2 対面
テレビ局にて
シゲの運転するS6で中野から新宿を抜け、テレビ局近くの路上に車を停めた。
「てんで楽勝っぽいわね」
「うん」
「あたしはここにいるから行ってらっしゃい。いい、受付の所で自然を使って、糸瀬のいるスタジオをチェックして、自然を解除してそこの前で待ってれば出てくるから」
「わかった。じゃあ行ってきます。あ、沙耶香にも声かけた方が良かったのかな」
「あっちは親子なんだから会いたきゃどうにでもなるわよ。さ、行った行った」
車に一人の男が近づき、運転席のシゲに声をかけた。
「あら、西浦さんの所のボクちゃん」
「蒲田です。文月君は糸瀬に接触するつもりでしょうか?」
「ああ、そうか。警察は糸瀬を警護している訳ね」
「さあ、僕は文月君を追っかけているだけです」
「いやだ、中野からずっと。だったら声かけなさいよ。水臭い」
「いつも顔を突き合わせてたら、好きな事できないし、たまには自由行動してもらわないと。今日はリチャードさんも一緒じゃないし何も起こらなければいいな」
「本当よね。あんたもここで待ってなさいよ」
「はい。でも駐車チケット買ってきます。路駐はまずいですから」
「Cスタジオ、ここだな」
受付を自然で通り抜け、局内に潜入したリンは目的地近くで自然を解除した。受付の脇の香盤表によれば、間もなく収録が終わるはずだった。
鉄製の扉が開いて、目当ての人物がスタッフらしき人間と話をしながら廊下に出てきた。
「糸瀬さん」
声をかけられた男は一瞬「ぎょっ」とした表情を見せたが、リンの姿を見てアシスタントディレクターか何かと思ったらしく、すぐに表情を和らげた。
「ああ、お疲れ様」
そのまま通り過ぎようとした糸瀬を再びリンが呼び止めた。
「糸瀬さん。僕、文月です。源蔵の息子の凛太郎です」
糸瀬は動きを止め、振り返ってリンをまじまじと見つめた。
「源蔵の息子さんか。どうやってここに?」
「ちょっと」
「ふむ、そこで座って話そうじゃないか」
糸瀬は廊下の休憩用のソファに案内すると、近くの自動販売機で買ったコーヒーの入った紙コップを二つ手に戻ってきた。
「君はタバコは……スポーツマンはそんなものは吸わないか。では私だけ失礼するよ」
糸瀬はコーヒーを一啜りしてから、タバコを美味そうにくゆらせた。
「そう言えば娘が色々と世話になっているそうだね。礼を言うよ」
「屋敷から一人で逃げ出しましたよね?」
「……言い訳がましく聞こえるかもしれんが、私と一緒にいる方が危険だと判断した」
「今はとても大事な時期だから。沙耶香さんがそう言ってました」
「娘には申し訳ない事をしたが君のような立派なボディガードもいるし、安心だ」
「どうして他人事のようにしてられるんですか。下手すれば命を落としかねなかったんですよ」
「……他人事か。なるほどな。君の言う通りかもしれない。私はあの娘に対して愛情を抱いていないのだ、きっと」
「そんなのおかしくありませんか」
「文月君。人には様々な事情があるんだ――それよりも聞いてほしい事がある。源蔵、君の父上の行方不明は私にも責任がある。君は知らないだろうが、そもそも万博のチケットは私が手配した」
「……その時の父に様子に変わった所はありませんでしたか?」
「チケットを手渡した時に久しぶりに会ったが特に変わった点はなかった。私の娘も同じ時期に行くから現地でばったり会うかもしれないな、いや、あの混雑の中でばったりはないぞ、などと他愛のない話をしただけだった」
「えっ、沙耶香さんも……という事は中原さんが付き添われて?」
中原の名前が出た途端に糸瀬の表情が一瞬だけ険しくなった。
「ああ、その通りだ。あの役立たずのおいぼれめ。騒ぎを起こしてくれて……いや、君の父上の失踪に比べれば大した事ではないが」
「沙耶香さんに何が?」
「大阪のホテルで具合が悪くなった。元々体の弱い子ではあったが中原が一緒であれば大丈夫かと思い、大阪まで来させたが」
「来させた?」
「説明が足らなかった。私はあの博覧会の時に、とあるパビリオンの総合監修を任されてね。大阪で暮らしているようなものだった。だから娘にチケットを手配するのと同時に旧知の文月親子にも博覧会に来てもらおうと考えたのさ」
「なるほど。お気遣いありがとうございました。そうなると同じ時、同じホテルに僕も泊まっていた可能性もありますね」
「そこまではわからないな。細部の調整は全部中原にやらせたし、源蔵は源蔵で手配をしたんじゃないかな。出先で娘の具合が悪くなり、あのように外に出られない体になってしまった事を知らされて、私はひどく失望した。君の父上が行方不明になったと聞かされたのはそれからずっと後の事で一緒の宿泊先だったかどうかなど、今まで一度も考えた事がなかった」
「そうでしたか」
「もういいかな。会議に向けての最後の詰めに忙しくてね」
糸瀬が慌ただしく去ったテレビ局のソファに座ってリンは冷めかけたコーヒーを一口啜った。
多分、あの人は父の件に関して嘘はついていない
中原さんのこれまでの口ぶりからすると大阪で父と僕に会ったのはほぼ確実だし、宿泊先も同じだったかもしれない。
大阪で何があったのか、会った時に聞いてみよう――
リンはシゲを待たせている事に気付いて、慌ててテレビ局を後にした。
リンの師
リチャードはオンディヌと共にトーラとバフの案内で都内某所にいた。広々とした部屋でソファにゆったりと腰かけていると夏の暑さを忘れるようだった。
「ふむ、私が今まで見てきた東京とは一味違う。近代的だ」
「隊長」
バフが冷やかすように言った。
「大分、ここの暮らしに染まってんじゃねえの。東京って言葉がすらっと出てくるなんてよ」
「そうかもしれない。垢抜けておらず、無秩序だが、何故か愛着を覚える」
「隊長」
今度はトーラが声をかけた。
「ここのリーダーですが、急患の診察が終わり次第、駆け付けるとの事です」
「ふーん、医者か」
「ええ」
「あの、こちらにやってくる男は違うのか?」
「ああ、あれは――ティオータさん、こっちですよ」
トーラに呼ばれ、職人風の中年男が広間にやってきた。
「おう、いよいよ親玉のお出ましか」
「会うなり、何言い出すんですか。隊長、こちらが世話になっているティオータさんです」
「リチャード・センテニアだ。隣に座っているのがオンディヌ」
「こんな辺鄙な星によく来たな。オンディヌさんは独立系のホスピタル・シップの人だろ。ダドリヤの人間が世話になってらあ。おいらからもお礼を言わせてもらうぜ。おっと、そういう意味じゃあ、リチャードさんにはもっと頭が上がらねえや。何しろ星を解放してくれた人の末裔だもんな」
「ティオータさんは」とトーラが説明した。「《歌の星》の元親衛隊長なんですよ」
「昔の話さ。今じゃあ、ただの鳶職人だ」
「道理で腕が立ちそうだと思ったよ」とリチャードが言った。
「リチャードさんに言われると嬉しいねえ。もっともおいらなんかより強い人間はごろごろいるぜ」
「呼び捨てで構わないぞ。あんたがリンの師匠ではないのか?」
「言ったろ。おいらより強い人間、しかも桁外れに強いのがいるんだよ。これでも『東京の三人の鬼』なんて呼ばれてた時期もあったんだけどよ、おいら以外の二人は本当に化けもんだ」
「あんたとリンの師匠と、あと一人は誰だ?」
「超が付く有名人、デズモンド・ピアナさ」
「そう言えばデズモンドはこの星を最後に消息を絶ったんだな」
「あのバカは《智の星団》を探すんだって行っちまったよ。本当のバカさ」
「仲が良かったんだな」
「まあな」
「で、リンの師匠には会えるのか?」
「多分だけどさっきからここにいるんじゃねえか」
「やはりそうか。自然の使い手とわかっていても気付かない。空気一つ揺らさないのはリン以上だ――なあ、師匠よ。話がしたいんだが」
声だけが聞こえた。
「ティオータの言う通り先刻よりここにいる」
「あんたが師匠か?」
「リンが色々と迷惑をかけているようだな」
「全くだ。どうしてあいつに攻撃を教えなかった?」
「あいつには基本しか教えていない。自然も自ら身に付けたものだ。お主と出会った事で攻撃も覚えるだろう。長い目で見てやってほしい」
「なあ、あんた、姿を現す事は可能か?」
「何だ、顔を拝みたいのか。お安い御用だ」
広間のソファの向こうに白い着物を着た人の姿が浮かび上がった。
「……ワンガミラ?」
「その名で呼ばれるのはいつ以来かな。だが私はワンガミラではない」
「ああっ、そうだ」
突然にティオータが大声を上げた。
「伝える事があったんだ。修蛇会をこてんぱんにやっつけただろ。奴ら、無謀にも復讐しようと企んでるみてえだぜ。でもあんたは外を出歩く訳じゃないし、近い内にはこの星を離れちまうのによ。ったく唐河も頭悪いよな」
「それは気の毒だ。だったらこちらから出向いてやるのが礼儀だろう。ティオータ、ここのリーダーに挨拶が終わったら案内してくれないか?」
「あんた、イメージしてたのと違うな。あまりやり過ぎないでくれよ」
「もちろんだ。必要以上に事を荒立てるつもりはない――リンの師匠、あんたも一緒にどうだ?」
「私を巻き込むな」
白い着物の男の姿は再び消え失せた。