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2 怨嗟の毒樹
オフィスからポートへ向かう動く歩道上でリンが文句を言った。
「ひどい扱いだったね。地球の役所だってあんなに態度は悪くないよ」
「腐敗が進んでいるようだな――おい、リン、ちょっと降りるんだ」
リチャードは動く歩道の脇にあるパスウエイと呼ばれる退避域に移動した。リンたちもそれに従って動く歩道から一旦降りた。
「どうしたの?」
リチャードが指差す先にはオフィスから必死に走って追いかけてくるノノヤマの姿があった。
「はあ、はあ、久々に走ったから息が……リチャードさん、皆さん、本当に申し訳ありません。気分を害されたと思いますがあれが今の連邦の姿です。あの上司は申請に来た人間に賄賂を要求する、ただの小悪党です。今回はリチャードさんのような英雄がいらっしゃったので欲が出たのか、《愚者の星》の財宝などと大それた事を言い出した。どうか皆さん、真に受けずに聞き流して下さい」
「しかし財宝を持っていかなければ申請は通らない」
「いえ、お恥ずかしい話ですがそれなりの賄賂を渡せばどうにかなると思います」
「――ここにいる皆の顔を見て下さい。そんな形で連邦員になってもちっとも嬉しくないと考えています。これが私たちの総意です」
「何と真っ直ぐなお方たちだ。あなたたちのような方が連邦中枢に少しでも残っていて下されば連邦の命運も尽きないでしょうに」
「そういうノノヤマさんこそ腐った連中の中でよくご自分を失わずに仕事されてますよ」
「はい、私は元々トリチェリ議長の秘書をやっていました。イマームさんがコーディネートして私がアドミ、トリチェリ議長が決定するという分担だったのです。議長があのような事になり、イマームさんは投獄されましたが、気が小さかった私は閑職に回されただけで済みました」
「なるほど。道理で骨のある方だ」
「リチャードさんも何度かお見かけしましたよ。議長のご自宅に遊びに行かれた事があるでしょう?」
「ええ、コメッ……」
「……しーっ、その名前をここで口にしてはいけません。どこで誰が聞き耳を立てているかわかりません」
「……末期症状の様相を呈していますね。《鉄の星》の再興のためには連邦の後ろ盾が必要なのに間に合うのか。このような状態で連邦を立て直せるのだろうか」
「ああ、そのお言葉、決して忘れませんよ――さ、ポートでは監視者が待っている。急いで行って下さい」
「そうしましょう。ノノヤマさん、最後に一つだけ、連邦を牛耳る悪の親玉の名は?」
「……連邦議長セム、首長ロリアン、それにポートであなた方を待っているであろうならず者たちの親玉の武器商人ダッハ、その三人です。ではこれで」
ポートに着くと到底役人には見えない悪人面の男たちが待っていた。
「おい、おせえぞ、銀河の英雄だか何だか知らねえけど待たせんじゃねえよ」
「わかってる。そうかりかりなさんな。この人たちは非戦闘員だから帰ってもらっても構わないよな――オンディヌ、リンと私だけで向かうからシップで《花の星》に戻っていてくれないか。終わったらポータバインドで連絡を入れる」
男たちは薄ら笑いを浮かべて答えた。
「ああ、一向にかまわねえよ。お宝さえ見つけてくれりゃあ文句はねえんだ――しかしおめえら、本当にバカだな。帝国をわざわざ辞めて落ち目の連邦に来るなんてどうかしてらあ。おれらだってこんな辛気臭え連邦なんか、お宝頂戴してトンズラしてえよ。ひゃっはっは」
ポートでオンディヌたちと別れ、男たちのシップで《愚者の星》に向かった。星の近くに来ると一人の男が言った。
「さあて、おれらはここで待ってっから、早えとこ行ってこいや。夜までは待っててやるがそれ以降は死んだと思って帰るからな」
「さて、リン、行くか」
リンとリチャードは深い霧に向かって飛び立った。
(リン、どうだ。毒ガスの歓迎は)
視界が全然効かないだろう事は事前に予想がついていたため、マリスの事件の時と同じようにリチャードが意識をシンクロさせてリンに話しかけた。
「いい気分じゃあないね。あとどのくらい落ちればこの霧を抜けられるんだろう」
(さあな、抜けた先は毒の噴き出す地面らしいぞ)
ようやく二人は地上に降り立った。試しに足踏みをすると、ぐじゅっといやな音を立てて紫色の液体が足元からあふれ出すのがわかった。
「少し視界はよくなったがこんな場所で転びたくはないな」
「うん、ここはどの辺?」
「ちょっと待ってろ。《愚者の星》……ではないか。マップ、《賢者の星》、王都イワク」
リンはリチャードが空間に出したマップを覗き込んだ。
「……ここが今いる場所だからあっちだね。どうする、飛んでく?飛べば大した距離でもないみたいだけど」
「せっかくだ。ウォーキングとしゃれこもうじゃないか」
「……リチャード、知り合ってからまだそんなに経ってないけど、そんな軽口叩く人だとは思わなかった」
「ん、そうか。私にもよくわからないが、多分、ロックを倒して肩の荷が下りたんだ。さあ、行くぞ」
二人は王宮に向かって歩き出した。連邦府の建築が円形を基調としていたのに対して、この星の道路や建築は直線で構成されていた。
「この道路や建物の跡はすごいね。きっとすごい文明だったんだ」
「ああ、訪れる機会はなかったが美しい廃墟とは皮肉だな――リン、ちょっと待て」
言われたリンが目をこらした先、どこまでも続く直線路の果てに、ゆらぁりと大きな影が動いていた。
「きっと『怨嗟の毒樹』だ。わざわざお出迎えか」
リンとリチャードは注意深く進んだが、影の大きさは一向に変わらなかった。
「……なかなか近づかないね」
「うむ、巨大過ぎて大きさが変わらないのかもしれないな、よし、飛ぶか」
リンたちが低空飛行で影に近づくと、巨大な影は姿を消した。
「あれ、逃げた?」
リンたちは地上に降りて再び歩き出した。やがて直線路は終わり、左に道が続いた。慎重に角を曲がると、再び続く直線路の中ほどで巨大な影は待っていた。
「消えたんじゃなくて角を曲がっただけだったんだ」
「――本当にお出迎えのようだぞ。私たちを案内してくれている」
巨大な影は距離を取りながら前方を進んだ。碁盤の目のように整備された廃墟の街路は何の目印もなく、いつの間にか自分がどこにいるのかがわからなくなってしまう。案内がなければ永遠に彷徨い続けるかもしれなかった。
いくつの十字路を越え、角を曲がったか、突然に開けた場所に出た。目の前には毒々しいピンク色をした泡がぼこぼこと沸き立つ池、そしてその先には左右対称形の王宮らしき廃墟が見えた。
「着いた。この池に王宮の姿が映ったかつての様子はさぞ美しかったろう」
二人は毒の池の上を渡った。渡り切って振り返ると巨大な枯れ木が帰り道を塞いでいた。『怨嗟の毒樹』、高さは六十メートル以上、何本もの枝を触手のように蠢かせ、目のようにぽっかり開いた二つの洞(うろ)はリンたちをじっと見つめているようだった。
「ただでは帰さないという意味のようだ。前に進むしかないな」
リンたちは王宮内に入った。ここでも散々迷った末、どうにか王の間だったであろう場所に出た。
玉座に近づくと不意に空から一筋のかすかな光が差し、不思議な声が響き渡った。
――我は《賢者の星》、最後の王、ハルナータ。我が血族がここを訪れる日を心待ちにしておった
二人は顔を見合わせ、リンが小声で囁いた。
「リチャードの親類がこの星にいた?」
不思議な声は空気を震わせた。
――黒髪のお主だ。これより秘宝、『鎮山の剣』をお主に授ける。お主はその剣でこの星の囚われし魂たちを救済するのだ。それが一族の務め
奥の壁の一部が開き、小さな宝物部屋が姿を現した。無数の財宝に囲まれた一段高い場所に剣が突き刺してあった。
リチャードは黙って頷き、リンは一人で宝物部屋に足を踏み入れた。剣の柄に手をかけ、一気に引き抜くと再び声がした。
――千年の時を経て剣をお主の手に渡そう
「でもどうやって魂を救えば?」
――お主はすでにその術を知っているはず。その剣とともにあらば心の制御も容易く叶う。試すがよい、そして彷徨える五億の魂たちを解放してやってくれ――
リンたちは王宮の前の池に戻ったが、相変わらず毒樹が行く手を阻んでいた。
「このへんでやるしかないな」
「うん」
自然は集中を周囲の環境と同じレベルまで高めていって、自身が周囲に溶け込んでいく感じだ。
ヅィーンマンの時はどうだったろう。反対に周囲のものが全部、自身に集まってきたような気がする。
となると集中を高めていって……だめだ、どうしてもその先がわからなかった。
リンは剣を片手に大きく呼吸を繰り返した。
やってみるしかない
リンは集中を高めていった。すると剣身がそれに呼応するかのように震えるような気がした。
リンの頭の中にイメージが飛び込んできた。
砂漠を行く隊商の一団
夜空に浮かぶ二つの星
黄金に輝く槍を持った人
そして一人の男が言う
思いのままに剣を振るうのだ――
剣が白い光を放ち始め、リチャードは眩しくて目を開けていられなくなった。
リンは声を上げて、剣を地面に突き立てた。
「魂よ、帰るべき場所に帰れ、安らかに」
地面が震え、どぎついピンク色の池の水が激しく波打った。やがて震えは星全体を包む震動となり、池の水は渦を巻いて空中に舞い上がった。何かが地の奥底から沸き上がり、それらは光の筋に形を変え、地表から噴き出した。何万本、いや何百万本もの光が地表から空に向かって一斉に放たれた。耳を澄ますと光は口々に「ありがとう」という言葉を発しながら空へ駆け上っていく。光は地上から空に上がり消え、そしてまた次の光が、また次の光が空に上がった。
どのくらいその状況が続いただろうか、やがて地表の光は力を失い、辺りに静寂が訪れた。リンは地面に突き刺した剣にもたれたまま、膝をついて肩で息をした。
リチャードが辺りを見回すと、靄は晴れ、地表を覆っていた毒素も池から湧き出していた毒水も姿を消し、白亜の廃墟の街並みが静かに広がっていた。行く手を阻んでいた毒樹は緑の若葉をつけた大樹へと変わり、そこに佇んでいた。
星を再生させる奇跡を目の当たりにしたリチャードは黙ってリンに手を貸し、立ち上がらせた。
リチャードはリンに向かって親指を立てたが、疲労困憊のリンには何の意味かよくわからなかった。