目次
3 目覚めた勇者
砂漠の救世主
翌早朝、JBがホーリィプレイスを訪れた。瀕死のコメッティーノを医者に連れていき、ナーマッドラグでカフェを探しながらぶらぶらしているとシェイがやってきた。
「JBじゃないか。こんな場所で何してる?」
「おはよす。実はコメッティーノに言われて」
「会ったのか」
「そうなんですけど、奴は今死にかけてますよ」
「リチャードもゼクトも負傷し、まるで野戦病院だ。私が最前線に立ちたいが、今日にもホルクロフトたち本隊が到着する――そうか、それで来てくれたのか。気が利くな」
「そういう事になるんすかね――それより将軍、カフェないすか、カフェ」
マザーはテラスでドウェインから各地の状況を聞いていた。
「困りました。リチャードもゼクトもコメッティーノも負傷したとは。砂漠の村には誰に行ってもらいましょう?」とドウェインが言った。
「洪水は収まったんだろ?」
「ええ、水びたしになった砂漠を復興中ですが、そこに怪物が出没するらしいですよ」
「マンスールはいつまでこんなバカやるつもりかねえ。他にも行ってもらいたい場所があるってのに」
「えっ、まだあるんですか。あと報告が入っているのはサディアヴィルですが、さすがにあそこはマンスールの王宮近くですし――」
「そこじゃないよ。いくらあたしの人使いが荒いからって、王宮に一人、二人じゃ行かせやしないよ。あんたの情報網に引っかからない場所から連絡受けたんだよ」
「はあ、そうですか。いよいよ困りましたね」
「某が行きましょう」
ちょうど雷牙の墓参りから戻った水牙が言った。
「住民の方が水でお困りなら適任でしょう、体もなまりました」
「ああ、水牙、そうしてくれるかい。すまないねえ」とマザーが言った。「早速、出発してくれるかい?」
「わかりました。もう一つの場所とやらも行きましょうか?」
「そっちは……もうすぐ起きる坊やに行ってもらうよ」
水牙は一人で砂漠の村に向かった。激闘があったネコンロ山は形を変えてなだらかな丘に変わっていた。西の海から流れていた地下水が山の崩壊によって東の砂漠に溢れ出たせいだった。
わずか数日で自分と自分を取り巻く全てが変貌した。自分はこれからもずっと弟を守れなかった弱さを背負って生きる。でもそれでいい、そうやって弟の分まで生きていく。この戦いが終わったら弟の遺骨と故郷に帰ろう。
故郷の紅桜はもう散っただろうか。これからは違う感情に突き動かされて咲き誇る紅桜を見るのだ。
感情か――考えてみれば、ずっと優等生だった自分は決して感情を表には出さなかった。そんな自分にあのような激情があるとは思ってもみなかった。GMMが止めに入らなければ、あのまま神火と大火を斬り捨てていたろう。錬金塔でリンに何が起こったかはわからないが、リンにもあそこまでの激情が眠っていた、それが自分にはよく理解できる。
水牙は砂漠の村に着いた。一見して貧しそうなその村では、人々が懸命に復旧作業に勤しみ、黙々と作業を続けていた。
村長の家らしきものを見つけ、そこに入っていった。
「マザーアバーグロンビーの使いで参りました。公孫水牙と申します」
「……おたく一人か。化け物退治も大事だが、洪水の被害も馬鹿にはならん。植林も全部おだぶつだ」
「その両方を救うために来たのです」
「ははん、おたく一人で暴れる川の流れを変えられるとでも言うですか」
村長は少し馬鹿にしたような表情を見せた。
「はい。現地に案内して頂けますか」
砂漠の低くなった部分は涸れ川だったのだろうが、今はごうごうと水がのたうっていた。
「あの涸れ川の周辺に植林をしておったのです。ところが塔に天罰が当たったせいで、西から大量の水が流れ込んで、一時は村中水びたしになりました。今はこの濁流をどうするかが最大の問題です」
村長は疲れた声で説明をした。
「天罰、ですか?」
「ええ、うちらの願いを聞いた聖アダニアが創造主に頼んであれが起こった、だからこの洪水を恨んではいかん、というのが村の考えです」
「なるほど」
「おたくはあの瞬間を見とらんでしょ。うちの村の若いもんは見とったです。塔の周りを何人かの天使が飛び交って、一瞬にして光に包まれた、ありゃあ奇蹟だって言っとりました」
水牙は自分がその天使の一人だとは言えずに、曖昧に笑った。
「……では地脈を見ます」
水牙はすいすいと濁流の中に入っていき、しばらく川の流れを見つめた。川の数か所を調べてから村長の下に戻った。
「やあ、びっくりした。何であの激しい流れに入っていけるですか?」と村長は驚いて尋ねた。
「ああ……大した事ではありません。さて、流れを変えましょう。南の方に流しますが、それでよろしいですか?」
「そんなのできるですか?そうなりゃ南の砂漠に水が入って助かります……けど南には例の化け物がいますよ」
「両方、片付けます」
水牙と村長は村の若い衆と一緒に西の水源に向かった。ネコンロ山の硬い岩盤が崩れて水があちらこちらから漏れていた。洪水は岩盤が崩れた時に起こったのだろう。今は大きな岩が穴を塞いでいるため、洪水は収まっているが、穴を塞ぐ石が破壊されれば、再び洪水が村を襲うのは明白だった。
「村長、水を集めますから方角を指示して下さい」
水牙が声をかけると、村長が恋人を見つけた娘のように飛んできた。最初の馬鹿にしたような態度が嘘のようだった。
「まずはこっちに流して頂けますか」
「わかりました」
水牙が「水流」と唱えると水が水牙の方に流れを変えた。
「このまま進みますよ」
水牙と村長たちは流れを誘導しながら南に移動した。
「しっかし、すごいもんだあ。おたく、いや、水牙様は神様だ」
「某は水をコントロールできるだけです」
「マザーの寄越した方はやっぱりどっか違うなあとは思ってたですよ……あ、その砂山をこっちに回って、そうです、そうです」
「村長、最後は水源を塞ぐ石を破壊しますからそのおつもりで。このへん一帯水びたしになりますよ」
「だったら、それは若いもんにやらせましょう。おーい、発破を用意して岩に仕掛けとけや」
水牙たちは南へ南へと水を誘導した。
「このへんに池を作るというのはいかがでしょう?」
炎天下の中、水牙が涼しげな顔で尋ねた。
「もう、水牙様の言われる通りで。ここがオアシスになる訳ですね?」
「そうなります。植林はやり直しですが、この流れに沿って緑が蘇るはずですよ。さあ、戻って岩を破壊しましょう」
水牙が帰りかけたその時、視界の端に奇妙なものを捉えた。
二つほど向こうの砂山の上にいる、それは巨大なうさぎ、いやトビネズミにも見えた。発達した二本の歯が牙のように口からはみ出ていて、目はぎらぎらと光っていた。
「現れたようです。村長は水源に戻って発破をお願いします」
水牙は空から巨大な生き物に近づいた。生き物は水牙を見つけると、特徴的な大きい前歯を上下に動かしながら言った。
「何だよー。せっかくいい場所見つけたのに。お前か、水を引き込もうとしてんのは」
「いかにも」
「お前もルンビアのくそ野郎みたいにおいらを追い出すつもりか?」
「……ルンビア?聖ルンビアか」
「あんなの聖人じゃねえよぉ」
「お前もマンスールに呼び出されたレプリカの邪神か」
「レプリカだか何だか知らねえけど、ここは《虚栄の星》じゃねえのかよ」
「違うな」
「がーん……まあ、いいや。ここは気に入ったんでソーンビィ様の住処だ。水なんか引き込むんじゃねえよー」
ソーンビィと名乗った巨大トビウサギは後脚の強烈な跳躍力で襲いかかった。水牙がくるりと回転してこれを避け、地上に降り立つと、空中で方向を変えたソーンビィの蹴りが飛んだ。水牙はこれもするっとかわして、再び空中に浮かんだ。
そんなやり取りを何度か繰り返しているとソーンビィが叫んだ。
「こらー。逃げてばっかりじゃ勝負にならないぞ」
「好きに言うがいい」
「ならこれだもんね」
ソーンビィが地上に降りて前足で砂をすくい取ると、小さな砂の竜巻が湧き上がりみるみる内に十メートルほどの高さになった。ソーンビィは次々に砂をすくいとって計五本の竜巻を生み出した。
水牙は向かってくる五本の竜巻のうち最初の二本を斬り捨てたが、相手は砂、崩れたかと思うと、すぐに元の形に戻った。いつの間にか前後から挟み撃ちされる形になった水牙が仕方なく空中に逃れると、ソーンビィの強烈な蹴りが飛んできた。
水牙は徐々に追い込まれたが一向に反撃する素振りを見せなかった。
「なぁんだ、期待はずれだな。もっとやるかと思ってたのに」
ソーンビィは拍子抜けしたような声を上げた。
「じゃあ、とどめ刺しちゃおうかな」
五本の竜巻に逃げ道を阻まれた水牙の足元の砂がぐっと盛り上がり、砂柱がにょきにょきと伸びた。水牙がこれを避けると、また別の足場から砂柱が飛び出した。
水牙は牢屋の鉄格子のような砂柱に取り囲まれた。上空にはソーンビィが待ち構えていた。
「さあ、こっちに来るか、それともおいらから――」とソーンビィが言いかけた時、遠くから何かが近付く低い音が聞こえた。
「間に合ったな」
北の方角を見やると、低い音はますます大きくなり、やがてそれが大きな水の流れだとわかった。水は暴れ牛のようにまっすぐにこちらに向かってきた。
「てめえ、やりやがったな。もう許さねえぞ」とソーンビィが叫んだが、その目の前には水牙が浮かんでいた。
「いくぞ、冷気!」
水牙の『凍土の怒り』がソーンビィの後脚を打ち、下半身があっという間に凍りついた。
「ふぎゃん!」
ソーンビィは情けない声を出して地上に墜落した。
「砂漠だと水分が足りないので、水が引き込まれるのを待っていた」
水牙は剣をソーンビィに向けた。
「待って、ちょっと待って。悪い事はしねえから見逃してくんねえかな?」とソーンビィが懇願した。
「……だめだ。ここはお前の生きる場所ではない」
水牙はためらいなく剣を振り下ろした。
凍りついたソーンビィを破壊してから水の引き込まれた池の様子を見ていると、村長と若い衆がおそるおそる近づいた。
「やあ、村長。怪物も退治したし、水も引けた。もう心配はないですよ」
「あややや」
村長は訳のわからない興奮状態に陥っていた。
「水牙様はやっぱり神様です。お願いがあるです。この場所に水牙様の名前をつけさせて下さい。そして神として奉らせて下さい」
「何をおっしゃるんですか。これは村長と村の方が為した偉業。私の名前をつけ、ましてや神などと……馬鹿げた話です」
「でも、でも」
「そうだ、村長。村長のお名前は何とおっしゃいますか?」
「……デファデファですが」
「でしたら、この新しい地をデファデファと呼ぶのがいい」
隠れ里の姫君
水牙が砂漠の村に出発してしばらくの後、リチャードとゼクトがマザーの下に戻った。二人とも挨拶もそこそこにコメッティーノと同じ病院に連れて行かれた。
その後、ホルクロフトとオサーリオがシェイに連れられて到着した。挨拶を済ませ、ドウェインが仮の作戦本部として押さえた近くの宿屋に移動した。
そこでは嬉しいサプライズが待っていた。どこかに姿を消していた二人の家族が忽然と現れたのだった。
「やれやれ、こういう忙しさは嬉しいけど、ちょっと疲れるね」とマザーはため息をついた。
離れからリンが姿を現した。
「又、あの夢を見るし、うるさくて寝てられないよ……あ、あれ、みんなは……っていうか、ここどこ?」
「ようやくお目覚めだね、坊や」
マザーがにこにこ笑いながら声をかけた。
「あ、あの、誰ですか?」
「マザーだよ。お茶でも飲むかい?」
「うん、ありがとう……マザー?どっかで聞いた名前だなあ」
リンはカップをもてあそびながら言った。
「ミミィはどうしたんだい?」
「あ、それなんだけど、気がついたらミミィが隣で寝てたんだ。びっくりだよ。リチャードたちには内緒にしといてね」
「わかったよ。さて、あんたとは色々話す事があるんだよ。具合はもういいかい?」
「平気だよ。ぼーっとしてるのはいつもだし」
「さてと、まずは何から話そうかねえ。あんた、マックスウェルに会ったろ?」
「……あれは夢じゃなかったんだ。誰かに頼まれたって言ってたけど、もしかしてマザーだったの?」
「どうでもいいよ。あんたがここに無事でこうしている、それだけで十分さ」
「はい」
「あんた、『クロニクル』は読んだかい?」
「アレクサンダー先生に同じ事聞かれたけど、まだ読んでないです」
「そうかい。『クロニクル』は銀河の歴史。簡単に説明するから聞いておきな」
「アレクサンダー先生に聞いた始めの部分は覚えてる。《古の世界》で『空を翔る者』、『水に棲む者』、『地に潜る者』が争っていて『持たざる者』は奴隷だった。で、聖サフィが弟子たちと立ち上がって持たざる者がこの銀河の中心となりました。で……あれ?」
「その後はね、各地に散らばった持たざる者の中から混沌の四王と呼ばれる王たちが現れたけれど、銀河を統一するには至らなかったのさ。そして、デルギウス――」
「リチャードのご先祖?」
「そうさ、デルギウスが七聖とともに『銀河の叡智』を実現する。叡智っていうのはね、《七聖の座》の七つの惑星が直列に並んだ時に起こる奇蹟なんだよ。それによって文明は発達したのさ。例えばダークエナジー動力、ポータバインド、ポリオーラル、全部、叡智の賜物だわね。あんた、《七聖の座》には立ち寄ったかい?」
「ううん」
「『パックス・ギャラクシア』と呼ばれる平和な時代はいつまでも続かなかった。《七聖の座》の恒星は熱を失い、今ではあそこは氷の惑星さ。そして『ウォール』や『マグネティカ』っていう壁ができて、銀河の上半分と下半分は分離された。例えば下半分の《享楽の星》に行こうと思えば、ものすごい遠回りをして行かなくちゃならない」
「……よく聞く名前だね」
「《享楽の星》はひとまず置いとこうか。さらに事件は続くのさ。あんたが再生させた《賢者の星》は愚かな戦で滅び、この星でも宗教対立の混乱からマンスールが台頭して、そんな中、大帝が支配者になった。大帝は帝国設立を宣言して他の星を攻め、腐敗した連邦はトリチェリ議長を追放してしまう」
「コメッティーノのお父さんだね」
「そんな連邦に嫌気が差したアレクサンダーが王国を建てたって所まではいいかい?」
「う、うん」
「ここから先は、あんたも当事者の一人だから、説明しなくてもわかるね?」
「うん、そうすると当面やるべきは――」
「まずはマンスールを打倒する。おそらくシニスターだからね」
「さっきの話で、マンスールがこの星で台頭したけど、大帝が支配者になった、って言ったでしょ。一体何があったの?」
「推測でしかないけどね。マンスールはある人物の先兵でしかないんだよ。大帝とその黒幕の間で取引があったんだろうね。それで大帝が星を支配したけれどもマンスールに譲った、そんな所だね」
「ある人物って誰なの。そいつが一番ワル?」
「《享楽の星》の王、ドノスさ」
「うーん、ちょっと待ってよ。そうするとさ、マンスールを倒す、大帝を倒す、そしてその何とか王を倒す、いつまで戦い続けなきゃいけないの。だって《享楽の星》には簡単に行けないんでしょ?」
「あたしがちょいと先走っちまったね。ごめんよ。ドノスは考えなくていいよ。今は戦う相手じゃない。マンスールを倒して、帝国を倒して、とりあえずそこまでじゃないかね。そうなれば、銀河の上半分を連邦が統一できるんだから」
「えっ、下半分はいいの――それにさあ、連邦って、結局は持たざる者のためのものであって、空を翔る者の事なんか考えてない、ってパパーヌが怒ってたよ」
「わかってないようでわかってるじゃないかい。そうなんだよ。銀河の本当の統一を成し遂げる、つまり、銀河覇王になった者はまだいないのさ。銀河が広いせいもあるし、そういった種族の問題を抱えてるせいもある。だからデルギウスは限られた範囲で持たざる者のための連邦しか興せなかったんだ」
「ふーん、わかったような、わからないような」
「まとめるとこうさ。銀河の叡智が終わってから混乱が訪れ、そこに登場した大帝はリチャードに叡智を再現させようと目論んだ。ところがそのリチャードはあんたに会って心変わりをした。つまりは?」
「?」
「にぶいねえ。あんたが戦いのキャスティングボードを握ってるって意味だよ。まあ、あんたが起こした数々の所業を見れば頷けるけどね。あんたを敵には回したくない、きっと、マンスールもそう考えてるよ」
「うーん。わかったけどさ、戦う理由は何かな?やっぱり、シニスターを取り除けば叡智が再現されるからって事?マンスールはともかく、アレクサンダー先生は悪い人には見えなかったよ。それでも戦うの?」
「あんたが寝てる間に聞いたのさ。コメッティーノは叡智を再現したいみたいだったね。リチャードとゼクトはもっと個人的な理由で戦っているようだし、水牙は弟の分まで生きなきゃいけないっていう気持ちだろうねえ」
「えっ……雷牙がどうかしたの?」
突然、リンは呆けたような表情になった。
「ああ、あんたは知らなかったんだね。後で墓参りしておきなよ」
「水牙は……そうだ、皆はどこにいるの?」
「コメッティーノ、リチャード、ゼクトは今頃、病院でおねんねさ。水牙はさっき東の砂漠の村に出かけたよ」
「大丈夫なの?」
「水牙かい。どうにか吹っ切れたみたいだよ。弟を死なせた事実は消えないし、それを一生抱えながら弟の分まで生きていくんだろうね」
「……あれ、あれ、何だろう」
リンの目から涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「気持ちはわかるよ。あんたは元々、戦うのが好きじゃない。戦うための訓練も受けてない。それなのにわずかの間に大きな時代の渦に巻き込まれて、しかもその中心にいるんだ。不安定な気持ちにもなるよ――でもね、戦う事、それがあんたの運命だ。無理でも受け入れなくちゃいけないよ。その先にあるものを見るのがあんたの使命なんだ」
マザーはリンが落ち着くのを待って言葉を切り出した。
「起きたばかりで悪いけど、行ってもらいたい場所があるんだよ。『隠れ里』っていう地図にも載らない小さな集落なんだけど、異変が発生したらしいのさ」
「わかった。行ってくる」
「ああ、ちょいお待ち」
マザーは外に出ようとしたリンを呼び止め、ドウェインを呼びつけた。
「今朝、顔を出したJBって坊やはそこにいるかい。こっちに来るように言っておくれよ」
すぐにJBが現れた。
「何ですか?将軍たちは来るし、家族も来るしで一番下っ端のおれは大忙しなんすよ」
「あんた、凄腕のパイロットだろ。この子を隠れ里まで送ってくれないかい?」
「え、そりゃあ無理ですよ。隠れてるから隠れ里なんすから」
「近くまででいいよ。大体の見当はつくだろ」
「まあね」
「じゃあ、頼むよ」
「あんたがリンかい。おれはJBってんだ。よろしくな」
JBは握手を求め、リンは差し出された手を固く握った。
「よろしく」
「おれはシップを取ってくるから五分後に広場で集合。じゃあな」
JBは外に出ていった。
「行っといで。あんたを待つ人のために」
「ねえ、マザー。マザーは誰なの?」
「おやおや、あたしはもう長いことマザーだねえ。あんたの母親と思ってもらえばいいよ」
「……じゃあ、行ってきます。マザー」
「ところであんた、夢の事を言ってたね」
「うん、子供の頃からよく見る夢だけど、最近しょっちゅう中身が変わるんだ。自転車の後ろに乗っている人が毎回違うんだよ――こんな事言ってもわからないよね」
「今回はどうだったんだい?」
「それがね、後ろに二人乗ってるんだ」
「へえ」
「この星の多くの奴は、あのばあさんを大好きだ」とシップの操縦席のJBが言った。「そして、ほとんどの奴はマンスールが大っきらいさ」
「僕もマンスールは大嫌いだよ」
「だよな。しかし、リンっていうのはどんな戦士なのかと思ってたら、まだ少年じゃないか?お前、ちゃんと飯食ってんのか」
「うん、大丈夫だよ」
「よし、この戦いが一段落したらヌエヴァポルトに来いよ。うまいもん食わしてやるから」
「本当?」
「本当だ――さて、この辺りでいいかな。隠れ里を見つけられるかどうかはお前次第だ。幸運を祈るぜ」
降り立ったのは杉並木の街道だった。驚いた事に道は砂利道でシップや人の通行はほとんどなかった。
リンは歩きながら考えた。隠れ里という事は人目から隠してる人間がいて、そいつが町全体の気配を消している、だから自然があれば見つけられるはずだった。
案の定、少し歩くと隠された小道を見つけた。そこを進むと大きな木戸があり、二人の見張りがいた。江戸時代の奴のような衣装を身につけていた。
見張りの一人がリンを見つけて、もう一人に声をかけた。
「おい、久々に迷い込んだ奴がいるぞ」
男は自分の姿が見えていないと思っているようだった。
「この大変な時に。まあいいさ。いつものように驚かしてやろうぜ。そうすりゃ逃げてくさ」
「ここが隠れ里?」
突然声をかけられ、男の一人が飛び上がった。
「お、おい。こいつ」
「ああ、我らが見えてるらしい」ともう一人の男が言ってから、こほんと咳をして尋ねた。「なあ、お主。我らが見えるのか?」
「うん、だって完全には気配を消しきれてないから。気配を消すっていうのはこうだよ」
リンが自然を発動させると男たちは腰を抜かした。
「あわわわ」
「でも、この町の気配を消している人はすごい人だね。その人に会わせてよ」
リンは自然を解いて言った。
「はい、どうぞこちらに」
男たちは必要以上に平身低頭していた。
木戸をくぐると、そこは時代劇のセットのような町並みだった。江戸時代にタイムスリップしたような家々が連なり、道の一番奥に立派な屋敷が控えていた。
子供たちが外に出て珍しそうにリンを見ていた。リンは少し恥ずかしくなり、歩くスピードを上げると、子供たちから歓声が上がった。
屋敷の一室に通された。予想していた通り、畳敷きの和室だった。主の座る部分が一段高くなっていて、脇息と紫の房のついた座布団が置いてあった。リンは下座に敷かれた朱色の房のついた座布団を裏返して座って、主の到着を待った
一人の老人が音もなく部屋に入ってきた。男は渋い浅黄色の着物を着て時代劇俳優にしか見えなかった。
男は主の席には座らずにリンの脇に来て口を開いた。
「お主がマザーの使いで来た者か。名は何と申す」
「文月リン」
「わしの名前は萬(よろず)。この里の目付をしておる。あいにく御館様は手が離せなくてな。もうしばらくここで待たれよ」
「何言ってるの。おじさんと一緒に入ってきて、そこに座ってるじゃない」と言って主の席を指差した。
「ほほほ、見事。わらわの姿を見切るとは……のお、萬。やはり見張りが怠けておった訳ではなさそうじゃ。リン殿には生半可な技では通用しないという事じゃ」
当主が姿を現した。赤い甲冑を身につけた黒髪のきりりとした瞳の若い女性だった。
「ご無礼お許し下され。わらわは隠れ里の当主、葵と申す若輩者。訳あってこのようないでたちで失礼つかまつる――ところで、リン殿の腕前はいかほどか?」
「いかほどって自然の事?」
そう言ってからリンはその場で気配を消した。
「おお、まさしく『自然』の術。この里にここまでの手練はおらん。まことに素晴らしい」
萬が興奮した口調で言った。
「えっ、でもさあ」とリンは自然を解いて言った。「町全体の気配を消す方がもっとすごいよね?」
「それはこの建物の奥の結界堂で術の力を増幅しているゆえ可能な所業。生身の技では到底こうはいきませぬ」
「ところでリン様」と葵が急に可愛らしい声を出した。「わらわたちの先祖は《起源の星》、起源武王に仕えし『草の者』の末裔。武王敗れし後の迫害を逃れ、この星に来て今に至っておる。『草』の技は門外不出の隠密技、中でも自然は最大奥義。代々当主の中でも極めた者はいないというに、どこで会得されたのじゃ?」
「《青の星》だよ。僕は最近までそこから一歩も出た事がなかったんで、それ以外にないんだけどね」
「……のお、萬。その星に赴いた先達がおったかの?」
「さて、《青の星》と言えばここからはるか遠く。《花の星》のさらに向こうと聞いております。そのような遠地に行った者の話は聞いた試しがございませんな」
「もう、そんな話はどうでもいいよ。それより頼み事があるんでしょ?」
リンはじれったそうに言った。
「そうはいかぬ」と葵が口をとがらせて言った。「わらわの……婿君になる方の事を知りたい、それのどこがいかんのじゃ」
「えーっ、だって何分か前に会ったばっかりで、それはおかしいって――ねえ、おじさん。おじさんからも言ってよ」
「おじさんではなく萬じゃ。御館様、確かにリン殿の申される通り、あまりにも性急すぎますぞ」
萬はそう言った後、聞こえないくらいの小さな声で「これだから最近の若い娘は」と付け加えた。
「萬、何か申したか」と葵が言った。「だが確かにそうじゃな。用件を片付けて頂き、婚礼の話はその後、ゆるりとしようではないか」
「御館様、ご賢明でございます。首尾よくリン殿が怪異を平定される、そのお手並みを拝見してからでも遅すぎる事はございませぬぞ」
「説明させて頂こう」
萬が居住まいを正して話を始めた。
「実は我ら『草』が各地に放った隠密の中でマンスールの下に放った者があった。名を莫(ばく)と言う。ところが逆に怪しげな術をかけられたようでな、ここに帰ってから物の怪になり果て、裏の山に立て篭もってしまったのじゃ。しかも武王から頂戴した家宝の『四王界百景図』を持ち去ったのじゃよ。交渉をしたが、交換条件に御館様との婚姻を要求してきおった。身分違いも甚だしい」
萬は一気にまくしたてた後に小さな声で「まったく乱れておる」と付け加えた。
「皆さん、術を使えるんだから、自分たちで解決すればいいんじゃないの?」
「リン殿、勘違いなさっては困りますぞ。我らはあくまでも隠密が主たる務め、例えばマザーの身辺警護やホルクロフト将軍やオサーリオ将軍のご家族の逃走の手助けなどが我らの専門。あのような物の怪と正面から渡り合えるだけの力を持つ者などおりません」
萬はけろっとした顔で答えた。
「リン様。わらわは『草』の世界に新しい風を入れたいのじゃ。リン様があの物の怪を倒すほどの豪傑となれば、萬や他の目付たちもわらわたちの婚姻に首を横に振るはずがない。わらわたちの婚姻のためにがんばって下され」
「……色々言いたいけど、わかりました。じゃあ、ちょっと行ってきます」
屋敷を出て外を見回すと、裏手にそう高くない山があった。
「あれが我らの霊山」と萬が言った。「あんな所に物の怪に居座られるとそれだけで困るのです。リン殿、頼みましたぞ。首尾良く事が運んだ暁には御館様との婚姻の件、この萬にお任せ下され」
「だから……もういいや。行ってくるね」
リンが山に分け入ると、早速、声が聞こえた。
「誰だ、勝手に山に入ってくる奴は?」
「君を退治しに来たんだ。早いところ済ませようよ。出ておいでよ」
「面白い奴だな」
声の主が姿を現した。鉄のような毛を逆立たせた大きな鼠のようだった。
「拙者の名はテッソ、《青の星》を恐怖に陥れた至高の神なるぞ」
「えっ、僕はその星の生まれだけど、君の名前は聞いた事ないなあ」
「な、何と……それはまことか。くそ、マンスールめ。《青の星》の知識など碌にないくせに知ったかぶりをしおって。では、拙者は誰だ?」
「まあまあ」
リンはみるみる元気がなくなった目の前のテッソが気の毒になった。
「テッソって鉄の鼠って書くんでしょ。きっと日本だよなあ……沙耶香に調べてもらおうかな。でもヴィジョン禁止って言われてたし……もういいか、一回くらい」
ヴィジョンで沙耶香を呼び出した。
「あ、沙耶香。今、大丈夫?……え、ヴィジョン使って平気なのかって。うーん、本当はだめだけど緊急事態なんだ……そうそう、お花見はどうだった?……へえ、ジュネがねえ……うん、来年は僕も参加するから」
リンはテッソの咳払いに気づいて慌てて本題に入った。
「ごめん、ごめん……あ、何でもないよ。心配しないで。実はね、調べてほしい事があるんだ。父さんから『広辞苑』でも『百科事典』でもいいから借りて、『テッソ、鉄の鼠』って調べてほしいんだ」
リンはヴィジョンをホールドにしてテッソに話しかけた。
「今、調べてもらってるからね」
「お前……いい奴だな」
「――あ、わかったみたいだよ……ふーん、平安時代の……頼豪っていうお坊さん……三井寺、延暦寺……石の体と鉄の牙……えーっ、八万四千匹……以上だね。ありがとう。また、しばらく連絡できないけど皆によろしくね。じゃあ」
「おい、わかったか」
ヴィジョンを終えると、テッソが意気込んで尋ねた。
「うん、平安時代の頼豪っていうお坊さんが恨みを持ったまま亡くなって鉄鼠になったんだって」
「……神ではないのか」
「うん、多分。範疇としては妖怪かなあ。でも延暦寺には社があってそこに奉られているらしいから、きっと神様だよ。日本では祟りをなす者は神様になってもらって怒りを鎮めたんだよ」
「うーん、よくわからんが……拙者は神でいいのだな。で、拙者の力は?」
「いや、それはちょっと。今の君の力ってどんなもの?」
「とりあえず体が硬いという事かな。『草の者』の攻撃くらいではびくともしないぞ」
「うん、それそれ。それでいいんじゃない」
「お前、隠してるな。本当はもっと凄い力があるのだろう」
「いや、特にないよ」
「嘘だ、嘘だあ!」
テッソは突然、襲いかかった。
「止めときなよ」
攻撃を避けて『鎮山の剣』を抜くとテッソの顔色が変わった。
「お前、その剣は。おのれ、空海。こんな所にまで……わあ、勘弁してくれー」
テッソは叫び声とともに消え失せた。
「早とちりだなあ。この剣は《愚者の星》の王様にもらったんだから見た事あるはずないのに。でも、いいや。気配も消えたし、これで完了だ」
リンは鼻歌交じりで山を降りた。
山を降りると萬が心配して待っていた。
「おお、リン殿。どうでした?」
「消滅したと思うよ。家宝の何とかは取り返してないけど、皆で探してよ」
「早速、御館様にご報告を」
「ええ、もういいよ。このまま帰るから」
「何をおっしゃいますか。ここからが大事ですぞ」
萬はリンを無理矢理屋敷に引きずっていった。
屋敷で茶菓子をご馳走になっていると、家宝が見つかったとの連絡が届いた。
「リン様」
甲冑を脱いで重ねを身にまとった葵が現れた。
「やはり、わらわが見込んだお方じゃ。よくぞ家宝を取り戻して下さいました」
「いや、何もしてないけど」
「『草』では歯が立たなかった物の怪を退治されたというのに何という奥ゆかしさ。ますます気に入りました。萬、ただちに他の目付けたちにも連絡を」
「御館様、この萬、だてに長くは生きておりません。リン殿に初めてお会いした時からこの方ならと思い、すでに他の目付けの承認をもらっております。ほれ、こちらが荘(しょう)、こちらが蔵(ぞう)の証文になります」
「上出来じゃ、萬。これで婚姻の準備は……ああ、そうじゃ。リン様はこの星に後見人の方がおられますか?」
「ふふふ」
リンはもしかすると婚姻を免れる事ができるのではという期待感から思わず微笑んだ。
「僕は、《青の星》から来たばかりなんで、後見人なんているはず――」
「そうじゃ、そうじゃ。マザーにお願いすればよいではないか。のお、萬」
「さすがです、御館様。マザーは『草の者』の庇護者。新しい時代の門出にこれ以上の人選はございません」
「であろう。そうと決まれば出立じゃ。リン様、ご一緒にマザーの下に参りましょう」
「ちょっと、ちょっと待ってよ」
リンは思わず大声を出した。旅の準備を始めようと立ち上がった葵と萬はぴたりと動きを止めた。
「僕の気持ちはどうでもいいの。何か違うよね」
「リン様」
葵はうなだれ、顔を上げると涙を目一杯に浮かべていた。
「葵がお嫌いか?」
「……いや、そういう事ではなくって」
リンは葵に見つめられ、しどろもどろになった。
「嫌いではないのじゃな。では決まりじゃ。さあ、急いで出かけるぞ」
葵と萬は再び忙しく動き始めた。
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