ジウランの日記 (5)

20XX.6.22 壮大な茶番

(16:15)

 まとめた資料を持って軽井沢駅に着くと中原さんの使いだという青年が迎えに来てくれていた。旧軽井沢の閑静な別荘地帯の一角のひときわ古い別荘に車で連れて行かれ、客間に案内された。
「ようこそいらっしゃいました、ジウラン・ピアナ様。佐倉沙耶香と申します」
 意中の人の予期せぬタイミングでの登場に面食らったまま、中原さんの所在を尋ねたが、「ごめんなさいね。東京に忘れ物を取りに戻って頂いているの、行き違いね」という答えが返ってきた。
 沙耶香は予想よりも快活な話っぷりだったが、ぼくと同い年くらい、いかにもお嬢様の雰囲気を漂わせていた。
「二階にお部屋を用意してありますのでそちらでお休み下さい。夕食には皆が揃いますから、その時に面白いお話、聞かせて下さいね」と言って沙耶香は客間を出ていった。

(18:55)

 二階のゲストルームでぼぉっとしていると、先ほど駅まで迎えに来てくれた青年が夕食の準備ができたと告げに来た。食堂に案内され、すでに着席していた沙耶香としばらく談笑していると、須良大都、真由美夫妻が登場した。
 それからはまさに夢のような一時だった。美味しい食事、須良博士の量子力学の話、ご家族の仲良さげな様子、そしてぼくの突拍子もない話にも真剣に耳を傾け、時には的確なコメントを返してくれた。これほど洗練された人たちに会うのは初めての経験だった。
 残念だったのは三人ともじいちゃんに会った事も夢を見た事もなかったという点だった。それだけは何だかじいちゃん自体が否定された気がして切なかった。

(21:00)

 食事が終わると、改めて須良博士がぼくの話に一つ一つ筋道を立ててコメントをしてくれた。

・博士の研究は転移装置ではなく量子力学である
・「ネオポリス計画」の名を聞いた事もないし、もちろん参加した事もない
・従って「糸瀬優」や「文月源蔵」という人物は知らない
・(真由美を呼び)「若林静江」という友人はいたが特に親しかった訳ではない
・「重森二郎」は知らない
・(さらに沙耶香を呼び)「文月凛太郎」は知らない、もちろん他のカナ名前も
・「西浦治」は知らない、「蒲田大吾」は新聞で名前を見た事がある
・1983年の一連の出来事は起こっていないという結論、起こっていれば大事件となり「人口に膾炙する」に決まっている
・「カルペディエム」の下りも同様。どうみても創作としか思えない

 
 コメントし終わった後、須良博士は気の毒そうな表情を見せ、ぼくは無理に笑顔を作り言った。

 ――とても失礼な真似をしてしまいました、こんなにお幸せな家庭を築かれているのに、まるで博士が魔王のような言い方をして、ぼくは少しおかしいんです――

 すると須良博士が優しく声をかけた。
「お話を聞く限り、おじい様はご立派な方です。そのおじい様の書かれた作品に対して忠実にふるまう、これは決して恥ずべき行いではありませんよ」
 そう言ってぼくの肩をぽんぽんと叩きながら、にこりと微笑んだ。
「もう電車もありません。泊まっていきなさい。明日とびきり美味しい朝食を用意しますよ」

(23:00)

 ゲストルームのベッドで横になるがなかなか寝付けなかった。今日ここに来てからずっと抱いている違和感、それがぼくに寝てはいけないと忠告する。一体何だろう、須良博士と同じように一つ一つ解釈を……

(25:00)

 いつの間にか眠っていたようだ。ベッドサイドに何かがいる気配で目が覚めた。
「ジウランさん」
 中原さんの声だった。帰ってきてたんですね、と言おうとしたぼくを「大きな声を出してはいけません」と制した。
「ジウランさん、落ち着いて聞いて下さい」
 中原さんは囁き声で続けた。
「この別荘に火が付けられました。早く逃げて下さい」
 突然の事に口も聞けなかった。確かに階下から焦げ臭い煙が上がってくるようだった。

(25:05)

 急いで着替えて階下に向かった。奥の食堂が火元だろうか、火勢が強くてそちらには行けなかった。皆さん無事ですか、と大声を出したつもりだったが熱と煙でうまく呼吸ができなかった。中原さんの姿も見当たらない。仕方なく入り口に向かうと客間のあたりで黒い影が動くのが見えた。沙耶香さんですか、と尋ねると紅蓮の炎の向こうから予想外に陽気な声が返ってきた。
「早く逃げないと焼け死にますよ、ジウラン・ピアナ」
「ここで死んでしまうならそれまででしょうが」と言ったのはどうやら真由美さんだ。
「殺すな、という命令を受けているのでね」
 須良博士の声もした。

(25:07)

 一体何を、と声のした方向に向かって叫んだ。火の粉が激しく舞い上がり、熱風が顔に吹きつけ、息苦しかった。
「ようやくゲームのスタートですよ」
 須良博士の声だった。ぼくが黙っていると「まだわかりませんか。私は須良大都じゃありません。もちろん真由美も沙耶香も。1983年に大学生だった沙耶香が20XX年になってもあなたと同じ年頃の外見のはずがない、ちょっと考えればわかるでしょう」
 ようやく違和感の原因がわかったがそれどころではなかった。再びにせの須良大都の声がした。
「M町にある無人の廃屋に足繁く通ってはぶつぶつと独り言を言っている。少しいかれているのかと噂していましたが、どうやら鈍い人でもあるようですね」

(25:08)

 早く逃げないと天井が落ちてきそうだったけれど、もう少し話を聞いてみたくなった。そりゃぼくは確かに少しどんくさいけど、初対面の人間にとやかく言われたくはなかった。
「あなたがおじい様と選手交替をしたので、私たちは急遽あなたの調査を開始しました。その結果わかったのは、あなたは行動を起こさないのではなく、行動を起こせない、つまり何も理解していないという事でした。ようやく行動を開始したと思っても妙ちきりんな真似ばかりしている。さすがに上の者が心配しましてね、こういう荒っぽくも派手な洗礼をあなたに授けたのですよ」
 私たちとか上の者とか、あなたたちは何者か、と尋ねた。
「今のあなたに言っても理解できないでしょう。ただあなたに頑張ってほしいと願う人間がいる。それだけ覚えておいて下さい」

(25:09)

 天井の梁にも火が燃え移って、みしみしと音がし始めた。もう少し情報を引き出したい。ぼくは敵なのか味方なのか、質問した。
「ははは、どちらでもありませんよ。今のあなたは、このゲームで全く危険でない存在。生きていようが死んでしまおうが大勢に影響は与えません。ですが、それではいけません。まずは当面の勝負に勝って頂かないと。そうでないと上の者の積年の想いの実現の雲行きまで怪しくなるのですから――もっともっと色々な事を学び、成長して真のプレイヤーとなり、勝負に勝って頂かないと」
 天井が崩れ落ちた。背後で声がした、また中原さん?
「ジウランさん、こちらに早く」

(25:10)

 すんでのところで別荘から外に出た。中原さんの声がなければ逃げ遅れていたかもしれなかった。辺りを見回したが中原さんの姿はどこにもなかった。
 炎に包まれ崩れ落ちようとする別荘の中から須良博士、真由美、沙耶香、駅まで迎えに来た青年が揃って笑顔で登場した。
「どうでしたかね、我々の演技は」と偽の須良博士が笑いながら言った。
 煙が喉に入ってきて痛かった。もう一度だけ、正体を訊いた。

「これから長い付き合いになるのですし、自己紹介しておきましょうか」
 須良博士役の男が一歩前に出て口上を述べ始めた。
「この国は誰の物かご存じか。我らの祖先は、遠い昔に『奉ろわぬ者』となった。祖先の恨みを晴らすべく、生き永らえた矢倉衆――頭領の死王でございます」
 続いて偽の真由美が前に出た。
「女に見えて女でなし。男に見えて男でなし。無面坊ですわいな」
 迎えに来た青年が進み出た。
「ガキの頃から身に付けた、刃で刻んでみせやしょう。刀二とはおいらでさ」
 最後に偽の沙耶香だった。
「……矢取のお七」

 この人たちは何を言ってるんだろう、ひりつく目を凝らして謎の四人組を見ていると新たに見た事のない黒眼鏡をかけた五人目の男が現れた。

 
 黒眼鏡の男は四人に言った。
「おいおい、こんなところで油を売っている場合じゃないぞ。面倒くさい人間がすぐそこまで来ている。後はその人間に任せてこの場を後にしようじゃないか」
 またもや謎の人物登場だった。ぼくが咳き込む中、偽の須良一家は背を向けて去っていこうとした。黒眼鏡の男が途中で振り返って言った。

「ジウランくん、君は今まで通り作業を続ければよい。色々な人に出会う、我々の味方もいれば敵もいるが、そんなのは大した問題ではない。とにかく勝負に勝ってくれたまえ」
 全く理解できない、と答えると「今はわからなくても徐々にわかってくる。ただ時間は少ないぞ、君が会うべき人はどんどん年老いてこの世を去っていく。そうなったら事実の確認もなくなる――さて、我々は退散するとしよう」
 ちょっと待って、中原さんは、と尋ねると、にせの須良博士がやれやれという表情をした。
「まだそんな――ではこういう事にしましょう。あなたと色々話せて満足したのか、昨夜亡くなりましたよ。これでいいですか?」

(25:12)

 やり場のない悲しみのせいか、吹き付ける熱風のせいか、頭が真っ白になり、立ち去ろうとする数メートル先のにせの須良博士たちに向かって殴りかかっていた。黒眼鏡の男の右手に黒く光るものが見えた――拳銃?

(25:48)

 目が覚めた。高原の夜風に混じって焦げ臭い臭いがした。ゆっくりと立ち上がり周辺を見回すと別荘はすでに焼け落ちていて、黒眼鏡の男や偽の須良博士たちの姿も見えなかった。
「お目覚めね」
 背後で女性の声がした。

(25:49)

 振り返ると黒の皮ジャンにジーンズ、ライダーズブーツ、ヘルメットを手に持った、長い黒髪を風になびかせる女性の姿があった。
 君は――
「神代美夜、名前くらい聞いた事あるんじゃないかしら」
 ぼくは興奮して頷いた。ここにいる理由を尋ねると「あなたの行動が危なっかしいから来たのよ」と言った。

(25:50)

 君もぼくを監視してる、さっきの人たちの仲間なのか、と尋ねた。
「さっきの――ああ、彼らね、彼らは、そうね、絶対に仲間ではないわ」
 美夜は長い髪をかき上げながら言った。
「今、あなたに話しても混乱するばかりだから詳しくは言わない。あなたはおじい様の作品を読むのに集中するのがいいわ」

(25:51)

 じいちゃんの残した資料の内容は本当なのか尋ねた。
「さあ、わからないわ。あなた次第なんじゃない」
 ――そんな曖昧なものを読ませようとするからには、君は信じているって事?
「読んでいけばいつかわかるはず、あなたの事、あたしの事、色々な事、今はそれ以上は言えない」
 美夜は持っていたヘルメットをぽんと投げて寄越した。
「さあ、こんなところでぐずぐずしていて厄介事に巻き込まれても仕方ないわ。安全な場所に行きましょう」

(26:20)

 美夜のバイクの後ろに乗って着いたのは浅間山の麓にある小さなバンガローだった。
「今夜はここでゆっくり寝て明日T海岸に戻ればいいわ」
 色々と聞きたい事があったのでそう伝えた。
「仕方ないわね、眠いんだけど。二つ、三つならいいわよ」

(26:21)

 一つ目の質問:じいちゃんには会ったの?
「お会いした事……ないわ。うちのボスは会っているみたいだけど」
 二つ目の質問:ぼくは狙われている?
「安心して、あなたは良くも悪くも世界を動かすキーとなる可能性を持った人間。殺す訳にはいかないはずよ」
 三つ目の質問:君もどこかの組織に属している?
「彼らほどの大組織ではないけどね」
 四つ目の質問に移ろうとして美夜がそれを遮った。
「言ったはずよ、二つ、三つと。後はまた会った時にして」

(26:23)

 でもどうすればまた君に会えるの、と尋ねた。
「もう会ってるじゃない、一日中新聞読んではため息ついてる外人さん」
 あ、H図書館の受付にいた可愛い女の子――疲れが急にどっと出てそのまま眠りに落ちていった。

 

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