ジウランの日記 (10)

20XX.7.16 元麻布聖堂

 徹夜でチャプター5を読み終えて仮眠を取り、昼過ぎに元麻布に向かった。
 小さなバスに揺られて最寄りのバス停で降りた。
 しまった、こんなに暑いんだったら朝一番で来るんだった、そう思ったが後の祭りだった。バス停から急な坂道を上り、そして下りる時には、全身から汗が吹き出していた。
 何でこんなに坂道が多いんだろう、そう思いながら歩いていると突然目の前に異様な光景が広がった。
 近づいて異様さの理由がわかった。尖った屋根や丸い屋根、およそ統一感のない幾つもの巨大な建物が寄り添うように夏の日差しを浴びて建っているせいだった。

 
 警備員はいたが開かれたままの広い鉄の門を抜けると「総合受付」と書かれた事務棟があった。
 見学の許可を求めると、対応してくれた愛想のいい女性が「ここに名前を書いて下さい」と言った。名前を書くと「Visitor」というカードとパンフレットをくれた。

 
 忙しそうにしているのはきっと信者だろう。ぼくと同じような「Visitor」はパンフレットを片手にのんびり歩いていた。
 歩きながらパンフレットに目を通した。最初のページが内部の案内図だった。さっき遠目から見た異様な建物は全部で九つ、中心部の聖堂を取り囲むようにして建っていた。
 案内図の脇の小さな文字の説明文には、「1.キリスト教教会、2.イスラム教モスク……」と書いてあったが、ぼくの目は最後の方の「8.アダニア派教会」という一文に釘付けになった。

 ゼンマイ仕掛けの人形のようにその場所へと走った。その建物は入口から見ると一番裏手にあたっていて、人の姿はなかった。
 重い扉を開くと、中は薄暗かった。

「やはり来ましたか。真っ先にここに向かうとは、あの時よりもだいぶ学習されたようだ」
 暗がりの中で姿はわからなかったが、声には聞き覚えがあった。軽井沢で会った黒眼鏡の男だ。
 まさかあなたがバルジ教の人間とは思わなかった、と伝えると男は笑い出した。
「ははは、ここにいるからバルジ教の人間とは限らない。あなたと同じく、たまたまここに来たという可能性も否定できませんよ」
 今日は力づくでも話を聞きます、慎重に一歩進むとまた声がした。
「おや、今日はそんな用事のために来たのではないでしょう。大方あなたの大学のお友達を取り返しにでも来たのではありませんか」
 男の影に近づくのを止めた。そうだ、今この男とやり合ったら堅田君にどんな危害が及ぶかもしれないと思った。
「ジウランくんは平和主義者だ。おじいさまのような武闘派も魅力的だったが、嫌いじゃないですよ」

 圧倒的に情報が足りなかった。この男、いやこの男の属する組織はぼくを調べ上げているのにぼくは相手を何も知らなかった。そのままぶつかってもあっという間に蹴散らされるだけだ。でも『クロニクル』を読み続けるだけで、この男に対抗できるだけの武器を得る事ができるのだろうか。

 わかりました、堅田君には会えますか、と尋ねると男の影は満足そうに頷いた。
「間もなく講義が終わるはずです。聖堂で待っていれば会えますよ」
 そんな簡単に会えるんですか、だったら連れて帰りますよ――
「バルジ教はれっきとした宗教団体だそうです。そこいらの詐欺師やいかがわしい拉致集団と一緒にされては困ると教祖自身が言っていましたよ。自分の意志で帰りたいと思えばいつでも帰れるんじゃありませんか」
 走りかけて立ち止まり、もう一度男のいる方に向き直った。
 あなたはぼくに用があったんですか?――
「たったの二か月で大した進歩です。このまま成長して下さい。私はこうやって定期的にあなたの成長を観に伺わせてもらいます。では、さようなら」
 男の影が突然に消えた。

(追記)

 堅田君を説得する事はできなかった。彼はバルジ教がいかに素晴らしいかを熱く語り、ナインライブズ降臨後の美しい世界を信じて生きると言った。
 ナインライブズとは何なのか、とにかくエピソード6を読み終えよう。

 

登場人物:ジウランの日記

 

 
Name

Family Name
解説
Description
ジウランピアナ大学生。行方不明になった祖父のメッセージに従い、『クロニクル』という文書を読み進む
デズモンドピアナジウランの祖父
一年前から消息不明
能太郎ピアナジウランの父
ジウランが幼い頃に交通事故で死亡
定身中原文京区M町にある佐倉家の屋敷の執事
美夜神代ジウランをサポートする女性
都立H図書館に勤務
菜花名
(ナカナ)
立川ジウランのガールフレンド
西浦元警視庁勤務
美夜と関係があるらしい
大吾蒲田元警視庁勤務
現在は著名な犯罪評論家
シゲ
(二郎)
重森伊豆の老人ホームにひっそりと暮らす

 

 Chapter 5 《エテルの都》

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