6.9. Story 1 叡智の儀式

2 ナインライブズ

「で、祭りはいつ始まるんだよ?」
 デルギウスの上に集まった多くの人間を前にしてコメッティーノが尋ねた。
「気が進まないけど、やらないといけないね」
「わしが代わろうか?」
 そう言った王先生の言葉にマザーはにこりと笑った。
「ここまでやったんだ。あたしが幕を引くよ――さあ、リン。ちょっと前に出ておいで」
 いきなり名指しされたリンは合点のいかない顔でマザーの前に立った。

 
「よく考えて答えるんだよ」
 マザーはリンに問いかけた。
「とっても大切な事だからね。あんたはこれまでに何回くらい死んでは生き返ったんだい?」
「えーっと」とリンは指を折りながら答えた。「沙耶香がナラドに刺された時、《再生の星》、塔を壊した時、《七聖の座》の恒星を蘇らせた時……そして大帝と闘った時、全部で五回かな?」
「本当にそれだけかい。よおく考えてごらん」
「あれも入るのかなあ。ム・バレロに襲われた友達の命を救った時と《鉄の星》のサラを眠りから覚ました時。あの時も意識を失くした気がする」
「もうないね。思い出すんだよ」
「そんなの急に言われても――あれ、そういえば子供だった頃、確か、七つか八つくらいの時にもあったかもしれない」

 マザーは長い間黙っていたが、やがて大きなため息をついた。
「よく思い出してくれたね。全部で八回かねえ」
「うん、そうなるかな」
 マザーは車椅子から立ち上がると目を閉じ、眠りを誘うような声で話し始めた。

 
 リン、ご苦労だったね。もう肩の荷を降ろしていいよ。あんたは九回目、最後の人生を生きている。後はあんたの中で目覚めようとしているナインライブズとあたしたちの間でどうにかするさ――

 
 マザーの言葉を聞いたリチャードは目を見張った。
「……ナインライブズ、リンが?」
「そうさ。銀河創造以来、溜まりに溜まった滓(おり)が噴き出そうとしてる。どうしてリンの体内からなのかはわからないけどね。まずはもう後のないその体からナインライブズを引きずり出さなきゃならないんだよ」
「そんな」
 リチャードが慌てて見ると、リンは虚ろな目をして、その足元はふらついていた。

「リチャード、黙って見てな。リンの体からナインライブズを出すからね」
「――そんな事をしたらリンが」
「やってみるしかないじゃないか。体内にナインライブズが留まっている限りは『銀河の叡智』も復活しやしない――それにリンが七武神ならこんな事くらいで死にはしないさ」
「でもよ、マザー。ナインライブズが出てきたらどうすりゃいいんだよ?」
 コメッティーノも心配そうにリンを見ながら尋ねた。
「わかる訳ないだろ。敵か味方か、どんな姿してるのか――何しろ初めてなんだから」
「もしもそいつが敵でおれたちが止められなければ?」
「叡智どころじゃないよ。銀河の最後の日になるかもしれないさ。だからこれだけの人間に集まってもらってるんじゃないか」
「お、おう」
「ナインライブズを呼び出すよ」

 
 マザーは驚くほどかくしゃくとした足取りでリンに近付いた。それまでふらつきながらも立っていたリンはバランスを崩して地面に座り込んでいた。
 マザーはリンの虚ろな目を正面から覗き込み、先ほどと同じような小鳥のさえずりのような不思議な眠気を誘う声で話しかけた。

 
 ナインライブズよ、出てくるがよい。お前は何故、リンの体に宿る。どうせならあたしのような『上の世界』の者に宿った方が居心地良いだろうに――

 
 リンがぴくりと体を起こした。そして普段のリンとは似ても似つかぬ野太い声が響いた。
「……笑わせるな。お前のどこが『上の世界』だ。この器こそが正真正銘の『上の世界』――最も居心地の良い場所よ」
「……そういう事かい……」
 マザーは束の間、天を仰いだが、すぐに不思議な声に戻り、話を続けた。

 
 ナインライブズよ、元々、その子が九回死んだら世に現れるつもりだったんだろ。けどその子に死なれちゃ困るんだ。その子は七武神だし……何よりも皆がその子を好きなんだ。だから一回早くお前に出てきてもらいたいのさ――

 
 リンはしゃがみこんだまま大きく体を左右に揺すった。
「……よかろう。出ていってやる。だが何が起こっても知らん。この器が見せた強大な力はお前も知っているだろう。それが予期せぬ方向に向かえばこの銀河などひとたまりもないぞ」
「わかってるさ。でもあんただって本気で出現したなら何が起こるかは予想が付くだろう。あんた自身の破滅でもあるよ」
「むぅ、確かにその通りだ。ではどのようにして出ていけばよい?」
「……あんたが今収まっている器の声に耳を傾けるのがいいんじゃないかね。リンがこの旅を始めてから今日までに感じた事、喜びや嘆き、それに従ってくれりゃ、後はこちらの問題さ」
「折り合いを付けよという事だな。わかった――

 
 立ち上がったリンの全身を黒い煙のような気が包み込むと、それは空中に浮かび上がり、更に肥大化していった。
 直径100メートル以上はありそうな球体まで成長した所で、そこから幾つも黒い触手のようなものが伸びていき、九つの頭を持った蛇のような形になった。

「何だ、ありゃ」
 コメッティーノが言った。

「……あれがナインライブズか。バルジ教の伝説の九つの頭の蛇ではないか。あまりにも巨大で、そして禍々しい」
 リチャードが息を呑んだ。

「――とりあえず今はこの形かい。後はこちらがその試練を越えられるかどうかだね」
 マザーは目を伏せて頭を振った。
「あんたたち、いよいよ戦闘だよ。娘たち、歌の準備を」

 
「どうやらこいつは巨大なエネルギー体だな。見ろ、少しずつ大きくなっている」とリチャードが言った。
「リンがいれば天然拳で吹っ飛ばしているな」とゼクトが言った。
「いや、それはまずい。エネルギーを吸収してますます巨大化して手に負えなくなるかもしれないぞ」と水牙が答えた。
「このまま成長し続けると銀河を呑み込むわよ」とジェニーが言った。
「でも中心部にリンがいるんでしょ?」とランドスライドが続けた。
「関係ねえよ。叩っ切っちまおうぜ」
 コメッティーノが言うとマザーが口を開いた。

 
「まあ、お待ちよ。ただ攻撃してもだめさ。おそらくあの九本の首を落とせって意味だよ」
「しかし落としたとしても復活しそうだぞ」とパパーヌが言った。
「でもやるしかないさね」
「これまで世界に発生した負の感情の集合体にしか見えぬな。業落としのつもりか」と珊瑚が冷静に言った。
「そうだねえ。リンの心の中でそっちの方向に舵を切ったんだろうねえ」
「そっち。別の可能性もあったという訳か」とネアナリスが尋ねた。
「気にしないでいいよ――いいかい。何のためにあんたら三界や龍、精霊を呼び付けたか、その意味をよく考えておくれよ」

「……もしかするとこれだけの種族が一堂に会して、何かをするのって初めての事?」
 オンディヌとシルフィが声を揃えて言った。
「そこが一番重要な点じゃ」と王先生が答え、マザーが続けた。
「娘たちの歌う歌が成長を止めてる間が勝負さ。さ、行っといで」

 
 空中に舞い上がったコメッティーノの指示により、全員が九本の首を落とせる位置についた。
「よし、いくぜ!」
 九本の首が同時に斬り落とされ、消滅した。が、しばらくすると元通りに復活した。
「マザー。うまくいかねえじゃねえか」
 コメッティーノが地上のマザーに文句を言った。
「何度も繰り返すんだよ」

「ちぇ、こんな馬鹿げたでかさの相手、削り切るのにどれだけ時間がかかるってんだ」
 コメッティーノが言うとリチャードが答えた。
「だが成長速度は鈍っている」

「――あの歌のせいではないのか」
 珊瑚が差し示す先の地上ではリンの婚約者たちが歌を口ずさんでいた。先ほどのマザーの言葉のように眠気を誘う、どこか不思議で懐かしげなメロディだった。

「こいつにはリンの意識が残っている」と言ってリチャードが考え込んだ。「そうか」
「何だよ、リチャード」
「『持たざる者』だけではなく三界も龍も精霊も平等に暮らせる世界をリンは望んだ。今、この場の全員が協力する事により、その想いに応えられるかが試されているんだ」
「でもよ、本当にこれで全種族か」
「さっきマザーがまだ来るような事を言っていた。抜かりはないはずだ」
「後は巨人か、ワンガミラか、胸穿族――」
「賑やかだな」

 
 振り向いた先には空中に浮かぶマックスウェル大公とジノーラの姿があった。
「あんたたちか」
「私は異世界の代表、マックスウェルを連れてきただけですよ」
 冷静なジノーラも目の当たりにするナインライブズに興奮を抑えきれないのか、わずかに声が震えていた。
「先生は相変わらず強引なお方だ」
 マックスウェルは普段と変わらず落ち着いていた。
「私はこの銀河に干渉したくはないと言ったのに」
「そうは言うが大公よ、リンとはただならぬ縁があるだろう?」
「……仕方ありませんな」

「よぉ、大公にも手伝ってもらっていいんだよな?」
 コメッティーノは地上のマザーに向かって叫んだ。
「今そっちに行くから、待ってなよ」
 声がした次の瞬間に、空中にマザーの姿が現れた。
「何だよ、マザー。空も飛べんのか」
「まあね」

「ごぶさたしておりますな」
 ジノーラがマザーに挨拶した。
「あんたも物好きだねえ。あんたの教え子は何も答えちゃくれないけど」
「それよりもマザー、急がれた方が良くありませんか。又、大きくなり出したような」
「おや、本当だ。娘たちにいつまでも歌わせる訳にもいかないしね」
「おい、マザー」とコメッティーノが怒って叫んだ。「『上の世界』のあんたたちと『死者の国』の大公が入りゃ心強い。早く片づけちまおうぜ」

 コメッティーノの質問にしばらく黙ったままだったマザーはやがて頭を上げ、にこやかに答えた。
「――コメッティーノ、あたしが呼んだ最後の一人が来てるよ。あんたの後ろさ」
 コメッティーノが振り返ると、そこにはまばゆい黄金の光に包まれた人の形をしたものが立っていた。
「こいつは……?」
「誰でもいいじゃないか」
「皆、それなりにリンと関係した人間が集まってんだぜ。こんな光り輝く奴にはこれまでお目にかかってねえぞ」
「野暮は言いっこなしだよ――でもまさかあんたが来てくれるとは思ってなかった。やっぱり気になるのかい?」
「それよりも」と輝く光で顔もよくわからない人物が答えた。「あのナインライブズを消す時に空間に大きな歪みが発生するはず。その穴を誰が埋める?」
「心配しなくていいよ。ちゃんと考えてる……」

 
「さあ、役者は揃った。あんたが号令かけんだろ」
 マザーがコメッティーノの尻を叩いて、空にいる全員が再び、ナインライブズを取り囲んだ。持たざる者たちはそれぞれの得物を手に身構えた。三界はパパーヌが槍を、珊瑚が三又の槍を、ネアナリスは巨大な槌を持っていた。黄龍はその鋭い爪で狙いをつけ、得物を持たないランドスライド、オンディヌとシルフィはありったけの力を放出しようとしていた。マックスウェルとマザーは何の構えも取らずに空中に浮かび、その隣では黄金色に輝く謎の人物が黄金に輝く槍を携えていた。
「用意はいいな、行くぜ!」

 
 コメッティーノの号令に従い、ナインライブズの首が一斉に攻撃された。多少の時間のずれはあったものの、全員がほぼ同時に首を落とす事に成功した。
「まだだ。もう一回!」
 攻撃を何度か繰り返す内に、巨大だったナインライブズが縮んでいくのがわかった。

 空中に浮かんでいた大公、マザー、謎の男から光の帯のようなものが放出されると、ナインライブズは呻き声を上げ、身を捩った。
「よし、まだまだだぜ」

 
 十回以上の攻撃を重ねただろうか、ついにナインライブズの胴体の部分にぽっかりと黒い穴が開いた。
 するとナインライブズを覆っていた黒い気が、ぐんぐんその穴に吸い込まれ出した。

「皆、吸い込まれるぞ。この場を離れろ」
 間一髪で全員が安全な空間まで退避した。黄金に輝く人物はすでにどこかに去ったのか、姿が見当たらなかった。

 
「見ろよ。ナインライブズが」
 コメッティーノの言葉通り、首を失ったナインライブズは自らの胴体に開いた穴に吸い込まれようとしていた。
「おい、穴が開きっ放しで大丈夫か。あれ、別の空間に繋がってるんじゃねえのか」
「ナインライブズが吸い込まれるのはいいにしても、誰かがあの穴を閉じなければならないですね。そうしないとこの銀河自体が吸い込まれます」
 ジノーラがあまり興味なさそうに言った。

「あたしがやるよ」
 マザーの声に皆の動きが止まった。
「リン本人もあっちの空間にいっちまったし、リンをこちらに届けて、そして穴を塞ぐよ」
「……だめだ、マザーは銀河の良心だ。あんたを行かせる訳にはいかねえ。ここはおれが――」
 コメッティーノが言いかけたのをリチャードが止めた。
「だったら私がやる。リンをこの戦いに巻き込んだのはこの私だ」

 
「私が行こう」
 突然の声に皆が辺りを見回した。見ればナインライブズが半分以上呑み込まれている穴の傍に大帝が立っていた。
「息子を救うのは親の務めだ。ではまたな」
 大帝はそう言い残して向こう側の空間に飛び込んだ。ナインライブズが完全に引きずり込まれ、代わりにリンの体が出現したかと思うと、空間の穴は急速に縮んで、やがて元通りの空間に戻った。

 一同はあっけに取られたままだったが、マザーがいち早く声を上げた。
「急いでリンを回収するよ」

 
 デルギウスの上では皆が固唾を飲んで横たわるリンを見守った。
「さて、私も帰りますか」とジノーラが穏やかな声を出した。「なかなか面白いものを見せてもらいました……ですが、まだ序章といった形でしたね」
「次回に期待かな。先生」
 マックスウェルがジノーラに尋ね、マザーがそれを引き取るように答えた。
「リンの意志の表れだよ。これまでに感じた怒りや悲しみ、そういった感情の蓄積が今のナインライブズ。それをあたしらが乗り越えられるかどうかっていうとんだ茶番劇になったけど、まだエネルギーは残ってる。次はきっと本物さ」

「そのようですな」
 ジノーラはうんうんと頷き、背中を見せた。
「ジノーラ」
 去りかけたジノーラをマザーが呼び止めた。
「……いや、何でもないよ」
 ジノーラは一つ小首をかしげてから笑顔を見せて去った。

「また退屈を持て余す日々が続く。次に諸君に会うのは何年後、いや何十年後かな」
 マックスウェルもかき消すようにその場から消えた。
「まったくあいつらは」

 
「そう言えば、あの金色の奴はどこ行った?」
 コメッティーノはそう言って辺りを見回したが、男の姿はどこにもなかった。
「――あの男」
 水牙がぽつりと言った。
「何だ、水牙。知り合いか?」
「いや、そんなはずはない。某の思い違いだ。気にするな」

 
 目を覚ましたリンに気付いたマザーが声をかけた。
「おや、起きたね。気分はどうだい?」
「……うーん、何だか頭が重いや……あれ、どうしてこんなに人がいるの?」
「決まってるじゃないか。『銀河の叡智』を皆で見届けるためだよ」
「ああ、そうか。僕は儀式の途中で――」
「さあ、ずいぶん時間食っちまった。とっとと叡智を復活させようぜ」
 コメッティーノがリンの頭をくしゃくしゃといじくり回した。
 その後もリチャードが、ゼクトが、水牙が、ジェニーが、リンを荒っぽくこづき回した。
「何だよ、みんな。乱暴だな。ねえ、ランドスライド、何とか言ってよ」
「ふふふ、お帰りなさい、リン。皆、そう言いたいんですよ」
 パパーヌ、珊瑚、ネアナリス、王先生、オンディヌとシルフィが微笑みながらこの光景を見ていた。

 マザーはしばらくの間、こんこんと眠り続けるであろうリンの婚約者たちの下に向かいながら、そっと独り言を言った。
「エニクよ。とりあえずはこれで満足かい。『銀河の叡智』を発現させとくれよ」

 

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 Story 2 後日談

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