6.1. Story 8 悪魔の子

3 帰る場所

 

魂の呼びかけ

 雨の止んだ明け方の歌舞伎座前、三原橋交差点付近は警察、消防の車で溢れ返った。喧騒の中心にいた蒲田は先ほど地下で見た光景を一生忘れる事はないだろうと感じていた。
 浅草線のホームに横たえられた乗客たちは皆、一様に苦悶の表情を浮かべ、ある者は虚空をつかみ、ある者は自分の喉をかきむしったまま、息絶えていた。
 同期の山坂だけがホームではなく、天井に開いた大きな穴の付近で倒れていた。他の乗客に比べて表情が安らかだったのを唯一の救いと言えばいいのだろうか、それほどの惨状だった。
 いずれにせよ詳細はリチャードが教えてくれると思い、先刻からその姿を探していたがまだ見つからなかった。
 心の準備が必要だ――蒲田は現場に戻った。

 
 朝10時、『都鳥』にリンとリチャードがいた。
「リン、これから私は大吾の所に行くが、お前はどうする?」
 リチャードが尋ねるとリンは俯いたままで首を横に振った。
「……わかった。今夜はおそらくマリスとの決着をつけなければならない。無理だとは思うが、疲れを取り、気持ちを切り替えてくれ」

 出て行こうとするリチャードにリンが声をかけた。
「僕がギブアップしたらどうなるの?」
「止めるのは自由だが、この星でまともに戦えるのはお前だけだ。そのお前が降りるなら――この星はそれまでだ」
「……そうだよね、僕がやらなきゃ皆、奴隷だよね」
「私は他所者だ。この星のために命をかけるつもりはないが、自分の星のような光景は二度と見たくない」

 
 夜、祝田橋交差点付近でリンとリチャードはマリスを待った。
「大吾にはTホテルまでの間を全面封鎖してもらっている。今日は幸い日曜で辺りのビルにも人がいない」とリチャードはリンに言った。
「蒲田さんは元気だった?」
「今朝のお前と同じだ。無力感に苛まれると言っていた」
「辛いだろうな。何もできないんだもの」
「この星にもこの星の人間にも来るべき時が来た、そういう事だ――さて、そろそろだぞ」

 
 リンが意識を研ぎ澄ますと、前回マリスが消えた桜田門交差点付近でかすかに何かが動く気配がした。
 爆発音に続いてマリスが現れたようだ。リンはゆっくりと桜田門方面に向かって歩き出し、リチャードは蒲田と連絡を取るために別の方向に向かった。

「マリス、僕だよ、リンだ」
「あ、リン」
 呼びかけにマリスが答えた。
「来たんだね。またぼくと遊ぶの?でもロックに怒られちゃうから今日はだめ。そこどいてよ」 

 気配を消したままで日比谷に向かって進もうとするマリスの前にリンが立ちはだかった。警察は蒲田の連絡を受け、交差点付近を中心にじりじりと包囲網を狭めているに違いなかった。

「もう止めようよ、こんなの」
「だめだよ、おとといもロックに怒られたんだ」
「ロックは君の何なんだい?」
「ロックは、ぼくのほごしゃだよ。ずっと守ってくれるって言ってくれたんだから」
「僕だって君の事考えてる。僕は君の『帰る場所』になりたいんだよ」
「何それ……ともだちってこと?」
「ううん、それ以上さ。たとえ何があっても、どんな事が起こっても、君は僕の所に戻ってくればいい。君の故郷だよ」
「ふるさとかあ」
「そう、だからこんなの止めようよ」
「……リン、ぼくをだまそうとしてるでしょ。うそつき!」
 そう言うとマリスは爆弾の準備を始めた。
「違う、違うよ、本当だって」

「うそつき!」
 マリスの投げた爆弾が足元で爆発し、リンは爆風で吹き飛ばされた。
 リンは起き上がり、傷ついた足をひきずり、マリスを追いかけた。
「マリス、違うんだ、本当に、本当に」
「うそつき!」
 マリスは次々と爆弾を投げた。何度も爆風で吹き飛ばされながらもリンはその度に立ち上がった。

「聞いてよ――僕の友達が今日死んだ。その人は子供たちの未来のためなら何でもするって考えていた。僕はその人の意志を継いで子供たちの未来のために命をかける、君の未来のために何でもする。君の姿が見えるのは僕だけだ、僕は君と一緒なんだ」

 爆弾を投げる手が止まった。祝田橋交差点の真ん中でリンはマリスに追いつき、そのまま抱きしめた。
「君は僕と同じなんだ、だからわかり合えるんだよ」
「……本当に、本当にわかってくれるの?」
「そうだよ」
 リンは傷だらけの体であえぎながら何度も頷いた。
「僕らは一緒なんだよ」
 リンはなおも強くマリスを抱きしめた。
「リン、ちょっと苦しいよ」

 マリスは体を離した。二人の体はもう誰からも見えるようになっていた。
 どこかで乾いた銃声が響き、リンの目の前でマリスは静かに倒れた。
「……マリス、マリス?」
 リンは何が起こったのかわからず、うろたえた。
 マリスは倒れたまま、顔だけをリンに向け、ゆっくりと手を差し出した。
「……リン、どうしたんだろ、なみだが出るよ……ふるさと……なって」
 小さな手が力なくアスファルトに落ちた。

 
 リチャードがマリスの手を握ったままのリンに近づいた。
「特別狙撃チームがやったらしい」
 蒲田もリンの下にやってきた。
「文月くん、何と言えばいいのか」
 リンは物言わぬマリスの頬の涙の跡をじっと見つめていた。

 

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