目次
1 マザー
伝説の聖母
リチャードたちは塔が存在していた地点に漂っていた。そこにコメッティーノが泣きそうな顔をして戻ってきた。
「ちきしょう、ちきしょう。あと少しって所でリンが消えちまった」
コメッティーノは自分の頭を何回も叩いた。
「自分を責めるな。前の時も思わぬ場所で見つかった。今回もそうであると願おう」
リチャードはまるで自分に言い聞かせるように言った。
「ところで地上にいたGMMは無事だったか?」とゼクトが言った。
「うむ、足が悪いからな。心配だ」と水牙が言った。
GMMが休憩していた付近でゼクトが何かを発見した。
「地面にメモが残っているぞ。何……『至急ホーリィプレイスに来られたし GMM』」
「ホーリィプレイスに戻ってクラウド・シップを使うか、或いは青龍に頼めばリンを見つけられるかもしれないな」
リチャードが何気なく発した言葉に水牙の表情が曇った。
「……その事だが」と水牙が口を開いた。「クラウド・シップはもうない。実は――」
水牙の話が終わり、沈黙が訪れた。
「それなら、尚の事、ホーリィプレイスに行かなきゃな。雷牙に挨拶しておかねえと」
コメッティーノが沈黙を破り、リチャードもゼクトも頷いた。
「ありがとう。雷牙も喜ぶ」
水牙の声は震えていた。
「急ごうぜ。早くリンを見つけねえといけねえし」
リチャードたちがホーリィプレイスのナーマッドラグ地区の広場に到着するとGMMが待っていた。
「よぉ、GMM。無事だったか」
コメッティーノが真っ先に声をかけた。
「ご苦労さん、やっぱりお前さんたちはすごいな。難攻不落の『錬金塔』を落としちまうんだから」
「落とすどころの騒ぎではなかった」とリチャードがぽつりと言った。
「まあ、心配するな」
GMMは事情を察して声のトーンを落とした。
「色々あるのはわかるが、まずはある人に会ってもらう。一緒に来てくれ」
リチャードたちはGMMに連れられて、ナーマッドラグの奥の一軒のあばら家に着いた。家の中からはかすかに音楽が漏れてきた。
「そんな所に突っ立ってないで、早くお入りよ」
GMMが何かを言う前に、家の中からしわがれた女性の声がした。
門の中には小さな芝生の庭があり、庭の奥には木製のテラス、テラスの椅子にはシェイ将軍が腰掛けていた。音楽は奥の部屋から響いていたようだが、今は止んでいた。
ミミィが車椅子を押して現れた。椅子の上には褐色の肌をした太った老婦人が座っていた。
「よく来たね、息子たち。マザー・アバーグロンビーだよ。あんたたちが何者かはよく知ってる」
「……伝説のマザーかい?生きてたんだな」
「銀河連邦議長コメッティーノだね」
「やはりこの地区にいらっしゃったのですか?」
「《武の星》の公孫水牙。弟の件は気の毒だったね。助けてやりたかったけど、あたしもさっきここに戻ったばかりなんだよ」
「マザー、急いで助けなければならない人間がいるのです」
「《鉄の星》、七聖デルギウスの末裔、リチャード。大丈夫だよ。あの子はもうすぐここに戻るよ。あいつが約束を守ればの話だけどね――
救出の条件
リンは自分の肉体がすでに滅び、意識だけの存在になったのを感じていた。
(ここはどこだ。どこに向かうんだろう)
意識は一点を目指して流れているようだったが、突然何かがその流れをせき止めた。
「リン。間に合ったようだな」
(その声は……マックスウェル大公?)
「覚えていてもらえて光栄だ。さて、君の意識はある場所に向かって流れている。どこに流れ着くかはわかるかな?」
(うーん、よくわからない。でもとっても穏やかな気持ちだよ)
「行き着く先は『死者の国』だ。人によってはそれを『天国』や『地獄』と呼ぶ、あらゆる意識が集まり、次の誕生に備える場所だ」
(……僕は死んだの?)
「君の肉体は自ら放った天然拳の威力に耐え切れずに消滅した。それを『死ぬ』と定義するのであれば、そういう事だな。君はこれまでにも幾度か蘇りを経験しているようだが、今回は勝手が違う。器たる肉体がなくなったのだ」
(残念だなあ。せっかく色々な人と知り合って、色々な事をやろうとしてた途中だったのに)
「ところが残念がってもいられない。私がここでこうしている理由は、頼まれて君を再び元の世界に戻すためなのだ」
(……え?)
「今の君は何もわかっていない。何故、そのような力を持っているのか、その力を使って何をするべきなのか――復活したならば考えるがよい。旅が終わる頃には自らの存在の意味に気付くだろう」
(……)
「理解できないか。まあよい。それよりも問題は私の立場だ。異世界の大公たる私は『完全なる傍観者』の立場を貫いてきた。まあ、時には忠告をした事もあったが。ところが今回は人助けという直接に干渉しなければならない羽目になってね。非常に忸怩たる思いなのだよ」
(……)
「そこで君を助ける代わりに、ある交換条件を飲んでもらいたい――
身を隠した理由
「なあ、マザー。何で隠れてたんだよ?」とコメッティーノが尋ねた。
「あんたらが知ってるかどうか、この星は巨大な宗教コミュニティなんだ。代々のアダニア派の枢機卿とあたしで物事は決めてきた。大帝だってこの星を制圧したけど、そこは尊重してくれたよ。プララトスはアダニアの弟子だから両者の争いなんて起こらないんだよ。ところがある奴らの企みで争いが起こっちまった。で、色々あって、ほとぼりが冷めるまで身を隠す事になった次第さね」
「まだほとぼりは冷めてねえんじゃねえか。マンスールは生きてるぜ」
「あんな小者なんぞ気にするもんかい。それにしてもあのネコンロの塔を消すとは荒っぽい。企みをした奴らは大喜びだろうねえ」
ドウェインが息を切らして対面の場に駆け込んできた。
「はあ、はあ、マザー。広場に、広場に……今、若い者が運んできます」
「ご苦労だったね。どうやら約束を守ったようだ。借りを作っちまったかねえ」
「マザー、もしや」
リチャードが雰囲気を察して尋ねると、マザーはゆっくりと頷いた。
「皆さん、喜んで下さい」とドウェインが口を開いた。「あ、申し遅れました。私はドウェインです。皆さんがお探しのリンさんが発見されました」
「どこにいたんだ?」
コメッティーノが尋ねた。あの時、目の前でかき消すようにいなくなったリンが、どのような状態で発見されたかを知るのは怖いような気がした。
「すぐそこの広場の噴水の脇です……ただ仮死状態というか、呼吸をしてないので」
「ミミィ」とマザーが車椅子の背後のミミィに声をかけた。「あんたの出番だよ。離れを貸すから、リンが戻ってきたら付きっきりで世話するんだよ。さっき話をした『秘術』を使えば、三日もありゃ元気になるよ」
リンが担ぎ込まれた。眠っているように穏やかな表情を見てマザーが呟いた。
「この子がリンかい。まだ坊やじゃないか」と言ってマザーはリチャードたちの方を向いた。「あんたたち、どう考えてるんだい。この子の力について」
「おれは……こいつとリチャードがいたから連邦の再興もできると思った。うまくいきゃあ『銀河の叡智』だって復活するんじゃねえかって考えてるよ」
「私は《鉄の星》の再興をリンに託した。実際に妹のサラをリンが蘇らせ、その願いは達成されようとしている」
「自分もいつの日か《戦の星》の争いをリンが止めてくれるのではないかと期待しています」
「某の思いは……リンはリンであればいい、ずっと良き仲間であり、良き友人でいたいだけです」
「なるほどねえ。リチャード、あんたが一番長い付き合いだろ。今までに何回こういう力を発揮してるんだい?」
「知っている限り、《青の星》で二回ほど、《再生の星》、サラの復活、そして今回でしょうか」
「……五回かい。あたしが感じた回数よりはちょっと少ないね――いいかい、あんたたち。リンがこういう馬鹿げた力を発揮できるのはあと数回だと思いな。これからは慎重に物事を運ぶんだよ」
「マザー。言ってる意味がわかんねえよ」
コメッティーノが不満そうに口をとがらせた。
「おや、コメッティーノ。万事に計画的なあんたらしくもないねえ。こう考えてごらんよ。あんたたち連邦が最終的に目指すのは『銀河の叡智』の再現。そのためにはまず何が必要だい?」
「そんなのわかるはずねえ――」
「シニスターの排除……ですか?」とリチャードが答えた。
「その通りだよ。《七聖の座》の恒星が活動を停止したからシニスターが降ったのか、シニスターが動き出したから恒星が熱を失ったのか、そんなのはどうでもいい事だけどね」
「すでにキングのシニスターはどこかに飛び去りましたが」
「まだ残ってる。まあ、あんたたちが無事に全部のシニスターを消し去ったと仮定しようか」
「そこからどうなりますか?」とゼクトが尋ねた。
「そっから先はあたしにもよくわかんないよ。シニスターがなくなれば、すぐに『銀河の叡智』が再現されるかっていうとそうでもなさそうさ。あんたたち、『ウォール』や『マグネティカ』は知ってるね?」
「はい。『ウォール』はこの《巨大な星》のすぐ近く、そこは銀河の果てと呼ばれ、それ以上は進めない、『マグネティカ』は銀河円盤の下方に広がる広大な磁力帯――」とリチャードが答えた。
「昔は『ウォール』も『マグネティカ』もそんなもんはなかったんだよ。だから《享楽の星》にだって簡単に行けた。今だと一旦《祈りの星》に向かって、そこから《大歓楽星団》を抜けてじゃないと行けないけどね」
「マザー、何言ってんだよ」
コメッティーノがじれったそうに言った。
「ごめんよ。年取ると取りとめなくなってねえ。あんたたちが相手にしてる銀河はこの円盤の上半分だけじゃないって事だよ。下半分にはそれこそ《戦の星》やら《享楽の星》やら色々あるんだよ」
「銀河の星々全てを平定しないと『銀河の叡智』の再現はないという意味ですか?」と水牙が尋ねた。
「だからわかんないよ、あたしにも。言いたいのはね、この坊やが何かあるたびに今回みたいな力を使っていたら、いつか大変な事態が起こるって事さ」
「マザーよぉ、おれたちゃどうすればいいんだよ」
「まずはマンスールを倒す。明らかなのはそれだけさ」
話が一段落するのを待ってドウェインがマザーに歩み寄った。
「ドウェイン、どうだったい?」
「はい、まずは西です。アトキンソンからの報告によれば特に異変は発生していないようです。被害状況ですが、ダーランの町と移民局は崩壊を免れましたが、ダグランドは甚大な被害だそうです。次に東、こちらは帝国のJBが協力してくれました。被害状況ですが『砂漠の村』が洪水に襲われたそうです。マンスールの呼び出した邪神については『遺跡の島』、ヌエヴァポルトでの目撃情報が入っています。後は北西、こちらは王先生たちが対策を立てると申しております」
「何、ヌエヴァポルトで何があった?」
GMMが掴みかかりそうな勢いでドウェインに迫った。
「落ち着きなよ」
マザーがやんわりと言った。
「被害に遭った町の復興はドウェインやアトキンソンに任せるとして、問題は自暴自棄になったマンスールの刺客だねえ」
「私が行きましょう」
テラスの椅子で作業をしていたシェイが立ち上がった。
「リチャードたちは疲れている」
「いや、あんたにはここにいてもらって、これから来るホルクロフトやオサーリオと一緒に治安を守ってもらいたいんだよ――悪いけど、あんたたち、行ってくれないかい?」
「お安いご用だ。じゃあ、おれはGMMを送りがてらヌエヴァポルトに向かう」とコメッティーノが言った。
「では私とゼクトで『遺跡の島』に行こう」とリチャードも即答した。
「ありがとうよ。水牙は……まずは休息しな」
「……はい」
「よろしく頼むよ」
非道
マザーが奥の部屋に戻るのと入れ違いに一人の男が家に飛び込んできた。
男は刈り上げた金髪に無精ひげ、鋭い目つきをした武人のようだった。
「……バゴン、バゴン将軍ではないか。無事だったか?」と言って、シェイが男に駆け寄った。
「や、やあ、どうにかな」と言ってバゴンはそわそわと辺りを見回した。「マザーにお会いしたいんだが」
「会いたいって?そりゃいいが、一体どこに行っていたんだ?」
シェイが肩を抱こうとすると、バゴンはそれを振り払った。
「早く、いいから早く会わせてくれ」
バゴンの突然の大声に出発しようとしていたリチャードたちも思わず立ち止まった。
「わかったよ。マザーなら奥の部屋にいらっしゃる。今呼んでくるから――」
「おい、シェイ」
いつの間にか、コメッティーノがシェイたちの傍に立っていた。
「こいつ、まずいぞ。操られてる」
「何だって」
慌てるシェイの脇をすり抜けて、バゴンはうなり声を上げながら奥へ突進しようとしたが、足がもつれてテラスの段差で転倒した。
「やばいと思ったんで、運動中枢のツボを押した」
コメッティーノがうつ伏せに倒れているバゴンに近づいた。
「どれ、操り糸も切ってやるよ」
首の後ろを静かに押すとバゴンはうめきながら立ち上がった。
「……ん、ここは……シェイ将軍ではないか」
「おお、バゴン。良かったな、元に戻ったようだ」
「……良くはない」
バゴンの顔色が真っ青に変わった。
「私に近づくんじゃない!」
バゴンは猛烈な勢いで外に走り去った。しばらくするとあっけに取られている一同の耳に大きな爆発音が聞こえた。
「な、何が起こったんだ」
シェイが外に走っていくとマザーの声が奥からした。
「気の毒に。自爆装置なんぞ付けられて。もうしばらくはこういう日が続くのかねえ」
シェイが悄然とした顔で戻ってくるとマザーが声をかけた。
「シェイや。あたしの警護はあんたに任せたよ」
『白亜宮』ではマンスールに訪問者があった。派手な髪飾りを付けた浅黒い肌の男だった。
「これはム・バレロ様。何用で?」
「長い間生きてきたが、なかなかお目にかかれぬ荘厳な光景を見る事ができた」
「それはリン文月の力を指しておられるのですか?」
「当然だ。大方、お前の造ったでくの坊たちがリンをいたずらに刺激したのだろう。あの塔もあの塔の内部にいた者も全て消滅したというから凄いではないか」
「……私の造った邪神では及ばなかったと?」
「リンだけではない。リチャードたちにもだ。マザーが再び姿を現したのもそういった心強い取り巻きができたからではないのか」
「――バゴンを送り込みましたが」
「浅はかな。所詮は子供騙し。そんな事で討ち取れると本気で考えているのか。邪神はあと何体だ?」
「七体ほど」
「そろそろ本気のものを造ってみたらどうだ。力を貸してやる。サディアヴィルの近くにそれは蘇る。準備は終わっているから後はお前次第だ」
「そ、それは」
「命運尽きようとしているお前に対する最後のはなむけだ。実務家がいなくなるのは残念だが、お前は所詮、その程度だったという事だ。ではさらば」
「ム・バレロ様――」