6.6. Story 1 前兆

4 リンの休日

「ちょっとリン。その恰好おかしくない?」
 ジュネが大笑いをした。
「そうね。あまりいいセンスとは思えない。沙耶香、これがこの星の標準のファッションなの?」
 ニナが沙耶香に尋ねた。
「ええ、確かに子供が無理矢理大人の振りをしているみたいですわ」
 答えた沙耶香も笑いを堪えていた。
「うるさいなあ。仕方ないじゃないか。貸衣裳なんだから」
 リンは少し窮屈なタキシードを気にして落ち着かなかった。
「もういいや。じゃあ行ってくるよ」

「あ、そうですわ。リン様」
 沙耶香が何事かを思い出したようでリンを呼び止めた。
「この間、M町の家に寄ったら中原さんがリン様にお話したい事があると言ってましたわ。通り道でしょうから、式の帰りにでも寄って頂けませんか」
「そうだよ、リン。中原パパには優しくしなよ」とジュネも言った。
「……中原パパって。ジュネはどれだけ地球に馴染んでるの?」
 リンがあきれたように言った。
「仕方ないじゃない。この星はパトロール区域なんだから、そりゃあ頻繁に立ち寄るわよ」
「中原さんもジュネさんが来られると、まるで孫ができたみたいだって大喜びなんです」
「うらやましいわ。皆、仲良くって」とニナが笑った。
「何言ってんのよ、ニナ。あなたもその仲間よ」と言って、ジュネも笑った。
「そうですわ。後で《巨大な星》に行く計画を立てましょうよ」

 
 1984年11月3日、この季節特有の高い空の下、リンは池袋にほど近い美しい日本庭園のある結婚式場に向かった。場内は大混雑していたが『大地家・市邨家』と書かれた会場をどうにか見つけた。
 予想していたのとは違い市邨家側の親族、関係者は極めてまともに見えた。以前、奈津子の家に遊びに行った時は出入りでもあったのだろうか、血走った目をした若い衆がうろついていたのを思い出した。
 奈津子の母親はすでに亡くなっていて、父親が一人で挨拶のために席を回っていたがその迫力に圧倒された。父親はリンを一目見るなり、「あんた惜しいね。うちの世界に入れば天下を取れる腕をしてるのになあ」とリンをべた誉めした。
 心の優しい靖男に修蛇会と並ぶ『関東丸市組』の跡目が務まるだろうか、式の間中、その心配をしていた。

 披露宴で多くの列席者に記念撮影をせがまれ閉口したが、宴もたけなわ、リンの挨拶の番がやってきた。
「僕は話上手ではないので、ビデオを撮ってきました」
 場内が暗くなり、司会者の背後にスクリーンが映った。そこにはシップの中にいるらしきリンの姿が映っていた。画面の中のリンは手招きでシップの窓の外を指差した。映っているのは月だった。続いて火星、木星、《オアシスの星》から《巨大な星》まで次々に窓の外に現れては消えた。最後に会場にいるリンにスポットが当たった。
「どこにいても靖男と奈津子は僕の大事な友達です。本当におめでとう」

 
 友人たちからの二次会の誘いを用事があると言って断り、リンは式場からM町まで歩いた。途中で公園を見つけ、足を止めた。リチャードと初めて話をした公園だった。リンは公園の中に入った。
 小さな回遊式庭園の周りのほとんど人のいない一角に一人の女性が立っていた。

「優羅さん。又、会ったね、何か用?」
「ええ、あなたを誘いに来たんだけど……結婚式の帰りみたいだから今度にしておくわ」
「どこに行くつもりだったの?」
「あなたのお母さんに会いに行くから一緒にどうかなと思ったのよ」
「……うーん、行きたいのはやまやまだけど、やっぱり又の機会にしておくよ」

「その方がいいわね。お父さんはこっちの生活にもう慣れた?」
「あのさ、僕の力は会った事のない母さんだけから引き継いだものだと思ってたんだけど、実は父さんの力も大きいんじゃないかって気付いたんだ」
「あら、そう言ってもらえると嬉しいわ」

「何で優羅さんが喜ぶの?」
「それは、あたしがあなたの父さんと母さんの縁結びの神だからよ」
「ふーん、そうだったんだ……って、優羅さん、一体、幾つなの?」
「そんなのどうでもいいじゃない。じゃあ又、誘うわね。きっと全部片付いてからになるわね」

 
「そうだね――ねえ、聞きたい事があるんだけど」
「何?」
「優羅さんって伝説の雪女なの?」
「誰に聞いたの。警察の坊やたちかしら。ええ、そう。『伝説』って部分がポイントよ」
「悪い事をたくさんしてるの?」
「前に会った時に言ったじゃない。長い間、生き続けるのって退屈でしょうがないのよ」
「うん、それは僕の命を助けてくれた別の人も言ってた」

「色々な悪さをしてきたわ。京の都でヌエを放ったのが最初。それからあれ、応仁の乱っていうの、主に見物だけどあんな事になるとは思わなかった。後は……」
「優羅さん、何年か前の雪山の事件は?」
「もしかして責めてるの。仕方なかったのよ。とにかくどうしようもない子たちだったから、軽くお仕置きするつもりだったけど、やり過ぎちゃった」
「くずみたいな人間だからって殺していいの?」

「あら、それじゃあ、あなたが人を消す理由は何?」
「それは……銀河の平和のため?」
「一緒よ。あたしだって、よりよい世の中のためにあの子たちにいなくなってもらったって言えるけど、どんな大義名分があっても人殺しは人殺し」
「うーん、そう言われちゃうと」

 
「あ、そうか。お母さんもあたしと同じような化物じゃないかって心配してるんでしょ?」
「えっ、うーん」
「あなたみたいな化物を生み出した父親も母親も化物に決まってるじゃない……うふふ、冗談よ。人を取って食うような事はないから安心なさい」

「僕、やっぱり化物なのかな?」
「少なくともあたしが会った人間の中では頂点に君臨するわね。だってそれがあたしの目指す所だったし」
「……優羅さん」
「色々な事が終わったらお母さんに会いに行こうか。そうすれば全てはっきりするから」
「うん」

 
 リンはほぼ一年ぶりに糸瀬の屋敷の門をくぐった。表札はいつの間にか『佐倉』だけになっていた。呼び鈴を押すとすぐに中原老人が姿を現した。
「これは文月様。沙耶香様からご連絡を頂いておりました。どうぞお上がり下さい」
「遅くなってごめんなさい」
「いえ、一向に。私はこの屋敷と運命を共にする者。今更時間など気になりません」と言って中原はにこりと笑った。
「……ずいぶんと哲学的ですね。ちょっと公園で知り合いと話し込んで」
「お知り合いならよろしいですが、文月様は有名人ですから妄執に憑かれた人間が寄ってくるかもしれません。ご注意なさる事です」

 リンは書斎に通され、中原が熱い紅茶を入れてくれた。
「中原さんの話って何ですか?」
「大した事ではありませんが」と言って中原は古い日記と数枚の紙束をテーブルの上に置いた。「この家には死んだ者の記憶が多すぎますので、こまごまと整理をしておりました。そうしましたら興味深いものが出て参りましたので、文月様にお伝えしておいた方がよろしいかと思い、お嬢様にお願いしたのです。こちらの日記――真由美様がしたためていたものです」

 
 リンは日記に目を通した。古い紙の匂いに交じってほんのかすかに良い香りが湧き上がった。そこに書かれているのは教養に溢れた女性らしい文字だった。

 来客あり。
 文月源蔵様が幼子を連れ、屋敷を訪ね来る。
 聞けば東北の山中で暮らしていたと言う。
 幼子に名を尋ねると「凛太郎」と答える。年の頃は沙耶香と同じくらいか。
 源蔵様に凛太郎君の母上について尋ねるが、東北の山中で暮らしているらしいとの事。
 それ以上は語りたがらず、また詮索するも失礼と思い、まずは再会を喜ぶ。
 急用ありとの故そのまま別れるが、幼子に菓子を与えると礼を言い笑顔を見せる。
 その幼子が静江さんとの間の子であればという湧き上がる思いを慌てて打ち消す。
 我が娘、沙耶香と同じく実の親を知らずに育つ不憫さを思い落涙。

 
「東北で生まれたっていうのは何となくわかっていたんですけど……母については何も聞かされてないんです」
「文月様が山を下りて若林様のお店に転居されたのは確か――」
「僕は五つか六つだったと思います」
「その頃にはお母様はまだ生きてらっしゃった。いや、今もご存命なのでしょう」

「ええ、実はさっきも知り合いに『会いにいかないか』と誘われたんです」
「そうでしたか。でしたらこの後、お会いに行かれるのですか?」
「いえ、中原さん、今はまだその時期じゃない気がするんです。母が僕の前に出てこないのには理由があるんじゃないかって」
「文月様、そんなにお悩みになっていらっしゃるとはつゆ知らず。本当に申し訳ありません」
「大丈夫です。苦しんでなんかいません」

「いえ、子供が親を求めるのは当然。それを我慢して過ごされるというのは苦しみ以外に何がありますでしょうか」
「中原さん……沙耶香と須良さんの一件が頭にあるんですね」
「いえ、そんな……とにかく文月様には実のお母様にお会いになって頂きたい。様々な件が決着された暁には、是非」
「中原さん、そうします。どうもありがとう」

 
「ところで文月様、やはり思い出されませんか?」
「――ああ、昔会ったって話ですね。やっぱり記憶にありませんね」
「1970年、万国博覧会――これを言ってもですか?」
「確かに父と一緒に夏休みに万博に行きましたけど中原さんにお会いしたのは覚えていません。興奮していたせいかな」
「私だけではございません。沙耶香様にもお会いしているはずですが」
「ええ、ますます覚えが――あれ、ちょっと待てよ」
「思い出されましたか?」
「ううん、そんなはずがない。だって僕はずっと父さんと一緒だったし、沙耶香だって中原さんと一緒だったでしょ?」
「はい。何か引っかかる事がおありのようですが」
「子供の頃から頻繁に見る夢なんです。最近またよく見るようになりました。僕はどこかの山の中にいて、同い年くらいの女の子を後ろに乗せて自転車でそこを出発するんです。でも道がどこまでも続いていて――夢の話なんかしちゃ、だめですね」
「その子が沙耶香様であったなら……いえ、何でもありません。お忙しい所を年寄りの戯言に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。ではご武運をお祈り致します」

 
 リンは屋敷から外に出た。とっくに日は落ち、季節外れのヒグラシがどこかで鳴いていた。
 六つか七つの頃の自分が何か大それた事をしでかしたのだろうか、知らない男たちに襲撃されたような記憶もうっすらとだけ残っているのだが、よく思い出せない。何もかもが霧の中で謎は深まるばかりだった。

 

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 Story 2 胎動

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