目次
2 地に潜る者ミーダ
サロンの集い
リンがジャンクのアジトに向かうとすでに水牙が到着していた。
「あれ、一番乗りだと思ったのに」
「うむ。ちょっとジェニーの銃をネスに見てもらう必要があってな」と水牙が説明した。
「ジェニーは一緒に戦ってくれるの?」
「ああ、そういう流れだ。まだ仇を討ち終わった訳ではないしな」
「仇か……あれ、そう言えばさあ。ジェニーのお母さんってどういう人だったの?」
「そう言えば聞いていないな。もうすぐ試打が終わるから尋ねてみればいい。何で急にそんな事を思いついたんだ?」
「ジェニーが来たら話すよ」
ジェニーが上気した顔でネスと戻ってきた。
「あら、リン」
「こんにちは」
「ねえ、聞いてよ。やっぱりおじいちゃんはすごかった。あの石をセットしただけで銃の性能は比べ物にならないくらい飛躍的に向上したわよ」
「ナッシュは優秀なガンスミスだったんだな――ところでリン、聞きたい事があるんだろ?」
「うん。ジェニーのお母さんってどんな人だったの?」
「どうしたの、突然に。あたしの母さん、アン・ハザウィーは、エリザベート・フォルストに憧れ、女優を目指してアンフィテアトルに出てきたんだって。でも初めのうちは舞台にはあまり立たないで、もっぱらデズモンドと一緒に冒険に出ていたらしいの」
「……やっぱりそうか。マザーがサロンの同窓会って言ったから何か関係があるんじゃないかと思ってたんだ」
「おい、リン。何を言っているんだ?」と水牙が尋ねた。
「クアレスマの秘書のニナって人いたでしょ。彼女はエリザベート・フォルストの娘さんだったんだ」
「えっ、本当。エリザベートはママの恩人よ。舞台の一から十まで教えてくれたのはエリザベートだったってママが言ってたわ」
「エリザベート・フォルストか」
いつの間にかそこにいたリチャードが会話に加わった。
「私の父、トーグルもサロンに出入りしていた時期があった」
「あ、リチャード。リチャードのお父さんは水牙のお父さんやジェニーのお母さんと一緒に冒険してたの?」
「いや、父はデズモンドとの冒険には出なかった。冒険のメンバーの一人、作家ソントン・シャウの連邦大学での教え子だった関係でサロンに顔を出していたそうだ。当時のサロンにはデズモンド、ソントン、そしてエテルに音楽家ユサクリス、様々な若い才能が集まっていたらしい。中でもエリザベートは『サロンの華』と呼ばれていたほどの美しさだったそうだ」
「うむ、某の父はサロンのメンバーではなく《武の星》でデズモンドの冒険への同行を頼み込んだのでそのへんの詳しい事情はわからないが、エリザベート・フォルストと言えば代表作は『リーバルンとナラシャナ』……それは有名な女優だったらしいぞ」
「不思議な事になったね。マザーの言う通りでサロンに関係のある人たちが集まってきてる。関係ないのは僕だけだ」とリンが言った。
「お前が呼び寄せた、とも言えるな」
リチャードの言葉にリンは首を傾げた。
「ところでリチャード」と水牙が話題を変えた。「盾はできたか?」
「ああ、これを見ろ」
リチャードは黒く光る盾を見せた。盾の表面にはセンテニア家の紋章、九頭竜が浮き彫りになっていた。
「ついでにこれもだ。盾だけでは鱗が余ったので剣も仕上げてもらった」
リチャードが抜いた剣も盾と同じように黒い光を放っていた。刃の上に紙をそっと置いたとしても紙は真っ二つに切れてしまうほどの恐ろしい切れ味を漂わせていた。
「これでグリュンカが蘇っても戦えるね」とリンが笑顔で言った。
「いつになるかはわからんがな――さあ、そろそろファームに向かおうか」
楽聖
ファーム・エリア、十キロ四方の中央にひときわ高い円形の塔、『ハーヴェスト・タワー』が立っている。タワーからは四方に回廊が延びていて、西のヴェジ、南のフィッシャー、東のクロップ、北のハードの一回り小さな四つの塔に続いている。エテル得意の回廊建築の一つだった。
ヴェジとハードに挟まれた五キロ四方は牧畜、ハードとクロップの間は穀物、クロップとフィッシャーの間は漁業、フィッシャーとヴェジの間は野菜果物のエリアになっている。
他の階層への移動はインダストリアとジャンク行きの転移装置しか用意されていない。レジデンスに向かいたいのであれば、インダストリア、メルカト、アミューズと各駅停車の転移装置を乗り継いでいかなければならない。もっともほとんどのファームの住民はアミューズでセキュリティに引っかかってしまうため、レジデンスには行けなかった――
リチャードが合流し、いよいよファーム解放に向けて行動を起こそうとしていた所にヤポーサがやってきた。
「……気をつけろ。ニッカスの一味が巡回しているから転移装置は使えない」
「計画が露見したか。内通者がいるのか?」
「知らん……だが安心しろ。お前らが出入りに使っているこのエリアの工事用出入口と同じものがファームにもある。普段は閉まっているそのファームの出入口をネスが開けに向かっている。一旦外に出てそこから侵入しろ」
「ヤポーサ、お前たちはどうするんだ?」
「ニッカスと決着をつけなければならん。ジャンクで騒ぎを起こせばファームの警戒も緩むだろう」
「わかった。気をつけてな」
「……」
ヤポーサは踵を返して去っていった。
リン、リチャード、水牙、ジェニーの四人が降り立ったのはファームの北西の端だった。
「さて、ハーヴェスト・タワーを解放するにはここからまっすぐ南東に向かえばいい訳だが」とリチャードが遠くを見ながら言った。
「あのさあ」とリンが口を開いた。「ニナが、バンバっていう巨人に会ってくれ、って言ってたけど。どこにいるかなあ」
「このあたりは見渡す限り牧草地帯だ」と水牙がミルフィーユのようにどこまでも折り重なって続く緑の丘を見て言った。「二手に分かれていけば何か見つかるかもしれないな」
「ではこうしよう。私とリンは南に向かう。水牙とジェニーは東に行ってくれ。集合場所はハーヴェスト・タワーだ」
リンたちが南に向かって歩き出してすぐに水牙からヴィジョンが入った。
「リチャード、リン。珍しい建物を見つけた。ちょっと来てみないか」
「建物?」
「ああ、もしかするとリンの言うバンバがいるかもしれないと思ってな」
リンたちが東に方向を変えて歩くと右手に白い建物が見えた。
「これか」と水牙たちと再び合流したリチャードが言った。目の前には白い円形のパゴダのような建物が立っていた。「エテルが建てたにしては工夫が感じられないな。入り口はどこだ?」
すぐに入り口のドアが見つかり、四人が中に入るとそこは小さな広間で目の前には白と黒に塗り分けられた壁が三方を塞いでいた。
「何これ。どうやって進めっていうのよ」
ジェニーがぶつぶつ言いながら一歩前に踏み出すと、突然メトロノームを刻むような定期的なリズムが聞こえた。
ピアノの音が始まったかと思うと目の前の壁の白い部分の一部に穴が開き、音楽に合わせてさらにその奥の壁に穴が開くのが見えた。しかし一小節進んだ所で音楽が止み、壁は元通りふさがった。
「……この壁はピアノの鍵盤か」とリチャードが言った。「そして流れてきた曲は確か……皆、私の言う通り動いてくれないか。ジェニー、もう一回スイッチを踏んでくれ」
ピアノの音が再び始まった。
「その穴に飛び込め。リン、次は少し上が開くからそこに飛び込むんだ」
指示通り、穴に飛び込むとそこには小さなスイッチがあった。
「このスイッチを押せばクリアだね」
リンが次に開いた穴のスイッチを押した。
「そうだ、次はもう少し上。よし、その調子だ」
リチャードの出す指示に従ってリンは上に下にと大忙しで移動しながら進んだ。
「あたしたちは必要なのかしら?」とジェニーが言った。
「まあ、待て。途中で和音の進行になる部分が出てくる。そうだ、次は下だ」
曲は佳境に入った。
「この次からは和音だ。リンは上、水牙は左上、ジェニーは右下だ」
ようやく曲が終わりに近づいたようだった。
「よし、最後だ。リンはそのまま。水牙もだ。ジェニーは少し上」
ようやく曲が終わると、四人は白いホールのような空間に立っていた。真ん中には一台のピアノが置かれ、その脇では一人の男がベッドに横たわっていた。
「ふう、疲れた。でもリチャード、よくこの曲を知ってたね」
リンが肩で息をしながら言った。
「当然だ。私はインテリだぞ。さあ、この館の主にご挨拶だ」
リチャードはベッドに横たわる人物に向かって歩き出した。
「ユサクリス殿ですな」とリチャードはやせ細った老人に声をかけた。
「私の曲を知っているとは……まだまだ捨てたものではないな。君たちが初めてだよ。使用人以外でここまで来たのは」
老人はかさかさに乾いた声を出した。
「ピアノ協奏曲第六番『熱情』。父が好きな曲でした」とリチャードが言った。
「……君の父、というとセンテニア家の」
「はい、トーグルです」
「まさかこんな場所でサロンを知る者に会えるとは思っていなかった。懐かしいな」
「あたしの」とジェニーがおずおずと口を開いた。「母はアン・ハザウィーです」
「おお、アンの娘さんか。そう言えば目元がそっくりだ」
「アミューズにはエリザベート・フォルストの娘さんもいますよ」とリンが言った。
「……まるでサロンがそのまま引っ越してきたようだな」
「そうですね。しかしユサクリス殿。ここで一体何を?」とリチャードが尋ねた。
「あれはいつだったかな。エテルが私に言った。『連邦でやるべき事は全てやった。最後の作品に取り掛かりたい』とな。最後の作品とは何かと聞いた。エテルは自分の建築の全ての集大成となる都を宇宙空間に作るのだと言った。それがこの都だ」と言った後で、ユサクリスはごほごほと咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「いや、すまん。私はエテルを追いかけるようにここに来た。『お前のために空気のいい場所を用意した』と言ってこの『楽聖亭』を建ててくれたのだ。だが以来エテルとは連絡が取れない。エテルは生きているのか、それとも」
「……生きていますよ。ところでエテルは一人でここに来たのでしょうか?」
「いや、確か助手のギンモンテと使用人のバンバがいたはずだ。ギンモンテの所在はわからないがバンバはこのエリアにいて定期的に世話を焼きに来てくれる。もし会いたければ南に行けばいいのではないかな」
「わかりました。南ですね――ユサクリス殿。体をお労わり下さい。あなたは今でも銀河の宝ですから」
「ありがとう。君たち若い者をテーマに曲を書いてみたくなったよ……エテルに会ったらよろしく伝えてくれ」
リチャードたちは礼を言って、楽聖亭を後にした。
「ではまた、二手に分かれよう。私とリンは西を回って南に、水牙とジェニーは東から回ってくれ」
リチャードが言い、四人は別れた。
暗殺者
水牙とジェニーは間もなくヴェジとハードの境界の北の見張り塔に着いた。
「ジェニー、この北の塔から内部に侵入してハーヴェスト・タワーに向かうぞ」
「わかったわ」
見張り塔に難なく侵入した二人は階段に続く長い廊下に出た。
「ねえ、何でここだけ狭くなってんの?」
ジェニーが示す先は百メートルくらいに渡って人一人がやっと通れるくらいに狭くなっていた。
「ふむ、妙だな――ジェニーはここで待っていてくれ」と言って水牙は一人で廊下を進んだ。
水牙は一歩、また一歩と慎重に歩を進めた。両脇の壁からは確かに気配が伝わった。そして廊下の中ほどで一歩を踏んだ瞬間、両脇の壁から何かが飛び出した。水牙は飛び上がり、飛び出したものを確認した。槍だ、両脇から飛び出した鋭い槍はすぐに引っ込んだ。水牙は着地して壁を確認したが壁は元通りの状態で、槍の穴は見つからなかった。
不思議に思っていると、再び両脇から槍が飛び出した。横っ飛びに槍を避けると、さらに次の槍が飛び出した。水牙は剣を抜き、構えを取った。
「姿を見せずに襲うとは卑怯だな。名前くらい名乗ったらどうだ?」
「ふふふ、姿を見せていないだと。とっくに姿は現しておるわ。わしらは壁抜けのマーロイとマーロウ」
「――なるほど。では遠慮しないでいくぞ。某の名は公孫水牙!」
『凍土の怒り』を構えたまま冷気を放出した。たちまちに両脇の壁は凍りつき、気配はぱたっと消えた。
「通り名を言う時には注意した方がいいな。お前らは壁そのものだという事、自ら白状したようなものだ」
水牙はジェニーを呼びに廊下を戻った。
リチャードとリンはヴェジとフィッシャーの境界にある西の見張り塔に着いた。
「水牙たちは北からハーヴェスト・タワーに向かう。私たちは西から中央を目指すぞ」
西の塔に入ると屋内は真っ暗だった。先に進むと蜘蛛の巣糸が顔に引っかかった。
「うわっぷ、何これ」
「しばらく誰も出入りしていないのだろう」
さらに進むと顔にかかる蜘蛛の巣糸の量がますます増えた。
「うわ、これ、ちょっとおかしいよ」
「やられたな。見ろ」
リチャードに言われリンが前方を見ると暗闇の中に二つの目が光っていた。
「なるほど、蜘蛛の巣に入っちゃったって訳だね」
リンは試しに手を動かそうとしたが、すでに糸でぐるぐる巻きにされていて身動きが取れなかった。
「どうしよう。まだかろうじて足が動くから逃げようか?」
「そうもいかん」
リチャードも足先まで巻かれたようだった。
「奴が来るまで待とう」
光る目は段々と近付いてきた。ようやく暗闇の中でもその姿がぼんやりと見えるようになったが予想通り黒褐色をした大蜘蛛だった。
「銀河の勇者という割には他愛ないものだ」
蜘蛛は勝ち誇るように言った。
「何だ、蜘蛛だ」
「ああ、つまらんな」
「……きさまら、今の状況がわかっているのか。圧倒的に不利なのだぞ」
「わかってる。貴様が圧倒的に不利だというのがな。リン、いけ!」
リンがぐるぐる巻きにされたままで天然拳を発動させると、体ごと光の矢になり大蜘蛛を貫き、消滅させた。
「あっけないね。あ、リチャード。糸はずそうか?」とリンが近づいて言った
「いや、大丈夫だ」と言って、リチャードは気合一発で体を縛る糸を叩き切った。「さあ、中央に急ごう」
行きかけたリチャードは立ち止まっているリンに気付き、声をかけた。
「どうした?」
「ん、ちょっと不思議な気分なんだ。戦う相手の手ごたえがないっていうか」
「どういう意味だ?」
「《巨大な星》で出会った相手よりも強い人たちが出迎えてくれると思ったのになあ」
「……お前は大きな誤解をしている。自分の成長に合わせて相手も強くなる、自分が向かう新たな場所でより強い敵が待っているとでも考えているのか?」
「そうそう。そういう事」
「……お前は戦いの序盤ですでに大帝という最強の男に出会った。そして私やコメッティーノ、ゼクトに水牙、GMM、いずれも銀河で指折りの猛者だ。これ以上はなかなか見つからないぞ」
「僕がそういった人と接して強くなった訳?」
「その通りだ。お前は驚くべき速さで成長した。最早、ゲルシュタッドや大帝クラスが相手でないと物足りないのではないか」
「うーん、王道の成長ストーリーじゃないんだね」
「何を言っているんだ。お前は?」
タワーに近付くにつれ、辺りからは血の匂いが強く漂った。
「リン、気をつけろよ。只事ではないぞ」
「うん、誰にも会わないなんて妙だよね」
「止まれ」
そう言ったリチャードが宙に浮き上がり、リンもそれに倣って飛び上がった。
二人がしばらく空中に漂っていると、前方の廊下がぼこっと不自然に浮き上がった。それがやがて形を取り、人の姿に変わった。茶色いローブをまとったモグラのような顔をした小さな猫背の男で手は鋭いかぎ爪になっていた。
「空にいられたんじゃあかなわねえ。心配しないで下さいよ。あたしゃ敵じゃありません」
「ほお、殺気に溢れていたぞ」
リチャードは宙に浮いたまま言った。
「銀河の英雄にケンカ売るような真似はしませんよ。ちょっと試させてもらっただけですよ」
「私たちを知っていて出てきたのか。名前は?」
「『地に潜る者』ミーダと言います」
「地に潜る者がここで何をしてるんだ?」と言って、リチャードは地上に降りた。
「いえね、このエリアにあんたたちが来るって聞きつけてね――」
「誰にも口外していないぞ」
「あんたたちが使ってる『草』くらいの事は出来るんでさあね」
「ふっ、食えない奴だ。それで?」
「北の見張り塔のマーロイ、マーロウって兄弟が知り合いだもんで、元々そいつらを訪ねに寄ったんでさ。でも水牙さんが苦もなくそいつらを倒したのを見て、あたしゃ考えを変えました。あんたたちと組もうってね。で、一足早く東と南の見張り塔、中央の塔と全て片付けときやした」
「片付けた?――胡散臭いな」
「信じねえのなら確認しに行きやしょうよ」と言い、ミーダは地面に潜ろうとした。
「おっと待った。ミーダとやら。私たちの前でそうやって潜ったら、攻撃する意志があるとみなすぞ。地上に出て前を歩け」
「へいへい。わかりましたよ」
ミーダはひょこひょことリンたちの前を歩き出した。
ハーヴェスト・タワーの入り口付近で、ますます血の匂いは濃くなった。
「これはひどそうだな。私が見てこよう。ほら、ミーダ、前を歩け」
リチャードはミーダを先に歩かせたままタワーの中に入って、きっかり五分後に出てきた。
「暗殺者としての腕は確かだが、やり過ぎだ――あ、リン、見ない方がいいぞ」
リチャードはそう言ってヴィジョンで水牙を呼び出した。
「水牙。今どこだ?」
「もうすぐ東の見張り塔に着く」
ヴィジョンの向こうの水牙の顔は少し青ざめていた。
「そこも中央と同じらしいぞ。何、こっちに殺人鬼を確保している。本人が言っていた」
「ジェニーは気分が悪いと言っている」
「そうだろうな、無理もない。東の塔は確認しなくてもいいだろう――ああ、南のバンバの住まいを見つけたら連絡してくれ。私たちもすぐに行く。じゃあな」