6.1. Story 9 大帝

4 笑う犯人

 舞台袖から走って出ていく男の足元だけが見えた。
 大帝は背後を振り返って、通路際で突っ伏したままのリチャードの重力制御を解いた。

 リチャードはバネ仕掛けの人形のように立ち上がって、一瞬だけ躊躇する素振りを見せたが、何も言わずに舞台袖に消えた狙撃犯を追った。

 
 リチャードは逃げる男を追い、ホテル正面の車回しの付近で男の前に出た。
「見た事のない顔だな」
 目の前の金縁眼鏡をかけた細身のスーツ姿の男に声をかけた。男の胸の不自然なふくらみの中に銃が納まっているのだろう。
「その胸の銃で撃ったのか」
「ああ、そうだ。確認はしていないがおそらく即死だ」
「素人ではないな。少し話を聞かせてもらうぞ」
「リチャード・センテニア。せっかくお会いできたのに残念だ。生憎と多忙でもう帰らないといけない」
「一歩でも動けばこの拳が黙っていない」
「ふふふ。行かせてもらうよ」
「脅しでは――

「どうしたんだい。『全能の王』の再来」
 男は拳が飛んでこないように安全な距離を保ちながらリチャードの脇を通り抜けていった。
「足が……動かない」
「はははは」

 
 大笑いをする男は車回しに停車していた黒塗りの高級車に近付き、助手席のドアを開けてそれに乗り込んだ。
「……待て」
 動けないリチャードの叫びに反応するかのように車の後部のスモークガラスがじりじりと下がっていき、一人の男の顔が現れた。
 
 年の頃は五十から六十か、白髪交じりのオールバックの面長の顔をした男がリチャードを見てにこりと笑い、軽く頭を下げた。
 その後、面長の男は正面に向き直り、運転手に何かを告げ、車の窓は閉まり、静かに発進した。

 
 スモークガラスの黒塗り高級車は滑るように車回しから公道に出て、その姿は消えた。

「あれ、リチャードさんじゃないですか」
 呆然と車を見送っていたリチャードが背後からの声に振りくと、西浦と蒲田、それに警護に付いていた警察の一団がホテルに戻ってくる所だった。 
「……大吾か。皆、無事か」
「ええ、皆さん避難完了しました。リチャードさんこそこんな場所で何してるんです?」
「ちょっとな」

 蒲田はリチャードの様子に首を傾げた後、車回しの様子を見て声を上げた。
「あれ、西浦さん。あの車いなくなってますよ」
「――大吾。それはここに停まっていた車か?」
 リチャードは西浦が答える前に蒲田に尋ねた。
「そうですよ。日本に何台もない高級車なんでちょっと目に付いたんですよ。でも緊急避難時でしょ。すぐに皆さんを誘導しなきゃと思い直した時に面白い事が起こったんです」
「それは?」
「助手席から知り合いが降りて、ホテルの中に向かっていったんですよ」
「知り合いだと?」
「同じ警察の専内(せんだい)って先輩なんですけど」
「細くて、眼鏡をかけた男か」
「あれ、リチャードさんも会ったんですか?」
「まあな」

 
「そんな事よりホテルの中は。不審者はどうしました?」
「――急いで戻ろう」

 リチャードがおそるおそる足を動かしてみると、何も問題なく前に出る事ができた。
 あの眼鏡の男……いや、あの車の後部にいた初老の男の仕業に違いない
 あの男の正体はおそらく――

「リチャードさん、急ぎましょうよ」
「まだ大帝がいるはずだ。危険だからしばらくは会議場の外で待機していてくれ」

 

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