6.5. Story 3 ミラナリウム

4 優羅の素性

 羽田を飛び立ったリンは新宿に向かった。時計を見ると夜の十時を回っていた。
「まだ営業してるはずだ」

 リンは、人気のない公園に降り、花園神社近くのシゲの店の扉に手をかけた。
 扉を開けるとカウンタのシゲと目が合った。何故かバツの悪そうな表情を見せ、無言で裏に回るように目で合図をした。

「リンちゃん。連絡なしに来ちゃだめって言ったじゃない」
 タバコを咥えたシゲが裏口に顔を出すなり、そう言った。
「ごめん。どうしても今晩の内に聞いておきたい事があったからさ」
「まあ、あんたも忙しいからね――

 
「ようやく会えた」
 シゲの言葉は突然裏口に現れた男の言葉でかき消された。
「あちゃあ。やっぱバレてたか」
「重野先輩も水臭い。やはり彼が文月凛太郎君ではないですか」

 リンは街灯の下で男の顔をまじまじと見た。
「あ、アニタ・オデイをリクエストする人……って事は」
「内閣調査室の葉沢です。ここで時々バイトしていた青年が文月君だった事に思い当って通いつめた甲斐がありましたよ」
「ねえ、貫一。リンちゃんも忙しいのよ。ちょっと遠慮してくれない?」
「そんな事は百も承知しています。あらゆるツテを使っても接触できなかったのです。せっかくお会いできたこの機会を逃す手はありません」
「もう、めんどくさいなあ……リンちゃん」

 シゲが声をかけると、リンは自然を発動させ気配を消した。そのまま面食らう葉沢の背後に回り、首筋に軽く手刀を叩き込んだ。
「ごめんね、リンちゃん。簀巻きにして路上に放り出しとこうか」
 リンはぐったりした葉沢を見つめて言った。
「簀巻きはいいけど、僕もこの人に聞きたい事があるんだ」
「うん、わかった」

 
「……ほら、目を覚ましなさいよ」
 閉店後の『ジャンゴ』の店内に、シゲとリン、そして手足を縄でぐるぐる巻きにされた葉沢が残っていた。
「あ、重野先輩。何て事を」
「安心しなさいよ。国家のエリートを東京湾に沈める訳ないでしょ。リンちゃんがあんたに聞きたい事があるから起こしてやったのよ」
「くそぉ、こんなチャンスは滅多になかったのに」
「心優しき英雄は落ち着いたら幾らでも話す機会を設けてくれるって。うるさくすると又、眠らせちゃうわよ、ねっ、リンちゃん」
「うん、まあね。じゃあ僕の話を聞いてもらえますか」

 
「実はね、僕の事を小さな子供の頃から知ってる女の人がいて、母さんの事も知ってるって言うんだ」
「ふーん。ま、そういう人もいてもおかしくないかもねえ」
「でもね、腑に落ちないのは、その女の人、物凄く若いんだ。まだ二十代にしか見えない。それなのに母さんを知ってたり、僕を子供の頃から見てきたって変でしょ?」
「若作りなだけじゃないの?」
「シゲさん、真面目に聞いてよ」
「ごめんね。名前とかわかるの?」
「うん、優羅。名字は難しい『もち』って字に木で黐木。黐木優羅さん」

「ふーん」
 シゲは顔を上げると渋い表情で葉沢と顔を見合わせた。
「参ったわね」
「えっ、心当たりあるの?」
「まあね」
「どういう人?」

 
「以前、『都鳥』で蒲田のボクちゃんにこの日本には触れちゃいけない人間がいるって話したの覚えてる?」
「うん、うん」
「ランク分けがされてて最上位はアンタッチャブルのNFI、No Further Investigation、日本語だと『これ以上の捜査を必要とせず』って呼ばれるんだけど、そこには誰がいると思う?」
「藪小路?」
「正解。戦前から生き続ける怪物ね。同じくデズモンド・ピアナ。この人も戦前から日本にいたけど現在は消息不明。それから浅草に住んでる田原藤太――」
「えっ!」
「あら、知り合い?」
「う、うん。ちょっとね」
「この三人はいずれも戦前から日本に滞在し、その容貌、戦後の現在に至るまで変わる事なし、つまり百年近く年を取らない、正真正銘の人外。外の星から来たのか、或いは人ならざる者なのか、詳細は不明だったけど、最近の色んな事件を見てるとリチャードと同じで別の星の人間なんじゃないかって思うの」
「そうだね」

 
「ちょっと、貫一」
 シゲは傍らの葉沢に声をかけた。
「あんたの方が最新の情報持ってるんだから、あんた、説明しなさいよ」

「説明と言っても、何を。リチャード氏や文月君も今や立派なアンタッチャブル扱いとなっている事ですか?」
「それも確かに驚きだけど、話聞いてたでしょ。黐木優羅よ」
「ああ、そちらですか――文月君、落ち着いて聞いてくれたまえ。君が接触したその女性は雪女だ」
「えっ?」
「貫一。もう少し言い方があるでしょ。いいわ、やっぱりあたしが説明するから適当に補足して」

 
「リンちゃん、雪女の伝説って聞いた事あるわよね?」
「うん、僕が知ってる話が正しいかはわからないけど」
「古来から日本の各地に様々な言い伝えが残っているから、どれが正しいとかは一概に言えないわ。で、その伝説の雪女が黐木優羅だって話」
「えーっ、それはおかしいんじゃない。昔は写真もテープもないんだから証拠になるもの残ってないよ」

「それはそうだけど一つ面白い話があるの。何年か前にA県で起こった雪山遭難事故、覚えてない?」
「うーん、覚えてないなあ」
「スキーに来ていた東京の若者たち六名が死亡したんだけどその死に方が異様だったのよ。全員が氷の中に閉じ込められた状態で発見されたんだって」
「えっ」
「まあ、スキーよりも女の子を引っかけてその場限りの快楽を得ようって魂胆のどうしようもない奴らだったのよ。夜な夜な麓の町に繰り出しちゃあ女の子を物色して、親に買ってもらった別荘に連れ込むんで、顰蹙を買ってたみたい。で、その夜も飲み屋でくだを巻いてたんだけど女の子が見つからなかった。ところがそんな彼らの前に突如、絶世の美女が現れたんですって。彼らが嬉々として彼女をエスコートして、六人のうちの一人の父親の所有する別荘に向かって歩いてくのを飲み屋の親父が目撃したんだけど、それが最後」
「で、遭難?」
「別荘は町からほんの少しだけ山を登った場所だったし、その夜は雪も降らず、星が綺麗に見えたって話だから、山奥に入り込むはずがないの。でも最後に目撃された二日後、雪山の奥で冷凍されてたのが発見されたって訳。その絶世の美女以外はね」
「それだけで優羅さんとは」
「飲み屋にいた別の東京からの客がその女の顔知ってたのよ。青山界隈では有名な『優羅』って名の美女だって」

「それで優羅さんが伝説の雪女?」
「ここからは私が説明しよう」
 縛られたままの葉沢が口を開いた。
「NFIの元になった『人外帳』に雪女の事が載っている。名前は『タマユラ』」
「やっぱり戦前から生きているんですか?」
「戦前どころの話ではない。初めて記録に出てくるのは平安時代末期。ヌエをけしかけて都を襲ったのがタマユラだったと言う。それからは各地の記録や伝承に『都で人心を惑わす美しい女の物の怪』、『雪山で旅人を誘う氷の精』……という形で枚挙に暇がない」
「……」
「明治時代に『人外帳』が作られてタマユラが伝説の存在としてそこに載った。そして戦後になってようやく実在する黐木優羅がタマユラと同一人物で間違いないという調査結果が出たのだ」
「遭難事件は?」
「その同行女性が優羅だとなった途端にNFIの指示を出した。逮捕しても無駄だからな」

 
「うーん、頭が痛くなってきた」
「うふふ。そりゃそうよね」
「母さんの知り合いがそんな凄い人だって事だよね。母さんも、もしかすると」
「何よ、今更。リンちゃん自身が怪物になりつつあるじゃないの。羽田の大立ち回りだってヒーロー物の特撮を観てるみたいだったわよ」
「それを言われると……でも優羅さん、悪い人には見えなかったんだけどなあ」
「好きなように生きてるだけよ。何しろ平安時代からよ。応仁の乱のきっかけとなっていようが、関ヶ原の戦いの鍵を握っていようが、驚かないわ」

 
「……好きなようにか。ねえ、だったら藪小路の生き方って何。表に出てくる訳じゃないし、何が楽しみなのかな?」
「あたしにはわからない。それこそ生涯をかけて藪小路を追っかけてる貫一の出番よ」
「戦後になっての主だった行動は『ネオポリス計画』だけだが、一つだけ気になる文書があった。計画の発起を伝える内部文書の序文で『愛すべき東京』という言葉を連呼している」
「東京が好きだって事?だったら東京大空襲も防げたんじゃないの」
「ただ愛しているだけではなく、幾度踏みつけられてもその度に復興する東京に魅せられていると言った方がいいかもしれない。しかもその東京を自分の所有物だと考えている節がある。一種の偏執狂だ」

「葉沢さんが言うんだからよっぽどだね。ねえ、シゲさんはやっぱり仇を取りたいの?」
「あたしはもう引退した身。それより、リンちゃんこそ。当然、藪小路はリンちゃんの事を知ってるはずだから」
「えっ、僕?」
「目立つから仕方ないけど」
「何か防衛策を取った方がいいのかな?」
「何もしてこないわよ」
「そうだよね。僕は自分が育った、この東京が好きだもん」
「リンちゃんが変な気さえ起こさなければ藪小路は敵にはならないわ」
「変な気?」
「その気になれば東京を破壊するなんて朝飯前でしょ。この間の爆弾事件みたいなのが起こったら、その時はわからないわ」
「……爆弾事件……マリスを狙撃したのが藪小路の命令だとしたら、僕は許さない」
「あくまでも仮定の話よ。無理に角突き合わせる必要はないわ」
「だよね。やる事目白押しだし」

 
 その晩、久しぶりに自分の部屋で眠ったリンはいつもの夢を見た。あれほど長かった道が終点に近づいていた。自転車をこぐ足にも自然と力が加わった。
 後ろに乗っている人間の声がした。
「この道の果てには……何が待っているのかしら?」
 この声は……そうだ、《エテルの都》で会ったニナの声だ。

 

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 Story 4 再び《エテルの都》

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