ジウランの日記 (6)

20XX.6.30 Oホテル

 Oホテルは初めてだった。ロビーが思ったより薄暗かった。老舗ホテルってこういうものだろうか。
 約束の時間より10分ほど遅れて、「ジウラン君?」と尋ねる人物がいた。資料の通りであればもう六十歳に手が届くはずなのに、黒々とした髪の毛をぴたりと後ろに撫で付け、精力的な感じの中年男性に見えた。
「いやあ、遅れてごめん。上に部屋を取ってるんだ。そこで話そうか」
 エレベータで移動する間に蒲田さんは仕事用に一部屋を長期契約しているのだと教えてくれた。
「だって家だとかみさんとか子供とかうるさいだろ?」と言って意味ありげにウインクした。

 エレベータを降りて、ふかふかの絨毯の上を歩いていると蒲田さんがぼそりと言った。
「あれえ、ジウラン君にはどこかで会っているような気がするなあ」
 確かにそうですね、あの時の刑事さんだったかなあ――
「ん、何を言っているんだい。よくわからないな」
 あ、すみません……

 
 部屋に入ってソファを勧められた。蒲田さんはライティングデスクに腰をかけ「コーヒーでいいかな」とルームサービスを頼んだ。
 コーヒーが届くまでの間にこの一月に起こった出来事をかいつまんで説明した。説明が一通り終わった頃、ちょうどコーヒーが届き、蒲田さんはコーヒーを飲みながら話し始めた。

「ジウラン君。非常に興味深い話だ。何しろおじい様の書いた『クロニクル』には僕も登場しているらしいからねえ。ただ残念な事に1983年にそういった事件に携わった記憶はないんだよ」
 やっぱり無駄足だったか、コーヒーを飲みながらそう考えていると蒲田さんが続けた。
「でもね、おじい様の言うように事実が書き換えられているとしたらどうだろう。何故こんな事を言うかといえばね――僕はしがない刑事だった。毎日靴をすり減らし、疲れ果てて家で寝る、その繰り返しの連続で何の夢も希望もなかった。でもある夜夢を見たんだ。その夢を見た後からだよ、自分のやるべき事、進路がくっきりと見えるようになったのは。そして今の僕、売れっ子犯罪評論家としての蒲田大吾がある――その夢を見たのは1983年の夏頃だった。内容は覚えてないが、起きてからも体の震えが止まらなかった。もしかしたら、僕にはほんの少しだけ、君の言う『事実の世界』の記憶が残っているんじゃないか。僕と同じような経験をした人が他にもいるんじゃないか。そう考えると君の話を全面的に否定する気にはならないんだ」
 どう行動すればいいんでしょうか――
「君は一番大事な事を忘れている。『クロニクル』の中では僕や西浦さんはいわば脇役だ。何故主役を探そうとしないんだい?主役に会えればすごい進展だ。もし会えなかったとしたらそこに何かあるはずなんだ。主役が出てこれない重大な理由がね。それを探すのが一番大事だと思うけどな」
 言われてみればそうだ、すごくすっきりしましたと答えた。
「それは良かったね。この話は僕もすごく興味がある。これからも頻繁に連絡を取ろう……と言っても僕の興味はどちらかと言えば、軽井沢で君を襲った組織や『クロニクル』に出てくる薮小路博士なんだ。どうも怪しい臭いがぷんぷんするよね。しかも過去に例を見ない大犯罪の臭いが。ははは、僕は犯罪評論家だけど椅子に座って理論を振り回すタイプじゃない、行動派なんだ。君と一緒にいれば楽しい冒険ができそうだ。よろしく頼むよ」

 蒲田さんがぼくに握手を求めた。
 本当ですか、本当に連絡しますよ――
「もちろんだよ。何か行動を起こす時には必ず僕に連絡してくれたまえ」
 心強い味方を得た、これからは一人じゃないんだ。そうだ、山坂さんだ、お元気ですかと尋ねた。
「ああ、山坂ね。あいつも今じゃ町の剣道場主だよ。でも何で?」
 山坂さんは「事実の世界」では1983年に死んでしまうのだと伝えた。
「……ふーん、一つ大きな疑問があるんだけど、君が『事実の世界』を取り戻すと、どういう風にこの世界が変化するんだろうね?取り戻した部分から徐々に変わるのか、ある時点で何もかも一気に変わるのか、そのどちらだろう。もし後者であれば君は山坂なんて気にする必要はない。だって皆が『事実の世界』に基づく記憶を共有するんだから……でも前者だったら……きっと『事実の世界』の記憶と今の記憶が混在する訳だから、ものすごく辛い思いをする人が現れるかもしれないね」
 そんなの確認しようがないですよ――
「そうだね。でも想像してごらん。君が沙耶香さんを甦らせたって確信してる件、あれは前者のパターンだね。さっき言ったみたいに主役に関する何かを取り戻したらきっとそれは後者のパターンなんじゃないかと思ってる。多分、両方をミックスした感じになるんじゃないかな?」
 蒲田さんはそれでいいんですか、まだ「クロニクル」を読んでいる途中だからわかりませんが、今のこの暮らしは保証されませんよ――
「あははは、そうだねえ。こだわりはないな。違う人生を送れるって楽しいじゃないか――待てよ、そういう事か。君のおじいさんのように『事実の世界』の記憶を持った人間が他にもいる。例えば君を襲った組織の上の人間、彼は『事実の世界』になれば何がどう変わるかを知っていると思われる節がある」
 考えた事もありませんでした――
「『事実の世界』ではぱっとしないけど今の世界ではすごく成功している人間が出てきたら要注意だ。僕もきっとその口だろうけど……『クロニクル』を読んだらその人間をピックアップしておかないといけないよ。何かまとめた資料はある?」
 慌てて徹夜でまとめた資料のUSBを手渡した。
「さて、忙しくなりそうだね。とりあえず僕も色々つてを当たってみるから」
 駅までの道、ぼくは嬉しくて仕方なかった。こんなに頼もしい味方に会えるとは思っていなかった。もう一人じゃないんだ。

 

登場人物:ジウランの日記

 

 
Name

Family Name
解説
Description
ジウランピアナ大学生。行方不明になった祖父のメッセージに従い、『クロニクル』という文書を読み進む
デズモンドピアナジウランの祖父
一年前から消息不明
能太郎ピアナジウランの父
ジウランが幼い頃に交通事故で死亡
定身中原文京区M町にある佐倉家の屋敷の執事
美夜神代ジウランをサポートする女性
都立H図書館に勤務
菜花名
(ナカナ)
立川ジウランのガールフレンド
西浦元警視庁勤務
美夜と関係があるらしい
大吾蒲田元警視庁勤務
現在は著名な犯罪評論家
シゲ
(二郎)
重森伊豆の老人ホームにひっそりと暮らす

 

 Story 3 火炎陣

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