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20XX.6.26 人形町
美夜から携帯に連絡があった。西浦さんとのアポが取れたらしい。午後8時半に人形町の駅で美夜と待ち合わせる約束だった。
人形町駅から少し歩いた目立たない場所にある小料理屋に向かった。店に入って小上がりに通されると西浦さんはすでに席に着いてビールを飲んでいた。
「やあ、早く着いたんで始めちゃった」と西浦さんは屈託なく笑った。赤ちゃんのようにぷりぷりの肌をした小柄の可愛らしい老人だった。
「いえ、わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
美夜が席に着き、お礼を述べた。
「こちらが電話でお話したジウラン・ピアナさんです」
「ああ、君がデズモンドのお孫さん?デズモンドは、そうか、また行方不明になっちゃったんだってねえ」とビールを勧めながら気の毒そうに言った。
乾杯もそこそこにまずはじいちゃんとの関係を尋ねた。
「最初に会ったのは警察辞めてから何年目になるかなあ。わたしが館長やってた……あれ、何て言ったかな、だめだねえ、年取ると忘れっぽくって。とにかくこの近所で会った訳よ」
また行方不明って事は以前にもいなくなったんですか、と尋ねた。
「だって、どっかの星でずっと遭難していて誰かに地球に連れてこられたんでしょ?」
西浦さんはじいちゃんが他所の星の人間だって思いますか――
「本人がそう言ってたからねえ。《オアシスの星》で生まれたって言ってたよ」
西浦さんも『事実の世界』の記憶があるんですか――
「何それ?……ああ、あれね。わたしはないけどうちのボスがよく言ってたなあ……あ、美夜ちゃん、だめなの?……いいじゃない、彼、信用できるよ」
ボスって事は美夜が言っていたのと同じ組織ですか、とたたみかけると美夜が「ジウラン、西浦さんが酔っ払う前に本題を切り出した方がいいんじゃない?」と話の腰を折った。
「金に困ったら西浦に頼め」、と書いてあるじいちゃんの手紙を見せた。
「ずいぶんと信頼されてるなあ。いいよ、いつでも連絡してよ。電話番号は後で美夜ちゃんに聞いてね」
西浦さんは心配顔の美夜をよそににこにこしていた。
その後は三人で麦焼酎を結構飲んだのでよく覚えていない。西浦さんもぼくも酔っ払って、肩を組んで歌を歌ったりしていたらしい。美夜はかなり酒が強いのか、あまり喋らず黙々と飲んでいた。
夜11時過ぎにお開きとなり、勘定は西浦さんが持った。西浦さんはぼくの手を握り何度も何度も「楽しかったよ」を連発してから、タクシーに乗り込んで夜の町に消えた。
残った美夜と顔を見合わせると美夜が口を開いた。
「言いたい事がある顔してる」
近所の公園まで酔い覚ましを兼ねて歩いた。公園のブランコに腰掛けながら美夜が「黙っていた事ね。そうよ、西浦さんは同じ組織のメンバーよ、ごめんなさい」と言った。
隣のブランコを揺らしながら、気にしないけど、そこまで信頼されていないのかなと答えた。
「信頼してないのとは……ちょっと違う。あなたは自分のやっている事にまだ確信がないせいで日々揺れ動いていて、その状態で様々な新しい事、特に組織に接触するのは危険だって……」
そりゃそうだよ、この茶番に巻き込まれてからまだ一月しか経ってない、君のようにずっと前から準備してきたのとは違うんだ――
「でも揺れ動いてるのはあたしも同じだった。おじい様の言う事が正しいのだと思っても、記憶は曖昧でどこにも行き着けないでいる」
君には信頼できる人がいるけど、ぼくには何もない、何を信じればいいんだ、そう言うと美夜がゆっくりとぼくを抱きしめた。
「そうだね、あなたの孤独をわかってなかったね。大丈夫。あなたは思ってるより、ずっとずっと強い人間のはずだから。そしてどんな事があってもあたしは味方だから」
美夜の肩に顔をうずめたまま思った。一ヶ月前には想像もしなかったこの出会い、こんな形ではなく出会えたなら……頭の中を色々な想いが駆け巡る。
肩越しの空には下弦の月が出ていた。