6.1. Story 9 大帝

3 重力制御

 朝10時、シンポジウムがスタートした。糸瀬の最終プレゼンは午後3時の予定だった。
 Tホテル内にはリチャード、リン、オンディヌ、シルフィが待機した。西浦と蒲田も警察を指揮して警備に余念がなかった。3時までには源蔵、静江、沙耶香も到着する予定だった。

 
 午後3時、ほぼ定刻通りにプレゼンがスタートした。
 西浦と蒲田は議場の外を見張り、源蔵、静江、沙耶香は舞台袖で見守った。リンとリチャードは議場の最後部で立って話を聞いていた。
 げっそりと痩せ細った糸瀬は簡単な挨拶の後、本題に入った。

 
「一つの建物、或いは一つの町でも構いません。それを思い浮かべて下さい。そこにAという場所とBという場所があったとします。従来の考えであれば、このAとBを繋ぐものは廊下であり、道であるのは当然おわかりの事かと思います――

 
 やはり転移装置について語るようだった。議場内のリンはリチャードと顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。

 
「しかしながら、このAからB、BからAへの移動が一瞬のうちに行われるとしたらどうでしょう。『移動を助ける』という廊下や道路の目的は必要なくなってしまうのです。極論すれば、A地点とB地点の間にヒマラヤ山脈や太平洋があっても問題ない……そこまで極端ではなくても、都市デザインの観点からも革命的な出来事です。廊下や道路は元々の目的から解放され、新たなデザインの可能性を持つのであります――

 
 リンが隣のリチャードにそっと耳打ちした。
「ねえ、糸瀬さんってわかって話してるのかな?」
 リチャードは黙って首を横に振った。

 
「想像してみて下さい。これまで点と点を廊下や道で結んでいたものが、一気に面としての結合となる、これは新たな次元の発見に他ならないのです――

 
 今度はリチャードがリンに耳打ちした。
「とはいうものの、新たな次元という意味では外していない」
「でもそういうのは父さんみたいに実体験してから言ってほしいよね」

 
「ここまでご説明して『何を夢物語を語っているんだ』とお思いの方も多いかと存じます。ですがこれからお見せするものが確たる証拠となります。その名を――

 
 講演がまさに佳境に差し掛かった時、会場の外にいた蒲田は遥か遠くの空に小さな黒い点を見つけた。何気なく見ているとその黒い点はみるみる大きくなって近づいてきた。
「西浦さん、あ、あれ、あれ」
 言っている間に、黒い大きな塊は窓ガラスを突き破り、議場内に飛び込んだ。
 突如、議場に飛び込んだ黒い塊は人間のようだったが、膝立ちで顔を伏せていたため、表情はよくわからなかった。

「……大帝」
 リチャードはかすれ声で呟いたが、すぐに我に返って議場内の聴衆に向かって叫んだ。
「落ち着いて。誘導に従って速やかに退避するんだ」
 凍り付いたように動きを止めていた会議場内の人々は一斉に悲鳴を上げ、出口に向かって逃げ出した。
 議場に駆け込んだ西浦、蒲田に先導された警察、そしてオンディヌとシルフィが人々を誘導して避難が行われた。

 リンとリチャードは膝立ちで顔を伏せた大帝の前に立った。
「……大帝、何をするつもりだ?」
 まるで地の底から湧き上るような声が響いた。
「安心しろ。早く人々を逃がせ。私の狙いはわかっているはずだ」
 大帝が指差した先には演壇の上で凍り付いたように動きを止めたままの糸瀬がいた。

 
 リンたちは会議場から全員が無事に逃げたのを確認した後、構えを取った。
「好きにはさせんぞ」

 ようやく大帝が立ち上がった。身長は二メートル近く、上から下まで黒づくめの出で立ち、黒い兜の奥の燃えるような眼光だけで人を焼き殺せそうだった。
 大帝は通路で構えるリンたちを無視して演壇の糸瀬に近づいた。

 
「ダイアモンドダスト!」
 オンディヌとシルフィが場内に戻ってきて声を揃えると、手元から細かな氷の刃が湧き出し、豪雨のように大帝に降り注いだが、刃の雨は大帝に刺さらず、力なく地上に落ちた。
 大帝が何かを放つような手の仕草をした。議場内に備えられた椅子が一列まとめて吹き飛び、オンディヌとシルフィは議場端の壁に叩きつけられた。

 
 リチャードが斬りかかったが、触れる前に地上に叩きつけられ、動けなくなった。
 大帝は続いて前に立ちはだかったリンを興味深そうに見つめた。

「リチャードの気持ちを変えさせた地球人だな。名は何と言う?」
「文月、文月リン」
「文月……これも何かの縁か。源蔵の息子だな」

 リンは一気に自然で決着をつけようとしたが、強烈な重力を受け、そのまま地上に突っ伏して身動きが取れなくなった。
「地球人なのに能力があるとは不思議だな――私は重力を自由に操れる。お前はそこから逃れられん」
 オンディヌもシルフィもリチャードもリンも壁や地面に張り付いたまま動けなくなっていた。

 リチャードがあえぎながら言った。
「……大帝、糸瀬をどうするつもりだ」

 
 大帝は演壇へと続く階段を昇った。舞台袖から源蔵たちが現れて、演壇の後ろで座り込んでいる糸瀬の前に立ちはだかった。

「……大都……か?」
 源蔵が震える声で大帝に問いかけた。
「源蔵、久しぶりだな。行方不明になったと聞いていたが戻ったのだな。確かに私は大都、いや大都だった男だ。そこにいる糸瀬に転移装置に細工されたせいで帰る場所を失い、エテルという男が研究していた転移装置に拾われるまで宇宙空間を放浪した」

 大帝がそう言って顔を覆っていた兜をはずすと中から現れたのは傷だらけの男の顔だった。
「その代償がこれだ。身体が巨大化した上に足の指の先まで全身傷跡だらけだ。如何に異次元を放浪する事が苦難に満ちていたか、似た経験をしたお前なら理解できるだろう」
「糸瀬を殺す気か?」と源蔵はさらに問いかけた。
「私がこんな目に遭ったというのにその男はこの星で呑気に暮らしている。まあ、それは良しとしよう。だが他人の研究を自分の成果として発表すると聞きつけたものでな。それは科学に携わる者として決してあってはいけない。そうではないか、源蔵?」
「……ああ」
「少しお灸を据えようと思っただけだ。命を奪おうなどとは考えていない。命を奪うなら、こんなまだるっこしい手段は取らない」

 
「リチャード君を敵に回す結果になったぞ。それで良かったのか?」
「彼が私と袂を分かつ事は予想済みだ。だがお前の息子がそのきっかけになるとは予想していなかった」
「お前のせいで地球はとんでもない混乱に陥っているんだぞ」
「源蔵、それは違う。この星の人間はもっと早く気付くべきなのだ。もっとずっと以前から喉元にナイフを突きつけられている事実にな」
「どういう意味だ?」
「わからなければいい。こんなのは全て茶番、その茶番に私も一枚噛んで、君たちの危機感が少しでも煽られればそれで十分だった。久しく自分の生まれた星にも帰っていなかったので、里帰りがてらの訪問だ」

 
「大都さん……なんですね」
 源蔵の隣の静江が精一杯の声を振り絞って叫んだ。
「私、真由美の親友だった静江です。私、あなたに言わなきゃいけない事があります」
「ほお、次々に珍しい方と再会するな。ちゃんと源蔵とは結ばれましたか。こいつは晩生ですからあなたがリードしてやらないといけません。で、言いたい事とは何か?」

 静江は、へたり込んで震える糸瀬を介抱する沙耶香をちらっと見て声の調子を落とした。
「あなたがあの事故に遭われた時に、真由美のお腹にあなたの子供がいたのは覚えてますよね?」
 大帝は何も答えなかった。
「その子を産む少し前に真由美から手紙が届きました。そこにはあなたの子供をこの世に残す事ができて幸せだと――」

 
 大帝は静江には答えずに、糸瀬を護るように立ち上がった沙耶香に近付いた。
「娘、名前は?」
「沙耶香、糸瀬沙耶香です」
 沙耶香が大帝を睨みつけたまま答えると大帝の動きが止まった。
「……沙耶香、沙耶香というのだな」
 背後で静江が一段高い声を上げた。
「そうよ、その子こそあなたの娘、沙耶香さんよ。沙耶香という名前はあなたと真由美で決めたんでしょ!」

 沙耶香が即座に首を横に振った。
「いいえ、私の父は糸瀬優、ここにいる糸瀬優だけです。あなたなんか、あなたなんか父ではありません」
 大帝の眼光が少し柔らかくなったように見えた。
「その通りだ、私は帝国の大帝、お前のような娘など知らん――おい、糸瀬、娘がここまで勇気を振り絞っているのに知らぬ存ぜぬか?」

 
 糸瀬がゆっくりと沙耶香の背後から姿を現し、沙耶香はその場を退き、二人の男が檀上で向き合う形となった。
「……大都」
「糸瀬よ。久しぶりだな」
「今更許しを乞おうとは思わん。だが私の話も聞いてくれないか」
「何だ」
「結局は私も策略に踊らされただけだった」
「つまり誰かの差し金だと言いたいのだな。それは誰だ?」
「それは――

 銃声が場内に響き渡った次の瞬間、糸瀬は向かい合った大帝の腕の中にもたれかかるようにして倒れ込んだ。

 

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