7.1. Story 3 初仕事

4 セキ倒れる

 

霞ヶ丘競技場

 翌朝、セキが大広間に行くと、ケイジとリチャードが座って話をしていた。
「おはよう、リチャード、ケイジ」
「セキ、眠れたか?」とリチャードが訊いた。
「うん。気付いたら寝てた」
「なかなか頼もしいな」
「ケイジ、今日の稽古は?」
「稽古は終わりだ。実戦に勝るものはない。これからは戦った数だけお前は強くなる――相手にやられなければの話だがな」
「ちぇ、ケイジは厳しいな。ねえ、二人が初めて相手を倒した時、どんな感じだった?」
「私か」とリチャードが答えた。「当時は大きな目標があったからな。そのための障害となるものは全て倒さねばならない、そう自分に言い聞かせていたので落ち込む暇はなかったな」
「私は覚えていない」とケイジが後に続いた。「この星での最初の戦いは覚えているが、きっとそれ以前にも人を斬っていた」
「ケイジはこの星に来る以前の記憶がないんだね?」

 セキの問いかけに静かに笑うケイジを見てリチャードが言った。
「うむ。今もその話をしていた。ケイジもそろそろ自分を探す旅に出る頃ではないかとな」
「自分を見つけた所でどうなるものでもないが」
「ケイジはここからいなくなるの?」
「今は無理だ。アンビスとの決着をつけた後――その時はセキ、お前も一緒だ」
「えっ、僕も?」
「当然だ。お前は私の唯一残っている弟子だ」
「セキ、覚悟しておけよ」とリチャードが言った。「外には強い奴がごろごろいる。よほど腕を磨いておかないとケイジに迷惑をかけるだけだ」

「うん、でもリチャードの連邦の仕事の手伝いは?」
「お前じゃなきゃだめという訳でもないさ。他に八人もいるんだ。そいつらを鍛えて手伝わせるさ」
「でもハクやコクやヘキはもう強いんじゃないかな。きっと茶々もそうだろうし」
 セキの返答にリチャードとケイジは顔を見合わせて笑った。
「セキ、わかってないな。実戦を乗り越えた者に敵うはずがない。つまり今、九人の兄妹の中ではお前が一番強い」
「ピンとこないな」
「そのうちわかる――今日は私と一緒に行動だ。『草』は全員出払っているから付いてこい」

 
 リチャードがセキと共に向かったのは多目的の競技場だった。
「ここは去年サッカーの国際大会やった場所?」とセキが言った
「何だ、スペースボールのようなものか?」
「うん、飛べない人向け。ネオでもまだサッカーの方が流行ってる」
「残念ながら今日は観光ではない。これから人に会う」

 
 二人はふわりと飛び上がり、競技場の中に侵入した。
 雨に洗われた芝生の緑がまぶしかった。
 無人のスタンドの中段に鮮やかな青地に龍の縫い取りがあるチャイナドレスの女が座っているのが見え、リチャードたちは近くに降りた。
 リチャードはセキに離れているように言い残し、一人、麗泉の下に向かった。

「呼び出されるとは思わなかったぞ。何の用だ?」
 サングラスをかけたままの麗泉が言った。
「伝えたい事があって――あそこに立っているのは?」
「助手だ。気にするな」
「まだ子供じゃないの。あんなに隙だらけだし」
「あんたこそ警護をつけないのか?」
「あんなものお飾りよ。わかるでしょ」
「まあな。あんた一人の方がよほど強い。周りにいられても邪魔だからいつもあんなに距離を空けているんだろう?」

「――あたしの事はどうでもいいの。それにしてもやったわね。これで修蛇会は終わり」
「見たのか?」
「ううん。別件があって行けなかったわ。あなたの部下の女の子から聞いてるでしょ?」
「うむ」
「あんなに距離を空けていたら尾行にならないわ」
「私が命令をした。『虞麗泉に接触する際には距離を空けろ』とな」
「そんなに怖がらないでよ。こちらから接触してあげたんだから感謝してね」

 
 麗泉の言葉は真実だった――
 『草』、藤は麗泉の身辺を探っていた。
 リチャードに言われた通り、距離を空けての接触を言われていたために、麗泉がその気になればすぐにまかれる可能性があった。

 その夜、宿泊先の新宿西口のホテルから麗泉は外出した。藤は横浜の倉庫に行くと踏んでいたが、麗泉は高層ビル群を見上げながら調布方面に歩いていった。
 高層ビル群を過ぎると、突然そこだけ時代の流れに取り残されたような古い町並みの一角が姿を現し、麗泉はひょいとその町並みに入った。
 藤は迷った。これは誘いに違いない、不用意に飛び込めば思う壺だ、そう考えて『草』の教えに従い、五つ数えてから行動する事にした。
「一……、二……、三……、四……」
 五に到達する前に藤は背後から肩を叩かれ、ぎょっとした。いつの間にか麗泉が藤の背後に回っていた。
「大丈夫よ。安心しなさい。あなたに伝言を頼みたいの。『明日、午前9時半、国立競技場』。よろしくね」
 放心状態の藤を残して麗泉はどこかに去って行った――

 
「『草』をまいた後、どこに行ったんだ?」
「それをこれから話すんじゃない。とにかく修蛇会は終わり、あんな状態じゃビジネスは続けられないわ。でも在庫は捌かなければ顧客から不満が出る。それであたしが呼ばれた訳よ」
「元締めを知るいい機会だったのに残念な事をしたな――もっとも尾行を続けさせていても力ずくで阻止されて結果は同じか」
「怪我人が出ない分、良かったじゃない」
「まったくだ。で、元締めは誰だ?」
「それを言う訳にはいかないわ。直接のビジネスパートナーになるかもしれないのに」
「だったら何故、私にそういう話があった事を伝える?――本当は元締めも何もかも殲滅して欲しいんじゃないのか?」
「馬鹿言わないでよ。銀河の英雄に対する礼儀かしらね」

 立ち上がり、去ろうとする麗泉の背中にリチャードが声をかけた。
「麗泉、教えてくれ。あんたのその哀しみはどうすれば癒せるんだ?」
 麗泉は立ち止まった。背中がかすかに震えていた。
「あんたを救い出せるなら何だってしよう。だから話してくれないか」
 麗はリチャードを振り返り、肩をすくめた。
「あたしは生まれついての殺し屋よ。この世界でしか生きていけないわ」
「私は二十年前に銀河を救った。あんたを救うくらい訳ない」
「――好きにしなさいよ」

 麗泉が去り、リチャードはセキがいない事に気付いた。
「セキ?」

 

麗泉対セキ

 麗泉は競技場を出て千駄ヶ谷門に向かって歩いた。
 途中で後ろを振り返り微笑んでから方向を変え、猛スピードで絵画館方面に移動を開始した。
 絵画館前まで滑る様に移動した地点で立ち止まり、口を開いた。
「リチャードの話を聞いてなかったの。近付くと危険よ」
 木の陰からセキが姿を現した。
「今は大丈夫でしょ?」
「――あなた、名前は?」
「文月セキ」
「なるほど。文月凛太郎の息子ね。どうして付いてくるの?」
「麗泉さんはどこかに行こうとしてた。とっても思いつめた顔付きで。だからそれを確かめようと思ったんだ」
「……馬鹿にできないわ。さすがは血筋。でもそれを知ってもどうにもならないわよ」
「麗泉さんは悪い人じゃないよ。仕方なく従っているだけ。元々哀しいのにもっと哀しくなってる」
「子供にそこまで言われるとは焼きが回ったわね。本気であたしを助けたいのなら強くなければだめよ。あなたにできるかしら?」
「――やるしかないね」

 
 麗泉とセキは絵画館の塀をひらりと乗り越え、噴水のある池の前で対峙した。
「見せてやるわ。かかってらっしゃい」
 セキは慎重に距離を詰め、棒立ちの麗泉に蹴りを飛ばした。
 次の瞬間、麗泉の前に壁があるかのようにセキの蹴りは跳ね返され、セキはバランスを崩した。
「あいたた」
 足を見ると、スニーカーには高速で回転する刃のようなものにぶつかったような無数の擦り傷ができていた。
「何か小さな物が麗泉さんの周りを物凄いスピードで飛び回ってバリアみたいになっているんだな」
「どう、入ってこれないでしょ?」
「これならどうだ」

 セキは絵画館の脇の木立の中に走り込んだ。
「ここだと木が邪魔でしょ?」
「考えたわね」
 麗泉は平然と木立の中にやってきた。
「やってごらんなさい」
 セキは再び麗泉の懐目がけて渾身の蹴りを放ったが、前と同じくセキの体は大きく後ろに跳ね飛ばされた。
「円の軌道にならないはずなのに――」
「どんな場所でも自由自在に形を変えられるのよ。もちろん円に戻す事だってできるけど」
 麗泉がそう言うと、電動ノコギリで木を伐採するような高い金属音が響き渡り、麗泉の周りの木がみるみる刈られていった。
「わぁ。すごいな。完璧だ」
「リチャードが来る前にケリをつけましょう――セキ、特別に秘密を見せてあげる」

 麗泉の体の周りから銀色に光る小さな円形の物がころころと地上を転がってきた。
 コイン?――
 セキが目を凝らした瞬間、地面を転がったコインが猛烈なスピードでセキの右の腿を襲った。
 セキは強烈な痛みを感じ、地面にもんどりうって倒れた。
「守りだけじゃないのよ。攻めも完璧――さあ、仕上げよ」
 麗泉の周りを飛び回っていた無数のコインが一斉に動きを止め、セキに向かって襲いかかった。
 どうにかして起き上がったセキは重力制御をかけたが、相手が小さなコインだったため狙いが定まらなかった。
 コインは四方からセキの体に突き刺さり、セキはそのままうつ伏せに崩れ落ちた。

 自動的に麗泉の下に戻るコインを回収しながら麗泉が言った。
「最後の一瞬に何かやったわね。致命傷にならないなんて。でも安心しなさい。命は奪わない――文月リンは九度蘇ったそうだけどあなたは違うでしょ」
 麗泉は何事もなかったようにその場から去っていった。

 
 リチャードがセキを探し当てたのは麗泉がすでにその場を去った後だった。
「セキ、セキ」
 リチャードはセキの目を覚まそうとしたが、セキは倒れたまま動かなかった。
「一旦、パンクスに戻るか」

 

もえの力

 リチャードがセキを抱いたままパンクスに戻るとちょうど釉斎がいた。釉斎はセキを一目見て言った。
「これはひどい。全身の骨が折れとるかもしれない。連邦の『ライフカプセル』に入れた方がいいんじゃないでしょうか」
「わかりました。そうしましょう」

 ソファに寝かされたままのセキの様子をケイジたちが見にきた。
「リチャード、この有様は?」
「麗泉とやり合った」
「大したものだな」
「何が?」
「いや、あの女と戦って生き残った者は誰もいないと聞いていた。ところがセキはまだ生きている。本能的に重力を制御したな」
「なるほど、そういう見方もあるか。セキが回復すれば麗泉の力の秘密がわかるな」
「『草』の調査は?」
「ドリーム・フラワーの元締め、麗泉の事、なかなか情報がなくて苦労している」
「セキの回復には時間がかかるな」
「ああ、今から連邦の施設に運ぼうと――

 リチャードは視線に気付いて振り返った。
 そこには西浦に連れられたもえが立っていた。
 もえは無言で傍に来て、意識のないセキの頬に手を添えた。
「リチャードさん、何があったんですか?」
「手強い相手にやられた――」
「……あたし、リチャードさんを責めません。何となくこういう事があるんだって思って育ってきてるし――でも自分の言葉に背くのは嫌いなんです」
「どういう意味だ?」
「セキを守るって決めたんです。どうすればセキを助けられますか?」
「だから今から連邦府の施設に――」
「リチャード」とケイジが言った。「ここは一つもえに任せたらどうだ。ここへの出入りを釉斎が許したのは、医者として感じ取る何かがあったからではないのか」
「私は」と釉斎が言った。「何となくですが、もえさんには特別な、癒しの力があるのではないかと思ったのです」
「だったら試してみればいいじゃないか。かつてミミィという女性がリンを蘇らせたという方法を」
「うむ。もえ、聞きかじりだが、今からその方法を説明する――

 
 ――もえ、本当にいいのか」と説明を終えたリチャードは言いかけて止めた。「聞くだけ野暮か」
「ケイジさん。どこか部屋は空いてますか。そこにセキを運んで下さい」
 もえはてきぱきと指示を出し、バフにセキを運ばせた。

 

セキ復活

 セキの身を心配した皆が大広間に集まる中、夕方になってセキ一人が起き出してきた。
「おお、セキ。もう歩けるのか?」とリチャードが言った。
「うん、まだ体が痛むけどね――それよりも大変なんだ。もえが隣で寝てた。いくら起こしても起きないんだ」
「それはまあ――もえが起きたらたっぷり礼をしろよ。たった半日でそこまで回復できたのはもえのおかげだぞ」
「うん、わかった」
「よし、それでは私は麗泉と決着を付けにいくかな」
 リチャードが伸びをしながら言うとセキが慌てて口を開いた。
「リチャード、何かわかったの?」
「お前が眠っている間に藤から報告があった。麗泉というのは仮の名、本当は泉麗子という名の日本人だ。麗子には昭太郎という兄がいる。昭太郎はジャーナリストで、アンビスの存在を追っている時に計略に遭い、アメリカで銃撃され、植物人間になった。その時に麗子の能力に気付いた養万春亡き後の飛頭蛮のボス、縊鬼と呼ばれる男と村雲久、村雲仁助の息子の伸介議員の秘書が麗子を組織に入れた。麗子にしてみれば対等なビジネスのつもりだったろうが、結局は兄の正太郎を人質に取られ、強制的に汚れ仕事を請け負わされるようになった。麗子は渋々悪事に手を染めていた訳だな」
「すごい、そこまで」
「だが肝心の昭太郎の行方がわからない。どこかの病院にいるはずだが」
「簡単だよ。競技場のそばだよ、きっと」
「それならK病院でしょうねえ」と釉斎が言った。「特別病棟があるそうですから、おそらくそこじゃないでしょうか」

「あともう一つ、麗泉さんの武器がわかったよ」
「転んでもただでは起きないな。何だ、言ってみろ」
「コインだった。いくつものコインが体の周りを回ってた。そして一斉に僕を襲ってきたんだ」
「――コインか。理由がありそうだな」

「リチャード、決着を付けるのもよいが、兄を人質に取られたままでは麗泉は首を縦に振るまい。どうせなら兄の奪還作戦とお前の説得を同時に進めよう」とケイジが言った。
「病院の場所もわかったし、私もそう考えていた――だがどうやってやる。セキはまだ戦うのは無理だ。『草』は茸以外戦闘員ではないぞ」
「私とトーラ、バフが奪還に参加する――釉斎、異存はないな」
「仕方ありませんね。こちらも腹を括りましょう」
「よし、藤に頼んで麗泉を安全な場所に呼び出す」

 

真夜中の奪還劇

 夜の闇に紛れて麗泉の兄、昭太郎の奪還作戦が始まった。
 リチャードは藤を通じてもう一度麗泉を国立競技場に呼び出した。
 すぐ目と鼻の先のK病院にはケイジ、トーラ、バフ、『草の者』茸、そしてようやく歩けるようになったばかりのセキが待機した。
 先に病院に潜入した蘆から報告が入った。最上階の特別個室に厳重な警護が付く一室があり、そこに昭太郎がいるらしかった。

 
 ケイジが最後の確認をした。
「いいか。茸が睡眠ガスをフロアに撒く。それが収まったら、私とトーラ、バフとで病室に潜入、バフはベッドを運び出せる状態に整えろ。トーラが窓を開け、バフとベッドを外から見える位置まで動かしたら、セキの出番だ。セキは重力制御でベッドをゆっくりと地上に降ろす。そこで先生が用意したワゴン車の後部にベッドを格納――質問はあるか?」
「ケイジ。点滴のチューブやらが壁と一体化していたらどうするね?」とバフが尋ねた。
「蘆があらかじめ調べた限りでは心配ない。もしも壁にくっついていたなら壁ごと運ぶ」
「ずいぶんと荒っぽいね」
「先生の予想ではベッドを動かし始めてから五分でここまで運べれば命に別状はないだろうとの事だ。初めの仕掛けも含めて十五分で作業を終わらせる」

 
 セキは病院の建物の下の植え込みに隠れて待機した。ケイジたちが侵入してから五分が経過しようとしていた。
 七分を回った頃、窓が開きトーラが空に出てセキに合図をした。
 セキは慎重にゆっくりとベッドの重力を軽くし、それをトーラが完全に外に引っ張り出した時点で今度は重力を戻した。
「ふぅ」
 ベッドが無事に地上に降り、セキは安堵の息を漏らした。
「のんびりしている暇はありませんよ」
 地上に降りたトーラが蘆と一緒にベッドをワゴン車の後部に積み込み、釉斎が昭太郎の様子を見て、OKサインを出した。蘆の運転するワゴン車は連邦府を目指して出発した。

 ケイジ、バフ、茸が戻った。
「茸の睡眠ガスで皆眠っちまってて暴れらんなかったぜ」とバフが言った。
「だったら私と一緒に行くか?」
 ケイジの言葉にバフは驚いて「えっ、どこへ?」と尋ねた。
「昭太郎を監禁していた村雲の三代目を始末する」
「へへ、そう来なきゃ。行こうぜ」
 ケイジ、バフ、茸は姿を消し、セキだけが残った。
「後はリチャードだ」

 
 リチャードは再び競技場の無人のスタンドで麗泉と向かい合った。
「何の用。敵討ちにでも来たの?」と言って麗泉は小さく笑った。
「今頃、君の兄さんは病院から救出されて連邦の医療施設に搬送されている。もう止めないか?」
「……そうだったの。兄が――でももう遅いわ。あたしは血を浴び過ぎた」
「穢れない少女によって摘まれた花も、戦場で多くの敵を殺した兵士によって摘まれた花も美しさに変わりはない」
「何よそれ。詩人のつもり」
「麗泉。兄さんの下に行こう」

 リチャードが一歩近寄ると、麗泉は「近寄らないで!」と叫び、彼女の周りの観客席がまるで竜巻に巻き込まれたように吹き飛んだ。
「ご覧なさい。これがあたしの力。止める事はできないわ」
「いや、止めてみせる――麗泉、私の体は上手くできていてな。攻撃を受けると自動的に鉄の鎧が発動するんだ。だがそんなものは意志の力があればどうにでもできる。私は自動装甲なしで君の下まで行こう」
「だめよ。来ないで」

 リチャードはお構いなしにずんずんと前に進んだ。猛烈な速度のコインが上下左右からリチャードを襲い、リチャードの体に食い込み、体はダンスを踊るように奇妙に捻じれた。
 それでもリチャードは前進を止めなかった。体中から血を流しながらゆっくりと這うようにして麗泉に接近した。
 とうとうリチャードの手が麗泉の手に触れた。リチャードは勢いよく麗泉を引き寄せ、その胸に抱き寄せて言った。
「麗泉。これで終わりだ。もう苦しまなくていい――」

 
 翌朝、地下のパンクスの大広間ではセキ、もえと麗泉が顔を合わせた。
「セキ、本当にごめんなさいね」と麗泉が言った。「そしてもえちゃん、あなたにも。大事な人を傷つけてしまって――」
 セキは何も言わずに微笑んで、もえを見た。
「麗泉さんはお兄様のために戦っただけです。だからあたしもセキのために戦う。謝る必要なんてありませんよ」
「あーあ、僕だけか。目的もわからないで戦ってるのは」
 セキがおどけて言うと麗泉がそれを訂正した。
「いいえ。あの時、セキはあたしを救いたくて向かってきたのでしょ――お父さんのリンが銀河のために戦う戦士だとしたら、あなたはさしずめ『名もなき人のために戦う戦士』よ」
「『人のために戦う』か。何か素敵ですね」ともえが言い、三人は笑った。

「それより麗泉さん、あのコインの仕組みはどうなってるんですか?」とセキが尋ねた。
「ああ、あれね。あたしがちょうどもえちゃんくらいの年だった頃の話――

 

【麗泉の回想:兄の残したもの】

 ――幼い頃に両親を事故で失ったあたしたち兄妹、たった一人の身内の兄は親代わりにあたしを育ててくれた。
 兄は社会派のジャーナリストとしてその将来を嘱望されていたんだけど、ある時、ふとした事がきっかけでアンビスやこの星の地下社会の存在を知ったの。

 精力的に調査を行った兄はアメリカ取材中に銃撃を受けた。
 存在を疎ましく感じたアンビスがやったのかはわからなかったけれど、兄は一命は取り留めたものの植物人間になった。
 高校生だったあたしは変わり果てた姿で日本に戻った兄にすがって泣いたわ。

 その時、あたしは兄の手に握られていたという一枚の血に染まった25セントコインを渡されたの。
 このコインをお守りにしよう、兄さん、あたしを守って。そう念じた時に奇跡が起こった。コインがあたしの周りをぐるぐるとまるで人工衛星のように回り出したの。
 夢中になってコインを自在に動かす練習をした。そして完璧に自分を守り、相手を攻撃できるようになって行動を開始したの。
 今度はあたしが兄を守る番だ。万全の状態で治療を受けさせたい、でもそのためには先立つ物が必要だった。

 あたしは敵の懐に飛び込んだ。
 最初、『兄をしっかりとした設備の病院で引き取ってほしい』という申し出を聞いた村雲久は鼻で笑ったわ。それはそうよね。のこのこ仇の所に若い娘が一人で乗り込んだんだから。
 予想通り、村雲は飛頭蛮の縊鬼に命じてあたしの口封じをしようとした。そこであたしはあのコインで縊鬼の部下を全員倒したの。

 驚いた村雲はあたしの申し出を飲んだ。でもあちらの方が一枚上手だった。
 あたしがアンビスのために働く事、そうしないと兄に取り付けた生命維持の装置をはずすと脅してきたの。
 そしてあたしは『虞美人草』と呼ばれる飛頭蛮の殺し屋になった――

 

「悲しい話だね」とセキは言った。
「麗泉さん。でも修蛇会じゃなくて、養万春の組織に雇われてらっしゃったんですよね?」
 思いもかけぬもえの質問にセキも麗泉も言葉を失った。
「え、ええ。そうよ。結局アンビスにとっては修蛇会も大陸ギャングも同じ穴の貉。大体、養万春なんて実在したかどうかも怪しいし――それにしても、もえちゃん、何でそんな事詳しいの?」
「色々と――」

 
 治療を終えたリチャードがケイジと共にやってきた。
「麗泉。兄さんの所に行く前に聞いておきたい事があるんだが――」
 麗泉が答える前にセキが口を開いた。
「ねえ、リチャード。麗泉さんが言ってたんだけど、修蛇会も大陸ギャングもアンビスとつながってるみたいだよ」

「二十年前に唐河と養に会った時にそう感じていた。世間の目を欺くための小手先の技に過ぎない」
 リチャードがそう言うとケイジがぼそりと続けた。
「飛頭蛮は連邦のお墨付きの下、大陸の治安維持を裏から任されるほどの巨大組織だが、この小さな島のヘビを潰さない理由の一つは私がここにいるからだと聞いた事がある。組織の首領は私の機嫌を損ねるのだけは避けたいようだ」
「確かに……首領の縊鬼、面と向かって言われた訳ではありませんが、日本で活動する時は慎重にとの指示を受けました」
「縊鬼とは面識があるのか?」
「組織に入った後一度だけ会いました」
「噂以上に用心深い人物だな」

「……もう一つ、忠告された事があります。東京の破壊は慎むようにと」
「なるほど。東京に暮らすもう一人の恐ろしい男にも触れるなという訳か。あまりにも深く東京を愛するが故に、破壊しようとする者は皆、その男の怒りに触れ、悲惨な最期を遂げる。私もこの目でテロリストが狙撃されるのを目撃した」

「ケイジ、それはマリスの狙撃か」とリチャードが口を挟んだ。「誰にも話していないが私もそれらしき人物に二十年前に遭遇している。Tホテルでのシンポジウムの時だ」
「ほぼ同じ頃か。何か違和感を覚えなかったか」
「妙な話だが足が動かなかった」
「やはりな――この話はこれくらいにしておこう。まだやるべき事が残っている」

 
 リチャードは麗泉に視線を移した。
「麗泉。君が接触した元締めは誰だ?」
「バララ・デンマー。ブルーバナーの日本支社長よ」
「驚いた。ブルーバナーか。この星でV・ファイト・マシンが流行っているのか?」
「リチャードさんも知ってるんですか」ともえが言った。「すっごく人気あるんですよ。『ブルースター・バージョン』ていう地球だけでのランキングと『ギャラクシー・バージョン』ていう全銀河のランキングがあるみたいで男子は皆夢中です」
「何を隠そう、あのゲームの裏ボスは私だ――二十年前と同じバージョンだったとしたらだが」
「ブルーバナー社か。新宿西口の都庁の傍に立派な自社ビルがあったはずだ」とケイジが言った。
「よし、早速『草』に調査をさせよう。一気に片を付ける」

 

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 Story 4 副都心決戦

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