7.1. Story 1 03.04

2 サンタ

 

街の掟

「うわぁ、すごい人だ」
 渋谷に着くなり、セキがリチャードに言った。
「ここからは別行動だ――いいか。人前でポータバインドを使うなよ。連邦民を快く思わない人間も多いからな」
「うん、わかった。でもこの格好、しっくりこないな」

 リチャードとセキは連邦の移民局で服を着替えた。
 通常の連邦民が身に着ける特殊な素材のジャンプスーツ風の服装では目立つので星の人間と同じ格好を選んだ。
 リチャードは白いシャツに黒の上下のスーツ、セキは花柄のシャツにジーンズという出で立ちだった。
「気にするな――毎晩8時の定期連絡を忘れるなよ。じゃあな」
 リチャードは雑踏に消えた。

 
 セキは駅前のスクランブル交差点の前に立った。
「だけど何をどうすりゃいいんだろ。とりあえず賑やかな場所を歩くか」
 どぎまぎしながらスクランブル交差点を渡った。何故、この無秩序な人の流れの中で人同士が自然体で、ぶつからずに歩けるのだろう、身構えて歩いた自分が恥ずかしくなった。

 
 センター街に入った。
 四月の平日の夜10時を過ぎたというのに通りは人でごった返していた。

 春祭り?以前にバインドの映像で見た限りでは《青の星》の治安はネオより格段に悪そうだった。しかしこの状況を見る限りは皆、楽しげだ。若い女性たちも特に警戒するでもなく、男たちと気さくに話をしていた。
 セキは少し気が楽になって、センター街を奥に進んだ。一軒のビルの脇の路地に目をやると、そこでは二人の男が二人連れの女性に話かけていた。
 何げなく足を止めて見ていると女性の一人と目が合った。女性は男に腕を掴まれて困ったような表情をしていた。

 
 セキは路地に入って背後から男性に声をかけた。
「ねえ、君たち。その子、嫌がってないかい?」
 二人連れの男が振り向いた。大分酒に酔っているのか、大きな声を上げた。
「んだあ、てめえは。関係ねえならすっこんでやがれ」

 面白い言葉使いをするなあ、そう思いながら女性の方に目を遣った。二人とも同じ服を着ている。これは確かセーラー服だ。昔、ジュネ母さんがこの星に来た時にどうしてもセーラー服を着たいと駄々をこねて沙耶香母さんやニナ母さんを困らせたという話を思い出して、セキは思わず声を上げて笑った。
「何だ、何がおかしいんだ。なめてんのか、てめえは」
 茶色の髪をした男がセキに向かって拳を突き出した。セキは飛んできた拳を避け、「暴力は良くないよ」と言った。
「あったまきた。おい、やっちまおうぜ」
 二人連れの男は前後に立って、セキを挟む格好になった。女の子たちは心配そうにこの状況を見ていた。

 
 しょうがないな、羊と一緒だ――セキは前後の男たちの重力を解放した。男たちの体がふわりと地面を離れた。
「わっ、何だこりゃ」
 恐慌状態に陥り、大声で叫ぶ男たちを更に高く吊り上げ、女の子たちに言った。
「さあ、今の内に帰りなよ」
 一人の女の子が最初にセキと目が合った方の女の子の袖を引っ張りながら言った。
「もえ、早く行こうよ」
 もえと声をかけられた女の子はセキを見ながら答えた。
「でも」
「ほら、学校にばれたら停学だから。早く」
「うん、わかった」
 もえはセキを見つめたまま、もう一人の女の子に引きずられるようにして路地を出ていった。

 
「おい、降ろしてくれよ。悪かったよ」
 気が付けば男たちは十メートル近くの上空に浮かんでいた。事態に気付いた野次馬たちも集まり始めた。
「わかった。降ろしてあげるよ」

 セキは解放した重力をゆっくりと元に戻していった。毎日羊で練習していた通りだったが、今日は続きがあった。地面に足を着けた男たちに今度は重力を加え、男たちは地面に突っ伏した。
「うげぇ……動けねえ」
「嫌がる女の子を無理に誘うのは良くないよ」
「もう……しませんから」

 
 その時、野次馬の群れが突然にざわつき出した。さーっと人波が割れ、大通りから五人の男が歩いてきた。
「おい、やばいよ。『サンタ・クロス』だ」
 野次馬が口々に言うのを聞いたセキは正面を見た。
 五人共同じ服を着てるけど、セーラー服じゃなくて揃いの黒いジャンパーの胸に『Santa X』という赤い縫い取りがしてあった。

 
 ジャンパー姿の男の一人が言った。
「お前らか。騒ぎを起こしたのは」
 セキは地面に突っ伏していた男たちの重力を元に戻した。男たちは土下座の状態で震えていた。
「すみません。すみません。許して下さい」
「何があったのか言ってみろ」
「こいつが」と言って茶色い髪の男がセキを指差した。「ケンカを売ってきたんです」
「ふん、お前らは被害者という訳か」とジャンパー姿の男が言うと座り込んだ二人組は必死に頷いた。
「お前」とセキに向かって言葉が投げかけられた。「二対一なのによくケンカを売る気になったな。しかもこうして相手をへたり込ませているからにはかなり強いんだな」
「それほどでも――この人たちが嫌がる女の子につきまとっていたから注意しただけです」
「本当か?」
 周りの野次馬たちが「そうそう」と賛同するのを聞いて、ジャンパー姿の男は二人連れの男に向き直った。

「学生か。この渋谷のルールは知っているよな?」
「はい」
「『人が嫌がる事をするな』、しかもお前らは嘘をついた」
「勘弁して下さい」
 男たちは半分泣きべそをかいていた。
「『サンタ・クロス』はこの街の治安を守る集団だ。規則を守れなければどうなるかわかるな?」
 男が顎で合図をすると、別の男が手にバリカンを持って座り込む男たちの前に立った。
「助けて」
「決まりだからな。罰として坊主頭になってもらう」

 
 ジャンパー姿の男たちが泣き叫ぶ男を押さえつけてバリカンで頭を刈ろうとした時、セキが声を上げた。
「ちょっと待ってよ。何するつもり?」
「これがルールだ。こいつらの次はお前だからおとなしくそこで待ってろ」
「あはは、冗談でしょ。羊だって毛を刈る時にはもう少し優しくするよ」
 野次馬の間からくすくすと笑いが漏れた。ジャンパー姿の男はひどく気分を害した表情でセキを睨み付けた。
「バカめ。渋谷が新宿や六本木のような魔窟に成り下がっていないのは我々のパトロールのおかげだ。ルールを破った者が罰を受けるのは当然だ」
「力ずくで止めると言ったら?」
「我々を軟弱な大学生と一緒だと思うなよ。身の程知らずめ」
 ジャンパー姿の男たちは大学生たちを放り出してセキを取り囲んだ。懐から金属の棒のようなものを取り出して、一振りすると五十センチほどの長さとなった。

 
 大学生たちは矛先がセキに向いた隙を見計らって、奇声を上げながら大通りに向かって走り去ろうとした。
 走っていった大学生たちの動きが止まり、そのままばたりと倒れ、倒れた後には別のジャンパー姿の男が立っていた。

 セキを取り囲む男たちの間に緊張が走った。ゆっくりと歩いてきた新たな男は五人に声をかけた。
「何してんの?」
「はっ、今からこの男に規則を教えようと思いまして」
「ふーん」
 やってきた男は夜だというのにサングラスをかけていて、体格はそれほどでもなかったが、足が異様に太くて長かった。
「教え込むのはいいけど、逆に教わっちゃうんじゃないの?」
「そんな」
「無理無理、あんたたちじゃこの子に勝てないよ。あんた、名前は?」
「セキ。文月セキだけど」
「――ここじゃ何だ。本部に来てもらって」
 男はそう言って悠然と立ち去った。後に残った五人の男はセキに向かって言った。
「サンタさんがああ言われている。付いてこい」

 

足波

 セキが連れていかれたのは路地裏の雑居ビルのペントハウスだった。ジャンパー姿の男が部屋の前で「連れてきました」と言った後、セキに耳打ちした。
「いいか。逆らうなよ。お前のために言っているんだ」

 セキは部屋に通された。雑然とした部屋の中央と奥にスチール椅子が二脚向かい合うように置いてあり、サンタが奥の椅子に腰かけていた。
「まあ、座ってよ」
 サンタに促され、セキは中央の椅子に座った。
「この星の人間じゃないね。どこの生まれ?」
「ネオ」
「じゃあ渋谷の決まりを知らないのも無理はない。あんた、新宿や池袋、六本木に行った事はある?」
「まだ着いたばっかりだから」

「ああ、そう――去年、サッカーの国際大会が開かれたりもした。だけど世界はいい方向には進んでない。何でだかわかる?」
「わかんないよ」
「連邦の要求する大きなリージョンと皆が執着する国っていう括りがマッチしてないって、皆、気付いてるからさ。素晴らしい叡智を見せられてるのに国のしがらみのせいでそれを享受できない。そりゃストレス溜まるでしょ?」
「うん」
「行き場のない閉塞した思いが新宿や六本木には渦巻いてる。そこに巧みに入り込んだのがドリーム・フラワー。体に入れた瞬間には嫌な事を忘れられる、まさに『夢の花』だからね――だけどそんなもんはまやかし。おれは渋谷の街をそんな風にはしたくなかったの。で、『サンタ・クロス』っていう自警団を組織して悪い虫が入ってこないようにしてる」
「何で渋谷だけなの。新宿や六本木も同じようにすれば?」
「よそ者のあんたにはわかんないだろうね。あっちにはあっちの決まりってもんがあって簡単には入っていけないんだ。たまたま渋谷は空白地だったから仕切る事ができたって訳」
「ふーん」
「メンバーにだってこんな話はしないんだよ。何で話したかって言うと、あんたがただの観光客じゃないからさ」

 
 サンタはそう言うと椅子から立ち上がった。
 セキは緊張して動きを見守った。サンタの履くごついブーツのつま先がわずかに動いたように見えた。
 来る――セキは座っていた椅子から横っ飛びに飛び退いた。金属音と共にセキが座っていたスチール椅子は派手に吹っ飛び、背後の壁に叩きつけられた。
「ふぅん、やっぱりね。あんた、『足波』を避けるとはただ者じゃない」
「つま先がちょっぴり動いただけだったよ」
「それで十分――まあ、あんたがこれからこの星で何をしようとしているのか知らないけど、とりあえず迷惑はかけないレベルなんじゃないの。リンの息子さん」
「何だ、わかってたの?」
「文月って名字でネオ出身って言えば大体ね。確か双子じゃなかったっけ?」
「それは兄さんたち。ハクとコク」
「その弟ね。この先も会うでしょうけど仲良くやりましょうよ」
 セキはサンタの差し出した手を握り返した。

 

待っていた少女

 路地裏の雑居ビルを出た時には真夜中近かった。
 さて、どうしよう。とりあえず公園で野宿かな――セキが繁華街を離れ、ぶらぶら歩き出すと後から声をかけられた。
「あの――」
 振り向くと街灯の下に立っていたのはさっき助けたもえと呼ばれていた方の少女だった。

 
「まだこんな所にいたの。危ないよ」
「お礼が言いたくて」
「一緒にいた友達は?」
「先に帰ったわ」
「お礼なんていいのに」
「そうはいかない事情があるの。あなた、文月って言うんでしょ。さっき、答えてたのを聞いたのよ」
「えっ、逃げ出してなかったんだ。だめだなあ」
「これからどうするの?」
「行く当てもないから公園にでも行こうかなって」
「だったらあたしの家に来なさいよ。話したい事があるの」
「それはまずいよ。さっき会ったばかりなのに」
「色々あるって言ってるでしょ。行くわよ」
 もえはセキの手を引っ張ると大通りに出てタクシーを拾い、セキを後部座席に押し込むと、自分もタクシーに乗り込んだ。

 
「着いたわ」
 タクシーが着いたのは渋谷とは違った静かな住宅街の一角だった。ニュースでしか見た事のない白い壁のマンションの五階の一室に通された。
 もえは「ちょっと待ってて」と言い、セキを玄関先に残したまま、奥に入って、しばらくするとスウェット姿で現れた。
 部屋は大きめの長方形で、中央にはやはりニュースでしか見た事のないコタツが置いてあった。
 セキがコタツを興味津々で見ていると、もえがコーヒーを用意して台所からやってきた。
「まだ寒い日もあるでしょ。適当に座って」

 
 コタツ越しに向かい合って座り無言でコーヒーを啜っていると、もえが切り出した。
「あなた、ネオの人でしょ?」
「うん」
「文月リンの関係者でしょ。息子さんだったら雑誌で見た事あるけど、もっと長髪で――」
「それはハクとコク、双子の兄さんだよ。僕は弟のセキ」
「全体で言うと何番目?」
「六番目――詳しいんだね」
「しょっちゅう週刊誌に載ってるから。でもあたしが詳しいのには他に理由があるの」
「何だか嫌だなあ」

「さっき助けてくれたのはポータバインドの力?」
「バインドではあんな力は出せないよ――それより別の理由って何?」
「あなた、お父さんとはよく話をした?」
「ううん、僕がよちよち歩きの頃に行方不明になったからそんな機会はほとんどなかった」

 
「じゃあ仕方ないわね。あたしの名前は市邨もえ。あたしの母さんはあなたの父さん、リンの大学の同級生だったの」
「本当?ものすごい偶然だね」
「あたしの母さんはリンに命を救われた事があって、いつも言ってたんだって。『リンがいなかったら、もえはこの世に生を受けていなかった』って」
「……『言ってたんだ』って?」
「父も母もあたしが幼い頃に亡くなったの。今のはおじいちゃんから聞いた話」
「ごめん」
「いいのよ。あなたは命の恩人の子供だから、今度は娘のあたしが恩返しをする番。いいわよね?」
「そりゃもちろん助かるよ。右も左もわからないんだから」
「そんな準備不足でよく来たわね。これから何をするつもりなの?」

 
「ああ、ちょっと待って」
 セキはヴィジョンを起動した。
「リチャードから伝言だ。えーと、『明日夜9時、木場公園』……どこだろ、これ」
「それってリチャード・センテニア。すごい人と一緒に行動してるじゃない」
「まだ見習い期間なんだ。さっきもいきなり渋谷の街に放り出された」
「ふーん、木場公園かあ。あたしは明日学校だけど帰ったら付き合ってあげるわよ。どうせ場所、わからないでしょ?」
「人前でバインド使うなって言われてるから助かるよ」
「じゃあそうしましょう。ふー、今日は疲れちゃった。友達の誕生日のプレゼント買いに渋谷に出かけただけなのに遅くなっちゃって。でも恩人の息子のセキに会えたからいいか。もう寝ましょう」
「泊ってっていいの?」
「もちろんよ。でも変な事しないでね」
「しないよ」
「セキ、あなた幾つ?」
「十六」
「あたしの方が一つお姉さんね。ちゃんと言う事聞きなさいよ」

 

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