目次
4 サーカスがやってきた
Mesmerizer
夕方6時半、リンは山手線の駅を降りてK公園に向かった。公園の中心にはいくつものカラフルなテントが設営されていた。
「ふーん、こんなテント、いつの間にできたんだろ?」
テントの周りには露店も出て、人が群がっていた。
一番大きなテントの前には「銀河の奇跡!!シルフィ・サーカス」という看板が出ていて、空中ブランコにまたがる亜麻色の髪の美女とマンモスのような獣にまたがったブロンドの美女の絵が毒々しい雰囲気で描かれていた。その脇には「本日、関係者プレビューにつき、一般のお客様は入場できません」と立て札があった。
リンはテントの周りにたむろする人々の羨望のまなざしを浴びてテントの木戸を通った。予想に反して三百ほどある客席はほとんど埋まっていた。
「僕が狙いかと思ったけど、勘違いか」
招待券に印された番号の席に腰を降ろすと、しばらくして照明が落ち、開演の口上が始まった。朝、公園で会ったダンチョーという針金ひげの人形にそっくりの男だった。
ダンチョーが形通りの口上を述べ、早速演目に移った。最初の出し物はナイフ投げらしかった。糸のように鋭い目つきの小男が女性を壁に立たせナイフを投げる、よくある類で特に珍しくもなかった。
しばらくするとダンチョーがマイクを手に話し出した。
「ではお客様のどなたかに、ここにおりますナイフ投げチルンの的になって頂きましょう」
予期していた通り、リンにスポットライトが当たり、客席からステージに連れ出された。
ナイフ投げのチルンはリンを壁に立たせながら「おめえの度胸試させてもらうぜ」とリンの耳元で囁いた。
ダンチョーも近くに来て、笑顔のまま「私たちをがっかりさせないで下さいよ」と囁いて去った。
リンは壁際で両手、両足を広げ大の字の形になり、チルンのナイフを待った。ナイフは巧みにリンの手足のぎりぎりの所に刺さった。
顔色一つ変えないリンを見てチルンはほくそ笑んだ。
「なかなかなもんだ。じゃ、こいつはどうかな?」
チルンが放ったナイフは確実にリンの顔をめがけて飛んでいった。
「あ、500円玉」
リンが身を屈めるのとほぼ同時にナイフはリンの顔があった位置に刺さった。観客はこれを演出と勘違いして一瞬の沈黙の後に大きな拍手を送った。
「何だ、500円じゃなかった」
リンは屈みこんだままチルンを見上げてにこりと笑った。ダンチョーはステージ袖で感心していたがチルンは面白くなさそうな表情を見せた。
チルンはもう少し大振りのナイフを一束手にして声をかけた。
「お兄さん、もうちょっとだけおいらに付き合ってくれねえかい。これから投げる五本のナイフのうち一本だけが本物で残りの四本はおもちゃさ。本物の一本を見極めてみねえか」
そう言ってナイフの刃を自分の腕に立てると、刃はゴムのようにくにゃりと曲がった。
二人は再び向かい合った。一本目を投げ、リンは避けなかった。ナイフはリンの胸に当たってくにゃりと曲がった。
観客たちは喝采を送った。
二本目、三本目、四本目、やはり、リンは避けずにナイフは力なく床に落ちた。チルンは勝ち誇った笑いを浮かべながら「てことは、この五本目が本物だな、いくぜ」と言って、五本目のナイフを投げたが今度もリンは避けなかった。テント内に悲鳴が響き渡ったが、胸に刺さるかと思われたナイフはくにゃりと曲がり、床に落ちた。
気まずそうな顔のチルンは「ちっ、おめえの勝ちだ。面白くねえ」と吐き捨ててから、リンをステージ中央に連れていき、その手を高々と上げた。
「ほれ、ちゃんとお客さんに挨拶しろよ」
リンが無事なのを見た観客は我に返り、割れんばかりの拍手をした。
ステージ袖のダンチョーがにこにこ笑いながらマイクを握った。
「いや、びっくりしました。このように勇気のあるお客様がいらっしゃるとは。こちらのお客様のために特別席をステージ中央に設けさせて頂きました」
いつの間にか円形ステージ中央に王様が座るような立派な席が設えてあった。
「では続いての出し物、キャティ七変化でございます。」
リンが特別席に座ったのを見届け、ダンチョーは次の演目をアナウンスした。
次の出し物の準備として円形ステージの円周の三箇所にシャワールームを二つつなぎ合わせたくらいの大きさの箱が置かれた。
動きながらその中で早変わりをするのだろう、これもよくある手合いだとリンは思った。
白いドレスを着たブロンドの髪の若い可愛らしい女性、彼女がキャティだろう、がステージに上がって一礼をした。小さな子犬ほどのイノシシに似た不思議な生き物を連れていた。
軽快な音楽に合わせてキャティは生き物を連れて歩き、箱に入った、と思った次の瞬間には箱の外に出た。
キャティは黒髪のミニスカート姿に変わっていた。
観客がまばらに拍手をしたが、一番近くで見ていたリンはある変化に気づいた。イノシシに似た生き物が一回り大きくなったのだ。
キャティは次の箱に入って、あっという間に箱の外に出た。今度は赤毛のキャミソール姿に早変わりしていた。
今度も観客はまばらに拍手をしたが、イノシシに似た生き物はさらに大きくなっていた。
次の箱、次の箱、二周目が終わる頃には、さすがに観客席もざわめき出した。キャティと一緒にいる生き物は子犬どころではなく牛ほどの大きさになっていた。
キャティの髪形や衣装も瞬間的に着物になったり、水着になったり、イヌイットの服に変わったりした。
リンは全くからくりを理解できないままに見とれた。キャティは三周目の最後に花魁の格好に変わり、そして象ほどの大きさになっていた生き物は元の子犬くらいの大きさに戻っていた。
観客は万雷の拍手でキャティを讃え、リンも我を忘れて拍手をした。
ダンチョーが満足そうにステージ脇でアナウンスをした。
「我がサーカスのスター、キャティと変化する生物ディディに暖かい拍手、どうもありがとうございます。さて、演目も花形の登場を残すのみと相成りました」
リンがダンチョーの口上を聞いていると、いつの間にか花魁からバニー姿に変わったキャティが近くに立っていた。
「すごいね。どうすればあんな早変わりができるの?」とリンはキャティに声をかけた。
「あら、あんなの簡単よ」
「ナイフ投げの人もすごかったし、君もすごいよ」
キャティは微笑みながら忠告した。
「あんた、いい人みたいだから言っとくわ。シルフィの動きに見とれないようにね」
ダンチョーのアナウンスが聞こえた。
「いよいよサーカスの花形シルフィの空中ブランコショー、皆様、頭上にご注目下さい」
ドラムロールが鳴り渡り、真っ暗なテント内部で天井の一箇所だけが明るくサーチライトで照らされた。
まばゆい蝶のような衣装を着た一人の美しい女性が、今しもブランコで空中に漕ぎ出そうとしていた。
シルフィのブランコはテントの中央まで進んで、反対側から来る空のブランコに飛び移った。何回目かの空中でのジャンプの時に手が滑ってブランコをつかみそこなった。
観客席から悲鳴が上がったが、シルフィは空中でふわりと向きを変え、ブランコに手をかけた。気が付けばリンを含め観客は彼女の一挙一動に見入っていた。
「あっ、『見とれる』ってこの事だ」
リンはあわてて目をそらしたが他の観客はもうシルフィから目を離せなくなっていた。
ブランコに腰掛けたシルフィが観客を見下ろして口を開いた。
「さあ、みんな、私のテンプテーションにその身を委ねなさい」
どうやら観客は空中ブランコに見とれている間にシルフィの不思議な術にかかったらしかった。皆、目がとろんとして夢でも見るような顔つきに変わっていた。
満足そうに地上に降りたシルフィだったが、ただ一人術にかかっていないリンに気づいた。
「ふふ、そうこなくっちゃ」
地上に降りたシルフィは水色に近い髪の色をした美しい女性で天使のような格好をしていた。
「君がリンね……ふーん。さあ、他のみんなはもう帰りなさい、命令は後で出すから」
「……君は、そうだ、オンディヌに似てるね。髪の毛の色が違うし、あと君の方が少し活発な感じがするけど」
「そうよ、オンディヌは双子の姉だもの」
「あれ、オンディヌの妹って事は帝国の」
「特殊部隊第二部隊の隊長シルフィよ。《青の星》の霍乱が我が隊の任務だけど、そんなのはどうでもいいの」
「……」
「リチャードは私の恋人、恋人が突然、帝国を離脱した理由を探りに来るのは当然でしょ?」
「えっ、リチャードの恋人?」
「あら、知らなかったの?」
「うん」
「君がどうやってリチャードを説得したのか知りたいのよ」
「説得なんてないよ。リチャードが自分で決めたんだ」
「その通りだ、シルフィ」
声とともにテントの天井に渡した梁の上にリチャードが現れた。
「リンを見極めてもらいたい、何故、私がこいつに賭けようと思ったか。そして君にも協力してもらいたい」
シルフィは少し拗ねたような顔をした。
「ふん、この子が変わってるのくらいわかるわよ。それよりも水臭いじゃない、相談もしないで色々と勝手に決めて」
「すまん。サラの予言の男に出会い、舞い上がっていたのかもしれない」
「いいわ……それよりまずい。ここにいた人たちにテンプテーションかけちゃった」
「予想済みだ。外は雨が降っている」
「……という事は、外では」
いつの間にかテントを叩く雨音が聞こえた。
「マーシィレイン(慈悲の雨)、姉さんったら」
オンディヌも天井の梁の上に姿を現した。
「雨降らしといたから皆、正気に戻るわ」
「姉さんまで」
「シルフィ、一緒に戦いましょうよ」
「わかったわよ。リン、よろしくね」
シルフィはリンに微笑んだ後、リチャードを見上げた。
「実は大帝からメッセージを預かってきたの。あなたが帝国を裏切ったのを怒っているんじゃなくて楽しんでるみたい。『24日まで糸瀬と東京をせいぜい守ってみろ』ですって、何の事かしら」
「おそらく君が私サイドに付くのも予想済みだったのだろう」
「……でしょうね」
「やはり、戦う相手は……ロックか」
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