備しないと」
「帰るって?」
「連邦府の建物に決まってるじゃない――でもその前にお待ちかね、鬱陶しくあたしたちに付きまとっていた尾行の人たちと遊んであげない?」
「賛成」
「三つ数えたら振り返って突撃よ。いいわね、一、二、三、それ!」
海樹と鬼伐
急に方向転換して向かってきたヘキたちを前に尾行の集団は慌てた。
十数人いた者はヘキたちに打ち倒されるか、逃げ出すかしてその場は静かになった。
「何だ、歯ごたえがないな」
コウが言うとヘキが首を横に振った。
「こいつらはきっと『アンビス』の小者。この背後に本当の襲撃者がいるはずよ」
ヘキの言葉通り、別の集団が姿を現した。人数は十人程度だったが先ほどの人間たちとは異なる雰囲気を醸し出していた。
「ほら、おいでなすった」
集団はヘキたちと対峙し、先頭にいた女性が口を開いた。
「土地勘があるからと思って、あいつらに任せていたけどまんまとやられた。こんな事なら力づくで締め上げて場所を聞き出せば良かった」
「ついてなかったわね。目的を果たせなかったみたいで。しかもこれから連邦に護送されるのよ」
「ついてないのはそちらじゃない。あたしと勝負ができそうなのは……」
そう言うと女性は三人を見回し、セキに目を止めた。
「一人だけ。どうする、銀河の英雄の子供たち」
「ヘキ、この人の言う通りだ」
セキが真剣な口調で叫んだ。
「この人は危険だから僕が相手する。ヘキとコウは他の人を相手して」
「わかった。コウ、とっとといくよ」
ヘキとコウが女性を除いた九人に向かい、セキは女性と距離を取って立ち会った。
「――実はこの星に来るのは二度目。二十年前にリチャードと闘うために来たのが最初だった」
「えっ、リチャードは僕の師匠みたいなもんだよ」
「そう、だったら都合がいい。あんたを倒せば少しは溜飲が下がるかも――あんた、名は?」
「文月セキ」
「あたしは海に樹と書いて海樹。じゃあ始めようか」
セキと海樹は互いに距離を取った。海樹が手にしているのは堅そうな木でできた白い杖で頭が瘤のように膨らんでいた。
剣を抜かずに様子を伺うセキに対して海樹がいきなり杖を振り回しながら突っ込んできた。
身をかわしながら幾度かの攻撃を避ける内に、セキは海樹の杖の先端が光り出したのに気付いた。
急いで『鎮山の剣』を抜いたセキに海樹がにやりと笑った。
「気付いたね。ここから本気。『白化』!」
海樹の杖の先端から白い靄のような物が湧き出したのを見て、セキは大きく飛び退いた。
「この靄に触れればあんたは白化した珊瑚と同じになるよ」
ヘキとコウは先ほどの一団とはケタ違いの強さの男たちと立ち会っていたが、苦労しながらヘキが二人、コウが一人を倒した所で残った六人の様子が変わった。
明らかに腰が引け、退却を考え出したようだった。
「コウ、一人も逃がすんじゃないよ」
「おう、任せとけ」
セキは必死に襲い掛かる白い靄を避けながら反撃の機会を伺ったが、海樹の杖の先端の色が今度は赤く光り出したのには気付かなかった。
「残念だったね。タイムアップ」
海樹がそう言うと、杖の先端から今までの靄とは違う色の薄い霧が吹き出し、あっという間に目の前のセキ、少し離れた所で向かい合っていたヘキと襲撃者たち全てを包み込んだ。
「……これは毒霧。でも耐性があるし――
次の瞬間、セキは足がもつれ、地面に手を着いた。周囲を見回すとヘキもコウも襲撃者たちもばたばたと倒れ、海樹以外に立っている者はいなかった。
「神経性の?」
急いで立ち上がろうとしたがもう無理だった。
「少々荒っぽいけど確実に仕留めるには敵も味方もないんだ」
海樹が勝ち誇ったように言った。
徐々に意識が朦朧とする中で、セキは海樹が手にする杖目がけて重力をかけた。
今度は海樹の顔が苦悶に歪み、両腕をだらんと下げたままになった。
「これは妙な。止めは刺せんがこの場は退かせてもらおう」
鉄の塊のように重たくなった杖を引きずるようにして海樹が背中を向けた時、声が響いた。
「待て」
海樹は声のした方に振り向いた。
「……鬼伐。何故ここに?」
「話すといささか長くなるが、先般リチャードと立ち会い敗北した。その後リチャードより仰せつかったのがこの星に潜入した《歌の星》の襲撃犯を捉えよとの事だった。つまりは文月を追うアンビスを観察するお前たちを更におれが追っていた訳だ」
「……結局は連邦の犬になったか。それにしちゃ得物を持っておらぬが」
「リチャードに叩き割られた――それよりも海樹、お前、文月の息子に重力制御をかけられたな」
「見事にやられた。この子の力か」
「のようだな。逃げるにしてもこの術を解除してもらわんといけないだろう。もっとも逃がしはせんがな」
「色々とうるさい男だ。この子の意識を戻せばいいのだな」
海樹はそう言うと苦しそうな表情のままやっとの事で杖を振った。
「ん、んー」
目を覚ましたセキは海樹ともう一人知らない男を前にして飛び上がらんばかりに驚いた。
「あれ……あ、そうか。相打ちだったんだね」
「忌々しい。この術を解いてくれぬか」
「解いてもいいけど僕の姉兄も起こしてくれないと」と言ってセキは鬼伐を見た。「ところでこの人は誰?」
「知らぬのか。連邦に尻尾を振る犬だ」
海樹が吐き捨てるように言うと鬼伐は訂正した。
「連邦ではない。リチャードに負けた借りを返すだけだ」
「リチャードと闘ったの。『あやうく真っ二つにされる所だった』って言ってたけど」
「そんあ事はどうでもいい。おれは倒れている奴らとこの女を連邦軍に引き渡せばお役御免だ」
「さっきヘキが連絡してたからもうすぐ来るんじゃない」
セキが海樹にかけた重力制御を解き、海樹はヘキとコウの意識を覚ました。
ヘキとコウがゆっくりと起き上がろうかという時に海樹が叫んだ。
「あんたたち、ずいぶんと呑気だけどあたしは捕まりゃしないよ」
「しまった」
鬼伐が叫ぶのと同時に今度は海樹の杖の先端から黒い墨のようなものが吹き出し、周囲が真っ暗となりセキたちの視界は奪われた。
しばらく経ってようやく墨が薄くなった時には海樹の姿だけが無くなっていた。
「やられた」
セキが頭を抱えると鬼伐が言った。
「……この場はお前たちに任せる。おれはあの女、海樹の後を追う」
「えっ、追うってどこに?」
「奴の行きそうな場所の見当は付いている」
「よく状況が飲み込めてないけど」
頭を振りながらヘキが鬼伐の前に立った。
「あんた、あの女性の事が好きなのね」
「……そんなのではない。ただあいつの兄が悲しむ姿を見たくないだけだ」
鬼伐は去っていった。
メリッサ
ニューヨーク沖の上空に漂う連邦府の建物にヘキたちが戻った。
カフェでくつろいでいると二人の男がやってきた。
「あっ」と一早く気付いたセキが声を上げた。「コク、ロク」
「ヘキ、ご苦労だったな」
最初に声をかけたのはソーホーにいたミュージシャンだった。流れるような黒髪の野性的な青年だった。
「コウも大変だったろ。セキも――ん、セキ。お前、少し変わったな。背でも伸びたか」
「セキはね」とヘキが言った。「ケイジとリチャードの下で修業しただけあって、物凄く強くなったの」
「コクはいつでも僕を子供扱いするんだ」
「悪い悪い。そうか、セキ。強くなったか。重力制御だけじゃなくなったんだな」
「皇女が君たちにも感謝の言葉を伝えたいらしい」ともう一人の男、やはりソーホーにいたファッション関係者風の赤い縁の眼鏡の男、ロクが言った。
今は変装を解いてスキンヘッドにゴーグルをかけていた。
「結局、コクとロクはどうやって皇女の居場所を知ったんだ?」とコウが尋ねた。
「昨夜、ヘキが知らせてくれた。それでコクが声をかけ、ぼくがシップを運転してここまで――ちょっと待っててくれ。今連れてくるから」
一旦出ていったロクはすぐに皇女を連れて戻った。
「皆様、この度は本当にありがとうございました」
深々と頭を下げた皇女は、ヘキたちがいつも通っていたハンバーガー・ショップの褐色の肌の女の子だった。
「あんたがメリッサ皇女だとは思わなかったよ」とコウが言った。
「私も」と言って皇女はくすくすと笑った。
「これからぼくは皇女を連れてダレンまで行く。コメッティーノに色々話さなきゃならない事があるからね」とロクが言った。
「さっすが、銀河一シップを操るのが上手な男、すぐに帰ってくるんだろ?」
「冷やかすなよ。そうだな、一週間後にはまた皆に会えるよ」
皇女を連れて出ていこうとするロクをヘキが呼び止めた。
「ねえ、メリッサ。今回の一件には石が関わっているって話だけど本当なの?」
「本当よ。見る?」
メリッサは懐から鶏の卵を一回り大きくしたくらいの紫色の石を取り出した。
「これは” Sands of Time ”、ヨーウンデに昔から眠っていたのを歴史学者デズモンド・ピアナが発見して、王族に託したらしいの。もちろん歴代の王族の誰も石を使用した事はないけど、名前から察するに時間を操る、つまりはArhatエニクの力が封印されているんじゃないかしら」
「何とも壮大な話だが、その石があれば確かに銀河を支配するのも可能かもしれないぜ」とコクが言った。
「その力の恐ろしさを理解していたからこそ歴代の王族たちは石の事は秘密にしていたのですが、それが漏れたためにこんな事に。お父様、お母様……」
「……あの、こんな時に言う事じゃないのかもしれないんだけどさ」
おずおずとセキが切り出した。
「あなたが言いたい事は予想が付きますよ。石の力を使って襲撃前に時間を戻せばいいというのでしょう?」
「あ、うん」
「それをすれば私も襲撃犯たちと同じです。自分の手に余る力を使って事実を捻じ曲げてはいけないのです」
「さすがは皇女様だ。人間ができてら」とコウが言った。
「私はこの石をコメッティーノ議長に預けます。決して石を使う人が現れないように連邦で厳重に保管してもらいます」
「皇女」とロクが言った。「そろそろ出発しましょう。コメッティーノも貴女の話を聞きたがっているはずです」
ロクはメリッサの手を取って外へ出ていった。
「ところで皆って言えばさ」とヘキが言った。「むらさきと茶々も来るんでしょ?」
「茶々はもう近くまで来てるんじゃないか」とコクが答えた。「むらさきはリチャードの用事があるので『ネオ』に寄っているそうだ」
「くれないは?」とコウが尋ねた。
「いいのよ。あのバカは」とヘキが言った。「もうとっくに着いてるわよ」
「あ、ハクの演説が始まるよ」とセキがカフェにある大型スクリーンを指差した。
画面にはコクによく似ているが、もっと穏やかな表情をした貴族のようなハクの顔が大写しになった。コクのうねるような黒髪と違ってハクの髪の毛は銀色に輝いていた。
「ハクは何を話すのかな」
「ドリーム・フラワーの根絶と……もしかしたら今回の皇女の件も話すかもな。さっき連絡した時には『よし、それも入れよう』って言ってたからな」
四人はハクの演説を黙って聴く事にした。
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