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20XX.6.23 変化
昼過ぎに美夜とぼくはビーチハウスに戻った。美夜は仕事を休むらしかった。「確かめたい事がある」と言ってずんずんと書斎に入っていった。
インスタントコーヒーを準備していると書斎から美夜が戻った。
「やっぱりね。ジウラン、この場所は安全よ。意味がわかる?」
コーヒーカップを美夜に渡しながらわからないと答えた。
「あの資料、あたしには全く読めないの、多分他の人も同じ。あなた以外は読めない仕組みになっているのね。つまりあなたもこの場所もこのままにしておかないと話が進まないのよ」
コーヒーカップをもてあそびながら、簡単に別荘を燃やせる奴らなんだからぼくとこの家を消すくらいは造作もないでしょう、と言った。
「その通りね、いざとなれば簡単。ちょっとこれ見て」
美夜はジャケットの内ポケットからたたんだ新聞を取り出した。
「麓を下りた所のコンビニで買ったの、地方版なんだけど火事の一報が出てないのよ、警察も消防署もグルなのか、圧力がかかったのか、何も起こってない事になっているの。わざわざあんな茶番をやってみせたのは秘密裏にあなたを消すくらいの力を持っているんだぞっていう意思表示でもあるんでしょうね――悪趣味」
美夜は「コーヒーごちそうさま」と言い、カップを片付け、帰り仕度を始めた。
「当分は作業に集中しなさいよ、まだ先は長いんだし。あたしたちもあなたに注目しているのがわかっているから、彼らも無茶はしないわよ、安心なさい」
もう一度「彼ら」とか「あたしたち」とは何なのか尋ねた。
「そのうち、いやでもわかるわ。この星の隠された歴史、気が遠くなるほどの長い歴史」
君たちのリーダーと呼ばれる人には会えないの、と訊いた。
「今はその時期ではない。あなたが自分の為すべき事を理解して自分の足で歩き出した時に会えるんじゃないかしら?」
そう言ってから美夜は携帯番号をぼくに教えて去っていった。
(追記)
夜、枕元に人の気配を感じた。中原さん――とっさに理解した。中原さんは柔らかなバリトンボイスで話し始めた。
「ジウランさん、私のせいでこのような事態に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」
いえ、気にしないで下さい――
「私は話相手が欲しかった。信じて下さい。申し上げた事は真実です」
わかっていますよ、ぼくはむしろ中原さんに感謝しています、でも中原さんがあの屋敷に居続けた本当の理由は他にあるんでしょう――
「いえ、そのような」
いいんです、今度はぼくが思いに応えないと。中原さん、心残りは何だったんですか――
「はい、真由美様は沙耶香様をお生みになり、沙耶香様とお二人であの屋敷で暮らされておりました。私は真由美様と沙耶香様のお幸せだけを願っておりましたのに、お二人ともこの老いぼれを残して先に逝かれてしまわれた。私はそれが心残りであの屋敷に留まっておりました」
中原さん、ぼくが読んだ「事実の世界」でも真由美さんは救えないみたいです。でも沙耶香さんは生きていなくちゃいけない、それがぼくの言える全てです――
「十分です、それで十分です。これで私も安心して逝けます。ジウランさん、あなたにお会いする事ができて私は本当に幸せでした。では失礼致します」
中原さんの気配は消えた。もう会う事はないだろう。でも中原さんの思いとぼくの思いが沙耶香をどこかで復活させたのは確かな気がした。
歴史を変化させたという高揚感よりも、失ったものに対する喪失感の方が強かった。
じいちゃん、大変な事に首を突っ込んだみたいだ。