目次
2 ム・バレロ
靖男と奈津子
1983年11月15日、リンは数ヶ月ぶりに学校に行った。すでに休学届を出していたが、リンの事は教授会で話題になっていた。地球のために働いているのを評価するべきではないか、だがやはり特例は作らず、単位は認めないという結論になったらしかった。リンにとっては別にどうでもいい事だった。
リンが来た目的は友人の大地靖男、市邨奈津子と会うためだった。
「しかし文月、もったいないなあ。一緒に卒業できると思ったのに」
待ち合わせた学食で靖男がカレーのスプーンを振り回しながら言った。11月だというのにTシャツにジーンズにゴム草履というサーファーファッションでやせ我慢を貫いていた。
「しょうがないじゃない。リンは地球のために戦ってるんだから大学なんて二の次よ」
ガールフレンドの奈津子が靖男に言い返した。奈津子も真っ黒に日焼けしていたが、こちらはベースボールジャンパーにペインターパンツと多少まともな格好だった。
「なあ、文月、やっぱり連邦大学とか行っちゃうわけ?」
「うーん、わかんないな。そうだとしても、ずっと先だね」
「でもお前、《花の星》のジュネ皇女と付き合ってるんだろ。写真週刊誌に載ってたぞ」
「何、言ってるのよ、靖男。リンはこの前、みっちゃんが連れてきた沙耶香さんと付き合ってるんじゃない、ねえ」
「えー、お前、それ、宇宙を股にかけた二股だぞ。いいのか、そんなのいいのか。ばれたら大事だぞ」
「ジュネと沙耶香は友達だよ」
「あたしは沙耶香さんがいいわ。いかにも深窓の令嬢って雰囲気、憧れるわあ」
「おれはジュネ皇女だな。ショートカットの闘う美少女、バイト先にもファンが多いんだぜ」
「他人事だと思って気楽だね」
「まあ、おれたちの結婚式には三人一緒に出席してくれよ。じゃあ、おれはバイト行くんで、またな」
靖男はカレーの皿の乗ったトレーを下げてから学食を出ていった。
「いよいよ結婚かあ。色々と忙しいね」
学食からキャンパスに戻る途中でリンが奈津子に尋ねた。
「もう日取りとか決めたの?」
「靖男は気が早いのよ。卒業も就職もしてないんだし、まだずっと先よ。ただお父さんの了解を取ったから靖男はあんなにはしゃいでるの」
「奈津子の家、大変だもんね」
「うん、お父さん、ずっと前に物凄い青年に出会ったせいで誰が来てもその人と比べちゃうんだって。だからあたしは靖男みたいな堅気の人間と結婚して、跡目は他の人に継がせるんじゃない」
「ふーん」
キャンパスにある小さなベンチに座って話し込んでいると、いきなり空が暗くなった。目の前の地面が盛り上がり、そこから何かが這い出ようとしていた。盛り上がった土くれが人の頭になり、体になり、足に変わった。身の丈十メートルはある土の巨人がリンたちの前に立ちはだかった。
「きゃー、何、これ」
「奈津子、早く逃げて。きっと僕が狙いだから」
奈津子は校舎に向かって走り出した。土の巨人が岩弾を口から吐き散らすと一つの岩が奈津子の背中を直撃し、奈津子はゆっくりと倒れた。
「……何するんだ!」
リンは『鎮山の剣』を抜き、泥の巨人に向かった。
「天然拳!」
リンの剣から白い光が放たれたが、泥の巨人は天然拳を吸収した。
「くそ!」
なおもリンは天然拳を放ったが、泥の巨人には効かず、反対に岩弾の攻撃を避けるのに手一杯になった。
ただでさえ暗かった空にもくもくと黒雲が沸いたかと思うと猛烈な勢いで雨が降り出した。巨人は突然の雨にのたうち、体を包む土がどんどん流れ出して、ついに鈍い光を放つ骨の塊だけが空中に浮かんだ。
「あれが本体だ」
リンが天然拳を放つ寸前に空から「ヴァジュラ!」という声とともに雷がコアに命中した。
巨人が消えると空は何事もなかったように晴れ渡った。リンは急いで駆け寄ったが、奈津子の心臓は止まっていた。
「ああ、何てことだ……」
リンの体が白く光り出し、奈津子の体を包むと、しばらくして奈津子が目を開けた。
「……ああ、リン。あたし……どこか川のほとりみたいな場所に立っていたのにあなたが呼び戻してくれた……」
奈津子は甦生したが、頭を強く打っていたようで再び昏倒した。
「ふう……間一髪だったかな」
いつの間にかリンの背後に人が立っていた。
「リン」
水牙の声だった。
「君の起こした奇跡、見せてもらったよ」
「……水牙?じゃあさっきの雨と雷は?」
「うむ、話は後だ。それより早くその娘御を病院に」
リンは救急車に同乗して近くの大学病院まで行った。経過観察のための入院が必要というので、靖男のバイト先のファミレスに電話をしてすぐに病院に来てもらうように頼んだ。
とりあえず一命は取り留めた、いや甦らせたので、後は病院に任せよう、奈津子はすやすやと寝ていた。病院の中庭に出ると水牙の他にもう一人男性がいた。
「あの娘御は?」
「うん、お医者さんに任せておけば大丈夫みたい」
「ミミィがいれば良かったが」
「?……あの雨と雷は水牙が?」
「ああ、クラウド・シップから雨をな。雷はここにいる弟の雷牙が落とした」
「よろしく。おれは雷牙ってんだ」
顔立ちはどことなく水牙に似ていたが名前の通り雷小僧のようなくりくり頭にいたずらっ子のような目をした青年が挨拶をした。
「助けてくれたんだね。ありがとう」
「まだ他にメンバーはいるが伝えねばならぬ事がある。リチャードと某の部下のミミィ、王先生、青龍の四人はニューヨークに向かった」
「ニューヨーク?」
「ここと同じように異変が起こっている。ニューヨークで死者が続々、墓地から蘇っているらしい。ネクロマンシーを使うとは許しがたい話だ」
「何とかの君?」
「……『土の君』はこんな泥人形やネクロマンシーなど使わない。あの男は天才だ。別の誰かが悪さしているのだ」
「お金で雇われてるとか?」
「或いはネクロマンシーを試したいだけの人間、それともリンの噂を聞きつけ、挑発をしにきた馬鹿者か。ニューヨークに行く前にリチャードも言っていたが、クラウス博士だったか、それと同じ手合いかもしれぬな」
「僕も行った方がいいね?」
「娘御が一人では心細いであろう」
「うん、彼氏の靖男が来るまで待ってくれるかな?」
靖男が病室に飛び込んできた。リンの顔を見るなり「文月、お前がついていながら」と言って殴りかかろうとした。
「……待って、靖男。リンは助けてくれたの。死んだと思ったのにリンが魂を分けてくれたの」
怒鳴り声に目を覚ました奈津子が弱々しい声で靖男を止めた。
「……そうなのか、文月。すまん。お前がいなければ奈津子は」
「ううん、僕の責任だよ。僕が狙われてるから奈津子は巻き添えを食ったんだ」
「バカ野郎、そんなん言ったら誰もお前と付き合えない。お前はおれたちの友人で、そしてお前は命の恩人だ。ありがとうな」
「靖男」
「それよりニューヨークに行かなくていいのか。タクシーのラジオで言ってたぞ。ゾンビがうじゃうじゃ出てるっていうじゃねえか。一発ぶっ飛ばしてこいよ」
「うん。行ってくる。靖男、奈津子。またね」
ム・バレロの罠
リンは水牙のクラウド・シップに乗り、ニューヨーク上空に着いた。リチャードが待ち合わせ場所に指定したセントラル・パークのオベリスクの前に人が集まっていた。
「リン、ここにいるのがミミィ、王先生、そして青龍だ」
リチャードが声をかけ、水牙は雷牙をリチャードに紹介した。
ミミィは白いローブをまとった黒目が印象的で神秘的な女性だった。王先生は一体年がいくつかわからないほどしわくちゃの老人、青龍は王先生の弟子だろうか、体格のいい東洋系の弁髪の青年だった。
「ほぉ、おんしがリンか。戦う男の顔をしとらんなあ」
王先生がリンを見てのんびりした口調で言った。
「以前にも似たような男がおった。確か――」
「先生」
弁髪の青年が王先生を止めた。
「思い出話はまた後でごゆっくりと」
「おお、それはすまんかった」
改めてリチャードが状況説明を行った。
「死者はニューヨークだけでなくこの大陸の至る所で蘇っている。連邦のソルジャーやチコが食い止めているが焼け石に水だ。ミミィが幾つかの墓地を浄化させたが限界がある。どこかにある大元を絶たないといけないが、そこまで手が回らない」
「僕がこれから全部を浄化させるよ」
「こちらはクラウド・シップで怪しそうな場所を探す。王先生、青龍。出番があるかもしれません。一緒に参りましょう」
水牙たちはシップで出発し、リン、リチャード、ミミィがその場に残った。
「思い切りぶっ放してこい。ミミィはオンディヌ、シルフィたちと一緒に負傷者のケアに当たってくれるか。リン、彼女はライフカプセルと同じ癒しの力を持っているようだ」
「へえ、すごいね。それで奈津子が倒れた時に水牙が君の事を言ってたのか」
「お友達が負傷されたのですってね。お気の毒に――さあ、リン。急ぎましょう」
タイムズ・スクエアに降りた。普段は人や車で賑わっているが、今は警察、軍、連邦のソルジャーしか見当たらなかった。無人の街に緊急車両の灯りとけばけばしいサイン広告だけが点滅していた。
「私は襲われた人がゾンビ化しないように浄化作業に移ります」とミミィは言った。「リン、よろしく頼みます」
「うん、じゃあ早速、この辺で」
リンは剣を抜くと、地面に力いっぱい突き刺し、精神を集中させた。
「天然拳!」
《愚者の星》の時と同じく地下から幾筋もの光が吹き出して、やがて静寂が訪れた。
あちらこちらで歓声が聞こえた。どうやらこの一帯の浄化に成功したようだった。一人のソルジャーが走ってくるのが見えた。
「はあ、はあ。リン。やっぱり凄いです。あっという間にゾンビが消えました」
連邦ソルジャーの制服を着たチコだった。
「やあ、チコ。立派なソルジャーだね」
「まだまだですよ。地球人はぼくだけだから恥ずかしい所は見せられません――それよりもリン。まだ他の場所もあるけど大丈夫ですか?」
「いける所までいくしかないよ。きっと水牙たちが大元を潰してくれる」
水牙たちはクラウド・シップで怪しげな場所を空中から探した。
「兄貴、夜が明ける前に見つからないと面倒だな」
雷牙がシップを操縦しながら言った。
「ああ、これだけ大量のネクロマンシーを行うにはそれなりの祭祀場所が必要になるはずだ。そこを見つけるのだ」
やがてシップはニューヨークを大分南に下った所の岩だらけの台地に、大きく円形に模られた篝火(かがりび)を発見した。
「いかにも怪しげな場所だ。降りてみよう」
水牙たちが地上に降りると、円形の篝火の中央で一人の男が祈りを捧げていた。羽根やビーズのたくさん付いた髪飾りをつけた上半身裸の男だった。
「失礼だが――」
雷牙が声をかけると男は顔を上げた。
「思ったより早い。それにしてもリン文月は想像以上の力だな。これは発見だった」
「王国の人間ではないな?」と水牙が尋ねた。
「王国?私は自分の意志でこの星に来ただけだ。銀河を変える運命の男がどれほどのものか見てみたくてな」
「あの土の巨人もお前か?」
「そうだと言ったら?」
「なかなかの力だ。名を聞いておく」
「《享楽の星》の都、チオニの錬金学者、ム・バレロだ」
「余裕だな。ここで死ぬってのにその落ち着きは」と言って、雷牙がヴァジュラと呼ばれる槌を構えた。
「そうれはどうかな。出よ、骨龍!」
台地から無数の白い骨が湧き出し、空中で全長五十メートルほどの龍の骨格に変わった。水牙たちが骨龍に気を取られた隙にム・バレロの姿はかき消すようになくなっていた。
「何だ、この化け物は。王先生、青龍、出番ですよ」
「うむ」
王先生が指示を出すと青龍は三十メートルほどの体長の青い鱗を持った龍へと姿を変えた。
骨龍と青龍は空中で激しくぶつかり合った。何度目かのぶつかり合いで青龍が骨龍の首筋に噛み付き、そのまま骨龍を胴締めにした。ぎしぎしという音がして骨龍は雄たけびを上げた。
「雷牙、ヴァジュラを」
王先生が言い、雷牙が持っていた槌を振り上げた。
雷は骨龍の頭を直撃し、骨龍はそのまま地面に叩きつけられ動かなくなった。青龍は人間の姿に戻って地上に降りた。
「先生、こいつは龍族ですか?」
「うんにゃ、こんなのは作りもんじゃ。龍族ではないわ。よく見てみい、色んな動物の骨の寄せ集めじゃわい」
「先生はあのム・バレロという男をご存知なのですか?」と水牙が尋ねた。
「いや、知らん。ただ邪法のレベルはかなり高いようだの。寄せ集めとはいえ龍を作るとは。恐ろしい男だわい」
「逃げられてしまいました」
「放っておけ。この祭祀場所がなければもう死人を呼べん」
その頃、リン、リチャード、チコの三人はヒューストン近郊まで来ていた。リンが天然拳を発動しようとすると、「おい、待て。様子が変だぞ」と言ってリチャードが止めた。
遠くで歓声が上がるのが聞こえ、人々が口々に「やったぞ」と叫びながら歩いているのが見えた。
「どうやら水牙が元を絶ったようだな」
リチャードはふぅっと息をついた。